赤の小道














有刺鉄線を張り巡らせて、全てを拒絶しているかのような金網。

敷地に沿いながら綺麗なカーヴを描く演習場のその囲いの隣を、僕は時折咳をしながらやや俯いているハヤテと2人で歩いていた。

囲いに沿って黙り込んで歩いている僕らは、恐らくはそんなに深い意味を持って沈黙を守っている訳では無い。

ただ単に、とりわけ話したい話題だとか、伝えるべき言葉を、今は持たないだけだ。


もう夏の少しの暑さを切り取って保管してあるだけみたいな、そんな名残りの気温が空気を温ませている。

朝晩はやけに冷え込むのだ。肩を抱いても少し震えるくらい。昼間は昼間で、少し背中に汗をかく事もある。

夏と冬を接合する為の境界線的な季節を、僕達は冷たい肌で感じていた。


同じ任務をこなした帰りの僕らの手や顔は思いのほか冷たかった。

血に汚れた服を着替えて、血に汚れた顔を洗って、血に汚れた手を洗った。

その時に皮膚を這った血液の温かさと、それを洗い落とした水の冷たさの温度差が今だ感覚神経をひりひりとさせている。


夕暮れの差し迫るオレンヂとムラサキの薄雲が流れる様からわざと目を逸らすみたいにして、

僕は背を丸めて、不器用に両手をポケットに突っ込んで俯いて足先を見ながら歩く。


ハヤテはと言えば、少し機嫌良さそうにはにかみながら時々咳をした。

彼が余り好まない類いの任務を終えたばかりだというのに、珍しく機嫌の良さそうなハヤテを見ていると、

嬉しいような胸の奥が温かくなるような気持ちに混じって、息が出来なくなるくらい苦しい頭痛が駆け巡って行く。


やがて演習場の囲いにサヨナラして、僕らはただ広いばかりの畑の畦道を進んだ。


「そういえばカカシさん、今日はどうしますか。家に寄って帰りますか。」


あぁ、と思い出したように(本当に今思い出したんだろうけれど)僕にハヤテが問い掛けた。

大抵一緒の任務を終えた後と言うのは、自然と隣り合って家路についていて、自然と僕はハヤテの家に転がり込む。

他人が自分の境界線を踏み越えてくる事をあまり良くは思わないような少し気難しいハヤテが、僕にはそれを許してくれた。

どう言う事だろう、僕は、彼にとって少しでも近しい人間になれたのだろうか。


「うん、寄ってく。」


俯いてポケットに手を入れて背を丸めたその格好のまま、そう返事をすると、ハヤテは少しだけ頷いてまたそれっきり押し黙った。

必要最低限な会話というのは、味気ないものであり当たり前なものなのだが、相手が彼だとどうも心地よい気がする。

隣を歩く顔色のさえ無い同僚が、実は唯一の僕が心を許せる人物だなどと、

そんなことを認めてしまうのは、僕の中の、忍に徹する心が許してはくれないけれど。


畦道は、大人2人が並んで歩くといっぱいになってしまうような少し狭くて粗末なものだった。

白っぽい大きめの小石が転がり、その下に除く薄灰色の堅い地面。

一歩僕とハヤテが踏み締める度にジャリジャリと音を立てて鳴るので、僕は無意識の内に、歩数を数える等、無駄なコトこの上ない行為に耽る。

百と二十一歩を数えたところで、不意に思い出したように周りに景色があると言う事を認識した。


先程までまったく視界にあるものを忘れてしまっていたかのように気付かなかった鮮やかな色彩が目の端を彩る。

畦道の両端、畑と畦道の隙間の小さな斜面を被う濃い緑色のしなやかな草の群れと、

そこからすらりと伸びて毒々しいまでの美しき鮮烈さで咲き誇る曼珠沙華の赤。

シンプルで限り無く華やかな赤が縁取る小道の上を、緑と赤の対比色の中心を、僕とハヤテはゆっくりとした歩調をそのままに、家路を行く。


「もう、曼珠沙華の咲く季節なんだねぇ。何か最近忙しかったから季節の移り変わりなんて忘れてたよ。」


今まで一言も話そうとしなかった僕は、極自然に、さも当たり前のコトをしているといった顔で呟いた。

ハヤテに話し掛けるような口調では無いのは、別に無理に返事をしなくてもいいよ、という僕なりの合図だった。

彼が話したく無いのなら、僕はただ独り言を呟くだけだし、彼が僕との会話の成立を承諾してくれるなら、たわいない会話をしたいと思うからだ。


「そうですね・・・。そういえば朝夕は少し寒いくらいですし。ゴホッゴホッ。」


返事をしてくれたハヤテにありがとうの意を少し込めて笑いかけると、彼も目を細めた。

それから、僕は歩くスピィドはそのままに、のんびりと明日の天気のコトや、風の強さとか、月の満ち欠けのコトを話した。


それに返事を返すと言う形でハヤテが、明日の任務は天気次第で楽なものか難しいものかに決まるので、できれば雨が降って欲しいコトと、

風が強い日はアンコの機嫌が悪いので、甘いものを買い与えておくとよいことと、そういえばもうすぐ満月だからお月見なんかもいいですね、という話をした。


あんまりにもたわいなくて、何の寂寥も不安も悲哀も無い、仄かな蝋燭の灯のような会話だった。

すぐに消えてしまうのに、どこか懐かしくて永遠を夢見てしまいそうな。

(永遠と言う言葉、僕はこの言葉が世の中で一番信用ならないものだと知っている。)


まるでありきたりに緩やかなハヤテとの会話に、視界の端を相変わらず彩り揺れて惑う赤。

どうしてだろうか。

君が無性に愛しくなり出した。


曼珠沙華の咲く赤い小道は恐ろしい程に澄み渡った涼やかな空気を讃え、時間をスロゥスピィドで運ばせていた。

時折強く時折弱く、秋日の風は冬の前兆を織り交ぜて、鼻の奥を少し痛くさせる枯れ葉の匂いと、唇を温ませる晩夏の味を運ぶ。

こんな風に、ハヤテは相変わらずまた途切れた会話を気にも止めないで、目を伏せて咳を2回した。


「今日の夕飯はどうしますか。」


ハヤテがまた唐突に、しかし何処からか続いていた会話の糸の先を紡ぐように自然な問いかけをした。

少し低めの柔らかい声音が、僕の耳に風の雑音混じりに響いたので、少し顔を上げて僕も当たり前のように返事をした。


「う〜ん、どうしようか。んん、ハヤテ、何か作ってくれんの?うわぁ、嬉しいねぇ。」


「・・・・つまり、私に何か作れと言う事ですか・・・・。」


ちょっと眉を顰めて恨めし気に僕を見上げるハヤテに僕は笑う。

彼としてもこういう結果になりそうだとあらかじめ予感しての諦めに近い質問だったらしく、まぁいいですよ、と溜め息をつきながら言った。


一つ風が草花をざわりと揺らして、僕達の左右を被っていた畑の連なりが終わった。

それと共に艶やかな赤の曼珠沙華も途切れ、少し山奥にあるハヤテの古い家(だだっ広くてひたすらに古い)へと続く一本道に入る。


彼の屋敷に続く一本道は畦道と大して変わりは無く、周囲にあるものが密林か畑かの違いでしか無い。

まるで誰も訪れて来なさそうな寂しい山奥の一軒家の住み心地と言うのは、あんまりにも静かすぎて煩い程だが、

落ち着いた穏やかな静寂を好む物静かな彼には大変住み心地がよいらしい。


僕も自分の家より、彼の家の方がどことなく気分が落ち着くような気がして、ついつい何日も泊まり込んだりと入り浸ってしまうきらいがある。

しかし、彼はそんなことも、僕には許してくれた。

あるがままを全て受け入れるような顔をしているが、実はそれは僕と、他の彼の親しい友人数人だけなのだ。

(少し優越感を抱いてしまってもいいだろうか。)


彼は穏やかだが、他人との間に一線を引いて拒絶しているような気がする。

ただ、そういう性格の多くの人間と、彼との違いというのが、実は自分が何時死んでも悲しむ人間が出来うる限り少ないようにと、

彼の一種自己犠牲とも言える無意識の行動であると僕は思うのだ。

(もちろん彼はそれを否定したが、それも嘘に思えて仕方ない程彼は悲しそうな顔をした。)

しかしそう思うと、僕はたまらなく彼を殴りつけたくなるような肺の痛みに直面する。


「やっとつきましたね。」


ハヤテの声に気付いて顔をあげると、すでに目の前には古びて白んだ木の板で作られた大きな玄関があった。


「ああ、そうだな。お前の家は静かでいいけど、遠いのが不便だよねぇ。」


「まぁ、仕方ないですよ。」


ハヤテが困ったような顔をして笑った。

大分暮れかけた夕日が燃えるような赤燈色で、ハヤテを顔色良さそうに見せた。

黒い瞳の中でゆらりと光の欠片が揺れている。


「ねぇ、ハヤテ。」


「何ですか。」


「満月になったら、月見をしよう。この辺はススキがあんまり生えて無いから、曼珠沙華を飾ろう。

お前の家の縁側で月見をしようよ。」


「曼珠沙華は、あまり縁起のよい花では無いですよ。」


「あはは、縁起がどうのなんて全然気にもしたことないくせに。」


「まぁ、そうですけど、一応言っておくべきかと思いましてね。」


僕らは顔を見合わせて笑いあった。

空に浮かぶ少しだけ欠けた白い月が次第に黄色味を帯びて輝き始めている。もうすぐ夜の天幕が空を覆い尽くすだろう。

あの赤い曼珠沙華の咲く小道も闇に包まれる。


「実はですね、白い曼珠沙華が咲いている場所も、私は知っているのです。」


重大な秘密を打ち明ける子供のように、少し厳かな風を装ったハヤテがにっと笑って言った。

僕も少し悪戯っぽく笑って悪のりをする。


「いいねぇ、それ。白い曼珠沙華と、赤い曼珠沙華も飾って、月見、決まりな。」


「ええ、そうですね。」


そんな辿々しく秘密めかした約束を何とはなく交わしながら、僕らは玄関の敷居をくぐっていった。


満月まで、後少しだから、

小道を彩る花達よどうか、枯れないでいてください。

















end.


「無気力エデン」生誕日記念

(02.10.7)


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