あなたのための世界に捧ぐ














絵を描く事で私に何ができると言うのだろうかと、いくら考えてみたところで、紙に擦り付けられた色彩は消えない。

動く手を休めずに一心不乱に動かし続けて、描ききれるはずのない壮大な風景を憎んでいる。

絵を描く事が別に好きな訳ではなくて、ただもうそれはライフワークで、私にとって当然になっていただけだった。

でなければどうしてこんなにも美しい景色を、どうしようもない紙切れに見様見真似で映し出そうとするだろうか。


私はもやもやと晴れない気分と、鬱蒼と肺に溜まり続ける白濁にさいなまれながら、

湖の畔の樹の下にべったりと座り込んで、キャンバスに、眼に見える景色を描き出そうとしていたのだった。

しかし、上手くはいかなかった。


キャンバスのどうしようもない紙切れは鮮やかな色彩を擦り付けられて染まり、緑と青と白、そんな発色。


たったそれだけの色で、

風に揺れる濃淡様々な草、ざわつき撓り温かく冷たい木肌、何処迄も遠すぎる空、痛いくらい白い綿雲、

それらのすべての美しい世界を、どうしてほんの数十cm角の紙切れに全てを描く事ができると言うのだ。


この世界の美しさを完璧に写し取れなければ、私が絵を描く意味はまったく無くなってしまう事になり、

そんな事ができるはずもなくて、それでもイラつきを抱えながら色彩を無理矢理に重ねつける。

パラドックス、それ以上のまったくの食い違いだ。

半ば何もかもを見失いながらも、私はだんだんと強くなっていく焦燥をキャンバスに叩き付ける。


だんだんどうでもよくなってきた気がして、見当違いな色迄重ねはじめたので、

クリアだった色調がだんだん麻痺していき、混濁してますます眼に見えている世界と懸け離れていく。

でも、それでよかった。

もう私はすでに真面目に描く気はさらさらなかった。


「随分と前衛的芸術センスだな、ミス。」


「・・・・・いきなり現われて、開口一番それですか、先生。」


訳の分からない混じりあった色の重ねが狂ったように白かったキャンバスを食い荒らして、

絵を描くのに使っていた真新しかったクレヨン達もまた、見るも無惨にその身をすり減らして粗雑な扱いにじっと耐えていた。

(その粗雑な扱いを強いていたのは紛れもなく私だったが。)


突然現われたセブルス・スネイプに、私は少しも動揺しなかった。

何故ならここは彼の所有の薬草類が植わっている温室に程近いので、別にいつ彼が来てもおかしくない事もあらかじめ知っていた。

というよりも、いつも私は此処で本を読んだり授業をサボったりしていて、何かと突然鉢合せする機会が多かったのだ。


「・・・何をしているのだ。そろそろ授業が始まる時間だというのは果たして我輩の気のせいだろうか?」


「素直にさっさと帰れと言えばいいじゃないですか。

あんまり遠回しに言われても時々何が言いたいのかわからない時があるんですけれども。」


「わかっておるならさっさと行きたまえ!」


「嫌ですよ。」


「・・・・・。」


「・・・・・。」


あんまりにも無意味で愛しい互いの会話に、可笑しくてたまらないのだが、

ここは一つ私が大人になって笑うのは我慢しておいてあげよう。


他の生徒が見たら全速力で逃げ出しそうな形相で私を睨む先生も、私にとってはただの、世界で最も愛しい人なだけである。

それ以上でも、それ以下でもなく、恨まれても憎まれても愛されても殺されても、それだけは恐らく変わらない。


「私、風景画は嫌いなんです。」


脈絡もなく言って、再び混乱状態のキャンバスに構わず色を叩き付けて重ねる。

気違いな色彩の侵食が広がり、もはやそれは輝かしい木々でも、溺れ行く草の海でも、フランネルで磨いたような碧空でもなく、

絵であるかどうかも定かでは無くなっていた。


私は途中迄はまともに「普通」の絵を描いていたのだが、どこか私の内部部品が壊れてしまったのだから仕方ない、

産みだそうとしていたはずの、私の見た世界の切り抜きを、とっくに殺す事に決めてしまっていた。

まったく、産み出す痛みに耐えかねた中絶。


先生をちろりと窺うと、その底知れない深い闇色の眼が、何か哀れむようにこの「奇特な存在」を見ていた。

先生は絵なんて描かないのだろう。

だから似而非画家の矛盾とジレンマが、産み出す事への痛みが、彼には理解出来ないんだろう。


「だったらそんな不可思議なものを描かなければいいだろう。」


私は、思わず地面を強く拳で叩き付けて叫ぶ。


「そうはいかないんですよ!

私のライフワークなんですから、完璧に私の視界を埋め尽くすアレをこの紙切れに描き出さなければ!!

完璧にその作業を行えなければ私は理由を永遠に闇に葬り去らなければならないというのに・・・!!!」


突然の大声に驚いたのは、もちろん先生だけではない。

声を荒げた私自身が一番この言葉の速度に驚いていた。

私はそもそもあまり普段から大きな声を出すと言う事は滅多にないような人間なので、なおさらだった。


(自分もこんな声で喋れたのか。)


喚いた後の私はやけに冷静に私を観察していた。

時々、他人が私の中から私を客観的に見ているような、自己の乖離を感じる。


「・・・すみません。」


ばつが悪いような気がして、先生の顔を見る事が出来なかった。

俯けば、目の前にはまるで私の頭の中のような、混ざりあい、混濁し、渾沌と化したキャンバス。


「私は、クレヨンも嫌いよ・・・。手がよごれるじゃない。

私、色鉛筆が好きなのよ。

なのに、私に与えられるのはいつもこれ。

何度使っても、やっぱり私には、これじゃあ上手く世界を描けない。」


世界を描き得ない自らの罪を、摩滅して短くなっている汚れたクレヨンに擦り付けて。


「完璧に描く事等一体世界の何人の人間ができると思っているのだ?」


呆れたような口調が上から降ってきて、どうしようもないから顔を上げて先生をただ見上げていた。

汚れた手は今だ群青色のクレヨンを握りしめていた。


「私は、完璧を求めては、いけなかったのでしょうか。」


「決して得る事のないものを求めて、、お前はそれで満足か。」


「私はあなたが手に入ればそれで満足です。」


先生の表情が、急に険しくなった。

しかし、どうフォローしようにも本当の気持ちをどうしてごまかせるだろう。


私はおもむろに地面に落ちていた細い木の枝を掴み上げると、クレヨンを塗り重ねたキャンバスをその枝で引っ掻いた。

細い木の枝はクレヨンの海を削り上げ、混沌のキャンバスに細い線を描き出す。

たった今、この得体の知れない絵が向かった、意図が出来た。


「Severes Snape」

と、細い線は、私の最も愛する名前を渾沌の海に刻み込んだ。

意図、方向、目的、それらの全てが決定付けられる。


「はい、どうぞ、先生。」


「・・・・いらん。」


「返品はお断りです。

せっかく私がようやく世界の全てを描けた絵、その第1号なんですから。」


「このような狂った前衛的な絵が、君の世界の全てだとは、まったく甚だ不可思議でならんな!」


毒づきながら、精一杯差し出された絵の受け取りを拒否する先生に、強引に絵を受け取らせて、私はにっこりと微笑んだ。

私には、美しい空も、美しい木々も、美しい草も、なにもそんなものを描く必要なんてなかったのだ。


私の世界を充たせるのは、セブルス・スネイプだけなのだと気付く。


今迄気がつかなかったのが不思議なくらい、当たり前の愛しさをようやく見つける。

私が描くべきだと義務付けた世界の全ては、彼だけだということに、まったく他ならない。















fin.




大好きなものを描くのはとても楽しい

けれど 思い通りに描けないのが歯痒い

(02.12.18)

 


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