薄荷の空へ 金色の鼓動を捧ぐ
翌朝、いつものように朝早くに眼を覚ました私は、手早く身形を整えて宿を出た。
仕込み刀である杖を持って行こうかどうかほんの一瞬だけ躊躇したが、里内を歩くだけなら必要ないだろうと置いて行くことにした。
もちろん護身用の武器は身に付けているが、それだってただの習慣であって、特に何かを心配しての事ではない。
旅路に於いては自分の身を護れるのは自分だけ、と云うのが鉄則である。
其の為の刀であり、けれど無駄ないざこざに巻き込まれぬ為の、杖の形態をとった仕込み刀。
山道を歩くに杖があれば楽だし、一石二鳥な訳だ。
忍をしていた為に習い性となったそういう備えは、旅をする際にも多いに役立つ。
ともかくも、私は身軽な恰好で以て、朝の里を目的地に向かって軽やかに進んで行く。
山中の緑の香り満ちる清々しい空気も好きだが、こういった人里の空気も嫌いではない。
ちらほらとシャッターが開き始めている商店街の一角、やまなか花店と云う看板を見つけて、ふらりと中へ入って行った。
「いらっしゃいませー!」
店内に足を踏み入れた途端、蜂蜜色の髪をした若い女性店員が愛想良く声を上げる。
見た所、サクラとあまり変わらないくらいの少女だ。
その綺麗な営業スマイルに愛想笑いをへらりと返して、白い花をいくつか見繕ってくれと頼む。
「プレゼントですか?」
「いいえーお墓参りですよー。」
てきぱきと花を選び出し、慣れた手付きで綺麗な花束を作っていく彼女の手元を興味深く観察しながら、簡単な世間話をする。
人懐っこい彼女のペースに巻き込まれるようにだらだらと話をしている内に、ふと首を傾げられる。
「あのー、もしかして、さん、ですか?」
おや、と多少怪訝に思いながらも曖昧に肯定すれば、あーやっぱりー!と彼女は如何にも納得したと云う風情で微笑む。
浅葱色の眼を細めて彼女が楽しそうな顔をする理由が分かりかねて、今度は私が首を傾げる羽目になった。
「あ、ごめんなさい、私、サクラの友達で、いのって云います。
昨日偶然サクラに会って、さんの話を聞いたとこだったんですよー。」
まさか昨日の今日で本人に会えるとは思ってなかったなー、と、いのと名乗る少女は華やかに笑う。
サクラとはまた違った雰囲気で魅力的な少女であるなぁと笑みを返しつつも、内心では少々厭な予感がして仕方が無かった。
彼女達には他意も作為も無いのだろうが、此れは早い内にさっさと里を発った方が良さそうだと思う。
「ありがとうございましたー!また是非来て下さいねっ。」
お喋りもそこそこに切り上げると、出来上がった白いシンプルな花束を携え、
少し苦笑いでいのに手を振り返しながら私はそろりと店を出た。
里外れにある広い墓所は、木々と塀と静寂によって囲まれていた。
家のお墓はどの辺だったかなぁなんていい加減な思考をくるりと掻き混ぜながら、整然と並び立つ小さな墓碑の間を縫って歩く。
朧げな記憶を頼りに其れらに刻まれた名前を辿りながらも、
不謹慎かもしれないが、何だか墓参りなんて行為をしている自分が馬鹿馬鹿しく思えてきてしまう。
弔いとは、死者の為ではなく残された生者の為のもの。
遺族が気持ちの整理を付け、名残を惜しみ、祈りを捧げる事によって自らのかなしき心を慰めるためのものだ。
そう云う意味では確かに此処は必要とされるべき場所と云えるけれど、私には此の並ぶ石達が空虚に見えて仕方が無いのだ。
結局忍と云う生き物の末路は、皆も承知している通り何一つ残らぬ空白。
故人の骨の一片さえ、髪の一筋さえ収めぬ墓に一体何を祈ればいい。
空白に祈って、どうしてそれで心が慰められようか。
胸の空洞が広がるばかりで虚しさを思うのは、きっと私だけではないのだろうけれど。
論じても意味の無い事ばかりをつい考えてしまうのは、昔からの私の癖であるが、
こと忍を辞めてからこっち、そんな忍と云う生業の非情さと無情さを思わずにはいられない。
私は此の里に生まれた人間の多くの例に漏れず、家族や親族のほとんどが忍の仕事に就いていた。
其の結果、当たり前のように幼い頃から忍になるべく教えを受け、私も何の疑問も持たずにアカデミーに通ったものだった。
けれど、私を取り囲む人達と此の里が世界の全てだ、と云う考えが思い込みであることに気付き始めた頃、
次第に私の中で矛盾がむくむくと黒い靄となって首を擡げて来る。
ただ、疑問を持つのが少し遅過ぎた。
気付けば私は既に下忍として仕事をこなし、其れが自分の義務であると云う考えが染み付いてしまっていた。
徐々に感情を殺すことばかりに気を取られ、人付き合いが悪くなって行く。
やがて家族達が鬼籍に入り、中忍になる頃には、私は精神的にも実質的にも孤独になっていた。
存在に関する齟齬はますます大きくなるばかりで、どうにもならないままに、気付けば上忍になり、
そうして最後には、拒否と云う選択肢さえ知らぬまま、暗部への配属が決定されたのだった。
ヤマトは私が怪我の為に仕方なく忍を辞めたものと思っていたらしいが、
あの血に塗れた任務は、私にとっては救いですらあった事など、きっと彼には思いもよらなかったに違いない。
昨日私に向かって見当外れな謝罪をしてくれたヤマトの真摯な表情を思い出し、私はくすりと笑みをこぼす。
まるで其の優しさは緩慢な淡い毒のようで、血に溶けて身体を巡っては私の記憶に爪を立てる。
最後の任務の時には、彼のそんな性質や気性など知る由もなかったものを、今更になって知ろうとは何とも可笑しな話ではなかろうか。
笑みを押し殺しながらようやく家族の墓碑を探し当て、足を止める。
けれどただ其の墓前に花束を無造作に手向け、祈る事さえしないでそのまま通り過ぎては私は早々に墓所を出たのだった。
やっぱり、あんな空っぽの墓には、私の愛した人達は居やしないだろうと思った。
弔いなら私の胸の内、記憶の中にあるから、きっとそれで十分だから。
さて、と私は気持ちを入れ替えて、心はもう次の旅の行く先へと向かっていた。
此の里はもう十分に懐かしんだし、忍に戻るつもりも無いし、薬師として商うべき用事もないし、懐にはまだ余裕が有る。
そうなれば次はあの国のあの街へ行き、その途中であの山に寄ってあの薬草を採って、
なんて考えつつ、気も漫ろに、けれど足は勝手に動いて宿へと向かってくれる。
旅を始めてから、考え事をしながら歩くのが得意になったと行っても、きっと誰も褒めてはくれないだろうけれど。
心此処にあらずな状態で意識を遠い異国へ飛ばしていると、突然大きな手に軽く肩を引っ張られて我に返る。
ああ驚いた、と呟きながら、私の肩を掴む其の手の先を見遣れば、呆れた顔をしたヤマトが其処に立っていた。
「おや、どうしました。にゃんこさんもといヤマトさん。」
「どうしましたじゃないよ、。
さっきからずっと呼んでたんだけど、もしかして気付いてなかったのかい?」
全く気付いていなかった訳だが、其れを全面的に肯定するのは躊躇われる程度にはじっとりとした視線を向けられ、
私はとりあえず適当な愛想笑いを浮かべて誤魔化す事にした。
「火影様が、呼び出し掛けてもちっとも来やしない、って大層ご立腹だよ。」
「…呼び出し?」
「…鳥、見なかったのかい?」
思わずたっぷり3秒程、眼を見合わせたまま二人してフリーズする。
其の直後、私は思わず噴き出した。
「鳥って、鳥って…いや確かに鳥…ああ…飛んでたかもしれませんねぇー鳥さん。」
ヤマトがえも言われぬ表情をしているのを横目に、けれど私はつい笑いを堪え切れなかった。
そう、鳥。火影が忍の招集や緊急連絡に使う知らせの鳥だ。
其れを確認したら忍達は即座に火影の元に集まるようになっている。
だが。
「やだなぁもう火影様ったら。
私が忍者辞めて何年経ったと思ってるんですかー。
今はもうすっかり一般人な私が、そんなの気付く訳ないじゃないですか。」
「…それ、火影様には云わない方がいいよ。」
「それで、何時迄経っても私来ないから、貴方が呼びに来たんですか?
うわーご苦労様ですーあはっ。」
「全く…。」
ヤマトは私にはもう何を云っても徒労に終わると悟り、代わりに心底溜め息を吐いた。
気を取り直した彼と共にのんびりと歩き出せば、宿に行っても蛻の殻だし、どこに行ってたんだ、と問われる。
「ああ、一応家族のお墓参りしてたんですよ。
どうせもう此処に来る事もそうそう無いからと思いましてねー。」
「…火影様の要請、やっぱり断るのかい?」
「昨日、もう既に断ってますけど。
やっぱり此の呼び出し、其れ関係の話なんでしょうねー。
面倒だからこのままスルーしてとっとと出発しちゃおうかなぁ…。」
「させると思う?」
云いながらそっと真顔で木遁の印を組まんとする、ヤマトのそんなやや物騒な脅しを気にもせず、私はへらっと笑った。
「優しーいヤマトさんならきっとそうしてくれると、わたし、信じてるっ」
棒読みの台詞で戯けてみせつつ、もちろん本気でそんなことをしようと思っている訳では無い。
逃げた方がより面倒な事になることくらい分かっているし、其の前に、即座にヤマトお得意の木遁で拘束かまされるのがおちだ。
質が悪いのと頼りになるのとは紙一重。ヤマトにしろ綱手にしろ、やると云ったら本気でやっちゃうタイプの人間だ。
「まぁそれは冗談としても。
私はただ旅に生きて旅に死ぬ、そんな気侭な性分だから、どれだけ言葉を重ねたって、ナンセンスなのになぁ。」
「まぁ、それだけ里の人手不足も深刻だってことだよ。
火影様の気持ちも汲んであげてくれないかな。」
「うふふ、彼女の気持ちを汲んでも、私の気持ちは汲んでもらえないのでしょう?」
にぃ、と笑み含ませてそう呟けば、ヤマトは少し言葉に詰まり、きゅっと眉根を寄せる。
口を開きかけた彼を遮るように、私は次の言葉を発して、少し困ったようにへらりと笑う。
「ごめんなさい、今のはちょっと意地悪でしたねぇ。
あんまり気にしないで下さいねー。」
そんな軽い態度で、煙に巻くように零した言葉を打ち消し、間髪入れずに違う話題を振れば、
ヤマトもまた何も無かった事にしようとするそれに不承不承ながら応じてくれた。
適度に狡くて聡い大人は付き合いやすくて好きよ、なんて考える私も、十分に狡い大人であった。
「…ねぇ、。君は昨日、怪我の事が無くても遅かれ早かれ忍を辞めていただろう、と云っていたよね。」
私の発言をそのまま確認して来る辺り、何となくヤマトの次の言葉が予想できたけれど、
敢えて自分から其の台詞を暴こうとはせず、私は問われた事だけにのんびりと返事をした。
「そですねー。」
「昨日は其処迄気が回らなかったから聞きそびれちゃったんだけど。
なら、どうして辞めたの、って聞いたら、君は答えてくれる?」
「もちろん。」
「じゃあ、どうして。」
「簡単なことです、ただ私が忍者に向いてなかったからですよー。」
表情も無く淡々と問いを繰り返すヤマトと、ゆるく微笑みながら単純に答えを返す私。
端から見れば何とも奇妙な二人であろうが、本人達はそんなことは気にも留めていなかった。
そうしてヤマトは最後の私の返事に、其処が分からない、とでも云いた気に首を振った。
「悪いけど、ボクはそうは思わないよ。
確かにちょっと危なっかしい所もあったけど、あの事が無ければ、君はきっと暗部としても十分やっていけたと今でも思っている。
………利き腕のリハビリ、わざと受けなかったって聞いたけど…。」
ぽつりと付け足すように呟かれた最後の言葉を、私は否定しなかった。
「つまりね、それが答えですよ。」
腕を犠牲にしてでも、なんて云う程、強い意味合いは無いけれど、確かに其の事実は答えとなり得るものだった。
渋る三代目と、それでも食い下がった私とで、無理矢理に折り合いをつけたその顛末を知っているのは、今となってはもう私だけだ。
「…、君は忍が嫌いかい?」
「私、ヤマトさんのこと好きですよ。」
そう切り返しながらにっこりと笑ってみせたら、ヤマトは鳩が豆鉄砲を37発程食らったような顔をして、急に立ち止まった。
複雑な顔をして固まる彼に向かって振り返ることなく片手をひらひらと振りながら、私はそのまま彼を置き去りにして歩いて行った。
ああ、どうしたものか、ついつい口元が緩んでしまう。
私の台詞が冗談か本気か、意味が深いか浅いかはきっとどうだっていいことだ。
兎も角も、そんなヤマトの反応が微笑ましくてしょうがないのであった。
(10.4.21)
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