冷たく張り詰めた静寂に耳が痛い


戻りたくないと懇願しても


残酷な程美しい白銀の欠片は


決して此処で眠ることを許してくれない












雪願













木の葉の冬はそれ程極端に厳しい訳ではない。

しかし、数年に一度の周期で稀に大寒波にみまわれる。

今年はちょうど「その年」であったらしく、町を凍えさせるような風は、声高に道を走り抜けた。

嘆くような泣き声にも似たその音は一層寒さを感じさせる。

仄暗い灰色の混じりあうような白が、寒々と空を覆っていた。


ハヤテは黒いマフラーを首の後ろで結び、その裾をひらひらと風に靡かせていた。

黒い外套は薄く、風が容赦無く吹くのもあって、殆どその役割を果たしているようには見えなかった。

血の気の引いた顔は頬だけが少し赤くなり、眼の下の隈がやけに目立つ。

黒い手袋をした手で外套を胸元で押さえる。

あまりに吹き荒む冷たい風に少し眉間に皺を寄せつつも、その足取りは決して緩みはしなかった。


「・・・・ハ・・・・・ヤ・・テ・・・・・ハヤテ!」


遠くで、掻き消されながらも自分を呼ぶ声を微かに聞き取り、ハヤテはふと立ち止まった。

先程自分が歩いて来た道を振り返ると、寒そうに肩を竦めながらこちらへ駆け寄ってくる人影を見つける。


「ああ〜寒いっ!ハヤテってば、さっきからずっと呼んでたのに気付かないし、

どんどん早足で歩いてっちゃうんだもん。」


カカシはそう言いながら、走り寄って、ハヤテの横に並んで白い息を吐きながら歩き出す。

それにあわせるようにハヤテも歩き出す。

早足とは言っても、カカシが本気で走れば追い付くのには十分すぎるだろう。

それをしないでわざわざ叫んで呼び止める所がいかにもカカシらしいと思い、ハヤテは苦笑した。


「すいませんね、風の音を聞きながら歩いていたので、まったく気付きませんでした。」


そ、と対して興味を示した様子もなくカカシは曖昧に返事をした。

カカシの濃紺のマフラーはハヤテと同じように後ろで結ばれている。

しかし、外套は羽織らずにいつもの忍装束だけであり、

手袋もつけていない手は無造作にポケットに突っ込まれている。

そうして、マフラーに顔を半分埋めて眼を伏せて、カカシは黙々と歩き続ける。


うちに寄っていきますか、とハヤテは聞こえるか聞こえないかの小声で呟いた。

カカシも同じように小さくうん、とだけ答えた。

並んで歩く二つの姿は薄暗い空にぼやけていくように風に消えた。








冬は夜を急くように、太陽が地平線の奥へと走り去る。

灰色に曇っていた空は日が没してもやはり濃灰色になるだけで、ぼんやりとしたまま冴えない。

凛とした冷たさははっきりと足音をたてるから、余計に曇り空の曖昧さが引き立っているようだった。


ハヤテに差し出された少しぬるめのお茶を両手で温かさを噛み締めるように持ち、

カカシは斜光カーテンに閉ざされた窓をぼーっと眺めていた。

自分が猫舌である事をちゃんと覚えてくれていたのか、とカカシは自然と口元が緩む。


ハヤテもカカシの隣に腰を降ろして、お茶を飲んでいる。

古風な暖炉から焼べられた薪の爆ぜる音が静かな室内に響き渡った。

ゆらゆらと揺れる焔の影はハヤテの黒耀の瞳に映り込んでいた。

ふと、カカシは立ち上がってカーテンを少し開けて外の様子を窺い、感心するような溜め息をついた。


「カカシさん?」


「ハヤテ、ちょっと来いよ。」


窓の外に視線を向けたまま、手招きをして嬉しそうにハヤテを呼ぶ。

訝し気な表情をしつつも言われるままに窓際に佇むカカシに並んで、

そっと闇に包み込まれた外に眼をやった。


「・・・・・!」


「ね?」


一面が白い雪原だった。

外は闇であるのにその地面はやけに白銀に輝いている。

空から舞う大粒の雪片は降り止む事を忘れてしまったかのように、視界をちらついては地面に積もった。

開けられたカーテンから洩れ出す光は外を少しだけ照らし、降り積もる雪の深さを言わずとも示していた。



樹はその枝に、葉に、真っ白な雪がその身が折れてしまいそうな程にのしかかる。

岩があった場所には滑らかな半球形の雪像があるばかりだった。

カカシとハヤテが家路についていた時はまったく降っていなかった雪は、

たった数時間で世界の景色を一変させる。


暫く闇に浮かび上がる雪白の美しさに眼を奪われてただただ呆然と眺めていた。

すると、カカシがふいにハヤテを外へ行かないかと誘った。

すると、いきなり何も言わずにハヤテが部屋の奥へと消えていった為、

カカシは取り残されてどうしようか思案していると、二枚の厚手の外套と手袋を抱えてハヤテが戻ってくる。

それを見て、カカシは思わず破顔する。

照れたように笑いながらハヤテは外套と手袋をカカシに手渡した。








「夜の雪というのも、いいですね。」


「ああ。寒い事が気にならないくらい綺麗だ。」


吐く息さえ凍りそうな硬質な冷たい空気を頬に受けて、家の前の小道を雪を踏み締めて歩く。

独特の雪の感触を楽しむように踏み締めるカカシに少し遅れて、

ハヤテは小さな薄橙色の灯を灯す洋燈を手に、雪に戸惑いながらゆっくりと進んでいた。

先程よりは少し降雪は少なくなっているようだが、それでも外套に白くうっすらと雪が覆っている。


墨色の空を見上げれば真上から白い欠片がひらりと舞う。

ハヤテは立ち止まって、自分に降りかかる雪を見つめていた。

カカシも立ち止まって辺りを見回していたので、周囲からは音等全く聞こえなかった。


耳が痛くなる程に透き通った冷たい静寂が取り巻いているのを急に自覚して、

ハヤテは洋燈を雪の上にそっと置いて耳を塞いだ。

かじかんで殆ど何も感じなくなる程冷たくなった耳に、手袋の温かい感触がほんの僅かだけ伝わる。

酷く冷たい静寂は耳を塞ぐ事によって、耳の奥から聞こえる脈拍に少し掻き消されていった。

コォォ、という手の平から聞こえる体内の音も混じり、静けさは遠のいていった。


「ハヤテ。」


ハヤテは塞いだ耳に小さなカカシの自分を呼ぶ声が聞こえて、声の方を見た。

するとそこには雪の上に身体を横たえて、半分降ってくる雪に埋もれかけたカカシの満足げな顔があった。


「何をしているんですか。死んでしまいますよ。」


洋燈を持ち上げてカカシの方へと近付く。

呆れたような、悲しそうな顔でハヤテはカカシをそっと照らした。

呼吸をする度に白い息が闇に溶けていく。


「何か、懐かしい感じ。」


笑いながらカカシが眼を閉じて言う。

ハヤテはそっとその横に腰を降ろして、地面のさらりとした雪に眼を落とした。


「もう、戻りましょう。」


「なんで?」


「・・・・綺麗すぎるからです。」


きっと、戻りたく無くなってしまう。


「・・・・そぉだね。」


半身を起こして、カカシは外套に積もった雪を払った。

ぱらりと粉のように落ちる雪が洋燈の光に煌めいた。



のろのろと闇の中を洋燈の小さな光だけを頼りに彼等が戻って行った後には、

踏み締められた二対の足跡を、少しずつ降りしきる雪が覆っては掻き消していくのだろう。


ただ、雪の降る音だけが静寂に鳴り響いている。
















end.


(02.3.27)



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