なまえのない夜
12月31日、深夜0時少し前、私達は何故かこんなにも寒い中、何の変哲も無いただの廊下の真ん中に座り込んでいた。
冬期休暇は自分の家に帰宅する生徒も多い中、僅かに学校に残った生徒は私達と、その他数名だ。
あと、悪戯4人組は今年は学校に残っているらしいけれど。
どちらにしろ城の広さに対して城内にいる人間の数はごくごく僅かなものだから、ましてやこんな夜中、
ぱきりと音を立てて割れそうな静寂をやぶるくらいの騒がしさはまったくなかったのだ。
休暇中とはいえ夜中に出歩く事は禁止されているので、もし今誰か先生でも通りかかればたちまち叱られて寮に連れ戻される。
だのに私達は、何故か、こんな場所に座り込んでいる必要性は欠片も見当たらないと云うのに、此処にいる。
特別なものは何一つ無い廊下の真ん中に。
「ねぇ、寒くない?」
「寒いに決まってるだろうが。」
どうでもよさそうな音で私が何気なく訊ねると、舌打ちしながらセブルスは皮肉った口調で云った。
寒く無いはずは無い、こんな真冬の真夜中の廊下の真ん中。
私もセブルスも、いつもの制服姿で、マフラーをいい加減に巻いているだけで、決して暖かいとは言えない服装だった。
「何で私達こんな廊下に座り込んでいるんだろう。」
「が無理矢理僕を引っ張ってきたんだろう!?」
「そうなんだけどさ、ま、それはどうでもいいとして、ね。
あぁ、もうすぐ1月1日になる。
まったく、どうでもいいんだけど・・・。」
囁くような小さな会話でも、誰も何もないやたらと広い暗闇の廊下の渇いた空気にはよく反響している。
左右にのびる細長い空間の両端は夜闇に溶けて見えないのだが、そんな見えない先を見ようとしていると、
何処まで行っても果てがないような錯覚が頭を擡げはじめてくるようだ。
廊下の壁に等間隔に設置された灯火は燃え尽きているため、窓の外がやたらと煌々と見える。
月は今にも千切れそうな細い弦。星は無数にちらちら揺れて、天鵞絨に叩き付けられている。
まったく特別な事は一切無い夜だ。
私は何故か新年を迎えるこの夜が昔から嫌いで堪らなくて、どうも今夜も居心地が悪かったものだから、
嫌がるセブルスを無理矢理引っぱりだして私の夜越えに付き合ってもらっていた。
嫌がりながらでも、まぁまだ此処にいてくれるという事にはとても救われる気がする。
「私毎年この夜が嫌で嫌でたまらないの。」
「・・・・それがどうした。」
「どうしたってわけでもないんだ。なんとなく、だよ。
別に12月が終わって次の月に変わるだけでしょう?
たかが1日が終わって次の1日が来るだけ。何にも変わらないのに。
なのになんで特別みたいなふりしてるのか私には理解出来ない。」
「嫌なら莫迦みたいに祝わなければいいだけだろう。」
「そりゃあそうだわ。」
「・・・・・理解出来ないのはお前だ。」
「私だって私の事なんか理解不能よ。もうなにがなんだか!」
私はらしくもなく妙に苛ついていた。
何でこんなふうになったのか原因が見えてこないながら、とにかく苛立ちを押さえ切れない。
とうとう廊下に寝転がって両手で顔を覆った。
瞼の裏側で、真っ黒な液体がぐるぐるぐるぐる、気持ち悪い速度でのろりと廻っている。
瞼の裏が溶けたらこんな感じなんだろう。
背中の下でローブが絡まるように捩れて、廊下の温度の低さがじんわり背中に伝わってきた。
顔の皮膚に触れる手は、手の平は暖かいのにどうして指先だけがとても冷たいのだ。
「、いい加減寮に戻れ。」
立ち上がり、帰り支度をするようにローブをはたきながら、セブルスは私を見下ろして云う。
顔を覆っていた手を投げ出して、しかし、私は立ち上がるつもりは毛頭無い。
「嫌だ。」
お前は駄々をこねる子供か、そう、セブルスに云われる前に心の中で自分で云ってみる。
子供と呼ぶには私は身体も知識も大きすぎて、其の分余計に質が悪い。
もう我が儘で物事を通す事を武器にはできないのだ。
「はぁ、もう本当なんなんだよ、私。」
「僕が知るか。」
「そうだよね。・・・・・・なぁ、泣いてもいい?」
「・・・・は?」
「冗談、冗談。今泣けっていわれてもそんな急に泣けないサ。」
泣けないといった後で、急に喉の奥が熱くなるのは一体全体どうしたことだろう。
思ったのだが、「涙が出る」のと「泣く」のは意味合いが随分と違って来ると思うのだ。
何しろ、涙なんて簡単にぽたぽた2つの眼から落ちてくるのだから。
「あぁ、0時を過ぎたね。」
何気なく見た右腕の腕時計は逆さまだったけれど、その長針は「12」上を通過してしまっていた。
「ねぇ、セブルス。」
「・・・・。」
私の相手をするのに疲れてきたセブルスは、壁に凭れ掛かって窓の外を見上げるばかりで何も云わなかった。
沈黙のこんなに似合う人が、彼以外にいるだろうか。
そう考えて感心してしまう程、黙りこくる彼の横顔はうつくしい。
(笑えば、きっと可愛い。)
そういう風に感じる度に、私は私がどれほどセブルスを必要とし、彼に依存して生きているのかを確認する。
変だと思う、彼に出会う前の10数年間は彼無しで平気で生きてきた癖に、出会った途端、愛した途端、これだ。
情けなくて、悲しくて、みっともなくて、愛しくて、怖くて、狂おしくて。
温かい気持ちよりも底冷えする暗い気持ちの方が割合いが多いのは気のせいではない。
彼を愛する事で手に入れた生活は、毎日が終わりのない戦いのようなものだ。
伝え切れない思いをどうやって彼に解らせようか、殺めてしまいそうな強い衝動をどうやって押さえ付けようかと、絶えず嘖む自己分離性。
「何か、怖いね。」
「・・・・。」
「私、情けないけど、卒業するのとか怖いかも。
永遠なんて幻想を願ってる訳じゃ無いんだけど、この学校とか毎日とかやたらと楽しすぎるんだ。
会えなくなる訳でも無いけど、そういう問題じゃ無くて、”今”を失うのが嫌なんだわ。」
「・・・・先刻から苛ついていた原因はそれか。下らない。」
「下らなくなんかない。
私はこんな情けない考えが下らない事なんてとっくに知ってるんだから、もう下らなくなんか無いんだぁ〜・・・・。」
無意味な悲しさが生理食塩水になった。
わけのわからないまま、また両手で顔を覆って、私は意味のない涙をセブルスから隠した。
「私は、君が本当に好きなんだ。
君、私がどれだけオカシイくらい愛してるか、知ってるだろう?
それに捕われてるともう怖さがこびりついて剥がれないんだよ。
あぁ、もう、全部君のせいだよ!」
「知るか。何で僕のせいにされなきゃならんのだ。」
「ごめん・・・。私もう自分でも何がなんだか、よくわからんのだわ・・・。」
生温い涙で滲んだ視界に落ちてくる窓の外の星灯で、世界が明るいように見える。
デタラメな意味のない言葉ばかり紡いでいた私は、その明るさに自分の抱えた罪と罰が露呈しそうで落ち着かない。
デタラメな言葉は全てが君に向かう言葉で、全てが君を愛する為の言葉なんだ、と、天鵞絨の夜の幕に叫んで投げ付けてやりたかった。
そしたらあの無数の星の一つくらい、手の平に落ちてくるかもしれない。
破片を手に入れたら、曹達水に溶かして呑み込んでしまおうか。
綺麗な涙が流せるようになれればいいのにと願いながら。
「取り敢えず、まずは君に云おうと思うよ、Happy new year, セブルス。
寮に戻ったら、温かい紅茶を飲もう。
私がとっておきの茶葉を提供してあげる。
取り敢えず、今は君と温かい紅茶が飲めたなら、それで十分なんだと私は思うんだ。」
「勝手にしろ・・・・。」
のろのろと起き上がる私を待たずに、セブルスは寮に向かって闇色に充たされた廊下を歩き出す。
その後ろ姿を眩しく思いながら、私は少し早足で彼を追う。
セブルスが杖に灯した灯明についていくうち、少し身体が軽くなった気がした。
早く彼と共に温かい紅茶が飲みたい。
なんてたわいない夜のできごと。
Fin.
わけのわからないよる
わけのわからない会話
もう、わからないことだらけなんだ
(02.12.31)
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