意図的な視界の取捨選択方法











報告書を所定の受付に提出したハヤテは、その部屋を出ようと扉の把手を握りかけた。

彼が把手に触れるよりも先に、やや乱暴に扉が唐突に開かれたので彼は驚き咄嗟に体を一歩分退いた。

扉は部屋の内側に向かって開かれる様式のものであるので、

彼の反応が一瞬遅れていればそれは確かに痛々しい事になっていたに違い無かった。

ほっと息を吐いて体勢を整え扉を見遣ると、開かれた扉の敷居の向こうで男が威圧的にハヤテを見下ろしていた。


縦横無尽に走る傷跡を持つ顔は一見するだけでどうにも厳めしいが、森野イビキは平生から重々しい威圧を持っており、

それは彼自身が意図して放っている類いの空気では無いらしいので、ハヤテはイビキに見下ろされても特に何も思わなかった。

慣れとは人類、いや、生物最大の武器であると考えて、ハヤテは何やら目の前の事象が可笑しいことのように思われて内心笑った。


「おう、すまんな、ハヤテ。」


にやりとサディスティックに笑うのはもうイビキの職業病かもしれなかった。

彼が笑うと、どうも総べてサディスティックな要素を含む笑顔に見えがちだった。

時折、本当に時折、無防備で悪戯好きの少年のような笑顔を見せる事もあったが、それは稀なことなのだ。

何故なら、彼にはそれを必要とされる機会が本当に少なすぎた。


「あぁ、いえ、驚きましたが、大丈夫ですから。」


ハヤテは何も見ていない視線を斜め下あたりに何となく彷徨わせ、のんびりと二歩背後に退き、イビキに道を開けてやった。

お互いこんな部屋の狭間で対面していたって仕方が無いだろうと彼は考えたからだ。

イビキはきしりと古びた床板を鳴らして敷居を跨ぎ、取り敢えず扉を閉めた。

開けておいてくれてもよかったですのに、と云いそうになったが、其れがどうしたと云う訳でも無く、

ハヤテはそんな事よりも、思ったよりイビキの扉を扱う所作が丁寧であることの方に気を取られた心持ちでいた。


大きな獣はみだりに小さなものを虐げない。己が強い事を知るから。

そんな一般論の希望的解釈にも似た文句が浮かんで、ハヤテはまじまじとイビキを見上げ、薄くにやりとした。

イビキはちょっと厭そうに顔を顰めて、何だ、気持ち悪い、と吐き捨てた。


「これから報告ですか。」


何事も無かったかのように涼しい顔をして唐突に尋ねると、イビキは苦笑して頷いた。

ハヤテは大体に於いて確信犯的な言動をするが、イビキはそれに乗るような形の反応を無意識的に返していた。

其の事はハヤテを少し嬉しくさせた。

ごく有り触れたはずの反応ながら、他の同僚とは微妙に、違う気負いの無い簡素な反応はなかなか居心地の良いものであった。

彼はある種とても興味深いいきものだとハヤテは思う。

自分も対したサディストなのかもしれない、とも。


「俺ァてっきり、軟弱そうなガキだと思ってたがな、」


ハヤテが顔を上げてイビキを見ると、彼は顎に手を当ててしきりに頷きながら、

口端をじりりと引き上げて値踏みするようにハヤテを見ていた。

彼の仕事の前後によく見かける表情だった。


「案外、お前さんは俺んとこの部隊でもイケルくちだな。」


「厭ですよ、拷問なんて。」


咳払いをひとつして、ちらりと視線だけイビキを見、そのまますっと逸らして口元に当てた手の下でだけわらう。


「時間が掛かるし、そんなのとても面倒じゃないですか。

 イビキさん程、気が長い方でも無いんですよ、私。」


恐ぇ恐ぇとにやにや笑いながら、イビキがハヤテの隣をすり抜けた。

ハヤテは肩を竦めて咳を一つしてから何事も無い顔で、部屋を出ると云う行為の続きを実行する事にした。









fin.




(04.10.29)

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