Soiree -sept-

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

枕元にある小さな音素灯の薄明かりの中、ピオニーは眠る気にもなれずほとほとうんざりしていた。

 

少々鈍臭い真似をしてしまったせいで、

つまらぬ物騒な客人なんぞに隙を許してしまったのは、間違いなくピオニーの手落ちだったが、

それにしたって示し合わせたかのように、見舞いに来る者来る者、全員に同じ様な説教をされれば、

いくら反省する気があったとしてもうんざりしてしまう。

 

彼らの言葉の裏にあるのが、心からの心配と、

自分が無事であった事に対する安堵であるとは、よくわかっていたとしても、だ。

もう十分に動ける程回復しているのに、安静と云う名の軟禁状態が続いている事もあり、いろいろな意味でピオニーは参っていた。

 

そろそろ身体を動かさなければ鈍ってしまいそうだ。

どうせ仕事は休んだ分だけしっかり溜められているのだろうし、此れ以上安静にしているのは性に合わない。

そんな、臣下が聞けばまた説教されてしまいそうな事を考えるピオニーだった。

 

冗談とも本気ともつかない脱走計画を頭の中でおざなりに練りながら、

横たわったベッドの上で頬杖をついていた、その時。

 

メイドがしっかりと閉めて行ったはずの後方の窓から、ささやかな夜風が頬を撫でた事に気付く。

侵入者か、と一瞬気を張りつめて気配を探るものの、

ピオニーはふとその奇妙な感覚に覚えがある様な気がして、半身を起こしながらぱっと窓の方を振り返った。

 

一瞬ぽかんとして、後、破顔する。

 

「……すまない。」

 

一体どうやって鍵の開けたものか知らないが、

開いた窓の桟へとこちらに背を向けて腰掛ける、何とも見慣れた人影がそこにある。

 

頼りない輪郭がルナの柔らかな光に縁取られ、まるで幻のように朧げに見えた。

何故か謝罪してみせたその声は、いつもと違う場所である事を考慮してか、本当に小さな囁き声だった。

ばつが悪いのか照れているのか後ろめたいのか知らないが、人影はピオニーの方をなかなか振り返ろうとしない。

 

ピオニーは、緩む頬を押さえ切れずに、その人影の名前を呼んでやる。

そいつはピオニーが名前を呼んでやると、最初は驚き、次は厭そうな顔をし、今ではひどく嬉しそうに眼を細めるのだ。

そんな顔を見るのが好きで、ピオニーはいつだって、その名を何度でも大事に大事に呼んでやった。

そう、ちょうど、今と同じように。

 

「ー。」

 

の肩がぴくりと揺れた。

そして、恐る恐る、その肩越しに少しだけピオニーを振り返った。

 

僅かばかり伺えるの横顔。そして、その額に生えた小さな角。

出会ったばかりの頃の無表情とは打って変わって、そのなんと情けない顔をしていることか。

そんな顔を見せられては、姿形の違いや存在の相違さえ無意味だとピオニーには思えてしまう。

 

、おいで。

 そんなところに座ってないで、入って来いよ。」

「…様子を見に来ただけだ。すぐに出て行…」

「じゃあもっと近くで見て行けよ、なっ!」

「…おまえって奴は本当に…ああ、いや、いい。云うだけ無駄だったな。」

「ふふん、よくわかってるじゃないか、。」

 

呆れて溜め息を吐いたは、もぞもぞと窓の桟から音も無く室内に降り立つと、律儀にもきちんと窓を静かに閉めた。

いつも通り裸足のまま、音も気配も無く、幻の様な足取りでピオニーのいるベッドの傍まで大人しく近付いてきた。

そうして、勝手にもふっとベッドの端に腰掛け、にこにこと嬉しそうに見下ろして来るピオニーを振り返って見上げる。

 

そのの眼に、言葉にはしがたいような沢山の感情が渦巻いていたのに気付いたが、ピオニーはただ笑っての頭を撫でた。

あやふやな、触れていないようできちん触れている感覚。手を動かす度に掌をかする小さな角。

この一風変わった友人が、こうして自分を心配してわざわざ部屋を尋ねてきてくれたことを、ひどく嬉しく思うピオニーだった。

 

「…赤眼の云った通りだな。」

「赤眼?なんだ、ジェイドに会ったのか?」

「…いや。」

 

ベッドから出ようとしないところ以外は、もう至って元気そうに見えた。

それどころか、むしろ元気が有り余り過ぎている様子のピオニーに、はすっかり呆れてしまった。

暇だと文句を云っている、とのジェイドの発言通りのその様子にぽつりと呟いたのだが、意外にもピオニーは首を傾げた。

その様子を見て、そうだったのか、と思ったが、はジェイドとの会話のことは黙っている事にした。

あの赤眼は、自分よりよっぽど素直じゃないから、と思い、こっそり笑みを堪えた。

 

「怪我をしたのか。」

 

寛げた夜着の胸元に覗く、痛々しい白の包帯を見つめ、なるべく気持ちを込めないように尋ねた。

赤眼はすごいな、とは思った。

彼はいつだってあんな風に上手に心を隠して、何でもない顔をしてみせるのだから。

最も、そんなに羨ましいとは思わないのだけれど。

 

「まぁ、ちょっとへましてな。だが大した事はないぞ。

 周りの連中が大袈裟なだけだ。

 黙って放ったらかしにしちまって悪かった、。」

 

大した事はないと云って笑うピオニーが、ほんの少しいつもより弱く見えたのは、の気のせいだったろうか。

包帯の白さと、シーツの白さが眩しいせいかもしれない。

少し胸が苦しくなったが、は気にしないようにした。

 

「そんなことはいい。大人しくとっとと治せ。

 全く、そんな怪我ごときで身動きもとれんとは、情けない。

 人間とは、貧相な体しかもっていないのだな。」

「ぷっ…お、お前、初対面でジェイドに貧相呼ばわりされた事、

 まだ根に持ってんのか?」

「…持ってない。」

「ぶはぁっ。」

「……おまえ、傷開くぞ。」

 

折角元気になったと云うのに、此処に来てこんな下らない会話のせいで傷が開いたとあっては、眼も当てられない。

呆れと心配を半分半分に忠告してみただったが、まだピオニーはしつこくぷるぷる震えながら悶えていた。

あまり大声を出すと警備兵に気付かれてしまうので必死に笑い声を堪えているのだが、

我慢しなくてはならないとなると、余計に笑えてきて仕方が無い、本当に仕様のないピオニーだった。

 

本当にこいつは、と、何度思ったか知れない。

そして、ああそう云えばこいつはこういう奴だったと、何度安堵したか、知れない。

 

「…早く治せ。おまえが来ないと、つまらん。」

 

すっかり慣れていた筈の「一人」が退屈になってしまった。

ピオニーに会えないたった数日が、永遠と思える程に長いのに、ピオニーと一緒に居る時間は、

本当にあっと云う間に過ぎてしまって、とてもとても名残惜しく思うのだ。

 

は脚をゆらゆら揺らしながら、膝の上で絡ませた両の手の指を見下ろす。

ぽつりと呟いた言葉が我ながらひどく寂しそうで、心細いような響きになってしまったのを、

は、ああ、失敗したなと苦い気持ちになった。

 

が少しでも寂しそうな素振りをすると、いつもピオニーはすぐに目敏く其れに気付いて、

からかいながらべたべたとを甘やかすのだ。

そんな風に構われるのが厭ではないから、余計に困る。

恥ずかしくて嬉しくて、照れくさくて、たまらなくなってしまう。

 

ピオニーはわざとそう仕向ける為にこんな事をしているのかとも一度は思ったのだが、

の眼から見ても、自分を構うピオニーの言動は余りにも自然体なのだ。

 

は一人で存在するのが当たり前だった。

何にもまつろわず、何とも交わらず、経てきた時間の概念さえ忘れ、表情の作り方も己の名も忘れてしまうほどに長く在った。

其れが当たり前で、そう在る事を何とも思わなかったのに。

 

今のはどうだ。

笑って、怒って、拗ねて、困って、恋うて、甘えて、悲しんで、怖がって。

自分がすべてを見送るだけの存在だと知りながら、当たり前にくる別れを怖がって震えていた。

わたしとしたことが何と無様なものだと皮肉ってみても、の心は、ちっとも後悔していないのだ。

 

「そうだなぁ、俺も、に会えないのは至極つまらんぞ。」

 

ずるずるとの傍らまで移動してきたピオニーが、彼女の頭にのっしと顎を乗せながらのんびり笑う。

やめろ、重いぞ、と強がってみた所で、何だかも笑ってしまって、怒っている振りも出来やしない。

 

(わたしは、おまえといられることが、とても幸せだ。)

 

悔しいのでピオニーには口に出して云ってやらないが、

は心の中で、しみじみと、噛み締めるようにそんなことを呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

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(11.3.10)

 

 

 

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