謝罪











夜は深けて、春になれども風はまだ少し冬の匂いがする。

夕方頃家路に着き、暗くなるまでには森に囲まれてひっそりと聳える我が家に辿り着いていた。

玄関の引き戸の把手に手をかけ、鍵はかけていなかったのでそのままスライドさせれば簡単に扉は開く。

しかし、その手を動かす気にはならない。


開ければ重く痛い程の沈黙と古い木の匂いが待ち構えている。

慣れた感覚なのにそれがとても嫌だったからかもしれない。

自分が気紛れである事は自覚があるので、その気分のままに振る舞う事にする。

誰に迷惑がかかる訳でもない。

把手から手をそっと外して鍵をかけた。この行動もまた気紛れに。


生憎の曇り空には星どころか月の欠片すら見当たらない。

真っ暗な道、というよりはどちらかと言えば獣道と称する方が正しいと思われるその道を、

夜をはねる蜻蛉のように軽やかに、足音一つ無く歩を進めた。

左右に広がる森の奥から悲痛に咽ぶ泣き声のような鳥の叫びが響く。


こんなに自分が不安定なのは久し振りだった。

やはり昼間のアンコやカカシの会話のせいかもしれない、と思いかけたところで、

私はつい反射的に首を力無く横に振った。

自分の機嫌が悪いのを棚に上げて彼等のせいにする事は、あまりに自分勝手だったからだ。

こんな情けない思考回路からも、相当まいってしまっているようだと感じて苦笑いをこぼす。

情けない。






無意識に気侭に、足取りだけが私の行かなくてはならない先を知っていたようで、

その足が止まった場所にあるものを目に止めて、涙が出る程呼吸が侭ならなくなる。

もう二度と此処へは来ないと密かに自分に誓った場所へ来てしまった。


・・・・・慰霊碑。


艶のない白っぽい石碑は寂し気に闇に立ち尽くして途方にくれている。

前も後ろも下も上も無い暗さに慣れる事等出来ない。夜の森はそんな恐怖を滲ませていく。

月がなくともそれほど変わりはしないただの夜なのに、今はあまりにあの明るい夜とは違い過ぎる。

止まってしまった足は動きはするのだが、動かしたくない。

それ以上近寄ってはいけない気がする。暗に胸の奥で警鐘を鳴らしているような。


此処からでは遠くて、暗くて、その平面に刻み付けられた言葉を読み取る事は出来ないのに、

かつてその文字を辿った記憶からその全てを思い出した。

「殉職者」だけが刻まれる為、先刻の彼等の話にあったような「自殺者」の名は刻まれないだろう。

しかしその事実は私にとってあまり意味のあるものではなかった。

命を断たれた者であれ、命を断った者であれ、亡くなった事実は、不謹慎ながらも私は差を感じない。


ふいに身体を叩く夜風に弾かれて、昔に聞いた1曲の歌を思い出す。

歌詞は忘れてしまったが、懐かしい、それを思い出す度に幼い頃の感覚が甦る。

悲しい歌だったと思う。

死者を悼む歌だったかもしれない。

当時さほど気にならなかった歌詞が、今になって思い出せないままひっかかっていた。


「・・・・。」


背後から無言の挨拶が「きこえた」。


「・・・・こんばんは。」


とりあえず、といった感じで、私が当たり障りのない挨拶を告げると、

私が振り向いた先にはにこりと笑うカカシの姿が闇に浮かび上がった。

口布も額あてもしていない部分の肌は、まるで日に焼けていなくて、妙に夜に溶け合わない。

浮き上がって見えるのはそのせいだろう。

彼の周りだけすこし空気が違うみたいに思えてくる。

その空気を纏ったまま、彼は両手を無造作にポケットに突っ込んで慰霊碑に向かって、

一歩一歩確かめるように、私をすり抜けて赤茶けた砂を踏み締めて歩いていった。


「ハヤテがまさかいるとは思わなかった。

 この場所、嫌いなんでしょう、」


「嫌いって、そんなことはありません。不謹慎じゃないですか。・・・・」


あとに言葉が続くと思ったのに、何も言葉は出て来なかった。

微妙な沈黙をもたらすだけだった。

そういえば、そう言う彼は一体どうしてこんな時刻に此処にいるのだろうか。

私の疑問を即座に汲み、私に背を向け、慰霊碑を見下ろしたまま言った。


「今日は命日でね。

 忍ともあろう人間がいつまでも死んだ奴の事気にすんのもよくないけどさ、

 ・・・やっぱり弔ってやらなきゃなぁ、あんまりだろう。」


誰の、とは一切言わないし、私も聞かない。

暗黙の了解だなんて仰々しい事じゃないが、それは当たり前の事だった。

まだ遠い所で立ち尽くしていた私の足が、ようやっと彼と慰霊碑へ向かって歩いた。

もはや足の動きと私の意志は無関係だった。

ばらばらに動く身体がますます混乱を招いているのだろうか?


「・・・・怖くは、ないのですか。」


主語の抜けた辿々しい質問に、彼は優しく目だけで笑った。

左右の色の違うその瞳は妙に綺麗だ。


「怖くない訳じゃないけど、でも「行く」しかないじゃない?」


「それはそうですけどね。」


「アイツが、逝っちゃってから、大分経つんだけど、やっぱりまだちょっと信じられない所とかあるのかも。

 一時間前まで馬鹿みたいにはしゃぎまわってたから、一緒に。

 俺さ、なんかアイツが急に一人で逝ったから、その時無性に腹が立ってて、死に顔見なかったんだよね。

 見なくてよかったと思ってるけど、それだけかな、今でも引っ掛かってる事って。

 あとは、多分、もう、吹っ切れた。

 戻らない、それは確実だし。」


噛み締めるような言葉には、まったく偽り等なくて、飾らない素直さが曝け出されている。

ぼーっと見下ろしていた石碑に向かってしゃがみ込み、彼は手を静かにあわせた。

無性に何か得体の知れないモノが胸を圧迫して、押し上げて溢れそうだ。


素早い動きで石碑と彼に背を向けて俯いて自分のつま先をぢっと凝視する。

瞬きをする感覚がなかった。

焦っている時でも妙に自分の中の自分は冷静な事があるように、

今私は動揺する鼓動とは正反対に、冷静に自分の感じている感覚と行動と思考を見つめて観察した。

分裂する意識は、2度と修復不可能かも知れないなぁ、などとのんびり思う。


「大丈夫?

 ・・・無理しないで、もう帰りな、ハヤテ?」


「大丈夫です。

 無理は、していません。それに、まだ帰りません、カカシさん。」


カカシが尋ねたそっくりそのままの返答を返してみせた。

薄く笑いを浮かべたつもりだったが、本当に笑えていたかどうかは鏡を見た訳ではないのでわからない。

帰らない、と言いはしたが、自分でも何故帰らない、いや、帰りたくないと思ったのだろう。

口をついて出る勝手な言葉にはたびたび困る事がある。

何の意地もないから、さっき自分が言った言葉に反してもう帰ってしまおうか。


「ハヤテ、こういう事聞かれるの嫌だってわかってるけど、今は敢えて聞くよ。

 ・・・この慰霊碑に、お前の知り合いの名前が刻まれているの?」


私は、そのカカシの発言に新鮮な驚きを覚えた。

いつもカカシは私が触れられたく無いと思うような事や、深入りしそうな事には絶対に触れない。

それが助かる時もあるし、遠慮されていると負い目に感じる事もある。

そういう彼の気配りや穏やかに引かれるボーダーラインが心地よかった。

・・・そう思いつつ、私は彼がどこか無理をしているようにも見えていたかもしれない。


そのカカシが、初めて思いきったように尋ねたのだ。

直接的な表現を避けて続けてきた彼が。


「・・・嫌なら、答えなくてもいいんだ。

 ゴメン、気を悪くしたんなら謝る。」


何も言わずに驚いてカカシを見つめていた私に気を使ってか、

弁解するように言ったカカシに向かって、私は苦笑いしながら首を横に振った。


「・・・・。・・・・・・ええ、刻まれて、います。

 もうどんな人だったかも忘れてしまいましたが、とにかくとても尊敬していた方でした。」


躊躇いは呼吸一つで落ちていった。

カカシは何も口を挟むつもりもないらしく、

自分でも珍しいと思いつつも語り始めた私の声に耳を傾けている。


「昼間のアンコさんの話で、思い出したのかも知れません。

 できる限り人を殺める事が無いように望んでいらしたようでした。」


ゴホッ、と改めたように咳払いをして、私はそこで言葉を切った。

もうそれ以上はなにも言葉にならないような気がした。


「苦しいな・・・・・・。だいたい、人の命なんて重すぎるんだよ・・・。」


深刻な言葉を軽くする為に、カカシはできるだけの穏やかな笑顔でそう言った。

少しだけ軽くなったその言葉でも、私には胸を一突きにされたような痛みをもたらした。

どうして、と問いかけるべき事も無い疑問がゆっくりと巡っていく。

ハヤテ、とカカシが声を掛けてくれるまで、私はまるで身動きがとれなかった。


「ごめん、な、さい・・・・・っ・・・・!!」


まるで脈絡も無い謝罪の言葉が口をついて出てくる。

それも涙声が混じる掠れた声。

少し恥じてみたところで、どうしようもない。

視界に捉えたカカシの顔はとても優しかった。


私は弱すぎた。

そうなのだ。きっと弱すぎるのだ。

カカシが全てを乗り越えて完璧である訳では無いと、それは知っているが、

それでも彼はとても強く、じっと先を見据えている気がしていた。

比べるなんて愚かしい事をするのもどうかとは思う、だが、それでも私は足下を見る事で手一杯で・・・・。


そこまで思考を走らせたところで、カカシがそれをプツリと遮断させる。

うわ言のように微かな声で謝罪の言葉を呟き続ける私を、彼は風を浴びて冷たくなった腕で抱き寄せた。

そこには、人の体温がある。

紛れも無い同じ「生き物」。


「もう謝らないでいいよ。ごめんね。

 謝るべきは俺の方なのに。

 それに、俺もハヤテと同じなんだ。強がりばかりで、俺は弱いよ。

 ハヤテも、俺も、とても弱い・・・・そうやって、生きてきたんだから。

 そうでしか、生きる事ができないようなシステムなんだよ。」


だんだん熱を取り戻した彼の腕が熱い。

痛むような熱がじわりと私の身体に滲みた。














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