花もちりぢり狂の様相











ゴホッ、と、咳き込みながら、ハヤテは倒れた体勢もそのままにだらりと項垂れた。

咳き込むのは彼にしては其れ程珍しい事でも無いのだが、其れは彼で無くとも咳き込んでも無理の無い状況だった。


「けほっ、けほ、確かに、あゝ、手合わせをお願いしたのは私ですが、」


木の根元をずるりと項垂れ落ちていたハヤテは、少しだけ身体を起こして幹に背を預け、云いながら座り直した。

その間も酷く苦しげに咳き込みながら、痛む身体に顔を歪めていた。

木の幹や網の目のように張り巡らされた枝に酷く背中を打ち付けたせいで、彼の声は少し掠れている。

生理的な涙が少し滲む視界に朧げながらも見下ろした身体は、深緑の葉や小さな枝切れ、

強い芳香を放つ細かなオレンヂ色の花が髪や服に引っ掛かり、まったくもって酷い有り様だった。


思うように動かないながらも確かな動作で髪や服を手で払い、引っ掛かった枝葉等を落とす。

ふと見れば、其の手もやはり小さな切り傷や擦り傷が無数に見え隠れしており、

ハヤテはそれを気にも止めなかったが、しかし呆れたように溜め息を吐いた。


「誰も本気で吹き飛ばしてくれとは云っていませんよ。」


恨めしげなふうに声音を作り、やや戯け混じりに云い、自分にふと落ちた影に気付くと、

少し上目遣いに眼だけで影の主を見上げた。


えへへ、とわざとらしく声に出し、にやにや笑いながら逆光の中の黒い男がごめんねぇと悪びれずに云った。

両手はポケットに突っ込まれたままで、ハヤテを助け起こそうと云う気はさらさら無いらしかった。

もちろんハヤテも其れを期待していなかったが。


逆光によって透き通るような銀色に縁取られた男の髪がきらきらして綺麗だ、と見当違いなことを思いながら、

ハヤテはまた咳き込み、(今度は彼の平生の咳だったが、)額宛てを無造作に外してけだるく髪を掻き揚げた。


まだ少し背中が痛かったし、肌を露出していた部分に出来た引っ掻き傷が思い出したようにひりひりとした。

しかしハヤテにとってそれらの傷はさほど気を引かれるものでも無く、

そういう事実だという、意識上の認識に過ぎなかった。


「いや、ほんとごめんねぇ。」


「あぁ、もう別にいいですよ。

 でもカカシさん、あの蹴り、ちょっと本気だったでしょう。

 私が上忍であるあなたにかなわないのは承知なさっているでしょうに。」


「だって軽い手合わせって云いながら、ハヤテ結構本気で来るんだもん。

 俺も危うくふっとばされる所だったんだよ、そりゃあこっちだってそれなりにやらないと。」


カカシは本心からの済まなそうな顔を少しだけ見せて、しかしすぐに曖昧に右目を細めて笑いながら云った。

唐突にハヤテに向かってしゃがみ込み、まだハヤテの髪や肩に引っ掛かっている葉や枝や花をはたき落としてやる。

ふとハヤテが背を預けている大きな木を見上げ、彼等を抱くように枝を広げ包み込んだ枝々をまじまじと見遣る。


「金木犀か。」


「あゝ、そうみたいですね。この馨だと間違えようも無い。」


両手両足をだらりと投げ出していたハヤテだったが、ゆっくりとした動作で片足を立て、其の膝に片腕を預ける。

カカシもハヤテの前に無造作に座り込み、胡座をかいて、

張り巡らせるように広げられた枝々をだるそうに見上げていた。


「花塗れになったから、服とかに馨移ってるんじゃない?」


からかうように右目だけにやりとしてカカシが云うと、

ハヤテは冷ややかなポォズを作り、少し厭そうに眉を顰めてカカシから視線を逸らし、

片方だけ立てた膝の上に肘をつきながら、髪をやや乱雑に掻き混ぜた。

また少し、髪から幾らか小さなオレンヂの花弁がぱらりと零れた。


ハヤテがそうやって厭そうな仕草をするのは、彼等二人の間でだけ成立する、一種の戯れだった。

実の所、ハヤテはカカシに対して何ら憤りも感じていなかったし、

手合わせを願ったのは自分なのでそれは当然のハプニングとして認識し、すでに彼の意識下に処理されていた。

カカシも其のことを良く理解しているので、彼等はそうやって、度々確信犯的な遊戯を非生産的な方法で楽しむ。

そうして、傍から見れば仲違いのようにも見えるポォズを取った其の後、唐突に遊戯を終えて彼等はにやりと笑んだ。


「で?」


「何ですか。」


唐突に尋ねたカカシに、何事も無かったかのようにハヤテが聞き返した。

大体カカシが云わんとすることの見当は付くのだが、一応ハヤテは形式的に尋ね返した。

カカシは少し満足そうに頷いて右目を朗らかに細めた。


「手合わせ、俺は少しはお役に立てたかな、月光特別上忍殿?」


「えぇ、なかなかに。」


ハヤテは口端を少し引き上げて眼を伏せた。

嗅覚が段々麻痺して来たらしい。

もう金木犀のあの噎せ返るような甘い馨は、彼の頭の中から消えていた。









fin.




(04.10.27)

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