薄荷の空へ 金色の鼓動を捧ぐ
日暮れ前に漸く里の入り口に到達し、心なしかぐったりした様子のヤマトにやっと地面に下ろしてもらい、
何故かにっこりと意味の無い空笑いを浮かべているカカシに荷物を返してもらう。
持ってあげる、と云うよりは、むしろ実質的には人質扱いだった大事な商売道具を背負い直し、ゆるり巨大な門を見上げる。
此の里に生まれてから何度も見上げた、とても見覚えのある其の景色を見て懐かしさこそ感じていたが、
其れ以外の感情は私の胸の内の何処を探しても見つからない。
此処は最早私の帰るべき場所では無いのだと確認するには、もう其れだけで十分だった。
「わぁー、懐かしいですねぇ、この自己主張の激しい正門。」
それでも懐古を想って眼を細めながら眺めていると、じゃあ行こうか、とカカシが促した。
そう云いつつも私が歩き出さなければ彼らは動くつもりは無いらしく、私はよっぽど信用されてないらしいと流石に苦笑した。
ことりと靴音を響かせながら門を潜れば、まるで巨大な生物の口の中へと飲み込まれるような感覚を抱く。
元々は忍の集団が住まう小さな集落であったものが、時代を経る程に膨れ上がり、
其の果てにこれほどの巨大なコミュニティーを形成しているのだと思うと、何だかぞっとしないものだ。
そんな事を考える度に、いつか肥大して行く此のコミュニティーそのものが、
個を忘れマスゲームに耽るだけの顔の無い大衆でしかなくなってしまうのでは、と、何処か空恐ろしく感じてならなかった。
そういう意味では、此の門を巨大生物の口腔に例えるのはきっとそう的外れな事でもないのかもしれない。
私は忍で在ることによる存在の齟齬を廃し、自由を得る事こそ我が本望と信じているけれど、
本当は心の奥底で、此の巨大な里と云う「怪物」に飲み込まれてしまうのを怖れていたのだろうか。
個を殺し道具であろうとしたくせに、大衆に飲み込まれて個を失う事を怖れるその愚かしさは全く以て噴飯ものではないか。
旅を終の住処とした私は、木の葉隠れの里を出てからと云うもの、実に様々な国々を巡って来た。
其の途中で他の隠れ里にも立ち寄った事があったけれど、此の里へ足を踏み入れる時程には、そんな心地を感じた事は無かった。
此の里には何か他所とは違う、異様さとも、偉大さとも云える何ものかがあるのかもしれない。
其の「何か」を「怪物」に例えるものもいれば、あるいは、「火の意志」と、呼ぶものもいるかもしれない。
「…やっぱり私には、忍は向いてませんねぇ…。」
そう小さく呟いて口元だけで微笑んで眼を細める私に、
聞こえなかったのか聞かなかったふりをしたのか、彼らからの返事は無かった。
どろりと泥濘にも似た不快な思索を其処できっぱりと切り捨て、私はうん、と一つ意味もなく頷き、
里に来たはいいが此れからどうしようかしらと考える。
今は適当に里の中心部に向かってのんびり歩いており、カカシとヤマトは其の半歩後ろを付いて来ている形だ。
任務帰りと云うのならとっとと報告に向かえば良いものを、とは口にしないまま、
私としては取り敢えず先に宿の確保に向かいたいものだとの結論を出す。
「カカシさん、にゃんこさん、私はまず先に今日の宿を確保しに行こうと思うのですが。
お二人はこれからどうなさるので?」
そうと決まれば即実行とばかりに私はひたりと立ち止まり、唐突に二人を振り返る。
脈絡の無い私の行動に早くも慣れてしまったのか、カカシはさして驚く様子も見せずにゆるりと立ち止まった。
ヤマトはと云えば、少し慌てて彼に習って歩みを止める。
傍目から見る分には随分と面白いコンピだと愉快に思いながら、私はにこにことただ微笑んで彼らを仰ぎ見ていた。
「んー、俺は火影様に報告書を出しに行かないといけないから、
テン………ヤマト、お前、を宿迄連れてってあげなさいね。」
いつもの調子で飄々と云うカカシに、私とヤマトは同時に似たような表情で彼を見遣る。
「それは別に構いませんが…。いくらなんでも宿の場所くらい、でもわかるでしょうに。」
「…(私でも、って、どう云う意味だい、にゃんこさんよ。)
数年ぶりとはいえ、まさか里の中で迷うような間抜けだと思われているのなら、心外ですけどねぇ。」
ヤマトの言葉にも随分と釈然としないものがあったが、話が進まないので其処は無視しておくとして、
私もまた彼の言葉への同意を以てカカシへの返答をする。
まさか本気でそう思っているのではないだろうことが分かっているからこそ、ヤマトも私も怪訝を露にしていたのだが。
「ま、そういう事で頼んだよ、ヤマト。
も後でちゃんと火影様のとこ行きなさいねー。」
カカシはそうしてにこっと笑って、一瞬で姿を消してしまった。あいつ、逃げやがったな。
はぁ、と溜め息を吐くだけ吐いて気持ちを切り替え、突っ立っていても仕方が無いので、
じゃあ行きますかとヤマトに声を掛けながら迷い無く足を踏み出す。
彼もまた仕方なく私の隣に並んで、ほたほたと歩き始めた。
「カカシさんは、本当に相変わらずですねぇ。」
肩を竦めてにやりとヤマトを見上げてみれば、苦笑とともに無言の同意が帰って来る。
此の里も相変わらずだ、と、続けて云いたい所ではあったが、そうも云えない事に気付き、無温の笑みを佩いて口を噤む。
私が里に居た頃と比べて、随分と建物の有り様が大きく変わっていた。
たった数年で変化するには、普通に考えれば不自然すぎる程に。
其の変化こそが取りも直さず激しい争いの爪痕であるのだとは、いっそ分かり過ぎる程に理解できてしまう。
本当はもう此処へ戻ってくるつもりはなかったので、三代目火影ともあれが「さいご」の別れであると分かっていたけれど、
こんな形で其れを「最期」にしなければならなかっただなんて、一体誰が想像しただろう。
物事の終わりとはいつだって切ないものだと、私は静かに眼を伏せた。
「五代目火影には、伝説の三忍と名高いあの綱手姫が就任なさったそうですね。」
「そうだよ。」
「私はお会いしたこと無いんですけど、どのような方なんですか?」
「あー…えぇと、うん、まぁ会えば分かるんじゃないかな。」
「…? そっか。」
それとなく言葉を濁すヤマトに首を傾げつつも、彼の云う事にも一理あると思い追求はしなかった。
百聞は一見に如かず、自分の眼で見て確かめた情報にかなうものは無いだろう。
カカシにも散々念押しされている為、どうせ尋ねたところで、後で厭でも彼女に会いに行かなくてはならない事に変わりはない。
(まぁ厭ではないけれど、気は進まない。第一、忍を辞め里さえ出て行った私に、一体何と云って会いに行けと云うのだろう?)
「…。」
「はいなんでしょう?」
「あの時の事なんだけど…。」
意を決して、と云った風情で至極真面目な顔をしてヤマトが切り出したのは、
私が忍を辞めるきっかけとなった、ヤマトと組んだ最初で最後の任務のことだった。
「すまなかった。」
「…は?」
いきなり真直ぐに鼻先へと突き付けられた言葉に思わず素頓狂な声を上げ、私は大いに困惑する。
何故貴方が私に謝罪するのかと、本気で困り果てて問い返す私を見ても、彼は一向に表情を緩めようともしない。
「…君が怪我を負った原因の一端はボクにある。
作戦の詰めが甘かった事は否定出来ないからね。」
「…それって、私が忍辞めたことに責任感じてるって意味ですか?
わーっやだ、やめてくださいよー。」
小さく顔を顰めて神妙な眼を向けて来るヤマトの其の言動が、私にはあまりに何だかむず痒い。
彼の殊勝に過ぎる態度に居心地の悪さを感じて、張りつめたシリアスな空気を根こそぎ引っこ抜くように緩く笑い飛ばした。
私が暗部に配属されたばかりの頃、彼は若くして既に暗部での地位を確固たるものにし始めていた。
(若くして、と云っても、彼は私よりは幾らか年上だったと思うが。)
けれど経験に於いては、当然ながら今よりも未熟であった事もまた動かざる事実である。
そんな彼は、当時はまだ小隊の部隊長を務めるようになって間も無かったと記憶している。
他の部隊員にベテランの忍を配していたとは云え、暗部になったばかりの足手纏いな新人を抱えて高ランクの任務を指揮するのは、
幾ら優秀な彼だとて大変な労力を要する事であっただろうとは容易に想像がついた。
其の挙げ句に私が怪我を負い、其れを理由にそのまま忍を辞め、
更には里さえも出て行ってしまうと云う顛末に行き当たってしまったものだから、
よくよく考えてみれば、真面目で責任感の強い彼が気に病まない道理もまた無かったのである。
私が怪我をしたのは予想外の事態に遭遇した結果であり、本当に偶然が重なった結果だった。
しかも、別に忍を辞めたくてわざと怪我をするような馬鹿な真似はしやしないが、
其の偶然を渡りに船とばかりに最大限利用させてもらった事は、全く否定できない。
私にとっては利き腕の後遺症さえとるに足らない瑣末事とすら考えていたのに、
こんなに時間が経って後に、彼にそんな事を云われてしまうだなんて、予想外もいいところだ。
「そんなのもう時効でしょう?
あれから何年経ったと思ってるんですか…。
そもそも怪我の事が無くても、遅かれ早かれ私は忍を辞めていたでしょうから、
貴方に謝られる理由なんてありゃしませんよ。ナンセンスです。」
そう笑って手をはたはたと揺らし、其の手でそのままえいっと彼の鼻を摘んでやった。
辛気臭い顔をしていたヤマトは私の突然の行動に少々目を見開いたが、取りも直さず眉を顰めて少々不機嫌そうに眼を細めた。
此の状況でそんな顔されても怖くも何ともないわなと考えながら、一頻りにこにこしてぱっと手を放す。
本当は頬を抓ってやりたかったのだが、面宛が邪魔して出来なかったということは秘密である。
(ふふ、カカシさんてばこの為にわざわざ、ねぇ。本当にあの人は相変わらずですねー…)
おせっかいでお人好しな忍者と云うのも、何だか滑稽な形容詞だ。
其れがあの男の魅力でもあるのだが、なんだかなぁと思いながら、私はただヤマトに向かってにこりと微笑むばかりだった。
「まぁ、気楽に行きましょうよ、”テンゾウさん”。」
「…今はヤマトだよ。」
彼が評した通りに、私はカカシを真似るかのようにそう嘯いた。
ほんの少しだけ不貞腐れた顔をしたヤマトが、私の頭をくしゃりと一つ乱暴に掻き混ぜて、さっさと歩いて行ってしまう。
にやにやと其の後を追い掛けながら、もしかして、それ、照れてるんですか、と、
いつかと同じ台詞を含みを持たせて投げつければ、いい加減にしないと怒るよ、と横目で睨まれた。
こんな街中で僅かと云えど殺気さえ出してしまう彼の其の大人げなさが何だか可愛くて、
口は噤めどついにやにやといやらしい笑みを禁じ得ない私であった。
(10.4.21)
SEO | [PR] !uO z[y[WJ Cu | ||