錆色の沼 6











次の日、土曜の夕刻がいつもと同じ何喰わぬ顔でやってきた。

毎週のことなのだが、行き先を訝る友人に、いい加減苦しくなってきた誤魔化しの言葉で言い訳をしながら、

周囲に誰も居ないことを神経質に五感で確認して急ぎ足で地下へと向かう。


入学から何年か経ち、もう私には何故ばれないのかの方が不思議になっていた。

隠してはいるのだが、きっと入学して一週間程も経てば、

たちまちに私の性質を暴かれて異物として疎外されるのだろうと、

心の何処かで冷めた自分がそんなふうに考えていた。

其の事を思えば、今、世の中は案外けだるく、ひどく投げ遺りな勢い任せに動く代物であるように思える。


神経質にならなくとも、週末休暇を控えた少し浮き足立つ夕べに、

わざわざあんなに陰気な地下室に来る物好き等そうそういたものでは無いのだが、万が一と云う事もある。

誤魔化し言い訳するのはあまりにナンセンスで煩雑な作業のように思われるし、

不安要素は根から引き抜いておくべきだったのでなるべく歩調を張り詰めた。


相変わらず酷い味の薬に慣れると云うのは土台無理な話ではあったが、

昨日のこともあって、私は薬の効力が切れ掛けている時に特有な、

ある種の血液の感覚とでも云おうか、其の私の脊髄を走るものを早く沈める為にもさっさと薬を飲んでしまいたかった。

飽きる程叩いた黒い扉を、今日も3回規則正しくノックして開かれた扉に身を滑り込ませた。


以前は薬の入ったゴブレットを手渡すくらいはしてくれたのに、

最近ではついに先生は机の上をただ横柄に指し示すだけになった。

そして一言も会話を交わそうとはせず、さっさと出て行けと態度で命じるのだ。


「こんばんは、スネイプ先生、お薬を頂…」


云いかけたところでさっと机上のゴブレットを鋭く指し示されて、

私はお決まりの台詞を最後迄云う事も許可されなかった。

貴方が礼を尽くせと云うから丁寧に御挨拶をしているのにね、と、にやりとしながら、

少し会釈をしてゴブレットを拝借して口を付けようとした時、

いつもならさっさと奥の研究室に身を翻してしまうのに、

今日は珍しく先生が数歩離れたところで腕を組みながら私を冷たく見下ろしている事に気付いた。


何か云いたい事でもあるのかと思い、私はゴブレットに口を付けずに少し首を傾げて先生に疑問を表現してみせた。

薬を飲んだ後は気分が悪くなってまともに会話が出来なくなるので、話があるなら先に聞いておこうと思ったのだ。

先生は一瞬私を侮蔑するように眼を細めてから、口を開いた。


「昨日のような事が何度もあるようでは、ミスに対する処遇について、校長に再考して頂かねばならんな。」


つまりぼろを出せば容赦無く追い出すぞ、と云いたいのね。

(何を今更。そんなこと、最初に全て約束しておいた事じゃ無いか!)

脳内で先生のやや慇懃無礼で回りくどい言葉を簡潔明瞭な文章に訳してみて、私は少し笑い出しそうになった。

首輪と鎖でも御付けになられますか、と内心皮肉りながら、何くわぬ顔でもう一度小首を傾げてみせた。

私の欺瞞等恐らく先生は気付いているだろう。


「そうですね。」


素っ気無く私は云い、手に持ったゴブレットを机に戻してから、

近くに無造作に放置してあった黒い皮張りの椅子に勝手に腰掛けて脚を組み、両手を重ねて膝の上に乗せた。

随分と芝居がかった仕草がきっと彼の癪に触るだろう事を予測した上での行動だった。


「薬の効力が薄れ始めているような時は自制するのがどうも難しくなって来ますから。

 でも薬を飲む周期を変えるには、私の体調のことや先生の調合の手間を考えると少し不都合な事が多過ぎますし。」


眼を伏せて淡々と云い、窺うようにちろりと上目遣いで先生の様子を窺った。

これらの私の行動全てが先生の意識を逆撫でしていると良い。

そうしてもっと私と云う存在の全てを、先生の義務として厭い、否定し、拒絶すればいい。

そうすれば私は痛みが和らぐような心地になるのだから。


「入学前に事件を起こさなかったのが甚だ不思議ですな。」


少し間を置いて私の凪いだ挑発を無視し、先生はあくまでも自らの言語の境界を遵守した。

私は少し溜め息を吐いた。


「入学前はあまり他人と接して来ませんでしたからね。

 接触しても、大概はマグルの人達とでしたし。」


先生は眉を顰めて、私の言葉が少し不可解であったようなので、私は言葉を付け足した。


「以前家畜と人の血の味の違いは説明した事がありましたよね。

 それは魔法族と非魔法族の間でも同じ事で、

 魔力の有無が関係しているのかどうかは知らないのですが、でも実際、味が全然違うんですよ。

 魔力が強ければ強い程味が濃くなっていく。

 どういう仕組みなのかわかりませんけれど。

 どうせ殆ど此ういう味覚も消化も、ただの本能行動ですから。」


最後の方を嘲笑混じりに吐き捨てて、椅子の手摺に肘を乗せて頬杖を付き、あらぬ方を見た。

先生がどういう顔をしているのかに、今は興味は無かった。


「魔法族の血はどうにも濃くっていけません。

 マグルの血の比ではない程に揺さぶられるので油断出来ないんですよね。」


ふと、思い出して、私はまじまじと先生の顔を見つめ、ふっと視線を逸らした。

あまり記憶することに長けていない私だが、一年の時のことを今鮮明に思い出していた。

有名なハリー・ポッターが何だかすごいことをしたとかクィレル先生が突然居なくなったりしたとか聞いた年だが、

私にしてみればむしろ、そんな遠い嘘か本当かも知れない噂話よりも、自分の事で精一杯だった年である。

そんな年のハロウィンの宵の煩い騒動の後の事。


「そう云えば先生、一年の時のハロウィンを覚えていらっしゃいます?」


訝しげに私を睨む視線を頬に受けながら、其の視線を肯定と受け取って私は淡々と続けようとしたが、

何となく云う気分が失せて、何でも無いです、と笑顔で全てを切捨てた。

面白い事は、できるだけ最後迄口を噤んで自分の中に閉じ込めておこうと思った。


、一体何が…」


何が云いたいのかと詰問しようとした先生を無視して、私は即座に机上のゴブレットを奪うように取り上げ、

一息にその暗い碧色の毒物を飲み干した。

碧の色は暗いが、それでも入学式の日に初めて飲んだ薬よりも、幾分鮮やかな発色をしているような気がして、

其の事実を振り切るように空のゴブレットを机に戻した。

力が入り過ぎたのか、少し高いコツリと云う硬質な音をじんわりと冷える地下室の空気に響かせた。


「それでは失礼致します。」


くらくらと酸素が十分に届いていないようなふらつきを抑え、

深い会釈をして、制止する先生の声を無視して部屋を出た。

冷たい石壁に縋りながら階段を上がり、身体で覚えた道順を感覚一つで辿りながら寮に戻った。


ベッドの上で丸まり、いつもの頭痛と吐き気と途方も無い苦しさを持て余しながら、

朦朧とする視界で白いシーツが滲んでいるのが見える。

天蓋から垂れて私を隔離してくれる分厚いカーテンの深い赤色から、

一度だけ感じたあの懐かしい血の匂いがしたような錯覚を覚えた。








next.




(05.4.9)

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