愛しのヘリオドール 6

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

嫁いで来た当初に比べれば多少落ち着いてきたものの、

相変わらず私もピオニー陛下も諸々の雑務に追われて、多忙な日々を送っている。

 

そんな調子なので、心の溝は多少埋めれども、陛下と顔を合わせる回数自体は実はそう変わっていない。

それでも何かと暇や口実を作っては懲りずにちょくちょく私の元に顔を出してくれる陛下に、

喜べばいいのか呆れればいいのかは、判断が付けかねるところだった。

 

今に始まった事ではないとしても、執務に飽きて脱走するついでに遊びに来るのだけは止めて頂きたいものである。

脱走の片棒を担がされるのは御免だ。

 

まぁそんな事はどうでもいい。

ともかくも、以前よりも会話が続くようになったことは確かだ。

あれ以来、向こうは向こうで、それまでと打って変わってやたらと私に構いたがるようになったし、

こちらはこちらで、何かもう身構えるのがあほらしくなってしまったと云うか何と云うか。

 

…ちょっとうざいくらいに絡んでくる陛下をざっくりスルー出来るようになったと云うのは、

果たして進歩と呼んで良いものか。

 

そんな私達を見て、お二人とも仲睦まじい御様子で云々としれっとした顔で侍女さんが云うので、

慣れって恐ろしいですねと皮肉で切り返すと、絶妙な微笑を返された。

大体の実状を正確に把握しつつも、何事も無かったかのように当たり障りのない振る舞いを平然とこなす彼女達に、

改めて畏敬の念を抱かずにはいられなかった。

 

 

 

 

ある時、見せたいものがあると云ってやたらご機嫌な陛下がしきりに誘うので、

何ぞと首を傾げつつもほたほたついていってみると、連れて来られたのは、ピオニー陛下の私室。

あ、何か気付きたくなかったけど気付いちゃったかもしんない、と生温く笑いながら明後日の方向を見上げる私を他所に、

超良い笑顔の陛下がご自慢のペットを紹介して下さったのだった。

何と云う予定調和。

 

私が陛下の私室に足を踏み入れた時、控えていたメイドさんが私を見てちょっと血相を変えたのが印象的だった。

顔色を変えた理由がどう云う意味であったかは敢えて問うまい。

陛下の部屋の惨状を見れば大体分かった。…家宅捜索でも此処までやらないだろう。

 

「どうだ、可愛いだろう?」

 

第一声がこれだよ。輝く様な笑顔である。

其の根拠の無い揺るがぬ自信は一体何処から沸いて来るんでしょうか。

とは、云えるはずもなく。

 

どちらかと云うと私は動物は好きな方だし、アレルギーも無い。

折角なので「わくわくふれあい牧場体験inグランコクマ宮殿with賢帝」なイベントを楽しもうかな、

などと考えをさっくり切り替えた私も大概である。吹っ切れ過ぎたとも云う。

 

散らかっていると一言で片付けるには何とも忍びないような部屋の中、

思い思いの場所でくつろぐ、ピンク色とチョコレート色の毛並みの生き物達。

ブウサギっていうかこれ9割ブタですよねぇと思いつつ、一番近くでクッションの上にでんと腹這いになり、

もっちりとくつろいでいた子にそっと歩み寄り、傍らにしゃがみ込んだ。

 

やや眠たそうなつぶらな瞳が私を見てぱちぱちと瞬いている。

食材としての「加工後」は見た事があるのだが、生きた実物を見たのは当然ながら初めてだ。

(前世ではブウサギと云う生物そのものが存在せず、

 現世においては、貴族の屋敷には、普通、ブウサギなどいないからである。)

 

何だか、前世において地元のペットショップの看板娘をしていたミニブタさんを思い出す。

何と云うか、絶妙にぶさかわいい。

自分で飼おうとは思わないが、動物園のふれあいコーナーにいたら、

思わず立ち寄ってしまうくらいには見ていて和む生き物である。

 

「…触っても大丈夫でしょうか?」

「ああ、こいつらは基本的に大人しいからな。噛んだりしないから安心しろ。」

 

云いながら、陛下もまた自分の足元にいた別のブウサギを撫で繰り回していた。

満面の笑みを浮かべるマルクト皇帝と、嫌がっているとも喜んでいるともつかない絶妙な顔でされるがままになっているブウサギ。

何ともシュールな絵面である。

 

此の場合「残念ながら」と付けた方がいいのかは定かではないが、

ともかく、ナタリア殿下情報はそんなに間違っていなかったことを再確認した。

 

気を取り直して、少し毛色が赤っぽいそのブウサギへと驚かせないようにそっと手を伸ばし、

首元から背中に掛けてをなでなでしてみる。

大人しく撫でられているところを見ると、厭がってはいないらしい。

毛足が短いのでふわふわしているわけではないが、しかし思っていたよりも柔らかい。

 

元々が食用家畜種であるとはいえ、流石に皇帝陛下が可愛がっているペットだけあって、

よく手入れされた毛並みはつやつやしていたし、日向ぼっこをしていたせいか何処となくお日様のにおいがした。

綺麗な首輪をしてもらって、更には爪の先迄ちゃんとヤスリか何かで手入れされている様子を見るに、

如何に大事にされているかが伺える。

 

それにしても、温かくてぽわぽわした此のぶさかわいい生き物との触れ合い、何とも絶妙に心癒される。

アニマルセラピー的効果を狙っての事か。

だとしても犬とか猫に走らないところがピオニー陛下のピオニー陛下たる由縁だろう。

しかしちょっと陛下の気持ちも分からなくもないかもしれない、と思ってしまった瞬間だった。

(宮殿、それも皇帝の私室で多頭飼いはどうかとも思うが。)

 

「ははっ、ルークもが気に入ったみたいだな。」

 

最初は遠慮がちに撫でていたのだが、それでは物足りなくなってきたのか、

段々「もっと撫でれ!」とばかりに手にぐいぐい擦り寄ってきたブウサギを見て、陛下が笑いながら云う。

此のブウサギの名前らしきその固有名詞は、全力で聞かなかった事にしたかったのだが、そう云う訳にも行かない。

渋々、本当に渋々、私は此の撫でているブウサギの名前を問い返した。

 

「ん?ああ、そいつの名前はルークだ。」

 

ルーク。

直接お会いした事は一度もなかったが、キムラスカ王国はファブレ公爵家の一人息子の名前であり、

彼は昨年の戦いの後より行方不明だと聞いている。

確かに彼はピオニー陛下とも交流があったらしい、けれど、も。

 

…彼の名前使っちゃいましたかそうですか。

私は内心脱力した。

 

「それでこいつの名前がネフリーで、窓辺にいるのがゲルダとサフィール、

 ちょっと離れて隅に座ってるのがアスランだ。あとは、」

 

陛下が云い掛けた其の時、のろのろと『ルーク』を撫でていた私は、

突然背後から何か大きくて温かいものに勢い良くのしかかられ、思わずバランスを崩した。

咄嗟に床に手を付いたので顔面から突っ込むのは何とか回避できたものの、

倒れ込んだ私の上に尚のしかかる重さに身動きが取れない。

何だ此れ。

重い。苦しい。死ぬ。

 

「ああ、そいつが可愛いほうのジェイドだ!

 ったく、しょうがないやつだなぁお前は。

 大丈夫か、?」

 

……本当に、何という名前の付け方をするんだ、この人は。

 

呼び辛い事此の上無い固有名詞を持つ当のブウサギは、

私の背中にのっしと陣取ったままぱたぱたと長い耳を揺らし、満足そうな甘えた鳴き声を上げていた。

 

私に何か恨みでもあるのだろうか。

懐くと云うにはややバイオレンスなことをいきなりやらかしてくれた、

『可愛いほうのジェイド』(素晴らし過ぎて涙の出そうなネーミングである)に思わず苦笑いをする。

あと其処の皇帝陛下、笑ってないで助けろ。

 

ブウサギは間近で見ると思っていたよりも大きく、中型犬から大型犬くらいはある。

体重は推して知るべしだ。

そんな生き物に寄り掛かられては正直たまったもんではないので、

依然暢気に笑っていた陛下に助けを求めて、何とか背中から『ジェイド』をどかしてもらう。

内臓が潰れるかと思った。

 

陛下の手を借りてよろよろと起き上がり、服をはたいていると、不意にノックの音が響いた。

 

陛下がそれに応じると、扉の向こうから聞き覚えのある声が聞こえてきて、名前と用件を簡潔に告げる。

仕事の話であるのなら私は席を外した方が良いだろうかと思い、陛下の方をちらと伺ったのだが、

彼は私に向かってにっと笑いかけるだけで、入れ、と扉の向こうの相手にあっさり許可を出した。

まぁ、陛下がいいと云うのならいいのだろう。

 

何故かわらわらと私の足元に集まりだしたブウサギ達にいつのまにかすっかり囲まれ、

身動きの取れないままぼーっと突っ立っていると、

流れる様な隙のない動作で、相変わらずなご様子のカーティス大佐が入ってきた。

 

と、ブウサギに囲まれながら微妙な表情を浮かべる私を見て一瞬動きを止め、眼鏡を押さえ、

そして何事も無かったかのように、にこやかに慇懃な挨拶を寄越してきた。

さすがカーティス大佐。私の状況はオールスルーか。

何処までも類友な主従である。

 

「おう、ジェイド。いい所に来たな!

 今ちょうどにブウサギ達を紹介してたところだ。

 見ろよ、もうすっかり懐かれててなー。

 俺の可愛い妻と可愛いペット達、うーん、何とも心癒される光景だとお前も思うだろ?」

 

いい意味でも悪い意味でも敢えて空気を読まない皇帝陛下は、

生温く笑う私を置き去りにしたまま、溌剌とした声で大佐に向かってそんなことを捲し立てていた。

それどんな羞恥プレイ。

あまりのいたたまれなさに、取り敢えず、

足元でぷぅぷぅと寝息を立て始めたブウサギ達を見下ろしながら、現実逃避する事にした。

あー和みますねぇーあっはっは!…部屋に戻っていいですか。

 

「陛下、いい加減になさらないと皇妃殿下に愛想を尽かされますよ。」

 

大丈夫ですよ、大分諦めるのが早くなってきましたから。

要は慣れですよね分かります。

 

はお前と違ってそんなに心の狭い人間じゃないぞ。」

 

そんなに心の広い人間でもないです。

もう何もかもが面倒なだけです。

 

「ものには限度と云うものがあるんですよ、陛下。

 大体、貴方が散々へたれたことを仰るせいで、周りがどれだけ振り回されたとお思いで?

 陛下が皇妃殿下に…」

「ちょ、待て待て待て、ジェイド、それは云うなっつっただろうが…!」

「おやおや。

 皇帝陛下ともあろうお方が、全く、情けないですねぇ。」

 

にやにやと非常に悪い笑みを浮かべる大佐と、焦る陛下。

一体私が何だと云うのだろうか。

まぁおそらくは少し前までの事を云っているのかもしれないけれど。

 

こうして少しずつ陛下と打ち解けてくるようになって、当初私を扱いあぐねていた陛下の態度と云うのが、

如何に平生の彼らしくもないものだったのかがよく分かる。

是非も無く相手を自分のペースに巻き込んでしまうのが陛下クオリティだと私は認識している。

 

慣れた様子で軽快な言葉の応酬を始めるおっさん達を意図的に無視しつつ、

私はころころとその辺に転がったブウサギ達の直中にしゃがみ込み、平和な事この上無い寝顔を観察していた。

まじまじと観察すれど、私にはまだ、どうにも彼らの区別は付きそうにない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

next.

 

 

 

(11.6.11)

 

 

 

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