笑うように歪むような











「あんた笑うの下手ね。」


右手に持った書類をひらひらさせながらつまらなそうに組んだ脚の上で頬杖を付いたアンコが、

横目でちらりとだけハヤテを一瞥し、少し唇を尖らせるようにしてどうでもよさそうに云った。

ハヤテは少しだけ驚いて、しかし少しだけ顔を歪めて笑おうと努力した表情を作った。


彼は彼女がどうでも良い事を云って時間を潰しているだけなのだと知っていたが、

笑うのが下手だと云う認識を改めて意識の上に建設されると、

余計に「笑う」とはどうやって作るものだったかとしなくても良い気遣いを重ねた結果、

笑顔は笑顔に成らず少し顔を歪めるだけになるのだ。


社会的生物としての人間の意識とは何と無駄によって多彩に彩られては腐っていくものなのだろうと考え、

ハヤテはそのまま黙って顔の前で指を組んで廊下の窓枠を逆光に黒く焦がす午后の日射しを見据えた。

もう秋も深まり行く季節だから、天候は此処最近どうにも安定しなくて、

今朝は酷く冷たい雨が降っていたと云うのに、どうだろう、この秋晴れの暑く凍る青ときたら。


彼は眼の色素では補えない眩しさを感じて思わず眼を伏せ、そうした結果意図は無くとも組んだ自分の指を見、

人指し指の第二関節より5ミリメートル下にある小さな切り傷を認めた。

怪我なんてよくするので別段珍しくも無い症例だが、何時切り傷が出来たのか彼は思い出せなかった。

そう云えば組んだ指に少し力を入れれば切り傷のある部分に少し引き攣るような感触と小さな痛みがある。

あまりに小さすぎてその痛みに気付かず、

其の事は日常的な傷を非日常という位置付けに昇華するかのような心持ちがある。


傷の奥の網の目のように巡る毛細血管のヴィジョンに思いを馳せていると左側頭部に軽いものがぶつかった。

ような気がした。

気のせいかも知れないなどと思いながらも組んだ指を解いて無意識の内に切り傷を指の腹で撫でながら左を向くと、

不機嫌そうに、そして剣呑に眼を細めたアンコがじっとハヤテを冷静に睨んでいた。


「何とか云いなさいよ。」


「何を云えばいいんですか。」


「てかさ、ハヤテ、あんたねぇ人が何か云ったらもうちょっとそれに対して反応返しなさいよ。

 あたしがひとりごと云ってるみたいじゃない。」


「返したつもりだったんですが、どうやら届いていなかった様ですね。」


「郵便事故だろうが何だろうが失礼しちゃう、損害賠償はきっちり頂くわよ。」


はいはい、と心の籠っていない返事を返しながら、足下に落ちた紙屑を拾い上げた。

先程ハヤテの左側頭部に投げ付けられたもののようで、余り上質では無い藁半紙がくしゃりと丸められている。

ふと気になって広げてみると、其れは先程アンコがひらひらさせていた書類の内の一枚だったような気がする。

そして哀れな姿の書類の最上部に「報告書」と云う文字の羅列が見られたので、

彼はふぅっと軽い息を吐いて肩を竦め、綺麗にそれを開いてからアンコに無言で差し出した。


「いらないわよ。」


「報告書って書いてありますが。」


「書き損じなの。」


「…」


ふふん、と意味もなく勝ち誇った笑みを浮かべてアンコは椅子から勢いよく立ち上がり、

力一杯伸びをして、椅子の隣にある扉をじっと見つめる。

腕を組んで待つ事ほんの7秒きっかりで其の扉はあっさりと開かれた。


「アンコさん、お待たせし…」

「遅いわ!」


扉を開けて中から顔を覗かせたライドウが云うのと同時に彼女はきっぱりと云ってのけて、

まさか扉の前で待ち構えていようとは思いもせず面喰らってびくりとしたライドウに、

勝った、と云わんばかりの笑みで書類をひらひらさせながら、

アンコはまだ固まったままのライドウの横をするりと抜けて、部屋に足を踏み入れていた。


其の様子が何だか無性に可笑しくてハヤテがふっと笑うと、目敏くそれを見たアンコが、

部屋に消える間際に呆れたように云った。


「あんた、本当に笑うの下手よ。不器用な奴ね。」


言葉は辛辣だが、其の声音は面白可笑しそうに笑っていて、

そのことから彼女もまた不器用に微笑んでいるだろうことに彼は気付いていた。









fin.




(04.10.27)

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