花紫は途切れに途切れて


ぎこちない唄を


いかないで欲しい


明日なんて確かじゃない


今この腕が届く先に


今この腕が届く先に












ヘリオトロォプ












まだ白い太陽がその姿を見せもしない早朝の地平線近くは、濃紫の薄闇に囲まれてくすんだ朝靄に酔う。

この微妙な時間帯特有の闇では無い、しかし光は零れないままの状態を保つ空を、カカシは仰ぎ見ていた。

滅多にお目にかかれない程美しかった空は、すでに水紅色を帯びていて、

深く自分に纏わりつくような生々しい紫は過ぎ去ってしまった。


もっと見ていたいと思うもの程、こんなふうにさっさとその姿を隠してしまい、

まるで自分から逃げていくように走り去ってしまう、と、妙に感傷的な想いにカカシは少し眉を顰めた。


はっきりとしなくなってきた思考は、身体も頭も深い睡眠を欲している事を顕著に示している。

何故なら、彼等は『Aランク』と一括りにしてしまうのには厄介すぎる程の任務をたった2人で成し終え、

そのせいでここ数日まともな眠りも得られずに気を張り詰めたままだったのだ。

いくら上忍とは言え人間、流石に疲れがたまるのは致し方ないことだ。


「人使い、荒すぎるよねぇ・・・・?」


先程まで別行動をしていた、今回の任務を共に遂行した者の気配を背後に感じて、

カカシは彼に問いかけながら苦笑いで振り向いた。

カカシ同様にかなり疲労している癖に、そのような雰囲気を微塵も感じさせない青白い顔が、

カカシののんびりとした緊張感の無い声音に少し呆れているようだった。


「仕事は仕事ですから、仕方ないですよ。」


「もー、そんな真面目なこと言ってると、いつか過労死しちゃうよ?」


いい加減に笑いながら、カカシは軽い口調で言う。

別段何も変わりはしない、いつもの冗談。


「別に私は真面目なんかでは無いんですがね・・・。」


少し笑いながら、ゴホッゴホッと短い咳を何度か繰り返し、さっさとカカシの横を通り過ぎ、

ハヤテは隠れ里へと続く寒水石のような真っ白な砂利を敷き詰めた1本道をゆっくりと歩き始めた。

歩調は緩やかだが、何処かその姿は毅然とした力強さのようなものが感じられる。


青紫から藤のような薄い紫、灰を帯びた薄水碧へとだんだんと色を変えていった曉の空。

夕暮れ時にも見られるようなそれらの紫の群れは、しかし太陽が沈む時とは違った色をしているらしい。

やがて太陽の白光に完全に色を奪われ、柔らかそうな碧がヴェ−ルのように空一面を覆い尽くしている。

真綿の雲はその中で千切れ、絡まりながら止めどなく漂っていた。

産まれ落ちたばかりの日射しはひどく眩しくて、やけに瞳に突き刺さる。


ずっと真直ぐに道を歩いていたハヤテだったが、ある程度里の近くまで来た所で急に道を逸れ、

獣道とでも言いたげな細い草むらの分かれ目を縫ってどんどんと薄暗い森に侵入していった。

いくら朝日が射す頃と言っても、夜の間中、樹々の濃緑の中でじんわりと抱え込まれていた闇は、

ただでさえ真昼になってもなかなか散っていこうとはしないものだ。

カカシは突然のハヤテの行動に流石に驚いて、思わず見失いそうな背中に声をかけた。


「ハ、ハヤテ?

そっちに行っても、里には帰れないんだけど・・・?」


「ええ、当たり前じゃ無いですか。」


「・・・・・。」


カカシは俄に草むらに片足を突っ込んで、ハヤテの後を追おうとした。

焦り気味なカカシの方をわずかに振り向き、森の暗さに姿が消えそうな中でハヤテはうっすらと笑う。

カカシにはそれは、いいからついてこい、という表情だとし

か思えなかった。

そして、彼は溜め息を呑み込んだ。

3割の呆れと、1割の期待、そして6割の好奇心とで森の奥深くヘと草を掻き分ける音を残して消えていった。











目の前には一面の紫の花が群れを成して、風も無いのに、この深い森の中で密やかにざわめいていた。

一口に紫といっても、その濃淡は様々で、白に近いものもあれば藍色、赤紫色のものもある。

紫の絨毯は、高い場所でしなる枝葉の隙間から毀れる帯状の光に照らされている。


カカシはあの1本道を通る事が滅多になく、もちろんこんな森に足を踏み入れた事も一度もなかった。

任務を終えた後はどこかしらふらりと立寄って、真直ぐに帰る事の方が少ないカカシだったが、

さすがに任務帰りに森を無闇に散策する程体力がありあまっている訳でもない。


「いつもここに寄り道して帰るの?」


花にも構わず、その場に座り込み、ハヤテを見上げながら問う。

地面に近付くと、紫の花の香は一層強くなった。

一つ一つはかすかながらも、これだけ群生していると噎せ返る程の香が肺を満たしていく。


まるで地面近くの空気の層で、香らない場所などないかのように自然に溢れかえる。

ヴァニラのようなとても甘ったるい匂いなのだが、

ここが涼しい森の木陰の中だというせいもあるのだろう、どこか静かで爽やかな甘さだった。


「たまに、ですよ。そんなにいつもいつも寄れる程暇でもないですからね。」


「何か、言葉に棘がない〜?まるで俺が毎日遊び回ってるみたいじゃん。」


肩を竦めて冗談まじりの言い方をしてみたが、ハヤテにはあっさりと本当の事でしょう、と切り返された。

カカシは、口数は少なくとも的確な事を言うハヤテに、何かと言いくるめられてしまう。

しかも不思議とハヤテにはどんな事を言われても、悪意が感じられなくて、嫌な気分にはならない。

・・・・むしろ楽しい程に。

多分それは彼が言葉には特別に気を使っているせいなのだろう。

言葉がどれほどの力で人を癒し、そして傷つけるのかを、彼はとてもよく知っている。


カカシにとって、ハヤテという存在は何かが違っていた。

他のどんな同僚よりもどこか、波長が合う。

似ている訳ではまったくないのに、何故かこんなにも親近感がある。

訪れたことのない場所を何故か懐かしく思ったりする気分と半ば似ている。


「この花、すごい甘い馨りがする。大分鼻が慣れてきたところだよ。」


「・・・ヘリオトロープという花だそうです。」


「へぇ。花の名前なんてよく知ってたなぁ。」


「・・・・・・・・・図鑑で・・・・・。」


ぶっ、とカカシが吹き出した。

少し照れ隠しをするように小さな声で言ったハヤテの最後の一言で、

どうやら必死に図鑑で花の名前を調べている姿を思い描いたらしい。

カカシはそんなハヤテが素直に可愛いと思っているのだが、

ハヤテにしてみればただからかわれているだけでちっとも面白くない。

ちょっと嫌そうに眉間に皺を寄せる子供のような姿が、

余計にカカシにそのように思わせていることを、彼は知らない。


ハヤテは、花を踏み付けることも構わないで座り込んでくつろぐカカシに倣い、

微妙な隙間を開けてカカシの隣に腰を降ろして小さく息を吐いた。


森が少し開けた所にある円形の花野は、神聖さを思わせる。

朝の木漏れ日も、駈ける涼風も、さらさらと音を立ててざわめく葉の群れも、

作り物じみた美しさではない自然的な美を曝け出しているように見える。


「綺麗ですね・・・。これほどの景色を、人為的に造り出すことなんて出来ないでしょうに。」


「お前は人工物嫌いそうだもんな。あるがままに〜って感じ。」


今更ながらひどい疲労が、身体を支える腕を軋ませている。

少し怠そうに、ハヤテは花の上に横たわる。

彼もカカシと同様この花の香にはすでに慣れてしまい、もうあの咽せるような甘さはそれほど感じなかった。


「ハヤテ、大丈夫?」


急に倒れ込むように寝転ぶハヤテに気付いて、心配そうにカカシが覗き込んだ。


「ええ、少し疲れただけです。」


「そう、じゃあ暫く寝てろよ。おやすみ。」


おやすみ、といいながらカカシはハヤテに手を伸ばし、頭を撫でてやろうとした。

子供扱いだと嫌がるだろうか、と思いながら。


しかし、そうカカシが思案している時、ハヤテは仰向けに寝転んで目を閉じたままふっと笑った。

楽しい時の笑い方とは違う、何かを企むような悪戯な笑みだった。


次の瞬間、ハヤテに伸ばされたカカシの腕は触れる前に触れられる。

ハヤテに手首を掴まれて引っ張られ、カカシは思わず寝転ぶ彼の上にのしかかるように倒れ込んだ。


「・・・・おーい、ハ〜ヤテちゃ〜ん。一体どう言うつもりなのかなぁ・・・?」


腕を掴み上げられたそのままで、カカシの腕はハヤテに引っ張られており、

しかももう片方の腕はしっかりと首に巻き付けられており、まるで身動きがとれない。

最初はハヤテを押しつぶしてしまっては可哀想だと思い不自然な体勢でいたのだが、

そのままの体勢は到底維持出来るはずもなく、仕方なくそのまま力を抜くことになる。


「ほら、お前が重いでしょうが。ちょっと離してくれない?」


「・・・嫌、ですね。」


カカシは、妙に思った。

ハヤテのこういう悪戯を珍しがっている訳ではないのだが、(確かにそれも珍しいことではある)

嫌だと、そう言う声音は、何かを恐れるような震えを耐え、無理矢理に強がっているようかのようだった。


気のせいかも知れない。

顔は見えないので、ハヤテがどう言うつもりでこうしているのか、分からない。

少し押し黙って、そのままでいた。

カカシは自分の下敷きとなっているハヤテが苦しくないよう、また少し不自然な体勢。


引っ張り上げていた腕は解放されて、今度は両腕がカカシの首に巻き付いている。

しかしそのおかげで、なんとかハヤテの横に身体をずらすことができた。


普通よりも低いハヤテの体温が、自分の体温と混ざって、いつもよりも暖かった。









沈黙をやぶったのは、やはりカカシの方だった。

こうしていることはもちろん苦痛ではないのだが、やはり少し困惑してしまう。


「なぁ〜・・・・そろそろ離してくれてもいいかなぁ・・・。」


振りほどきたければ、ハヤテの細腕をはずすのは本当に容易いことだった。

それだけ彼の腕には力は込められておらず、柔らかく纏わりついているだけなのだ。

何故か、カカシはどうしてもそれが振りほどけない。

そうしてはいけない、とでも言うような罪悪感を感じてしまう。


「・・・・・駄目です。」


ハヤテはそう言いながら、少し腕を解いてカカシの顔を見る。

何事もないような無表情でも、カカシが見たハヤテの瞳は奥の方で深く、深く、想いを押し殺していた。


「何で離れたくないの?」


「・・・・。」


「・・・・。」


「とにかく、私は今は離れたくない。

・・・私の腕が届く先に、貴方がいるからだと、そう思いませんか?

どうせ今だけなんですよ。

明日になったら、こんな事、きっと絶対出来ませんから。」


投げやりに言うハヤテのその声に、諦めが混じり、不敵な笑みが混じる。

笑みを口元に張り付けたまま、身体を寄せるように緩めていた腕は首に一層絡み付いていった。


絶対に出来ないわけではないはずなのに、ハヤテには妙な確信があった。

照れ、のせいもあるのだが、きっと今の時間が崩れてしまえば、失うことの怖さに腕が竦んで、

抱き締めるどころか触れることさえ、出来なくなってしまうと。

怖さを忘れかけた今でなくてはならない。

完全には忘れることは出来なくとも。


「そっか。今じゃなきゃ駄目かぁ。」


嬉しそうにカカシは目を閉じる。

任務終了の報告が遅れることは、多分最初からどうでもよかったのかもしれない。


「たまには、こういうのも悪くはないでしょう?」


「ははは、稀少価値?」


「案外近いかも知れません。」


軽い言葉は、ひどい想いをも軽くして、緑を揺らす風に掻き消される。

風は、陽光を含んだ紫の花蜜の馨りを撒き散らして過ぎ去った。


薄く開いた瞳に間近に映ったペリオトロォプは、まだ朝も目覚めぬ、濃紫の空に似る。

疎ましい程悲しい夜明けは、きっと来ないとでも言うように。


















end.


(02.7.6)


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