愛しのヘリオドール 14
次に目が覚めた瞬間。
ああ私は眠ってしまったのかと現状を把握するよりまず、突っ込みを入れるのが先だった。
なぜこうなった、と。
にこにこと私を見下ろしているのは、金色の髪と浅黒い肌と青い眼の男。
云う迄もなくピオニー陛下その人である。
気付けば私は、この国の皇帝をやってるおっさんに膝枕されて頭を撫でられながら、にこにこと顔を覗き込まれていた。
…なんぞ、この状況。
寝顔を見られたとかそう云う事を恥じるよりも先に、思わずドン引きしてしまったのだが、
私は間違ってない。全然間違ってない。
「やっと起きたか、。
いやー、声を掛けても揺すっても、ちっとも起きないんでちょっと焦ったぞ。
しかし顔色は大分よくなったみたいだな。」
まだ少々ぼんやりとした寝起きの状態で停止していると、陛下の手が私の額に当てられる。
温かい。何となくそれがくすぐったくも心地よくて、私はついと眼を細めてそれを享受した。
陛下が何とも妙に嬉しそうな顔をするので、段々頭が動き始めてくると同時に少しいたたまれない気持ちになる。
誤って砂糖にメープルシロップと蜂蜜をぶっかけてしまった様な気分だ。
何と云うか、ピオニー陛下の言動は、無防備な時に受け入れるには私にとって少々破壊力が高過ぎる。
しかもまた本人は結構素でやってるので手に負えない。
…なんて、我ながら馬鹿な事を考えるものだ。
お世辞にも寝心地の良いとは云えない固い膝を何時迄も枕にしている趣味もない。
もうすっかり音素不足による倦怠感が無くなっているのを確認して、
あっさりと起き上がって乱れた髪を何事もなかったかのようにささっと直す。
陛下がちょっと残念そうな顔をした。気にしないったら気にしない。
そこそこ長い時間を不自然な体勢で寝ていたせいであろう身体の軋みは感じたが、少し頭はすっきりした。
足に乗っかっていた『ジェイド』は気付けばいなくなっており、
彼らは部屋の思い思いの場所で相変わらず暢気にくつろいでいる。
私はいつの間にか靴を脱がされて普通にベッドに横たえられていたらしい。
…此処迄されて起きなかった、私の、馬鹿。
そしてさらに云えば窓の外、空の天幕は暗紫から濃紺へと変わるグラデーション。
寝入ったときはまだ陽も高く、お茶をする様な時間帯だった筈で。
だとすると私は一体何時間寝ていたと云うのか。
そりゃ陛下も驚くだろう、そりゃ驚くあまり膝枕を………いやいやいや、普通はしない。
しかしながら今更陛下のやる事に驚いた私が間違っていたのかもしれない、
とナチュラルに考えてしまえた私は、(いろんな意味で)もうすっかりマルクト人だ。
未来は明るい、かもしれない。多分。
結局その日、私はそのままピオニー陛下の私室に泊まる事になった。
私の使っていた後宮の部屋はまだ片付けが済んでいないので使えないのと、
他の部屋を用意してもいいのだが警備上の理由で今は此処の方が都合がいいと云われたからだった。
まぁ此れでも一応私達は夫婦なので別に問題はない、のか?
細かい事は考えないことにする。(もう何かを考えるのが面倒だったせいでもあるが。)
陛下自身はまだ少し一連の騒動の後片付けと其れに付随する諸々の仕事があるらしく、
部屋に戻るのは遅くなるだろうから先に寝ていていいと云われた。
日暮れ迄散々寝ていたので眠れないかとも思ったが、
私は案外神経が太かったようで、大体いつも通りの時間に普通に就寝した。
喜んでいいのか悲しめばいいのか微妙だ。
私が夕食を摂ったり風呂に入ったりしている間に、ピオニー陛下付きのメイドさんや使用人さん達が、
最早プロフェッショナルと呼んで讃えたい程の素晴らしい手際でもって、家畜小屋改め寝室を綺麗に整えてくれていた。
何ていい仕事をするのだろう、と私は見当違いにもうっかり感動した。
たとえブウサギ達(場合によっては陛下も含む)によって数時間と保たないであろうことが分かり切っていても、
あの破天荒な部屋を此処まで普通の部屋に仕立て上げるとは。
最も、部屋の隅に無造作に積まれた武器の類いは、さすがにどうしようもなかったのかそのままだったが。
以前、何故か部屋の隅に乱雑に置かれた大量の剣や槍などを私が不思議そうに見ていると、
それに気付いたピオニー陛下が「俺は武器集めが趣味なんだ」とにこやかに教えてくれた。
ただ、私が不思議に思ったのは、武器を集めている事に対してではなく、
蒐集した後の杜撰過ぎる扱いについてだった事は、完全な蛇足である。
此の部屋に於いては未だ嘗て見た事が無いほど綺麗にメイキングされた広いベッドの隅っこに、
何となく落ち着かなさを感じながらも手足を縮めて横たわった。
静かな薄暗い部屋の中で、ぷぅぷぅとブウサギの寝息が小さく聞こえてきて、気が抜ける。
今日あった出来事がまるで嘘だったかのような、穏やかな夜だった。
すっかり日付が変わった真夜中、ふと人の気配を感じて意識だけが僅かに浮上した。
眠りが浅い訳では無いのだが、私は音や気配があれば普段ならそれなりに気付く事ができる。
気付かなかったあの時の方がおかしかったのだと誰にとも無く頭の中で言い訳をしていると、
僅かにベッドの軋む音と、私が眠る隣に添うような人間の体温を感じた。
随分と遅くまで掛かったのだな、と思いつつも、身体は依然寝た状態なので、
私は眼を開けることなくそのまままどろみの中へと静かに意識を沈めていった。
掛け布に潜り込んで顔を隠すように丸まって眠る私の頭を、
いつになく柔らかい手付きで撫でられるのをぼんやりと遠くに感じた。
すまない、と小さな声が聞こえた様な気がしたが、気のせいかもしれない。
目覚めた時には、すっかり忘れてしまっていたけれど。
(11.6.11)
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