薄荷の空へ 金色の鼓動を捧ぐ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

宿に着いた所でヤマトと別れた後、滞り無く手配を済ませた私は、カカシとの約定通り宿を出た其の足で火影の元へと向かう。

面倒事は早い内にさっさと済ませておくに限るとばかりに、荷を降ろして身軽になった足取りをてってっと弾ませながら闊歩する。

 

そう云えばあの建物がごっそり無くなっているとか、辛うじてあの家は当時のままだなとか、

変わったり変わらなかったりする街並を横目に観察していく。

時々更地のままの場所が残るのを見ると少し遣り切れなくなるけれど、概ね私は微笑を浮かべたままに歩調は乱れない。

懐かしい故郷としてではなく、偶々此の里に立ち寄った旅の薬師、と云う肩書きは私にとって最早不動のものなのだ。

 

いくらかの里人と擦れ違ったが、記憶に在る限りでは、見知った人は見掛けなかった。

木の葉崩しと呼ばれた争乱の折、一体どれ程の人間が命を落としたのか迄は、私は知らない。

けれど、私の知る者全てが無事である、と云う事はまず無いことくらいは察しがつく。

 

両親や親戚はとうの昔に鬼籍の人となっているので、その辺りを心配する必要が無かったのは、果たして幸か、不幸か。

そんな考えに苦笑をこぼし、予定外に里へ立ち寄ったついでだ、明日にでも家族の墓参りをしておこうとの算段を立てた。

 

ああ、あの建物だ。

角を曲がった先に聳え立っていた其の古めかしい建物は、どうやら数年前とそう変わっていない様子だった。

しかし、此処迄来ておいてなんだが、結局私は一体何だと云って五代目にお会いすれば良かろうな、とまだ首を傾げていた。

まぁカカシに挨拶するように云われたと告げて、全部彼になすりつけてしまおうとなかなかに狡いことを考えつつ。

 

 

 

 

 

 

「お初に御眼に掛かります、わたくし、偶然こちらの里に立ち寄らせて頂きました旅の薬師、と申す者。

 綱手様におかれましては、此度の五代目火影就任の儀、誠に祝着至極に存じまする。」

 

火影の執務室に入るなり、やけに芝居掛かった有り様で恭しく拱手しながら慇懃な迄の言祝ぎを述べた私を、

五代目火影であらせられる綱手姫は、それはもう、心底胡散臭い者を見る眼で、私をまじまじと見遣り、盛大に頬を引き攣らせていた。

 

忍者から薬師にジョブチェンジして久しい私は、今や立派な一商人である。

此の手の仰々しい口上にはもう慣れたものだ。

そんな次第で、敢えて空気を読まないことにした私がにっこりと微笑んで顔を上げれば、

其処には伝説の三忍の一人と、ぽかんとした顔をして立ち尽くす二人のくの一の姿があった。

 

一人は小さな豚を抱き締めた黒髪の女性で、重厚な机に肘を付いて椅子に腰掛けた綱手の後ろに控えている。

もう一人は、薄紅色の髪が美しい、まだ歳若い少女だった。

彼女は机の手前に立っており、私を振り返り見て少し訝し気な顔をして、困惑混じりに眉根を寄せていた。

 

はぁ、と額に手を宛てながら思いっきり顔を顰めて溜め息を吐いたのは、やはりと云うか、綱手であった。

其の微妙な表情から、彼女の元へと任務の報告に参上したカカシが、多少なりとも私の事を取り次いでおいてくれたらしいと察する。

最も、どんな取り次ぎ方をしたかは知らないが。

…ろくな説明をしていないだろう事は殆ど確信できてしまうあたり、本当、あのひとってどうかと思う。

 

「カカシから聞いてはいたが…。

 確かに、かなり癖のある奴のようだな、。」

 

「うふふ、お褒めに預かり光栄です。」

 

笑みを崩さぬままにそう飄々と返せば、改めて私の方へ向き直っていた薄紅色の髪の少女が、

はっとしたように綱手に視線を向けた。

 

「師匠、じゃあ此の人がカカシ先生の云ってた、

 暗部にも居た事があるっていう、凄腕の元忍者の方なんですか!?」

 

…。

一瞬、カカシ許すまじ、と思ってしまった私に非は無いと思うのだ。

これでもかと加えられた嘘ばっかりな誇張表現が私的には非常に聞き捨てならなかったのだが、

微妙な顔をした私を他所に、綱手はあっさりと少女に肯定を返してくださった。

 

そうしてその強い眼差しで真直ぐに見据えられた時、確かに此の人は五代目火影に相応しい方だな、と、

その圧倒的な存在感を放つ苛烈な迄の琥珀色の瞳に、背筋が伸びる思いがした。

(ただ、あの、どうしても、顔よりもその豊かな胸元に眼がいってしまう、と云うことに関しては、どうか察して欲しい。)

 

「…カカシさんがどんないい加減な説明をしていってくれたのかは、よぅく分かりましたよ…。」

 

思い切り苦笑して肩を竦めてみせれば、少女は私をきょとんとした顔で見つめて小首を傾げていた。

可愛らしい女の子だなぁと思い、私は彼女を見つめ返してにこりと愛想笑いをする。

 

、と綱手が凛とした声で私の名を呼んで、机に両肘を着き、ゆっくりと口元で指を組む。

私もまた彼女の強い眼へとまっすぐに視線を合わせて、次の言葉を待った。

何となく、厭な予感をひしひしと感じながら。

 

「単刀直入に云う。

 、お前、もう一度木の葉に戻って来る気は無いか。」

 

「綱手様…、」

 

本当に直球な彼女の其の言葉に少し面食らう。

何事か云い掛けた黒髪の女性を片手をあげる事で遮り、目線は未だ私を真直ぐに貫いていた。

 

「お前が刀を扱う事も、その利き腕に怪我の後遺症が残っている事も承知している。

 だが、それはリハビリと訓練次第でどうにかなるはずだ、違うか?」

 

「火影様、私は…」

 

「まぁ待て、ともかく話を最後迄聞け!

 お前も知っての通り、木の葉崩しの一件以来、里は常に人手不足なんだ。

 まだ片の付いていない諸々の問題もあり、使える人材があるなら一人でも多く欲しいと云うのが実状だ。

 …何、一生を里で過ごせと云ってる訳じゃないさ、一時的にでいい、少しの間任務を手伝って欲しいだけだ。

 暗部に在籍した事がある程の実力を持つお前なら、多少のブランクなど問題ではないだろう?

 カカシからも、まだまだ忍として十分すぎる程に通用するレベルだと報告を受けているしな。」

 

表情無くぼぅっと綱手の話を聞いていた私は、きゅう、と緩やかに唇で弧を描く。

 

「私は、ただの旅の薬師ですから。」

 

彼女があけすけな迄の言葉を幾ら重ねたとて、それでも私の出す結論が変わる事はない。

あくまでも其の姿勢を崩さぬ様子に眉根を寄せた綱手に、私はただ穏やかに微笑むばかりでそれ以上口を開こうとはしなかった。

 

 

 

とにかくもう一度よく考えてみてくれ、と云って彼女は私を解放し、はいともいいえとも云わぬまま、私は火影の執務室を出た。

さて帰ろうかと廊下を歩いていると、後ろから軽い足音と共に私を追い掛けて来た先程の少女に声を掛けられた。

 

彼女は「春野サクラ」と云う名の中忍で、綱手に師事して医療忍術の修行中の身であるらしい。

そんなサクラが少し頬を染めてはにかみながら、私とお話がしてみたい、と、

何とも可愛らしい事を云ってくれるものだから、微笑ましさのあまりついつい頷いてしまった。

翡翠色の瞳をくるくると瞬かせながら、次々と質問が投げ掛けられてくるのには少し困ってしまったが。

 

「あぁ、あのね、カカシさんがどんな無茶振りしたのか知らないけど、私は別に凄腕でもなんでもないのですよ。」

 

まぁ落ち着いてくれと彼女の言葉を制し、私は取り敢えず、此処だけは訂正しておかねば、と云う所から切り出すことにした。

カカシがいらんことを吹き込んでくれたせいで散々だ。

力なく苦笑する私を他所に、でも暗部に所属していたんですよね、と返される。

 

「確かに暗部にいた事があるのは事実だけど…。

 でも実際に所属してたのは、ほんの二ヶ月にも満たない短い間だけだったし。

 しかも、あまり優秀じゃなかったからこそ、怪我してすぐ辞めちゃった訳だしねぇ。」

 

「そうだったんですか…。

 でも、期間はともかく、暗部に推薦されるだけでも、それってとってもすごい事ですよ!」

 

そう云って綺麗に笑う何の衒いもない彼女の純粋な様相に、うっ、と少々腰が引けてしまう。

こんな純粋培養な忍者ってありか、と何とも云えない気持ちを誤魔化しながら、私は思わず空笑いを零した。

 

 

気を取り直した私は、薬師として世界を巡って見聞して来たものの話や、私の扱う薬と其の原料についてサクラといくらか話をした。

流石に綱手に直接師事する医療忍者なだけあって、彼女は歳若くも非常に優秀だった。

掌仙術だけでなく、薬や毒に関する知識も半端ではない。

というか、旅の経験でしか得られない知識を除けば、寧ろ私よりも断然薬に詳しいんじゃないだろうか。

 

悔しいと思う隙も無いくらいのサクラの頭の良さに感服した私は取り敢えず、

それってとってもすごい事ですよ!とさっき聞いた台詞を丁重に返却しておいた。

そして其の発言に対して、彼女から謙遜と共に、ものすごく困惑を込めた苦笑いが返って来た事に関しては、見なかった事にしておいた。

 

「あーあ、私も一度、さんと一緒に任務をしてみたかったなぁ。」

 

「…と、云えと、火影様に云われたんだね?」

 

「…………あ、あはは…」

 

ぎくり、との擬音語が彼女の背後に浮かんでいるのが眼に見えているかのようだ。

笑みは崩さずに自然に指摘してみれば、サクラは途端に顔を強張らせ、ものすごくバツの悪そうな顔をして俯いてしまった。

そんな彼女を責めるつもりは全く無いから気にしないでくれと軽く笑い飛ばせば、

彼女は少し申し訳無さそうに笑ってぺろりと舌を出した。(少女漫画を地で行くサクラの其の仕草にちょっと動揺してしまった。)

 

「ごめんなさい、さん。師匠にはどうしても逆らえなくって…。

 …あのっ、でも、私、本当にそう思ってますから!

 無理強いするつもりはないんですけど、けれどもし、木の葉に戻ってくれたら、私、とても嬉しいです。」

 

逆らえないとの発言で、綱手が如何に恐ろしい人なのか、其の一端が垣間見えてしまったような気がしてげんなりとした気分になる。

けれど偽りの無い眼で必死に言葉を紡ぐサクラに、私は心からの本物の笑顔を以て謝意を表した。

 

「ありがとうね、サクラさん。」

 

しかしそれでも、私は彼女達の期待には添えない。

それじゃあまたね、と微笑みながら彼女に背を向けた私を、サクラが何を思って見送ったのかなんて、私には知る由もないことだった。

 

 

 

 

サクラと別れて後、気付けばいつの間にやら夕刻に差し掛かっていた。

真っ赤な斜陽がゆらゆらと稜線を燃やしながら沈んでゆく。

まっすぐに宿へ戻ろうかとそちらへ足を踏み出しかけたが、少し考えて、逆の方向へと踵を返す。

やっぱり、今日の内にあの場所へ寄っておこう、と一人頷いて目的地へと足早に向かった。

 

夜の幕がそろりそろりと降ろされてゆく中、深い木々に囲まれて既に闇の淵へ沈みかけている其の場所。

とある演習場の片隅、三本の丸太がぽつりと佇む、其の奥。

 

じゃり、と砂を踏みしめた靴が何だか重く感じられるのは、きっと気のせいなのだと思う。

私は小さく寂しい笑みを浮かべて、その冷たい沈黙に佇む石碑を見下ろした。

里を出た当時よりも、ずっとずっとたくさんの名前が新たに刻まれてしまったのが、暗闇の中でさえ見て取れてしまう、其の切なさよ。

 

「…宿に居ないと思ったら、やっぱり、此処に来てたんだね。。」

 

「…カカシさん、」

 

いつの間にか背後に立っていたカカシと、其の向こうで静かに佇んでいるヤマトを、私はゆっくりと振り返る。

どうして貴方達が此処に居るの、とは、尋ねることはしなかった。

今は其れよりも。

ふっと力無い笑みを浮かべた私は、少し寂し気な眼をしてこちら見つめるカカシさんに向かって、思い切り…

 

 

 

回し蹴りを仕掛けた。

 

 

 

「っっ!!!

 っちょ、危っ…!!

 い、いきなり何すんのよ、ちゃん!?」

 

「ちっ、避けたか。」

 

薄ら笑いを浮かべながら、私は盛大に舌打ちした。

其の一瞬の激しい攻防を目の当たりにし、唖然とした顔でフリーズしたヤマトは、まぁ、一旦スルーしておくとして。

 

予備動作無く、カカシの鳩尾を狙って渾身のチャクラを込めた蹴りを、彼の不意を打って即座に繰り出してはみたのだが。

さすが現役の上忍、かつ天才の呼び声高いはたけカカシである、結局あっさりと避けられてしまった。

私は敵意を全面的に押し出した笑顔を浮かべながらカカシに向かって、やっぱりわたし鈍ってますねぇと小首を傾げて見せる。

 

「えっ、おかしくない?此処はしんみり行くとこじゃなかったの!?

 あんな蹴りまともに受けたら、いくら俺でも無事じゃ済まないんだけど…?」

 

「大丈夫、其れ狙いですから!」

 

爽やかな笑顔と共にぐっと親指、では無く、中指を突き立てた私に、カカシはドン引きした表情を浮かべた。

はっと我に返ったヤマトが、君は一体なんてことするんだ、と慌てて私の肩を取り押さえながら抗議の声を上げたが、

私は思わず、其れはこちらの台詞だと云いたくなる。

 

「カカシさんの確信犯ぶりに比べれば急所狙いの回し蹴りなんて可愛いものですよー。

 どうせ感の鈍った私の蹴りじゃあ、当てられない事くらいわかってましたしねぇ。

 カカシさん、貴方、火影様があんなこと云い出すのを想定して里に私を引っ張ってきましたね?

 しかもサクラさんに迄いい加減なこと吹き込んで…。

 いくら私だって、たまには怒るんですよ。」

 

「あはは、バレちゃった?」

 

「…カカシ先輩…。」

 

少々不機嫌な私の物言いに、笑って誤魔化そうとするカカシと、其れに呆れを含んだ視線を向けるヤマト。

何とも緊張感の無い間の抜けた遣り取りである。

溜め息を吐きながら、私はカカシを糾弾する事に早々に諦めを付ける。

暖簾に腕押しとはまさに此の事であろう、カカシには何を云ってもどうせ緩やかに受け流されて終わりなのは分かっている。

 

 

 

私は二人に背を向けて、慰霊碑の前でそっと膝を抱えてしゃがみ込む。

揃えた両膝に軽く顎を預けながら、薄闇の中で眼を凝らし、じっとその石の表面を視線で辿る。

 

ああ、これは知っている人、これは知らない人、こっちは知っている人、これも知っている人、そっちは知らない人。

終わりは、いつだって突然で、呆気無くて、そして、とても切ないもの。

 

「たくさん、いなくなっちゃいましたねぇ…。」

 

ぽつりと呟いた声は、自分でもぞっとするほどに感情に欠けていた。

あなたたちは、私を薄情だと責めるでしょうか。

心の中で、目の前に佇む無機質な石の塊に問うた所で、詮方無い。

 

「まるで泡沫だ。」

 

自分の膝を見つめながらゆるり微笑めども、私の独り言にはやっぱり返事は返ってこない。

そろそろ宿に戻った方が良いよ、とヤマトが云うのが聞こえて、

そうですねぇ、と、私は何事も無かったかのように彼を見上げて笑いかけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

next.

 

 

 

(10.4.21)

 

 

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