薄荷の空へ 金色の鼓動を捧ぐ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…所でカカシさん。

 火影様に御挨拶するのは良いのですが、其れは、『慰霊碑の方に』、と云う意味ですか。

 それとも、新しい火影様に言祝ぎを、と云う意味ですか。」

 

ちらりと右隣を行くカカシを視線だけで見遣りながら云うと、彼にしては珍しく少し虚を突かれたような表情をした。

そしてすぐに其れを苦笑に変え、やっぱり知ってたんだね、と呟いた。

あれだけの事件を幾ら何でも知らぬ筈が無かろうに、と思いながらも、えぇ、とだけ平然と返事を返す。

 

私が里を出た当時、火影を務めていたのは三代目である猿飛ヒルゼンだった。

そして私が旅を住処とし始めて一年も経たぬ頃、火の国からいくらか離れた小国に滞在していた折に、

木の葉隠れの里が襲われて壊滅的な打撃を受け、其の戦乱の中で三代目火影が殉職した、との報を、風の噂に聞いた。

 

故郷を捨てた私と云えど、其の報には少なからず動揺した。

三代目には、私も随分とお世話になっていた。

暗部に配属されてから里を出るに至る迄の間などは、私のひどい有り様に特に眼を掛けていてくれたようで、何度も私を案じてくれた。

私は結局、彼の期待にも優しさにも配慮にも、何一つ応えることは出来なかった。それだけは未だに胸が痛む。

 

「…、君は、里に戻ろうとは思わなかったのかい。」

 

のろのろと柔らかい地面を踏み分ける私のペースに合わせつつ、先程からずっと沈黙を保持したまま左隣を歩いていたヤマトが、

ふいにそう云うのが聞こえて、私はゆるりと頬に薄笑みを佩いて、私をじっと見つめる彼の顔を見上げた。

 

感情は見えないけれど、彼のそれは余りに真直ぐな眼だった。

カカシにしろヤマトにしろ、結局の所、彼らは正しく「人間」であることを辞めようとはしないのだろう、と思った。

私は「人間」を辞める事が「忍」で在る事だと思い、けれど「人間」を辞められなかったので、「忍」を辞めたのだ。

 

其処が彼らと私の違いだ。

彼らは「人間」であり、また同時に「忍」であろうとし続ける。其れを矛盾と考えることなく在ることができるひとたちなのだ。

その正しさを見失わぬ、彼らのように強く優しく在る事は、私にはとても難しい。

 

「うふふ、にゃんこの人、私の事、思い出しましたか?」

 

「ああ、随分と久し振りだったから、気付くのが遅れたけれどね。

 ボクとしてもあの任務はそう簡単に忘れられるものじゃないよ。」

 

少し苦い顔をしたヤマトににこりと曖昧を塗り付けた笑顔を向けて、肩を竦める。

里の危機を知って尚戻らなかった私を責めておいでですか、と笑顔のまま問えば、彼はそんなことはないとは云うが、

私の考えている事が分からないと云いたげな表情はすぐに読み取る事が出来た。

 

「日常生活には支障は無いけれど、あの時の怪我の後遺症でちょっと利き腕の動きが鈍いんです。

 こんな有り様では、刀使いの私が忍を続けて行く事は難しい。だから思い切って忍を辞めたのですよ。

 今更私が里に帰った所で役には立たないし、そもそも私は忍に戻るつもりはありません。

 根本的に私は忍に向いてませんからねぇ。」

 

ヤマトから視線を外して前を向きながら、だから、今、私はとてもしあわせなんです、と笑みを深くする。

そうかと呟いた返事に感情は滲んでいなかった。

他者の心の機微に疎い私には、彼が何を思ったのかを知る術は無い。

 

「ところで、にゃんこの人は暗部をお辞めになったのですか?」

 

「ああ、こいつ、今は任務の都合で、一時的に正規部隊として俺の班に加わってるんだよ。」

 

ヤマトに問うた筈が、何故かカカシから解答を渡される。

ヤマトを窺えば目線で肯定を返されたので、其の事に関しては特に気にせず、そういうことかと頷いた。

 

「なるほど、べつに暗部をクビになった訳じゃなかったんですねぇ。」

 

殆ど独り言の要領でのんびりとそんな事を呟けば、私のその悪気は無いが結構な暴言に、ヤマトは僅かに頬を引き攣らせた。

そっぽを向いているカカシがにやにやと笑いを堪えているのはバレバレだったが、敢えて突っ込みは入れない。

 

「…クビって、君ね……。

 所で、いい加減その呼び方は止めてくれないかな…。

 今のボクの名前はヤマトだから。」

 

「でも其れってコードネームでしょう?

 じゃあもうにゃんこの人でいいじゃないですか。」

 

どことなく貴方猫に似てますし、と続け掛けた言葉は辛うじて口には出さなかったが。

暗部時代のカカシさんだって、実は私、影でこっそりわんこの人って呼んでましたよ、と云うと、カカシが何故か噴き出した。

けらけらと笑うカカシを横目に、もういいよ、とヤマトが溜め息を吐いたのを見て、私もカカシと一緒になってへらりと笑うことにした。

 

 

 

「それにしても、は、ホント変わったねぇ。」

 

「確かにそうですよね。

 ボクがと仕事したのはあのたった一回だけだったけど、

 それでも、あの羊の面をしていた頃の君とは、今はまるで別人だよ。」

 

ふと何気ない声でカカシが云うと、ヤマトも其れに続けて同意する。

 

里に居た頃の私は、自分を押し殺して道具に成ろうと努める事に手一杯で、在り方の矛盾を無くす事ばかりを考えていた。

兵器であることに徹するあまり馴れ合いや仲間意識を遠ざけ、同僚達とはあまり関わろうとしなかったし、

暗部に所属したのはほんの1、2ヶ月の間でしかなかったが、其の時は更に人付き合いの悪さに拍車が掛かっていたような気がする。

今思えば精神的にも多少不安定だったこともあり、火影に余計な心配を掛けてしまうはめになった。

それを思えば、ヤマトがすぐには私を思い出せなかった事も無理は無かったのだ。

 

里を出て自由を得た事で本当の自分を大いに取り戻した今の私からでは、想像もつかないような有り様であったと我ながら思う。

最も、本来の気質が今のような暢気な人間であるからこそ、そのような無理が長く続かなかった訳なのだが。

大雑把な性格である癖に、変な所に真面目さを発揮して義務に固執するから始末が悪いのだ。

 

「そうかも知れませんねぇ。でも、こっちが素の私ですよ。

 変わったのではなくて、戻ったと云うのが正しい表現なのです。

 あの頃はまぁ、反抗期と云うか思春期と云うか何と云うか、若気の至りですよね、うふふ。」

 

「はは…里に戻っても、だって気付く奴は、少ないかもネ…。」

 

「それで良いのですよ。今の私は、ただの旅の薬師ですから。」

 

微笑みながらそう云った声音には、我ながらなかなかに明確な拒絶を含んでいるものだと思う。

もう貴方達とは仲間でも何でも無い、私は里を捨てたのだと暗に告げ、

言葉と表情を曖昧に濁した二人に気付かない振りをして、私はただ微笑みながらのんびりと歩を進める。

彼らの感情の動きなど、こう云ってしまうのもなんだが、私は知りたいとも思わないのだから。

 

木の葉の里に寄って行くと云いながらも、私はてんででたらめに、当初の予定通りの「真直ぐ」だけを目指していた。

其れに気付いたカカシが苦笑い混じりに、木の葉の里はこっちだよ、と、私を煽動するようにタンっと地を蹴った。

ヤマトもカカシに続いて其の後を追って鮮やかに跳躍し、二人はあっという間に林を駆け抜けて行く。

 

二人は私が忍としての身体能力的には然程衰えは無い事を知っているので、颯爽と木々を飛び抜けて行ったのだが、

私は付いて来いと示唆して飛び去って行く彼らの背を見送って、にっこりと無駄に微笑み、

彼らが消えて行った方角に向かい、相変わらずのんびりと、至って急ぐ事もせずにただ地面を踏みしめ歩いて行くのだった。

 

比較的ゆっくり走ってくれているらしい彼らに付いて行くのは今の私でも十分できるのだが、

薬箱の中身がぐしゃぐしゃになるのが厭だったし、柔らかい腐葉土を踏んで散歩しながら歩くのが思いのほか楽しかったので、

別に私は急いでいる訳では無いしなぁと考えながら、一向に歩調を変えるような事はしなかったのだった。

 

 

 

「…、君、いくらなんでもマイペース過ぎやしないか?」

 

数分後、私の目の前には、云いながらがっくりと肩を落とすヤマトと、最大限の苦笑いをするカカシが其処に居た。

 

全く急ごうともせず二人を追う様子さえ見せない私に気付き、彼らは結局、再び私のところ迄引き返して来たらしい。

戻って来るなり少し心配そうな顔をして、もしかしてまだ怪我の後遺症が、と問うヤマトの意外な優しさが少々いたたまれなかったが、

「いやいや足関係ないから、怪我したの腕ですから。」と、取り敢えず其処は容赦なく突っ込みを入れておいた。

 

「いやぁ、マイペースですかー。確かによく云われる言葉ですねぇ。」

 

「もしかしてお客さん相手にもそんな感じな訳…?」

 

「仕事はちゃんとしてますよ。いい加減な商売はしてませんて。」

 

カカシが若干胡乱そうな眼を向けて来るので、私の名誉の為に否定するべき所は否定しておいたが、

いまいち信じてもらえていないような気がしないでもない。失敬な。

 

「まぁ私も別に方向音痴という訳では無いので、方角さえ分かれば置いてってくれても勝手に向かいますよ。

 ましてや生まれ育った里へ帰るのに道間違ったりしないです。

 お二人とも任務帰りか何かなんでしょう? 私の事は気にせずまぁお先にどうぞ。」

 

「ちょっと、いや、かなり信用できないんだけど…。」

 

「何でですか、失礼ですねぇ。」

 

じとりと私を呆れた眼で見遣るカカシにそう切り返しながらも、私はてろっと頬を緩め、肩を竦めてみせる。

放っといたら木の葉を素通りして勝手に姿を眩ませそうだとか、また道に迷っても不思議じゃないとか、二人は好き勝手な事を云う。

過保護と云うか何と云うか、とかく面倒見が良いのは分かったが、少々煩雑な人達だなぁと思い、

私は彼らの横を素通りしてそのまま木の葉に向かう方角にまたのんびりと歩き出した。

 

「て、云ってる傍からまたー。」

 

さぁて進もうかと云う所で、背負った薬箱を掴んでカカシが私を無理矢理引き止める。

危うく後ろに転びそうになったのをそのまま薬箱を掴んだ手で支えてくれるのは良いのだが、謝辞を述べるには些か不本意である。

少々の批難を込めてやや不機嫌そうに彼を振り返り見れば、小さく彼は溜め息を吐いた。

 

薬箱は俺が丁重に運んだげるから、とカカシに強引に黒檀の杖もろとも荷物を取り上げられ、其れに抗議しようとする暇も与えられず、

彼に一瞬で視線から指示を受け取ったヤマトが、諦観を色濃く滲ませた溜め息を吐きながら、いきなり私を抱き上げて地を蹴った。

 

「ぎゃっ、ちょっ、…!」

 

状況は分かるのだが、其処に至った経緯がさっぱり理解できない。

 

ぐん、と慣性の法則に従って身体が傾ぐのを感じて、思わず手近にあったヤマトの襟首をがっしりと掴んだ。

私を子供でも抱き上げるかの様にひょいと持ち上げて運んでいるヤマトは、

カカシに続いて木々の間を飛び抜けながら、ちょっと待って、首、首絞まってるから!と、慌てて私の手を解きに掛かる。

半分わざと絞めてるんだよ、とは云えなかった。

 

 

 

地味な攻防を経て後。

襟首ではなくヤマトの肩を掴む事で私が妥協し、易々と私を運んでいるヤマトがやや疲れた表情で嘆息した。

 

どちらかと云えば盛大な溜め息を吐き出したいのは私の方なのだが。

何だって良い歳してこんな運搬方法を採られて迄、里に連行されなきゃならんのだろうかと、私は羞恥よりも先に全力で脱力していた。

最早恥じ入る気力も無い。

 

自分で走るから下ろしてくれと云うのも徒労に終わるような気がして、結局、黙って運搬されている現状に諦めを付ける。

これだからおせっかいな忍者は質が悪いと云うものだ、とカカシのいい加減な笑顔を思い出してうんざりとしつつ、

ただ黙って搬送されるのも暇なので、とりあえず近くにあるヤマトの顔をガン見してみることにした。

なかなか他人の顔をこうもじっと凝視する機会もそうそうなかろうと、真直ぐに前を向いて疾駆する彼を楽しく観察する。

 

そう云えば、「にゃんこの人」として面を付けた暗部装束の姿は見た事はあるが、私は彼の素顔を見るのは初めてである。

彼の方はどうだか知らないが、しかし、何となく私の顔は知っていたらしい事は其の態度から見て取れた。

それにしたって、忍なんてのは本当に妙ないきものだ。

仲間だ何だと云いながらも、相手の顔さえ知らないで仕事を共にすることさえあるのだから。

 

ちなみにカカシとは、彼が暗部を辞めて後、何度か彼の部隊に加わって仕事をさせてもらった事があるので、面識はあった。

彼も根本の部分では三代目と比較的良く似た性質をしていると思う。

冷静に状況判断が出来て最善の行動がとれる優秀な忍であることには相違無いけれど、何処かお人好しな部分が常に見え隠れする。

前述の通り反抗期も甚だしかった私の無愛想さを常に気に掛けて、何かと(鬱陶しいくらいに)構ってくれていた記憶がある。

(まぁ、無愛想と云えど、協調性においては、今よりずっとマシであったけれど。)

 

 

 

「…ボクの顔に何か付いてるかい?」

 

「え?ああ、大丈夫、眼と鼻と口が付いていますよ。」

 

久しく取り出す事もしていなかった記憶の回想に耽っていた私は、ふいにヤマトが掛けて来た言葉にいい加減な返事を返した。

ほとんど無意識の反射的な切り返しだったのだが、其れにしたってひどい返事だな、と一拍遅れて自分に呆れを覚える。

 

ヤマトの顔を凝視していた視線に改めて意識を向け直し、其の様子をそっと窺い見たのだが、

予想に反して、彼は私の適当にも程がある返事に対しては気を向けていない様子であった。

よくよく見れば、困惑しているような、気まずそうな顔をしており、少々視線が泳いでいるようにも見えた。

 

「すみません、暇だったのでつい凝視してしまいました。」

 

「……、」

 

「…もしかして、それ、照れてるんですか?」

 

「そ、そんなんじゃないよ。」

 

意外なものを見た、と思った。

私の指摘を否定はしていても、明らかに誤魔化し動揺しているヤマトの声音が、妙に浮き足立っているように聞こえる。

暗部に所属するほどの忍が、こうも感情を見て取れる表情をしている事に驚きと呆れと少しの可笑しさを感じ、

私はによによと頬を緩ませながら半分嫌がらせを込めて、じゃあいいですよね、と彼の観察を続行する事にした。

 

、君、ちょっとカカシ先輩に似てきてるんじゃないか……?」

 

ヤマトは疾駆する速度を落としもせず、また私を抱き上げる腕の力一つ緩めぬままに、器用にも溜め息を吐きながら肩を落としてみせた。

私は其れをまだ笑顔を貼り付けたままに黙って見つめ続けていた。

心の中で、私はあの人ほど胡散臭くはないさ、と嘯きながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

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(10.4.21)

 

 

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