私が死んでも、きっとあの花は来年も咲く。

貴方が死んでも、それは同じ事。

でも、あの花が死んでも、私は生きている。

そして、貴方も、それは同じ事。













死にゆく花へ














初夏とはいえ、もう日射しは真夏に相当する程の暑さが降り注いでいる。

もうすぐ夏が来るだろうことは、街を行き交う人々の涼し気な服装を見れば明らかで、

普通に夏を迎える世界と切り離されたように、闇色の衣服を纏っている事をハヤテは苦々しく思った。

嫌な訳ではなかったが、どうもふいに思い知らされるこのような感覚には、未だに慣れる事が出来なかった。


帰り路の途中に、日に当たる事を避けて樹の影の下を選んで歩いていると、

並木の向こう側には短い斜面が横たわっており、

小川のような細い水の流れが、射し降る光をちろちろと反射する。

水は少し濁っており、恐らくはこの小さな流れは2日前に降った大雨の名残りなのだろう。


この里中を覆った黒雲は、激しい雷を伴って大雨を降らせた。

雨は一日中降り続いて、人々の多くは不安と憂鬱とに心を悩ませたのだろう。

案の定、一部の川が反乱したり、土砂崩れを起こした地区もあるという。

幸いにして怪我人は1人も出なかったが、少々の損害は否めなかった。

しかし、それも雨が止めばすぐに街は活気を取り戻しはじめる。まるで何事も無かったように強かに。

雨の痕跡は未だ残っている。水たまりの揺れる光はなによりも存在感を浮き立たせていた。


遠くの木陰に、ハヤテは自分と同じ闇色の服を纏った人物が佇んでいるのが見えた。

よくよく見てみればそれは同僚であるエビスで、何故かハヤテは妙な感じがした。

もう此処はハヤテの家にも近い山奥で、こんな所で会うのは初めてだったからだ。


声をかけるには少し遠い距離なので、取り敢えずハヤテは少し急ぎ足で、

神経質そうに黒眼鏡に触れるその人物に近付いていった。

とうにハヤテが近くにいる事に気付いていたエビスは、

ハヤテの方をじっと見たまま、急ぎ足で近寄る彼を待つようにその場に立ち尽くしている。

自分から近付いてこようとしないあたりがエビスらしいような気がして、

ハヤテは急ぐのを止めて、もとのゆっくりとした歩みに戻した。


ようやく互いが近くなった所までハヤテが来たところで、エビスはまた黒眼鏡を押し上げて、

皮肉っぽい笑いを浮かべた。


「ハヤテ君、もう任務は終わったのかね?」


ハヤテが思った通りの、とりあえずは当たり障りの無い言葉をかけられた。

やや堅い、事務的な感じがしないでも無いが、これが彼の「普通」なのである。


「ええ、まぁ・・・。どうしたんですか、こんなところで。」


とりわけ急ぎの用でも無い限り、エビスがハヤテの元を自ら訪れる事は滅多にない。

機会があれば、縁があれば、軽い会話に、軽い挨拶を交わすだけだ。

友達と言う程でも無い、知り合いよりは見知った間柄とでも言おうか、

そのような軽い付き合いだからこそ保たれている軽くて気負いのない関係だった。


とにかく、ハヤテの家も知らないエビスが、一体何故ここにいたのかには少し興味があった。

案外自分は珍しいもの好きかも知れない、とハヤテは内心苦笑いをした。

エビスはいつも仕事で会うときよりも、幾分か和らいだ気配だった。


「何故私が此処に居るか、何か心当たりはないのかね?」


少し意地の悪いニュアンスを含ませて、質問は質問で返されてしまう。

心当たり、と言われても、ハヤテにはさっぱりその言葉の意図が理解出来なかった。

一体自分が何をしたのだろうか、と。

しばらく腕を軽く組んで、考え込む仕種をしてみたが、思い当たる事等見つけられない。

お手上げだ、とでも言うように肩を竦めた。


「・・・ゴホッ・・・・。」


「はぁ、・・・大したものですな。これに見覚えがあるだろう?」


小さな煙りとともにエビスの手の平に表れたもの、それは分厚い資料と真っ白な書類の束だった。

一瞬、ハヤテは黙ってしまったが、すぐにそれが何であるかを思い出す事が出来た。


「あ・・・。」


ハヤテは思わずポン、と手を打つ。

どうしてこれほど綺麗さっぱり忘れてしまっていたのか自分でも不思議なくらいに、

先程まで頭から消え失せていた事をようやく思い出したのだ。

エビスは誰かに頼まれて書類を届ける事を任されたのだろう。

断らないでこんな山奥まで尋ねてくるあたりいかにも彼の性格を如実に表しているようだった。

ハヤテの家も知らない(おそらく此処へは誰か同僚に場所を聞いたのだろう)彼が。


「あ、じゃありませんぞ!

 全く、どこに提出期限が明日の書類をどうどうとアカデミーに忘れてくる人がいますか。」


「いますよ?・・・ここに。」


エビスの呆れたような嫌味に、さらりとそんな言葉を返し、にこりと彼にしては珍しい笑顔を作る。

少し眉を顰めて、エビスはもう癖になってしまっている黒眼鏡を押し上げる仕種をする。

何も言わずに差し出された大量の紙切れを受け取ると、エビスも観念したように笑う。

まったく君にはどうもかかなわんよ、と溜め息まじりに言う。




「ところで、君の家はこんなに寂しい所にあるのかね?」


家の近くまでは来たものの、正確にはどこにハヤテの家があるのかは分からなかったらしいエビスは、

人里離れた山奥といってもいい程他に家の一件も見当たらない周囲を見回して言った。

確かに普通の感覚で言うならばこんな不便な場所に好んで住む者等滅多にいないだろう。


「別に寂しくはありませんよ。むしろ騒がしい所が苦手なので住み心地は結構いいものです。」


「確かに、こうも自然に囲まれているとかえって気分はいいかもしれませんな。」


黒眼鏡の奥で、少し濡れたままの目映い緑と風に揺れている名も知らぬ薄紫の花々を見て目を細めた。

ハヤテもまたそれらを目に止めて風にざわめく様を見つめる。

小さな花が咲き誇るその下では、命を使い果たした花達の残骸が当たり前のように零れ落ちている。

瑞々しく柔らかだった花弁はすでにその面影を残さずに雨水を含んで土と同化しようとしていた。


「枯れていく花は、また来年に同じように咲けるんでしょうね。」


ハヤテは唐突にそんな事を呟く。

しかしエビスは何も驚いた様子は見せないで、ただハヤテの言葉の続きを黙って待っていた。

言った後で、ハヤテはいっその事馬鹿な事を言うなと諌めて欲しかったと勝手な事を思う。

エビスが自分の思い通りの言葉をくれるはずが無い事等わかっていながら、

それでもつい無意識の内に自分が望んでいる言葉を求めてしまう。


「・・・・・君は、死を怖れているのかね?」


長い沈黙の後、ハヤテが何も言わないからか、ふいにそんな声が聞こえてきてハヤテはエビスを見た。

その表情は、彼が何を思っているのかとても捉え難かった。

しかし、ハヤテが言おうとして躊躇ったことに気付いているようだった。


花は来年も、再来年も、咲くのだ。何度でもこの季節が過ぎる限りこうして咲き誇る。

たとえそれ自体は枯れたとしても、その本能を受け継ぐ新たな新緑は途絶えない。

しかし、自分はどうだろうか。

明日、消えるかも知れない。この意識は途絶えるかもしれない。


それ自体に怖れを抱かずとも、漠然とした不安は常に振り切れずに付きまとう。

死にゆく花にはない思いが自分にはあって、潔い程の美しい散り方など出来ないだろう。

引き摺る思いを抱えて何処へいけるというのだろうか。


死を怖れるかと問われて、いいえ、ときっぱり淀み無く答えたハヤテに、

エビスは自嘲気味の笑みを向けてまた眼鏡を押し上げた。


「ならば、何も憂いを抱く事は無いでしょう。

 そこの花が枯れた今でも、君は生きているだろう。

 たとえ君が死んでも、私が死んでも、その花も同じように咲き、枯れていく。

 どうしようもなくそれは当たり前だろう?」


「そうですね・・・。」


ハヤテは、妙にエビスの言葉に説得力があるように思った。

ハヤテよりもはるかに様々な事を悟って、生き抜いてきた忍の持つ深い言葉だったからかもしれない。

かつては彼も、死にゆく花に自らの死を予感したのかも知れなかった。




「・・・あ、これ、ありがとうございました。」


ハヤテは思い出したように届けてもらった書類を指差して何事も無かったかのように笑った。

同じようにエビスも、先程の話を気にもとめない様子でどういたしまして、と形式的に言う。



用が済んだので、踵を返して帰ろうとするエビスに、もう一度噛み締めるように、

ありがとうございました、と小さく言った。

その声は彼には聞こえていないようだった。

緑に掻き消されていくその彼の後ろ姿に、ハヤテは毅然とした強さと優しさを思った。


「・・・・貴方には、教えられてばかりですね・・・・。」


ふっと表情を崩して呟かれた声は、木々のざわめきに掻き消された。






変色し始めた花をひとつ摘み取って、唇を寄せる。


死にゆく花へ。憂えるあなたの見る最期の夢はきっと美しい。

















end.


朽ちてゆく姿は美しい

(02.5.30)


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