其の言葉の隅にわたしが居るなら













「君はもっと御自分を大切にすべきです。」


真面目な人間という者は常に正しいことを言うのだが、

時に其れは突かれると痛い所をも深く突き刺してくる。

ある時には見当違いの事を言う。

そして、ある時には相手にとってどうでもよい事をも重大な問題としてとらえ、真剣に対処させようとする。


もともと仕事は文句一つ言わずにこなし、命令には忠実な彼だが、決して「真面目」なわけではない。

逆らう理由も無い故に何も言わずに事を運ぶのみ。

そういう割り切った考えと物事への異常な程の無関心さから、

自分が傷ついたり壊れたりする事は、結果として命令をまっとう出来ればどうでもよいことだった。


眠れなければ寝なければいい。

何にも支障は無かった。その結果クマが出来たがどうでもよかった。

吐くのなら食べなければいい。

何にも支障は無かった。その結果極度に痩せたがどうでもよかった。


そんな一種自暴自棄とでも言える彼を見兼ねて、その人はそう言ったのだった。

そのように言われたとしても、彼がそんな言葉に従うはずも無かった。

そんな自分の性格も承知していた彼は皮肉な苦笑いを向けた。


「忍が自分を大切にしてどうするんです。私達はただの道具ですよ。

意志を持つ道具なんて邪魔なだけでしょう。」


そう言い残してまた血を流す事を厭わずにただ命令に従い、それを果たす。

そして、彼の後ろ姿を眉を顰めてただ見ていた。

確実に増えていく傷が目に焼き付いていた。














少し不機嫌そうに振り向いたハヤテに戸惑いながら、二人組の中忍が話し掛けてくる。

顎の辺りに布をあてた者と、鼻の辺りに細い包帯を巻いた者。

一見してみても特に自分の知り合いでは無く、一体何の用でしょうか、と取り敢えずハヤテは尋ねてみる。

どうやら誰かに伝言を頼まれたらしい。


「ハヤテ特別上忍、先程エビス特別上忍が貴方を探しておられましたよ。」


丁寧な物言いで顎の辺りに布をあてた中忍が、自分を探していると言う者の名を口にする。

心当たりが多少あったらしくハヤテはああ、と小さく声をあげると、二人に礼を述べて立ち去った。


「また説教でしょうか・・・・ゴホッゴホッ・・・・。」


笑いを噛み殺しながらエビスがいるであろう場所へ向かって歩いて行く。

きっと彼は今頃仕事をしている時間帯だろう。

手があかないのであの二人に頼んだのかもしれない。

そんな事を考えながら古い軋んだ音をたてる廊下を右に曲がる。


曲がってすぐの左側の扉は書庫で、よく彼が仕事をおしつけられて雑用している所だ。

もちろんエビス自身にはおしつけられたという概念は少しも抱いていないのだが、

面倒な事を嫌うハヤテは堪え難いだろう作業だとつくづく思っていた。

有能な部下なのかこき使われているだけなのか、それはハヤテにも分からなかった。


がさごそと人の世話しなく動く気配を感じ取り、

書庫の、摺硝子を張った木戸を軽く叩いて錆かけた真鍮の把手に手をかけた。

扉を開けた瞬間、古くなった紙特有の黴たような匂いが僅かにハヤテの鼻孔をくすぐった。

古いのやら新しい、本やら巻き物が乱雑に棚に入れられており、うっすらと埃を被っている。


奥の方から音は聞こえてくるらしい。

どなたかいらっしゃいますか、と咳まじりに声をかけるとすぐに奥から返事が返ってくる。

その声は紛れも無く探していた人物、エビスの声だった。


「ハヤテ君か?すまないが少々待って頂けますかな。手が離せないもので。」


「ええ、いくらでも待たせて頂きますよ。御ゆっくりどうぞ。」


つ、と手近な本棚に入っている分厚い古書の背表紙をなぞって、おもむろにそれを取り出して眺める。

手書きで書かれたそれは随分古く貴重な物らしい。

色褪せたページを一枚一枚丁寧にめくって、内容を軽く読み、また元の位置にそっと戻した。

そしてまた次の本を手に取っては眺め、手に取っては眺めを繰り返していた。









ようやく奥から数冊の本を抱えて出て来たエビスは、

ずり落ちそうになる黒い眼鏡を指で軽く押し上げながら目を丸くして呆然とした。


「またよく此処まで散らかしたものですな・・・。」


呆れるあまり思わず言葉を発したエビスを見て軽く笑いながらハヤテは手に持っていた本を閉じた。

床に座り込んだハヤテの周りには色、形の様々な本や巻き物が足の踏み場も無い程散乱していた。

そして彼の近くにある本棚からは乱雑に置かれていたものが消え失せて、

木の本棚が置かれていた本の形にそって日焼けの跡を残していただけだった。

唖然とするエビスを横目にハヤテは近くにある本を積み重ねて片付け始めた。


「つい熱中してしまいましたよ・・・。なかなか面白いですね、此処にある書物。」


何喰わぬ顔で笑う。

一つ溜め息をついて、仕方無さそうに手に持っていた本を隅に置いて、

ハヤテが散乱させた本の片付けを手伝い始めたエビスは、もう一度深い溜め息をついた。

ハヤテはゆっくりとした動作で立ち上がり、空っぽの本棚に積み重ねていた本を一つ一つ入れる。

同じようにエビスもその隣で反対側から本を納めていった。


上の方の棚に手を伸ばしたハヤテを見て、エビスは驚いたように伸ばされたその手を掴んだ。

どさりと本が数冊落ちる音がしたが、エビスは構わずにハヤテの袖を捲り上げた。


「落ちましたよ、本。傷んでるのでもっと大切に扱わなければ・・・・。」


のんびりとした口調で掴まれている腕を気にする様子も無く、

ハヤテはまた床に散らばってしまった本を見下ろしている。


「何ですか、これは。」


怒りを押さえるような声に、ハヤテは無表情でエビスの顔を見る。

捲りあげられた袖から表れたハヤテの腕はひどく傷と痣にまみれて痛々しいものだった。

手当てすらされた様子も無い傷からはまだ血が滲み、新しい傷である事を物語っている。


「これですか、これは昨夜にちょっと枝で引っ掻いてしまったんです。森の中での任務でしたから。」


しれっとして答えるハヤテに怒りを削がれたのか、はぁ、と本日何度目かの溜め息をつく。

強く掴みあげていた手を離すしてハヤテを鋭く見る。


「なら、手当てくらいすぐになさい。細菌が入ると取り返しのつかない事になりますぞ。」


「大袈裟です。人の身体はちょっとやそっとじゃ死にませんから。」


妙ににこやかに、咎めるエビスを軽くあしらって本を拾い上げた。


「昨日も言いましたが、ハヤテ君、君はもっと自分を大切にするべきだな。」


「ですから昨日も言いましたが・・・。」


昨日と同じ事を言われ、また昨日と同じ事を言い返そうとして、ハヤテはエビスの次の言葉に遮られる。

何を言わんとしているか、彼の言葉はエビスにはお見通しだとでも言うようだった。


「いくら忍でも生きる意志のない人間は役に立たんのです。

何故だか分かりますかな?

いつ死んでもいい等と投げやりな心を持つ故に、同時に任務も疎かになるからです。

君は勘違いをしているようだね。」


エビスは言いながら、癖である指で眼鏡を押し上げる動作をしながら厳しい口調でハヤテを諌めた。

そこまで言われてハヤテは言い返す事も出来ずにきょとんとした表情で立ち尽くす。


ハヤテにとってそれは耳の痛い話ではあったが、

厳しい言葉の裏に自分を心配する意味合いも含まれている事に気付いていた。

どうしたらこれ程、捻くれていながらストレートに他人についてを考えられるのか、

それを初めてエビスに出会ってからハヤテはずっと考えていたのだが、全くその答えは出ていない。

しかしながら、恐らくは彼の生まれつき持ち合わせた性格と言う事に他ならないのだろうが。


やがてハヤテは何も言わずにまた本を並べ始める。

それにならってエビスもまた黙って本を拾い集めては本棚に戻すと言う作業を繰り返した。

重い沈黙がひしひしと部屋中に張り詰めているような気がしていた。









一通り片付け終えて、最後の数冊を本棚にゆっくりと戻しながら、ハヤテはふいに呟いた。


「御心配、ありがとうございます。・・・でも、そう簡単に変われそうもありませんよ。」


急な言葉に少し驚いたように視線を向けたエビスの顔を見て、ハヤテは遠慮がちに小さく笑む。

終止笑わなかったエビスも、ようやく口の端を軽く釣り上げてまったくですな、と一言呟いた。

重苦しい空気はもう微塵も残ってはいなかった。




あ、と思い出したようにハヤテが声を上げて、エビスが怪訝そうな顔をした。


「そう言えば、私に何か用があったのですか?」


ああ、と思い出したようにエビスが、片付け始める前に隅に置いた本を拾い上げてハヤテに差し出した。

状況が飲み込めていないような顔をしてハヤテが本を受け取る。


「以前君が読みたいと言っていた本だ。急に此処にある事を思い出してな。」


「ああ、あれですか。わざわざどうもありがとうございます。」


次の仕事があるエビスは用件を終えるとまたすぐに書庫を出て行ってしまった。

ハヤテも暫くして、借りた数冊の本を片手に書庫を後にした。



そして、彼はその足で医務室へと向かって歩いて行った。


彼に指摘された腕の傷を今更ながら手当てする為に。


















fin.


いい関係であると思う。


(01.12.21)


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