残酷な夜
「ハヤテ。」
ある夜、擦れ違い様にいつも顔色の悪い同僚の上忍に声をかけた。
月も登りきるかと言う時刻、これから出かける様子の忍に違和感を覚えた。
「今から任務か?」
「ええ、そうですよ。何です?いきなり。」
忍びにとって当たり前である事を尋ねるカカシに、ハヤテは少し不思議そうに聞き返した。
「んー、別に。何となく、ねェ。」
「そうですか・・・。」
暫しの沈黙がよぎる。何となくお互いに言葉を発するのを躊躇われたからかもしれない。
おかしくなる程ひたすらに丸い蜜月は冷たい銀色の光を窓の外から零していた。
その光が照らす為か、ハヤテの顔は昼間より尚一層青白い。
「カカシさんは、帰りですか?」
ゴホッゴホッと咳き込みながら、先に沈黙をやぶったのはハヤテの方だった。
青白い顔を、悟られないように見ていたカカシも、それに答えてようやく口を開く。
こういう顔は儚いと言うべきものなのかね・・・?などと思いながら。
「そ、もう遅いしね。ハヤテも、さっさと任務終わらせて帰れよ。」
普通にしてても具合悪そうなんだし、と心で付け足しながら、
普段の調子ではぐらかすような笑顔を浮かべる。それにつられてか、ハヤテも珍しくふっと表情を崩した。
「そのつもりですよ。」
それを聞いて、カカシは表情を変えずに、ハヤテには聞こえないように小さく呟く。
「・・・悪い夜にならなければいいがね・・・。」
いつもと違う夜風を感じ、不安感を押し込めていた。だからといって、それを理由に任務がなくなる訳でもない。
「それでは。」
カカシの思惑通り、呟いた言葉に気付かなかったハヤテは、短く断り、咳を繰り返しながら歩いて行こうとした。
「あー・・・・・・・・・。」
「・・・まだ何か?」
歯切れ悪く、曖昧に声を出しては頭を掻く仕種をしながら煮え切らない様子のカカシを気にして、
ハヤテはまた立ち止まり、振り返ってカカシの顔を見る。
次のカカシの言葉を待つようにじっとカカシの目を見て視線をはずさないハヤテに、苦笑しながら、
「結構・・・さぁ、危ない任務だったり、する?」
と、困ったような照れたような、しかしそれでも無表情な顔をしたカカシが言いにくそうに尋ねた。
その質問がさも意外だという顔をしたハヤテはゆっくりとカカシの質問に返答する。
「まぁ、上忍のする任務ですから」
其処で言葉を切ったものの、その後に続く言葉は同じく上忍であるカカシにもよくわかった。
危険でない任務なんてするはずがなかった。
それが、忍であるのだ。
その言葉の後、笑いを堪えるハヤテを見てカカシは少しムッとする。
「何で笑うんだよ・・・。」
「いえ、貴方にそういう事を聞かれるとは思いもよりませんでした。
しかし、忍の任務なんてそんなものですよ。」
「わかってる。でも、ちょっと今夜は嫌な予感がしてね。
ま、気を付けろって事だ。さっきのは忘れてくれればいい。」
片目だけで自嘲するように微笑みながら吐き捨てるように言う。
カカシも里では1、2を争う程の腕である。そんなベテランの上忍であるからこそハヤテの言う事は当たり前にわかっている。
忍とは里に利益をもたらす為の道具に過ぎない。己の命が惜しいような者に決して勤まるものではないのだ。
しかし、わかっていてもカカシは言わずにはいられなかった。
「ハヤテ、最後にもう一つ聞いていいか・・・?」
「はい、何でしょうか。」
喋る度に咳をしながらカカシの言葉の先を促す。
「死なないでくれ、」
予期していなかった言葉に驚き、目を見開くハヤテをカカシはジッと見た。
「・・・っていうのは、忍として失格だよな・・・。」
尋ねる、と言よりは念を押すような口調だった。さすがに自分の言った言葉に職業柄矛盾を感じたのか、
照れ隠しでもするように目を細める。まるで答えを求めているような感じではないなと、ハヤテは思った。
またしても訪れようとする沈黙を遮る為、ハヤテは苦々しく微笑む。
「そうかも、しれませんね・・・。
まぁ、貴方らしい言い方ですね。」
「ははは。でもま、死ぬなと言えるのも今のうちでしょ?」
さっきの真剣さとは打って変わって軽い口調でごまかすようにおどけてみせる。
全てをこの調子ではぐらかしているように感じられ、ハヤテは内心呆れていた。
(本当に、ごまかすのが上手いのか下手なのか分かりませんねぇ)
「少し、残酷かも知れませんが、こう思うんですよ。」
ん?と、下を向いて例の微笑を浮かべていたカカシはふと顔をあげる。
質問に答える為に口を開いていたハヤテの口調が、先刻とはちがい独り言を呟くような口調に変わった事に気付く。
「どうやっても、いずれ人は死ぬんです。
それが遅いか早いかであることしか、結局は違わないと思うのです。」
酷くその声音が寂しく聞こえた。饒舌に話し出したにもかかわらず消え入りそうな印象だった。
カカシは、その言葉を聞いてあまりにも昔に、忘れてしまった感情に似た思いを抱いた。
気が遠くなるような、悲しみとか痛みとか、そういう類いのものだったように思う。
まだこういう思いって残ってたんだな・・・と、カカシはぼんやりとする思考の中で考えていた。
暗くて見えないハヤテの少し俯いた顔がひどく穏やかに笑っていたように見えた。
「わかってるんだよ・・・いずれは、オレも、お前も・・・」
それ以上は声にならなかった。
上擦った声が、情けない程静かな空間全体に広がり、やがて余韻も残さずに消えていった。
そのきつく吐き出した言葉を聞いてか、困ったように咳き込みながら今度はハッキリとカカシの方を向いて微笑んでいた。
そして、今度こそ任務に行く為、別れの言葉を発した。
「・・・では、また会いましょう。
お互いに
生きていたならば。」
コツッコツッコツッ。
と、ハヤテの足音がカカシの耳を通り過ぎ、やがて小さくなり、聞こえなくなる。
静まり返る中、依然と立ち尽くしていたカカシは、俯いて、呻くような声で吐き捨てた。
「チッ・・・苛々するよ、まったく。」
ああ、願わくば、
どうか、生きていて下さい。
小さな声が冷たい透き通るような夜の空気に散乱し、消えていく。
立ち去る直前に、カカシの頬に透明な液体が僅かに流れたのは、
まさしく幻のような一瞬の事だった。
全てを吸い込むように、傾き始める蜜月はただ銀色の光だけを注ぎ続けていた。
異常な程、
馬鹿みたいに綺麗な夜だった。
そしてただ、
余りにも残酷に夜は明けていった。
fin.
(01.9.20)
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