13

 

 

 

 

 

大佐は私がテーブルにつっぷしてぼぅっとしている間も、困惑を混ぜながら必死に考えを纏めているようだった。

そうだろうとも、信じるか信じないかを判断するには何かと時間は入り用だ、

ゆっくり考えてくれればいい、と思い、私は敢えて大佐が再び口を開くまで黙っているつもりだった。

ぶつぶつと独り言が時折聞こえる。

凍える程に冷えていた部屋の空気は随分と暖まったが、代わりに紅茶はすっかり冷えてしまった。

 

「…信じられん。」

 

「…でしょうね。」

 

暫し考えた結果が、その苦々しく呟かれた彼の発言に如実に現れていて、私も諦めたように笑って同意した。

しかし私の頭がおかしくないとすれば、現実は現実、どうしようもなかった。

 

「でも私が妄想虚言症でないとすれば、そうとしか考えられない状況だったんです。

私の祖国は日本と云う名前の国で、海に囲まれた小さな島国で、公用語は日本語。主食は米。

世界地図は、おおまかにはこんな感じで、」

 

そう投げ遺りな説明をしながら、私は飾り棚の一番下の抽き出しの奥から、徐に一冊の手帳を取り出した。

開けばばらばらになってしまいそうな古い黒革の手帳。

現状を知った私が忘備録として綴り始めた、最初の一冊だ。

時間を追う事にあれ以来手帳は何冊にも増え、次第にその内容は現状記録と錬金術の研究記録がごっちゃになっていった。

今では日本語と英語が入り混じり始めている私の手帳は、暗号化せずとも他人には読めそうに無い。

 

ともかくも、其の1冊目の手帳の最初の頁に、私は思い出しうる限り正確に、「あちら」の世界地図を書き記していた。

手帳はもう随分と紙が日焼けして劣化し、端々が破れ掛けている。

そんなに長い時間が経ったのかと、少し切なくなった。

 

手描きの世界地図を大佐に見せて、祖国の位置を指差した。

地図を覗き込んだ大佐は一層怪訝な顔をして私の指の先を凝視する。

間近に見えた大佐の顔は腹立たしいくらい綺麗な造作をしていて、少し殴りたくなった。

(何だこの人、ちょっ、どんだけかっこいいんですか。ほんと殴っていいですか。)

内心そんな事を考えつつも何でも無い振りをして話を続けた。

 

「此処が私の祖国。

世界には面積も民族も文化も様々にたくさんの国がありますが、

此の世界に同じ名前の国は多分一つも無かった。

アメストリスは文化的には此の辺りの国と似ていますが、

そもそも私の世界では大佐さん達のようなあんな錬金術は有り得ないし、

機械鎧とかも向こうではまだ夢の技術です。

その代わり飛行機とか、こちらにはまだ確立されていない技術はありますが。」

 

「…それらが君の妄想で無いと云う確証は…。」

 

「それこそ、知るか、です。」

 

わざと顔を顰めて見せて、私は手帳を大佐に手渡した。

彼はしばらく世界地図を眺めた後、ぱらぱらといくらか頁を捲るも、ますます眉を顰めて怪訝そうな顔をした。

日本語はやはり読めないようだ。

其の文字が私の祖国の文字だと告げても、どうしても有り得ない事象を前に納得がいかないようだった。

ああ、面倒くさくなってきた。

読めもしない手帳を黙って覗き込む大佐を放って、私は紅茶を入れ直しに行った。

 

2杯目の紅茶を2人分入れ直してテーブルに戻ると、大佐はちょっと疲れた顔で椅子に座っていた。

手帳は閉じられて机にぽつんと置かれていた。

 

「どうぞ。」

 

「ああ、すまないね。」

 

大佐は極めて優雅な手付きで紅茶に口を付けた。

(だから、なんであんたはそんなに無駄に綺麗なんだ。)

 

「…あの、別に、そんなに精神的負担になるのでしたら、無理に信じなくていいですから。

突拍子も無い事云ってすみません。

きっと私の頭がおかしいんですよ。気にしないで下さい。」

 

「…。」

 

驚かれるとか何とかは想定していたが、まさかこんなに真剣に苦悩されるとは思わなかったので、ちょっと可哀想になって来た。

そう思って云っては見たが、マスタング大佐は少し微妙な顔をして黙った。

 

「君が嘘を云っているようには見えない。

君が精神を病んでいるようにも見えない。」

 

「はい。嘘はついてません。

自分でも病んでるつもりはないです。」

 

「俄には信じ難い。」

 

「はい。私もでした。」

 

「…しかし、実際、君は年もとらぬまま何十年もその姿で生きている。

それは我々の行った調査でも裏付けられている。」

 

「はい。」

 

「もし、もし仮に、君が本当に此の世界の人間では無く、何らかの形で此の国に来たとすれば、

君がそうなった原因も其処にあると考えられなくも無い。」

 

「そうですね。」

 

「………信じる、…努力はしよう。」

 

其の言葉が一瞬理解出来ず面喰らったが、すぐに、私は身体の内側が暖かくなって、心から笑った。

 

「其の言葉を聞けただけで、私はもう、うれしくてしんでしまいそうです。」

 

 

 

その後、いくらか大佐の質問に説明を交えながら答えていたが、ふと懐の銀時計で時間を確かめた彼は時間が来た事に気付いて立ち上がった。

 

「お忙しい中、わざわざ訪ねて下さってありがとうございました。」

 

いろいろの感謝を込めて頭を下げる。

頭の中で、まさかサボって来た訳じゃないだろうな、と疑いつつ。

私の情報提供の成果が徐々に結果に結びつきつつあるらしい状況を、ラジオのニュースが伝えていた。

よくよく考えれば今司令部は平生以上に忙しいはずだ。

そんな状況にあるにも関わらず司令官自ら1人で私の家を訪れるなんて、よくあの優秀な副官が許したものだ。

ひとつ溜め息を吐き、私は独り言ともつかない小さな声で呟いた。

 

「あの話を、人に云ったのは初めてです。

口にしてしまえば、随分すっきりするものですね。」

 

「…今迄、誰にも?」

 

「えぇ、どういう反応が返って来るかは、予想通りでしたし。」

 

「…。」

 

呆然とした大佐の反応を思い出して笑いを堪えて云うと、彼は憮然とした顔をした。

そう云う表情は何とも人間くさくて微笑ましかった。

 

「そう云えば、聞き損ねていたのだが。

…そろそろ君の本当の名前を教えてはくれないか?

と云うのも偽名だろう。」

 

「…あちらの世界の名前なんて、もう忘れてしまいましたよ。

で十分です。

こちらの世界に初めて来た当初から、

そしてきっとこれからも…ずっと私はです。」

 

大佐は真直ぐに私の眼を見下ろして問うたが、私は小さく笑ってはぐらかした。

本当は忘れていない。

本当の名前は、手帳の最初、世界地図の次の頁に日本語でちゃんと書き記してあった。

けれど、私はもう元の世界に戻る事を、正直に云うと既に諦めていた。

私は優しくも残酷な此の世界が、それでもいとしかった。

 

私は此の世界で生きて死にたい。

私はだ。

大好きな人達が私をそう呼んでくれた。それだけで十分だ。

 

「今後の事はまた追って連絡しよう。  それでは、。」

 

そう云い残して、扉は閉じられた。

見張りの者と軽く言葉を交わすのが扉越しに聞こえた後、車のエンジン音が遠ざかっていった。

私は思わずその場に屈み込んで膝を抱えて顔を埋めた。

 

(そんな事、あんたが、そんな事云うからいけないんだ!)

(そんな風に、名前を、呼ぶから…!)

 

視界がじわりと熱く滲んで来る訳も分からず、膝を抱える腕に力を込めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

next.

 

 

 

(08.9.16)

 

 

 

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