薄荷の空へ 金色の鼓動を捧ぐ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やぁ、こんにちは、ヤマトさん。」

 

ひょいと片手を上げてにこやかに声を掛ければ、建物を出て行こうとするヤマトがこちらに気付き、ふと足を止めて振り返った。

階段の途中に居た私はそのままこつこつと不規則な足取りで其れを下りきって、扉の脇で私を待っているヤマトに近付いて行った。

 

彼に追いついた所でそのまま一緒に建物を出ると、私達は何となく連れ立って歩き出した。

どうやら彼はこれから何処かに向かうのではなく、用事を終えて出て行こうとする所だったようで、

さして急ぐ素振りも見せぬまま、相変わらずのんびりと歩を進める私のペースに合わせてくれる。

 

「その恰好、…もう出発するのかい?」

 

私の背中に揺られている、よく使い込まれた木製の薬箱と、手にした黒檀の杖にさっと視線を走らせて、

確認でもするように改めてヤマトがそう問うた。

 

「ええ、そうなんですよ。

 此処へは、最後に火影様に御挨拶してからーと思いましてね。」

 

彼は、そっか、と薄く微笑んだ。

 

彼は別段表情に乏しい訳では無く、むしろ実際は割と表情豊かでさえあるのだが、

私には不思議と其れが時々変化に乏しいものに見えることがあった。

「眼は口程に物を云う」とはよく云うが、彼の場合、心を覆い隠すことに慣れたその闇色の真直ぐな眼が、

彼の感情を見えにくくしている原因であるかのように見受けられるのだった。

 

そして、それでも尚濁る事の無い純粋な闇色こそが、彼を彼たらしめているのだろうと考えて、私は何だか少し嬉しくなるのだ。

濁らず、揺るがず、儚くも強い存在は、それだけでとてもうつくしい。

其れは私が選んだ道とは決して交差しない所に在るものだけれど、だからこそ手を伸べて、すこしだけ触れてみたくなるのだろう。

 

 

 

「里に寄るのは正直面倒だなぁと思ってましたけど、

 久し振りに此処へ立ち寄るのも、案外なかなか悪くなかったです。」

 

「それはよかった。」

 

「ヤマトさんはほんとのところ、私が里に戻ればいいと思ってます?」

 

「…そりゃあ、が忍として復帰してくれれば里としては助かるだろうけど。

 ボクがそうしてくれと云った所で、君はどうせ断るんだろう?」

 

「そーですねぇ、即答で断るでしょうねー。」

 

「…わかってるんなら聞かないでくれる?」

 

「ふふ、わかってるからこそ聞いてみたくなったんですよー。」

 

春を呼ぶ風が緩やかに陽の温もりを運んでくる。

温もりの甘さに頬を緩めて、旅路を急かす鼓動を宥めながらゆっくりと歩みを繰り返した。

呆れた顔をするヤマトを横目に見て、上機嫌に杖先をゆらゆらさせながら。

 

 

 

里を出るには普通なら正門を潜る所だが、私は敢えて正門ではなく、演習場が点在している東の森を突っ切って行く道を選んだ。

其れを伝えるとヤマトは何故敢えてそんな所を通るのかと少し顔を顰めたけれど、

何となく森の中を歩いて真直ぐ行ってみたくなったから、との私の答えに脱力していた。

 

そうだね、君はそういうひとだったね、と、彼はやがて諦めに似た納得と共に頷き、

さりげなく私をそのまま里の外れまで見送りに来てくれた。

 

「折角里に立ち寄ったから、家族のお墓参りなんてのもしてみたんですけど、

 空っぽのお墓に祈るのも、何だかナンセンスな気がしてきちゃって。」

 

「普通は、墓があること其れ自体に、既に意味があるものなんじゃないのかな。」

 

「そうかもしれませんね。でも私には、其れはわざわざ里に戻ってくる理由にはならないかなぁ。」

 

私はぼんやりと首を傾げながらそう云ったが、ヤマトはその言葉の意味するところを理解し損ねたらしく、

沈黙を以て私の言葉の続きを促した。私はそれにふっと微笑んで応じる。

 

「私には此処を訪れる理由も義務も、何にも無い訳なんですよ。」

 

「そう…。」

 

「でも、もう此処には来ないだろうって云った言葉は訂正できますよー。」

 

「…どういう意味?」

 

深い木々に覆われた里の東の外れ、広い演習場を囲う金網の傍で立ち止まり、私はゆっくりとヤマトを見上げてにぃと微笑む。

彼が何を考え、何を思い、何を願い、何を望むのか、そんなことは結局の所私の知った事ではない。

彼が口にして云わない限りは私に他者の心の機微を悟る事など到底出来やしないのだから。

 

けれど私は、私がそうしたいと思う事を、彼に伝えることだけなら出来る。

 

 

「此の里は私の帰るところじゃありません。旅が私の終のすみかだから。

 だけど、ヤマトさんがまた私に会いたいとおもってくれるなら、

 貴方に会うためにまた此処に立ち寄れる。」

 

 

ヤマトは少し眼を見張り、瞬くことさえ躊躇うように私を真直ぐに見つめた。

 

 

私が里を終の住処とする事は決して無いし、捨てた故郷を家と呼ぶ事は決して無いだろう。

けれど、旅の上で出会った良き人々は、私のわがままな自由と、人間であるが故のさいわいを結ぶ、縁となる。

 

一期一会と云うのも本当のことだけれど、

もしまた会えるのなら、会いに行けるなら、それもまた、私の「旅」になるだろう。

 

 

「どうしようかなぁ。」

 

僅かに首を傾げた私を、ヤマトは不意に抱き寄せた。

背負った薬箱が邪魔をするものだから、彼は私の頭と肩をぎゅうと押さえ付けるように自分の方に引き寄せる。

其の何とも締まらない仕草が可笑しくて可愛くて、私は彼の肩に額を寄せながら軽やかな笑い声を上げた。

 

「…わかってるなら、そんなこと、聞かないでくれよ、」

 

耳元に降る掠れた声の愛おしく。

私は彼のあたたかな鼓動に少しでも近付こうとするかの様に、両腕を回し、きつくきつく其の身体を抱き締めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

fin.

 

(10.4.21)

 

 

 

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