空蝉葬列














白昼夢を見ていた。




喉が酷く渇いている。

意識が朦朧とする程の真夏の直射日光を浴びて、カカシはそんな事を思いつつ、

割れるような蝉の声の中、倒れそうになりながら陽炎が上る地面に立ち尽くしていた。


そこは周りを森に囲まれた公園のような場所で、

カカシの立つ広いグラウンドの中央から周りを見渡すと、そこには古びた鈍色のブランコと、

塗料の禿げた木造のベンチ、そして少し遠い場所にある揺らめく公園の門。

あとは四方をひたすらに濃緑の木々に囲まれた広いだけの何もない公園だった。

それらの足元にはこの陽光と正反対のものである事を主張するような真っ黒い影がこちらを睨んでくる。


何故自分がこんなだだっ広い場所の真ん中でこんなにもふらつきながら立ち尽くしているのか、

彼自身すでにわからなくなっていた。

それでも立ち尽くしたまま、何処を見る訳でもなく、色の無い瞳は熱に浮かされて空を飛び回る。


我に帰ったように額から流れてきた汗を手の甲で拭って、

ふらふらと日陰にある壊れかけたベンチを目指して暑さから逃れようとしていた。

汗を拭う仕種は12、3という彼の年齢に相応の、至極少年らしい仕種だった。


日陰に入り、ベンチにすとん、と腰を降ろすと、やっと生き返ったような涼しさが首筋を通り過ぎる。

遠くは全てがあまりに異常な暑さでぼんやりと霞んで見え、照り返す光が眩しかった。

もう一度頬を伝ってきた温い汗を拭い、ベンチの木の冷たい感触にひたりと縋り付いて目を閉じる。

ベタついた肌にざらりとした砂のようなものが纏わりついたが、この際気になんてしなかった。

ぼんやりとするのは暑さのためでもあるのだが、

耳が壊れてもおかしくないような大音量の蝉の鳴き声のせいでもある。


目を開けて、手すり部分に目を向けると、親指程の大きさをした琥珀色の半透明な虫が、

時を止めてしまったかのように静止していた。

カカシは霞んでいる目を少し擦り、もう一度はっきりと瞼の上がった目でソレを見る。

すると、それがすでに虫ではなくなっている事にようやく気が付いた。


蝉の抜け殻。

かつてそれを纏いつつ、土の中で息を顰めて来るべき時を待ち続けていた蝉が、

空への自由を手に入れた瞬間に、代償として失った懐かしい身体の一部。

細い針状の指先を、表面が風化しかけたベンチの手摺板にしっかりと引っ掛けて、

羽化を目前に身体を支えていたその時のまま、置き去りになっていた。


カカシはそっと熱を帯びた指でそれを木の板から壊れ物を扱うように剥がした。

とても軽くて脆くて、力を入れれば簡単に壊れてしまう。

軽やかな蝉の数年間の想いを秘めたような抜け殻を、掌にのせて少し遊ばせる。


別に蝉の抜け殻が珍しいとか、とても好きだとか言う訳では無い。

彼は子供だが、「普通の子供」ではないのだ。

カカシは、その幼さでは異例ながら、もうすぐ暗部に入る事が決定していた。

もはや「子供」と呼ぶには、彼の入るその部隊はあまりにも特殊すぎた。


しげしげと眺めていた蝉の抜け殻を、今度はベンチの座る部分の板にそっと置いた。

そして自分は少し端ににじり寄り、もう反対側の手摺部分をしっかりと見据える。

何故なら、反対側の手摺にも、同じように蝉の抜け殻が一つだけぽつりと置き去りにされていたからだ。

その抜け殻も同じように手に取り、数秒また霞み始めた目で眺めた後、最初の抜け殻の後ろに並べて置く。


無表情にそれら二つを見下ろしていたが、ついにはカカシはベンチから立ち上がって、

ベンチの後ろ側にある植え込みと言うべきか、林というべきか、

とにかく無造作に点在する木々の間を縫って樹皮を眺めて歩いた。


案の定、彼が思った通りにそれは至る所に放置されていた。

木の根元には小さな彼等が夜中に這い出した痕跡とも言える穴が見える。

その行く先である木を上へ上へと辿っていくと、また琥珀色の抜け殻が溶け込んでいた。


数個集めてはベンチに戻り、一列に並べる、集めては並べるを繰り返していく。

といっても、熱さの為に思うように身体が動かないのでとてものろのろとした動作だった。

ようやく10数個の抜け殻を集め終えて満足したのか、

相変わらずの無表情でベンチの隅っこに腰を降ろしてぐったりと背もたれに凭れ掛かった。


集めるだけ集めた抜け殻にはもう見向きもしないで、いや、むしろ見ないようにしながら、

木陰に惑う涼しいのか温いのかわからない風を肌に感じていた。

そうしていてもじっとりと汗が滲む不快感は相変わらず消えていなかったが。


今まではまったく誰もいなかった、この真昼の公園へと向かってくる影がふいに遠くでちらついて、

カカシは目を凝らして陽炎に歪む輪郭を認識しようとした。

ようやく見えてきたその「人物」は、文字どおり真っ黒なシルエットだった。


少しづつ大きくなるその人物の顔がようやく分かり、カカシは少し面喰らった。

その人物はカカシと同じくらいの年齢の少年だった。

背はそれ程大きくは無く、カカシよりも少し低いくらいだった。

ひょろりと細い姿は太陽の光とは隔絶されたような出で立ちだ。


額あて。黒の長袖のシャツ。黒の長ズボン。一般的な忍のサンダル。

その服装を見てみると、あまりにも真夏の太陽の下を歩くには不適切すぎる。

少年は、服とは正反対に肌には異様な白さをたたえ、しかも汗一つかいていない。

顔色はすこし青白く、目の下に刻まれた隈がいっそうその顔色を際立たせているようだった。

この場所を歩いている事自体なにかの幻のようだと思わせる。


「・・・ハヤテ?」


よく知った少年の名をようやく呟いて、カカシは驚いて立ち上がった。

その時、今まで忘れていた喉の渇きを急に思い出して少し声が掠れた。


「こんな所にいたのですか・・・?

 コホッコホッ・・・・・・「先生」が探していました・・・。」


少年らしい幼い声と少年らしからぬ丁寧な物言いが妙なくらい互いに溶け込んでいる気がした。

洩れ出る咳の為、手を口元に添えながら発した最後の言葉は少しくぐもって聴こえにくかった。

ただでさえ小さな声は蝉の声に掻き消されそうだ。


「・・・それがわかってたから此処にいたんだけどね。

 どうせろくな用事じゃ無いからいいんだよ。

 それよりハヤテ、顔色悪いよ。大丈夫?」


カカシの座るベンチの前に立つハヤテは、心配気なカカシの言葉に対して少し肩を竦ませる。

大丈夫だ、とでもいうかのような様子だった。

しかし、ハヤテのそんな仕種はまったくと言っていい程あてにならない。

ふらりとよろめいたハヤテはまるで今にも割れて粉々になりそうに見えた。


「体調悪い時に無理してふらふら歩き回んな、って、この間言ったところだろ・・・・・・。」


カカシは諌めるような口調でそう言いながら、倒れかけたハヤテを支えてやる。

その時、表情にこそ出さなかったが、カカシは酷く動揺していた。

支えられたハヤテは、カカシの腕を少し掴んだのだが、その手が異様に冷たかったのである。

石膏で出来たみたいに冷たくて、白くて、滑らかで、カカシは腕に触れる感触が正直少し怖かった。


何か漠然と 冷たい彼の手が怖く感じる。

実際の彼は身体が弱いわけでもなく、結構強かなのだが、

こういう時、カカシはとても彼が弱い者のように思えて仕方なかった。


すぐにハヤテはカカシを引き剥がして、自分の足でしっかりと地面に立った。

すいません、と一言呟いて、それはそれは何事も無かったように。

ふと、ハヤテはカカシの座っているベンチに目を向けて眉を顰めた。

カカシもその視線の先に気付いて、苦笑いをした。


「ああ、これ?蝉の抜け殻だよ。・・・見りゃあわかるだろうけど。」


「・・・・『ソレ』、・・・僕はあまり好きじゃ無いです・・・。」


ぽつりとハヤテの口からこぼれた言葉の意図が分からなくて、カカシは首を傾げた。

すると、ハヤテの黒耀石みたいな瞳がより黒く曇った。

真っ白な顔を伏せて、手を握りしめた。






「・・・・・    葬列 、  みたいだ   ・・・・・。」






苦々しく、吐き捨てるようにハヤテは空中に呟いた。

重苦しくて暑い空気が少し動いた気がした。

葬列、その言葉が耳にとてもよく染み付いた。

言葉の持つ深さは、図り知れない。




















「・・・カカシさん?」


突然背中に降ってきた声にはっとして顔をあげて振り向くと、

呆れ顔のハヤテが書類の束を持ってカカシの背後に立っていた。

その姿を見て、思い出したように現実の暑さと、蝉の声と、窓から僅かに降り注ぐ陽の光に気付いた。

それでもまだ少し夢現な気分が拭い切れず、カカシはちらっと自分の今いる部屋を見回した。

ここはアカデミー内にある会議専用の部屋で、たった今会議が終わった所であった。


「え?」


「え、じゃありませんよ。とっくに会議は終わりましたよ。
 貴方がぼーっとするなんて、珍しいですね。」


笑う事一つせず、彼はカカシに書類を差し出した。

先程まで見ていた夢、いや、過去の記憶よりも成長したハヤテの姿が、

不自然な程くっきりとカカシの目に映っている。

当然、同じ早さで成長した自分が、今ハヤテの漆黒の目に映っているのだろう。


「いや・・・。なんか昔の事思い出してて・・・。むしろ白昼夢、だったかな。」


「昔の事、ですか。」


「うん。」


カカシはそれ以上は何も言わずに、おもむろに席を立って窓際の壁に凭れ掛かった。

さらさらと色褪せた白いカーテンが揺れて、割れるような蝉の声は一層強まっていく。

短命な蝉達が命を削りながら大空に思いを馳せているかのように。

数えきれない蝉の数だけ、その抜け殻が何処かに置き去りにされたままになっている事だろう。

記憶の中で、あの時、幼かったハヤテが葬列のようだと形容した抜け殻の列がまだ記憶に縋り付いている。


「空蝉の葬列、か・・・・・。」


ぽつりと呟いた言葉は風と蝉の鳴き声に遮られてハヤテには聴こえなかった。


「カカシさん、そろそろ行きましょう。」


「そうだね。」


曖昧に返事をして、さっきからずっと差し出されたままになっていた書類をハヤテから受け取った。

その時、一瞬触れたハヤテの手はあの記憶と同じ冷たい石膏のような手だった。

カカシは何となく、彼が迷い続けている先の見えない何かの中で、

あの時も、今でさえも、未だに抜けだせず途方にくれているのかも知れないと思った。

彼の手を暖めてやる事くらい、自分にはできるのでは無かろうか、とも。


窓の遠くの方には陽炎が対流する水のように揺れていた。

蝉の声はどの夏も同じであろうと、あの記憶と同じ日はもう二度と来ない。




















end.


捨てられた抜け殻は

1週間後 最期の証明を為す

(02.4.20)


SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送