ブルーウィロー















どうしてか変に悲しくて、私は気がついたらどうしようもなくぐちゃぐちゃな精神世界を彷徨い歩いていた。

何を喪失してこんなふうになったのかもわからなくて、友達がいても目の前を通り過ぎていくだけで、

私は酸素よりももっと必要性のないものだと、そう思うのだった。

壊れたレコードプレイヤーみたいに、助けてって繰り返しているだけだった。

何から助けてもらいたいのかも自分ではとうに分からないと言うのに、相変わらずそんな事だけを繰り返していた。


前に踏み出す事が怖いくらいの上も下も右も左もない、ただの純白の空間。

それが私の精神世界の隅っこに落ちていた「果て」だった。


私は今、やけに風が寒く吹く中、冷え冷えとした地表面に両足を投げ出して、両手をだらりと左右にしなだれるがままに垂らし、

学校の敷地のほんのすみっこにひっそりと植わっている、腕を回すと少し余るくらいの太さをした幹の青柳に、

ずるずると背中を滑らせ凭れながら空を仰いでいる。

(何故青柳などがこんなイギリスの、ホグワーツの校庭の一端に生えているのか、

 甚だ不思議でならないのだが、それは今考えるべき謎ではなかった。)


だらしなく、死体のように根元に溶け出した私は、どれほど滑稽だったろう。

こんな初冬の、(雪こそ降らないにしろ、)残酷なまでに冷たい北風を浴びていると、冷えた躯は寒さを通り越して痛くなる。

痛さをこえると夢の断片があふれて私を満たしていってくれるかも知れないと、私は半ばそう信じ込んでいた。


根拠は余りないが、とてもとても寒い時に寒さに身を任せて死にそうな気分でいると、その日の夜にはよく奇妙な夢を見るのだ。

どんな夢だったかを目覚めても何も思い出せないままに、一日の始まりから時計の針を追いかけて走り出さなくてはならない。


私は寒さに連れていってもらおうと、風に身を委ねて、奇妙によそよそしくて辻褄のあわない悲しい夢をもう一度見ようとする。

もっとずっと風の中に入り浸っていればそのうちに思い出せない夢の断片が私に出会う事を許してくれるような気がしていた。

そうまでして夢を求めるのは、あまりにもあの夢が私の「答」を握っているという確信のせいだ。


助けを求めている相手でも。

求めている助けの正体でも。

足りないものの名前でも。

私の行こうとした場所でも。

忘れてしまったり、或いは完全に喪失してしまったものを取り戻すための、きっと、「答」なのだ。


投げ出した足に何かが這う、冷たく湿ったような感触を覚えて、反射的に、灰色の空を眩しく見上げていた目線を自分の足に向けた。

(今見ようとしたものが本当に自分の足なのかすら定かではなかった。とにかく奇妙な感触の発生した場所を私は見たのだ。)

するりと相変わらず途切れない、足を這い進む冷たさの主は、毒々しい黒と黄の斑を妖艶に揺らす、細く小さな蛇だった。


蛇を見ると、急に胸に込み上げるものがあった。

確か「彼」のローブにはシルヴァ−の蛇を象った綺麗な深緑色の紋章があったはずだったから。


細みのやや小さい蛇は、私の膝の下辺りをしなりながらゆっくり横切って、2本ある足を越えて、いつのまにか森の奥に消えていった。

足を這う、まるで冷たい舌のような感覚が少し心地よくて、肌に残る冷たさの残骸を目を閉じて味わった。

全神経を集中させて全ての感触を嚥下してしまうと、ふと、残念に思う気持ちが眼球を過る。


あの蛇の細い牙に毒があればよかったのだ。その毒をもって、私の肉を裂けば良かったのだ。

見る限りでは、色や模様こそ、ああもけばけばしく細長い身体を彩ってはいたが、あいにくと其れは毒を持つ種類ではなかったのだ。

所謂毒蛇に擬態して身を守る類いの、弱い、とても無力で無害な生き物だ。


ある意味私は彼(蛇)と似ているような気がする。

(私は普通の人間に擬態しているのか。)

適応能力の皮肉な優秀さにお門違いの不満をぶつける事も馬鹿馬鹿しくて、私はまたどんよりと灰色の空を仰ぐ。


美しいまでに曇りきった灰青の視界に、青柳のしなやかな葉と枝がさやいでいる。

まるでおんなの髪のよう。

生々しく揺れる細っこい黄緑色が少し頬に届いて、一瞬触れてまた風に流れるように。

風に乱されている自分の黒髪に混じったりもする。


そうこうしている内に、そう言えば私は寒かったんだな、と、急に温度を思い出した。

震えていた指先は青白いというよりも紫がかっていて、生々しくて気分が悪くなるような死んだ色合いだったことが何故か可笑しかった。

生きるのを止める事も、もうどうでもいいのかもしれない。

どこにも居場所が見つからなくて、何処にもいたくなくて、呼吸するのもいたたまれなかった罪悪感の塊である私は、そう思った。

初めて、死ぬ事の本当の「意味」を理解したのは、いったいいつの事だっただろうか。


死体のフリをしていると、自然とゆっくりとした浅い呼吸になり、瞬きする回数が減っていく。

そのうち背に密着している青柳の幹や地面を伝って感じる自分の心音すらゆっくりと小さくなっていくような気がしていた。

(本当に死ねそうなくらい。)


どくり、どくり、という身体に響く脈打つ音に混じって、何やら妙な振動をささやかながら感じていると、

その音はだんだん大きくなっていって、私の近くまで来てぴたりと止まった。


「どういうつもりだ。」


ぴしゃりと厳しい口調が死体の真似をしている私に降ってきて、だしぬけにそんな事を言う。

いつもこの声の主はこんな風に主語や述語や修飾語を抜かしたりするので、

時々何度も尋ね返して彼の意図する言葉を汲み取らなくてはならないこともしばしばだった。


でも私はこの必要最低限な閉塞感のある彼の言葉を聞くと何故か安心した。

辿々しい馴れ合いに覚悟を決めるような手間を必要としないからだろうか。


「こんにちは、セブルス。

 開口一番そんな事言われても困るよ。一体どうしたの。」


視界にうっすらと侵入してきた真っ黒な姿は、地面に溶け出す私からある一定の距離をおいて存在している。

ぼやけていた焦点を合わせてみれば、彼の表情が訴える不可思議さが映った。

私は薄く笑った。

嘲笑ではなく、安心感のせいだ。


「どうした、ではない、。こんな所で丸一日授業をサボるつもりか。

 いい御身分なことだな。」


「そういえば授業、あったんだっけ。(あぁ、すっかり忘れてた。)

 よくわたしが此処でサボってる事がわかったね、さすがセブルス。」


いかにも嫌そうに細められたセブルス・スネイプの視線が、少し戯けた私をすっと突き刺した。

多分彼は、朝食前からずっとこの青柳の下に居座り続けていた私がまるで授業を受けにやってくる気配も無くて、

このままだと昼食すら飛び越えてしまうのではないかと思ったのだろう。

あながちその考えは間違ってもいないので、少し私はばつが悪かった。


「・・・今朝お前がこっちに向かうのを見た。」


そう吐き捨てるように呟いた彼を、私は少々の驚きをもって見上げていた。

私が午前の授業をさぼっていて、しかも彼はその私の行方を知っていたのに、敢えて今まで呼び戻しにこないでくれたようだ。

妙な所で寛大で、妙な所できっちりしているセブルスの性格は、やはり私には計り知れない。

無意識に系統付けて順序付けようとしてしまいがちだが、彼はその系統のどれにもあてはまらない。


「・・・ありがと。」


「何故感謝されなければならないんだ。」


「いや、ほっといてくれて、嬉しかったから。そんで寂しくなってきた時にちょうど来てくれたから。

 だから、ありがとうって、一応言っておきたいと思ってね。ただの自己満足だよ。」


そう言いながら、私は気が抜けたようにへらりと笑った。

セブルスは相変わらず同じ不愉快そうな、不可解そうな表情を崩さないまま、急に話題を逸らした。


「こんな所にずっと座り込んでいて、何になるって言うんだ?」


セブルスは少し忌々しそうに、顔にしなだれかかってきた青柳の枝を払い除けて、ざわりと揺れた柳の頂を見上げていた。

相変わらず綺麗に恐ろしい葉擦れの音が空気を引っ掻き回して、風の音にくらくら混じる。

見上げていた私の目に映った青柳とセブルスが、やけに綺麗だ。


「考えて、逃げて、結局わたしは捕まってしまったよ。

 何か間違いな気がするんだよね、自分が無意味に笑ってることとか。居場所、とかね。うん。」


セブルスの選択する必要最小限の言葉が解り辛いとは言ったが、それは私も人の事は言えなくて、

私はたいてい抽象的な自己完結でさっさと済ましてしまうので、セブルスも意味が解らないと言うように顔を顰める事になるのだ。

だからこそ、私もセブルスも出会った当初に比べればお互いに対して随分と根気強くなってきたのだ。


「よくわからんが、別に間違いであったとしても、お前にとってはどうだっていいことだったんじゃないのか。」


とるにたりない事だろう、と少し嘲笑を交えながら、腕を組んで私を見下ろしているセブルスが言う。


「・・・否定は、できないけどね。でも、可能性があるんなら、違和感を消し潰したいよ。

 私はね、実を言うと似非平和主義者なんだよ。だから多少嘘を塗り込めてでも温んだ平和に浸っていたいと思うんだろう。

 一時的な居場所に留まる理由と意義とが、やっぱり欲しいのかも知れない。

 見つからないんだよ。」


最後の言葉で、少し肩を竦めてみせた。自分の弱さを認めてしまうのが心許ないけれど、セブルスの前ではあまり嘘はつきたく無かった。

案の定セブルスはまた難しい顔をして柳の揺れる様を睨んでいる。

人の話等まるで聞いていないように見えながら、それでいてしかと受け止め、考えている時の顔だ。


彼は黙ったままだった。

何を言えばいいのかわからないのかもしれない。

不確かな事を言うのが嫌いなおとこだから、自分的確証を持てるまでは決して口を開かないつもりだろう。


「セブルス、きみは、きみの居場所が何処にあると思う?」


「・・・・。居場所なんて決められるものではない。」


「その辺に転がってるって事?」


「さぁな、そうなんじゃないか。」


「はは。何だ、いつになく無責任だね。ああ、でもそんなもんでいいんだろうね、本当は。」


私は少し笑いながら、ゆっくりと土や幹と同化しかけていた身体を引き抜くように起こして、座り直した。

柳の幹の表面から引き剥がされた背中と頸に急に冷たい風がするりと入り込んで皮膚が少し粟立つ。


「ねぇ、セブルス。」


発する声がいつもよりも真剣に聞こえるようにして、重々しく言った。


「きみはわたしの居場所になってくれる?」


セブルスの目を見たら、彼は少し当惑して眉間に皺を寄せた。

結局彼は何も答えなかった。


立ち上がって服についた土や草を払い落として、私はセブルスのローブの裾を掴んでゆっくりと城に向かって歩き出した。

彼は何も言わずに、私に歩調を合わせながら同じように城に向かった。


結局、彼は何も答えなかった。いつになく無責任だった。

だが、必ずしも守れない口約束を肯定しない。いつになく、今日の彼は少し優しい。

彼のローブを掴む私の手は冷たいはずなのに気分ばかりはひどく熱くて手に負えない。


居場所を手に入れる事も、欠如や喪失を埋める事も出来なかったけれど、背後で聞こえる足音が肺を充たしていくと、

泣きたくなるような温かな生理食塩水の衝動に喉を押されて、私は流れ出すのを必死に呑み込んでいる。

心臓が痛くなる程、欠如さえそのままでよくなりだして、愛おしい足音だけが、抱き締めたくて仕方なくなる。



おんなの髪の青柳が絡み付くように、私と君はすでに互いを結び付けて不可欠要素にしていると思いたい。


私はただ君に全てを充たされていたいが為に、

もう2度と、君から離れる事がないように祈るばかりで。





















Fin.




 

柳の揺れるその様の

えもいわれぬうつくしさよ

(02.11.30)

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