12

 

 

 

 

 

司令部に呼び出された日から既に一週間が経った。

外出は控えるようには云われているが一応禁止された訳では無いので可能と云えば可能なのだが、

必ず見張りの軍人の同伴を必要とされていたので、どうにも出掛ける気力が沸かず、結局一週間家にずっと籠っていた。

 

わざわざ彼等について来てもらうのが申し訳ないのもあったが、

何より、街中を軍人と共に闊歩するような目立つ事をするのは御免だった。

ただでさえ家の前に立たれて近所の人に何事かと噂されているのだ、余計に外へ出たくなくなったのは云う迄も無い。

せめて私服だったらまだマシなのに。そう考えて、いや、そうでもないか、と項垂れた。

外出の際はともかく、家の前に武装した男が立っている方が何だかより不審な気がする。

 

どちらにしろ考えてもどうにもならないことだ、と深く溜め息を吐き、静かすぎるリヴィングで1人ソファに横たわった。

まだ明るい昼間にも関わらず部屋の中は薄暗い。

何となくカーテンを開く気にならず、寒いのだがそれでも暖房を付けるのも面倒だった。

一週間以上一度も外に出ていないので買い物等もしていない。

あまり食欲も沸かないので専ら食事は予備に買い置いていた缶詰などで適当に済ませていた。

どうせ食べなくても死にはしないのだからと思うと、何かを口にすることさえ億劫だった。

 

思えば、いつも何かしら忙しかったので、こんなに無為に時間を過ごす事等滅多に無かった。

仕事をしたり、買い物をしたり、錬金術の勉強をしたり、情報収集や犯罪計画を立てたり、常に何かをしていた。

其れは実際忙しかったからと云うより、余計な事を考える時間を無くしたかったと云う理由の方が大きかった。

空白の時間は私に無駄な感傷や不安ばかりを呼び起こさせる。

詮無い恐怖心に煽られて胸を掻きむしるような気持ちになりたくは無い。

自分の穢濁から顔を背ける事になろうとも、もう構わなかった。

 

憂鬱な気分で眼を閉じていると、瞼の裏に焔が見える。

ロイ・マスタングの放つ、あの焔だ。

鮮烈に燃え上がり、全てを焼き付くす地獄の業火。

私は其の焔を、本当は5年前にも、一度見た事があった。

イシュヴァール殲滅戦が始まって幾らも経たない頃、前線の近く迄行った事があった。

 

其処で遠くに見えたイシュヴァール人の居住地区に、突如として耳を劈く程の爆発音が響いたかと思うと、

巨大な焔が燃え上がり、集落は一瞬で燃え盛る瓦礫の山になった。

其の景色だけで、此の焔を産み出したのが誰かなんてすぐにわかった。

跪いて、両手で顔を覆った。見たく無かったからではない、悲しさとも怖れとも判別出来ない感情が渦巻いてどうしようもなかったからだ。

それから暫く、夢をよく見た。あの焔に灼かれる夢を。

ああ、そう云えば、此処最近、夢を見ていない。

 

突然呼び鈴の鳴るのが聞こえて、私は慌ててソファから身を起こして返事をした。

玄関扉を開くと、其処には意外な人物が立っていた。

 

「た、大佐さん。こんにちは。どうしたんですか、わざわざこんなところに。」

 

「突然すまないね。今、少し、構わないかな?」

 

其処に居たのは、マスタング大佐だった。

しかも、どうやら1人で来たようだ。背後に泊められた黒い車には誰も乗っていない。

また司令部への呼び出しだろうかと思ったが、そうでもないらしい。

彼はいつものように上手な作り笑いを浮かべるばかりで、何を考えているのかはわからなかった。

 

「あの、取り敢えず、中へどうぞ。」

 

「ありがとう。」

 

部屋の中が外とたいして変わらないくらい随分冷えきっているのに気付いて、

急いで暖房を付けてお湯を沸かすのにコンロに火を付ける。

少し振り返ると、大佐は電話の横にある写真立てを静かに見下ろしていた。

親友と二人で写った、あの古い写真が入れてある。

 

「…彼女とは、あの村に来て初めて出来た友達だったんです。」

 

大佐に背を向けて紅茶を入れる用意をしながら小さく云うと、彼がこちらに視線を向けたのが分かった。

 

「先日の話の続きをしに、いらっしゃったのでは?」

 

そう問うも、視線を背中に感じるだけで、何も口を開こうとはしない。

そうして暫くの沈黙。

 

「…暖房を、」

 

「はい?」

 

「何故暖房を付けていなかったんだ?」

 

「…はぁ。」

 

突然突拍子も無い方に話題を振られて唖然として思わず大佐を振り返ると、いやに真剣な顔でそんな事を問われた。

何故そんな事を聞くのか理解出来ず、やっぱりこの人は変わってる、と思った。

 

「あの、別に理由はないんですけど。なんとなく、です。…寒くても、どうせ死にませんしね。」

 

そう答えると、睨むように眼を細められて、何故大佐がそんな眼をするのか理解出来ず、困惑した。

取り敢えず紅茶を入れてテーブルに持って行き、椅子を勧めてみたが、大佐はその場に立ったまま動こうとしなかった。

 

「あの写真は何時撮られたものだ。」

 

「私が来て暫くした頃ですから、70年程前ですね。」

 

「あの写真に写っているのは、あくまで君自身だと云うのか。

母親や親戚でも無く。」

 

「そうです。間違い無く私本人です。だって、私と彼女とは同い年なんですよ。

70年以上前に此の世界に落とされて以来、時間に忘れられて死ぬ事も年を取る事もできず、

何度も住処を変えながらなるべく人の記憶に残らないようにひっそりと生活してきました。

怪我をしてもすぐに治るし、何度死んでも気がつけばまた私は目覚めて、何事も無かったかのように生き返った。

望みもしないのに!」

 

喋っている内に段々苛々としてきたので、少し落ち着こうと思い、

客である大佐が立ったままなのにも構わず、椅子に掛けて暖かい紅茶を口に含む。

 

「死んでも、とはどう云う意味だ?

君は自分が不老不死だとでも云うつもりなのか。」

 

「言葉通りですよ。

銃で撃たれても、ナイフで刺されても、どうやったって死ねなかった。

自分が何なのかなんて、私が一番知りたい。」

 

裏の世界で情報を集めるには、それなりの危険が伴ったし、思い出したくも無いがかなり恐い眼にも正直あってきた。

撃たれた事も刺された事もあったが、どちらの時も、自分が死んで行くのがわかった。

 

血がどくりどくりと流れ出し、じわじわと身体が冷えて、気絶も出来ないくらいの痛みの中でもがきながら、

身体の力が抜けて行き、意識が途絶えて行く真っ暗なあの瞬間、私は自分の死をはっきりと自覚した。

それでも、いくらかしない内に再び眼が開くのを感じたかと思うと、まだ少し痛みの残滓を引きずりながら、

心臓は蝋燭に灯した焔のように再び温度をゆっくりと取り戻しながら鼓動を打ち始めた。

其の暖かさに、安堵と絶望が綯い交ぜになった苦しさで、涙が止まらなかった。

 

死ぬのは恐かった。恐ろしくて恐ろしくて誰か助けてほしいと思った。

でも生きるのはもっと恐くなった。死んだのに生きている自分が恐かった。

 

生きながらにして幾度でも死を味わう、その地獄。

 

「疑うなら今此処で私を殺せばいい。」

 

ティーカップをテーブルに戻し、私は静かに立ち上がって大佐に歩み寄った。近付いて私は大佐を真直ぐ見上げた。

私達の間にはたった小さな一歩の距離しかなかった。大佐は顔を顰めた。

 

「…ふざけるな。君の死にたがりに付き合うつもりはない。」

 

その声は地を這うように低く、大佐は本気で怒っているようだった。

ならいいです、と、私は力無く笑ってテーブルの方に戻り、項垂れるように座り込んで突っ伏し。眼をぎゅっと閉じる。

 

「…正直、ちょっとほっとしました。

あのね、死ねないのは、本当に死ねないんです、

でも、普通のひとと同じに、怪我したら血も出るし、撃たれたら痛い。

それに、何度死んでも、死ぬ瞬間て、すごく、こわいんですよ。

大佐さんは、まだ死んだ事、ないでしょう?

こわいんですよ、あれ。

自分が冷たくなって行くのが、わかるんです。」

 

そう小さく呟いて、ゆっくりと顔をあげると、マスタング大佐は気妙な表情をしていた。

怒っているような、困惑したような、でも感情を押し殺そうとしているかのような。

彼がそんな表情をしていた事が少し意外で、少し嬉しかった。畜生、此のお人好しめ。

 

「他に、何か御質問はありますか。」

 

「…何故そうなったのか、本当に心当たりは無いのか。

君の口ぶりからすると、記憶喪失と云うのも嘘なのではないのかね?」

 

暫し、逡巡した。此処は私にとって異世界であることを云おうかどうか、迷った。

其処まで云わなくても話をする上では支障は無かったかも知れないが、

嘘をついたり隠しながら話をする手間が酷く億劫で、信じられずとも、もうどうでもいいとさえ思えた。

この人を相手に隠し事をするのは徒労であるように感じていた。

 

「本当はあんまり云いたく無かったんですけど、隠すのが面倒なので話すことにします。

馬鹿馬鹿しい程に突拍子も無い話なのは自覚の上なので、信じられなければ信じなくていいです。」

 

そう前置きして、釘を刺しておく。この人は錬金術師、科学者だ。

非科学的な話を信じてもらえる自信は端から無かった。

 

「結論から云いますと、私は此の世界の人間では無いのだと思います。

良く似た別の世界から、何らかの形でこちらの世界に放り込まれたのだと思っています。」

 

「…は?」

 

「…そう云う反応が返って来るのが嫌で云いたく無かったんです。

私が滑稽にも自分を異世界人だなどと言い張るのは、世界地図が全く異なるから、

そして元の世界には錬金術等と云う科学は用いられていないからです。」

 

「な、ちょっと待て、…そんな…」

 

「…どうもこうもありません。

いくら私だって流石に70年も無駄に過ごして来た訳ではありません。

世界地図や各国の歴史をどれだけ遡って調べても私の知っている国の名はちっとも出て来ない。

これだけ大陸の形や文化が違っていれば、未来にどうこうなるとも思えない。

時間ではなく、次元の問題としか。」

 

まぁ、私の頭がおかしく無ければの話ですが。そう付け加えて、私はまただらしなくテーブルに頬をくっつけて突っ伏した。

何だかもうどうしようもなくやり切れない。

土台信じてもらえるとも思えないし信じる方がどうかしている。こんな話。

これを声に出して人に話すのは、何十年も生きて来たが、此れが初めてなので、私もどうしていいかわからない。

困惑と疑念の色濃い表情で私を見遣る大佐は、どう云っていいか考え倦ねているようだった。

 

「…たいささん、」

 

「…何かね。」

 

「わたしどうしたらいいんでしょうねぇ…。」

 

「知るか!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

next.

 

 

 

(08.9.16)

 

 

 

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