薄荷の空へ 金色の鼓動を捧ぐ
数時間後、私はサクラ、カカシと共にとある甘味処に来ていた。
テーブルに置かれたお茶とみたらし団子を乗せた小皿を脇に退け、ぐったりと突っ伏してうぅと唸れば、
カカシが暢気に笑い、サクラには果てしない苦笑いを向けられる。
「いやはや、カカシさんはひと事だと思って笑いますがね、
綱手様怖かったんですよーほんと死ぬかと思いました…。
わたし死ぬなら旅の途中の誰にも見つからない場所でひっそりと、って決めているのにー。」
だらしなく机に凭れ掛かったままお茶を啜ろうとしたが、熱過ぎて猫舌の私にはまだ飲めそうにない。
そっと湯呑みをテーブルに戻しつつはぁと溜め息を吐く。
「ま、そんな寂しい死に方は止めときなさいね。」
「論点は其処じゃないですぜ、お兄サン。」
ぐったりしつつもカカシに突っ込みを入れる事だけは忘れない。
どうして私がこんなに疲弊しているのかと云うと、話は数時間前、ヤマトと別れた後に遡る。
呼ばれるがままに昨日の今日で再び五代目火影、綱手姫と対面を果たした私は、
昨日と同じように机越しに彼女と向かい合いながら、また同じ文句が繰り返されるのをほとんど上の空で聞き流していた。
もちろん聞いているポーズくらいは取っていたのだが、それはもう本当に全く以てボーズだけでしかなく、
実際は心此処にあらず、やはり今後の旅の行き先の事ばかりを考えて、意識を何処へとも無くうろうろさせていたのだった。
流石に生返事さえ返ってこなくなって来た私に、とうとう綱手が堪忍袋の緒を引き千切り、
話くらい真面目に聞け、と怒鳴られたのだった。其の剣幕たるや、想像を絶する迫力である。
しかし、私は少々びびりつつ、それでもへらりと笑って一向に彼女の話に取り合わなかった。
使い勝手の良い人材を何とか獲得しようと粘る綱手と、全くやる気がない私とで繰り広げられたナンセンスな攻防。
奇しくも、結局は数年前に里を出た時と同じく、私が無理矢理押し切る形で決着が着いたのだった。
何とか一応の結論が下された所に丁度いいタイミングでサクラが綱手の元を訪れたので、
彼女の退室にそそくさと便乗して、私もようやく火影の執務室を出る事が出来たのだった。
そんな経緯を経て、疲れたときは甘いもの、と云う定理に従ってサクラとそのまま甘味をご一緒する事と相成り、
其の途中出会ったカカシが勝手に着いて来たと云う訳だ。
「…そっか、それじゃあ、さん、もうすぐ此処を出て行っちゃうんですね。」
少し寂しそうな顔をするサクラが可愛いかったので、よしよしと手を伸ばして彼女の頭を撫でてみる。
やっぱり女の子はかわいくていいですねぇとおっさんのような事をへらりと笑いながら呟くと、
カカシが小さく鼻で笑ったのが聞こえたので、取り敢えず手近にあった団子の串を彼の手元に投げつける。
タンッ、と綺麗にテーブルに突き刺さった串を見てサクラがドン引きしていたが、其処は見なかった事にして、
ようやく飲める温度になってきたお茶を一口飲み込み、何事も無かったかのように間延びした口調で話を続ける事にした。
「そうですねー、流石に今日出発、とかはしないけど、数日中には此処を発つつもりですよ。
旅が私を呼んでいるー、なんちゃって。」
「…ま、別にが決めた事に口挟むつもりはないけどサ。
それにしたって、なんでそこまで頑なに嫌がるの?
昔はそんなに嫌々忍やってるようには見えなかったけどねー。」
「ああ、それヤマトさんにも同じ事云われましたよー。
何回も同じ事云うのもヤなんですけどねぇ…忍に向いてない、ただそれだけの話なのになぁ。」
カカシと二人してだるそうにそんな遣り取りをするのを窺いながら、サクラが物問いた気な眼をしているのに気付く。
聞きたい事はいろいろあるのだろう。けれど其処迄踏み込んでも良いものかを逡巡している。
此の子は本当にいい子だな、と、私は少し穏やかな気持ちで、濁り無き眼をした少女に向かって微笑んでみせた。
「サクラさん、貴方には、此れだけは何があっても譲れない!って事とかありますかー。」
「え?………そう、ですね。
あります、譲れないもの。」
唐突な私の問いに彼女は一瞬きょとんとした表情をしたが、少し考えた後、強い光を宿した眼ではっきりと頷いた。
其の眼が少しだけ綱手の眼に似ているような気がして、私は笑みを深くする。
「そういうことなんだ。
私にも譲れないものがあるのね。だから忍にはならない。旅に生きて、旅に死ぬ。
ものごとの本質なんて、ほんとはとても単純なことなんだよー。」
私の云いたいことわかるかな、と首を傾げれば、サクラはまだ少し戸惑うように瞬いていたが、
なんとなく分かるような気がする、と静かに頷いて微笑んだ。
旅をすることは楽しいだけではないし、辛い事や大変な思いをする事だってある、
けれど、初めて自由を手に旅へ出た時の感動は、今でもあの日見上げた薄荷色の空と共に、鮮やかに心に刻み付けられている。
私にとって自由である事こそ生きる事。旅をする事は、生きる事そのものなのだ。
世界は広い。
そんな事さえ知らずに、舗装された一つの道しか歩けないと思い込んでいた自分が馬鹿みたいで、
道無き道をあるがままに進みながら、私はじわりと滲むように笑みをこぼしていた。
もうずっと自分が笑うことさえ忘れていた事に気付く。
ふと天を仰いだその先に、ようやっと本物の空を見たような気さえしていた。
「ほんとーに、世界は広いですよねぇ。」
ふふ、と笑う私を見て、カカシもまた呆れたように笑った。
「その広い世界を旅するのもいいけど、たまには里にも帰っておいでね。
ヤマトが寂しがるだろーからねぇ。」
「うん?」
「だってホラ、あいつ、に帰って来て欲しそーにしてたじゃない?
が忍辞めた時も、里を出て行っちゃった時も、結構お前の事気にしてたみたいだし、ネ。」
「でもそれってー…」
「えっ、ヤマト隊長って、そうなんだ!?そうなんだ!!きゃー!」
「…えー、どうなんだ、なんなんだ? 全く話について行けないよーきゃー」
んー、と彼の言動を思い起こしながらカカシに云い掛けた言葉は、突然上げられたサクラの弾んだ声音に掻き消されてしまった。
にやにやと両手を口元に添えながら何だかとっても乙女な雰囲気を醸し出し始めた少女のテンションに着いて行けず、
そんな彼女の台詞をもじって一応疑問を提示してみた。棒読みはご愛嬌である。
「えーでも、"そう"なんじゃないのー?」
「そりゃ本人に聞いてくださいよー。
でも何か、それについては責任みたいなものを感じてたみたいですよー?
ほんと真面目な人ですよねー。まぁ、当の本人はこんないい加減だった訳だけど。」
「あ、自覚はあるんだ?」
「カカシさんと同じくねー。」
飄々と微笑んで混ぜっ返してくるカカシに向かって、にやりとしながら湯呑みを持ったままの手で彼に人差し指を突き付ける。
同僚だった頃は、正直なところ、やたら絡んで来る鬱陶しい人だと思っていたけれど、
こんなふうに軽口も叩けるようになった今なら、戯れ言を投げ合うのも悪くない。
「…なんか、さんって、ノリがカカシ先生とちょっと似てるかも。」
「はは!全っ然嬉しくないねぇ。」
不名誉なその二度目の評価に手をはたはたと振っていると、俺はここまでマイペースじゃなーいよ、とカカシが肩を竦めた。
そんな彼に、私はこんなに胡散臭くないよ、と返して、とうとう私は我慢し切れずにくつくつと顔を伏せて笑い出す。
旅と旅の隙間、こんな小さな一時たちは、何処迄も穏やかに私の頬を撫でてくれる。
けれど其の穏やかさは、より一層私を次の旅路へと、待ち切れないとでも云うかのように忙しなく誘ってくるのだ。
あの青い草と暖かい土の香りに満ちた、薄荷色の空の下へ。
(10.4.21)
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