愛しのヘリオドール 5

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ホームシックに掛かる暇も無く、忙しない毎日を只管やり過ごすこと数ヶ月。

だがそれだけの時間を経ても、意外にもと云うか案の定と云うか、

私とピオニー陛下は、何故かまったく打ち解けていなかった。

うん、そうなるんじゃないかなぁと云う予感も実は結構していた。驚くまい。

 

どうにも根本的な部分でぎくしゃくした感じが払拭できず、何処か互いを扱いかねている感が否めないのは、

私の口数が少ないと云うより、むしろ陛下が私をやや腫れ物扱いしているきらいがあるせいだろう。

おなじみのナタリア殿下情報では、「皇帝らしからぬきさくで豪放磊落な性格」だと聞いていたのだが、

何故私に対してはこんな引き気味なんだろうか、とさすがにちょっと首を傾げたい気分であった。

 

長年縁談を蹴り続けてきた陛下なので、何か思うところがあっても確かにおかしくはない。

しかし、それにしても陛下の態度は、あまりに違和感があるような気がする。

…私は特に何かしでかしたような覚えは無い、と思うのだが。

 

 

 

 

そんなある夜、久し振りに陛下が私の元を訪れた。

何故か自らワインを持参してきて、いいワインがあるんだがちょっと飲まないかと誘われ、

正直アルコールは苦手なのだが、断るのも失礼なので素直に頷くことにした。

 

…ちょっとほっとしたような顔をされたのは気のせいだろうか。

本当に私なにかしましたかとちょっと問い詰めたい気持ちになった。

 

正直ワインの味の善し悪しが分からないので味に関するコメントはできかねるのだが、

皇帝陛下がいいワインと称する程なので相当よいものなのだろう(質的にも値段的にも)。

 

いつものように成り立ってはいるが素晴らしく弾まない会話を遣り取りしていると、

唇を付けた回数に比べて一向に減らない私のグラスの中身に気付き、

陛下が可愛らしく(可愛くは無いが)小首をかしげながら気に入らないかと問うてくるので、私は返答に困った。

 

おいしいですとか何とか、当たり障りの無い事を云うのが一番楽で、一番簡単なのだ。

しかし私は、この人にそんなどうでもいい言葉を吐くのはひどく不似合いで、適切でないことのような気がしていた。

嘘や誤魔化しではない内容、けれど相手を逆撫でせず無用な誤解を招かない云い回し。

自分でかなり難易度を上げてしまった事にも気付かず、私は慌てて頭の中の引き出しを探しまわる羽目になった。

 

気に入る入らない以前の問題で酒が苦手なのだが、しかし飲むと云った手前正直にそう云うのも今更どうだろう。

いい加減な言葉は云えず、しかし沈黙が続くのもよろしくない。

 

回り始めたアルコールが無駄に張り切って穴掘りを手伝ってくれるせいで、私の墓穴は深くなる一方であった。

(これじゃあ、墓穴ではなく、ただの落とし穴じゃないか!)

…まさか一口飲んだか飲まないかと云う微量のアルコールのせいで、

私が此処まで頭が回らなくなっているのだとは、流石の陛下でも想定外だったことだろう。

 

ふいに陛下が髪をがしがしと掻いて、困り果てた様な顔をした。

私はと云うと、頭は回らないわ陛下を明らかに困させてるわで軽いパニックになっており、

何を云う事も出来ず強張った表情ですっかり固まってしまっていた。

 

「あー…そのな、。お前もいろいろ思う所があるんだろう。

 和平が成立したとは言え、ちょっと前まで敵だった国に嫁いできたわけだからな。

 お前が俺の事を嫌っているのもわかっているが、」

「……はい?」

「うん?」

 

全く予想していなかったピオニー陛下の発言に、意味を飲み込むのが一拍遅れる。

思わず私が眼を丸くして間抜けな声を出すと、陛下もまたきょとんとした顔で首を傾げた。

隣り合ってソファに座りながら、互いをぽかんと見遣る光景は、端から見れば何とも馬鹿っぽい。

この馬鹿っぽい二人がこの国の皇帝と皇后だと云うのだから、何とも世の中間違っていると心底思う。

 

ともかくもまずは落ち着こうと思い、口元に手を宛てながらテーブルに置いたグラスに視線を落とし、暫し考える。

明らかに考え事をしている私に声を掛けるか迷った素振りをする陛下が口を開く前に、

私はふいに考えるのを止めて顔を上げ、まっすぐに陛下を見据えた。

ここまでまっすぐに顔を合わせたのは、実は初めてかもしれない。

グランコクマからのぞむ海のような紺碧の眼が、同じように私をまっすぐに見ていた。

曇りの無い、強い其の眼を、素直に綺麗だと思う。

 

「陛下。」

「お、おう。」

「先に申し上げておきますが、今私は酔っています。ので、少々の無礼は御許し下さい。」

「…一口しか飲んでないよな?」

「話を聞いて頂けますか?」

「どうぞ…?」

 

微妙に弱腰な陛下が頷いたので(勢いで頷かせたとも云う)、

私は取り敢えず、此の際、酔いに託つけて云いたい事を云ってすっきりしてやろう、と思った。

自重と云う言葉は、今の私の頭には存在しないのである。無いったら無い。

 

「私はアルコールが苦手なのです。」

「なんだ、それならそうと無理せず云ってくれてよかったんだぞ?」

「申し訳ございません。

 それで、ワインが気に入らなかった訳では無く、アルコールが苦手なだけなのですが、

 頂きますと云った手前、今更そのような事を云いづらく、

 けれど何を云ってよいのかと考えているうちに、何も言えなくなってしまったのです。」

「ああ、そういう…。」

 

納得、と云わんばかりの顔をする陛下を見て、私は僅かに苦笑を零した。

何とも素直な反応を返して下さるものだと呆れるやら可笑しいやら。

 

この人は確かにいい意味で皇帝らしくない。

だからこそ、私はこうしてさほど饒舌でもない口を何とか開いて言葉を綴っていられるのだろう。

その労力を惜しまない程度には、私は一人の人間としてこの男が嫌いではないと思うから。

 

「残念ながら、私には、ワインの味は分かりかねますが、

 御誘い頂けて嬉しかったのは、本当です。

 それに、私は、陛下の事を、嫌ってなどおりません。」

 

少しつっかえながらも徐々に言葉を紡ぎ始めた私を遮る事はせず、陛下は静かに耳を傾けているようだった。

其れ迄はまっすぐに其の眼をみつめていたのだが、何となく気不味いと云うか、

気恥ずかしいものを感じて顔を正面に戻し、少しだけ背凭れに身体を預ける。

 

アルコールのせいで鼓動が早く、ほんの少し息苦しい。

其れを振り払うように、私は脈絡の無い言葉を繋げ、思考を音と為す事に専念する。

 

言葉なんて、きっと上手く伝えようとするから余計に伝わらないのだ。

今なら余計な修飾も誤魔化しも必要無い。何故なら、私は酔っているのだから。

そんな形式だけの免罪符を、そっと心に貼り付けた。

 

「…私は今迄、まともにバチカルを出た事さえほとんどありませんでした。

 グランコクマは、とても美しい街です。今では、この街の景色が好きになりました。

 私はキムラスカ人ですが、縁あって、こうしてマルクトに嫁いで参りました。

 だから私は、婚礼の日、これからはマルクト人として、

 この国で生きて死のう、と、心に決めたのです。」

 

何時の間にか私は俯いていた。言葉を探し探し、ゆっくりと云うべきことを紡ぎながら。

膝の上、自分で自分の手を握っているのを、意味も無く眺めていた。

緊張しているふうの自分の行動に反して、頭はふわふわしていて覚束無い。

 

「…陛下と何をどうお話しして良いか、わからなかったのです。

 ただ、緊張、していたのです。

 そのせいで、陛下に誤解させてしまったこと、とても申し訳なく思います。」

 

其処で言葉が途切れてしまい、一瞬で静寂が部屋を満たした。

早く次の言葉を、と思って口を開くのだが、なかなか一度真っ白になった頭はすぐには復旧してくれない。

私は少し焦って視線をうろつかせたのだが、じっと私の声に耳を傾けていた陛下が、

存外穏やかな声で、ゆっくりでいい、と云った。

静寂の中でも響きすぎない、けれどふいに身に沁み入る様な低く落ち着いた声音だった。

 

この人はやっぱりすごい。

何が、とは表現するのが難しいのだけれど。

 

ふと云うべき言葉をやっと見つけて、私は再び陛下の眼を見た。

濁りの無い、相変わらず穏やかな眼差しがそこにある。

 

何故か妙に焦りを感じた。

早く伝えなくては、と云う根拠の無い焦りが、低速稼働な唇とは何だかひどくちぐはぐで。

 

「…そう、ゆっくり、では、いけないでしょうか。」

 

うん?と首を傾げながら、陛下は視線で続きを促した。

今、自分が随分と必死であることに今更ながら気付いた。

 

「陛下と私は、初めてお会いしてから、まだほんの少ししか経っていないのです。

 ほんの少しの時間であっても、陛下がとても御優しい方なのだと知るには、十分でした。

 私は、国のことを、民のことを大事になさる、そんな陛下がとても素敵だとおもいます。

 此れはまだ、愛情と呼ぶには些か弱い感情かもしれませんが、それでも、

 これから、ゆっくり、時間と心を積み上げていければいいと、私は、そう、思うのです。」

 

これが私なりの誠意だ、との意を込めて、それきり口を噤んだ。

私は、何をこんなに必死になっているのだろう。

最初はただ誤解を解いて、ついでに云いたいことも云っておこうと思っていただけなのに、

何故かこんなにも回らない頭と舌を急き立てて。

 

ああ、やっぱり私は酔っているのだ。

既に鼓動も息苦しさもすっかり収まってはいるけれど、きっと私は酔っている。

そうでなければ、こんなにも眼の奥が熱くて、泣いてしまいそうな気持ちになるものか。

 

と、穏やかにこちらを見つめていたはずの陛下が、突然眩いくらいの満面の笑みを浮かべたかと思うと、

いきなり私をぎゅうと抱き締めて、そのまま私の頭をわしゃわしゃと撫で回し始めた。

其れは、妻を抱き寄せて髪を撫でる、と云う艶っぽいようなものでは決して無く。

…何と云うか、大型犬の首にわっしと抱きついて豪快に撫で繰り回す飼い主のような動作だった。

 

冷静であれば、私は犬かよ!という突っ込みを心の中で入れていた所だが、

あんまり突然な事だったので、私は思わず眼を見開いたまま固まる。

それでも、不思議と其の体温を嫌だとは思わなかった。

 

「ははっ、そーかそ-か。ゆっくりか。」

 

陛下は何ともご機嫌な、嬉しそうな声で云う。

伝えたいことは大体伝わってくれたようで何よりであるが、

そんなにぎゅうぎゅう抱き締め、わっしわし撫で回されては、ろくに返事も出来ないではないか。

 

唐突な言動にいまいちついていけない私は、もうなんだか抵抗するのも面倒くさかったので、

此の陽気なおっさんの気が済むまで好きにさせておくことにした。

力加減くらいはさすがにしているようだが、ぐりぐりされすぎて首が少々痛い。

先刻とは別の意味で涙が出そうである。

 

。」

 

ようやく頭を撫でる手が止まったかと思うと、今度は頬に其の温かく大きな手を添えられた。

何ともこっぱずかしい状況に少々むず痒い気分になりつつも。

 

「ありがとう。」

 

いい年して、まるで少年のように屈託なく笑ってそんなことを云うものだから、

ついつられてしまって、私まで笑えて来るではないか。

 

すると今度は、おおっ、 が笑ったぞ!と陛下が一人で騒ぎ出す。

誤解が解けたせいかぎこちなさが払拭されたのはいいとして、今度は一瞬で遠慮と云うものが無くなった様な気がした。

極端な男である。

 

「陛下、」

「ああ、俺の事はピオニーでいいぞ、。」

「…ピオニー陛下。」

「ピオニー。」

「………ピオニー…陛下。」

「惜しい!仕方ないな、じゃあ『ピオくん』で妥協しよう。」

「………………………以後、善処します。」

 

悪化してるじゃねぇか。

…とても妥協したとは思えない妥協案を提示した陛下の輝かしい笑顔に、

一瞬込み上げた不穏当な言葉のいくつかを何とか飲み込んだ私は、

日本式婉曲表現を駆使して丁重に、だが、断固として、御断り申し上げた。

 

「なんだなんだ、照れてるのか?」

 

にこにことご機嫌な陛下から故意に眼を逸らしつつ、

舌の根も乾かぬうちに、早くも実家に帰りたくなってきた私だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

next.

 

 

 

(11.6.11)

 

 

 

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