錆色の沼 4











授業終了のベルが鳴り、生徒達、特にグリフィンドール寮生達は何処か軽く安堵するように羊皮紙や教科書を掻き集め出す。

そんな彼等に追い討ちをかけるように、セブルス・スネイプ教授は吐き捨てるように宣言した。


「来週までに本日の調合についてのレポートを羊皮紙二巻分提出する事。」


スネイプ先生に見えないように背を向けながらもあからさまに顔を顰める生徒達が、一番後ろの私の席からは良く見えた。

私も些か二巻と云う無茶な量にうんざりしながらもそれを表情に出す事は何とか留まり、

何も無いような顔を取り繕って丁寧に教科書や羽ペンを片付けていた。


(大体今日の実験についてそう長く語る必要性が感じられない。

 一体何をそんなに述べる必要があるんだろう。

 何時も思うんだけど、先生だって自分が後でそれを読むのが大変になるんだってことも分かって云ってるのかしら。)


そんなことを考えながら、私はゆっくりと片付けを終えて、さり気なく生徒達のいなくなるのを待った。

途中教室を出ようとした友人に声を掛けられたが、曖昧に、けれど何でも無いように言葉を濁して、

先に帰るように促して何となく笑顔を浮かべてやり過ごした。


ホグワーツに入学して、もう数年が過ぎた。

その日その日を駆ける事に精一杯で、一日が連続して成る一年と云うものの感覚や実感は余り無い。

入学して暫くした頃の記憶はもうあやふやなもので、

組み分けの時や初めて薬を飲んだ事等印象を与えるに弱くは無い出来事を除けば、ろくに思い出せもしなかった。

そして、そんなことよりも何よりも、一番私が思うのは、私は人を欺くのが随分と上手くなったことだった。


「ミス、まだ何か用があるのかね?

 無いならばさっさと帰り給え。」


遠回し、でもないが、暗に早く出て行けと云う声が背後から降り、私はこっそり苦笑してから、

何事も無かったかのように椅子から立ち上がっては、平静な顔をしてスネイプ先生を振り返った。

先生も恐らくは入学当初に比べて私も随分と不遜になったと思っている事だろう。


私にしても、薬の味には何時迄経っても慣れる事は出来ないが、

仕方の無い事だと割り切る事ができるようになったし、

スネイプ先生の威圧感や嫌味、皮肉も別にどうでもよくなっていた。

先生が怖いとは思わない。

むしろ、色々な意味を内包して、私はこの男を幾分哀れにも思った。


「あはは、もちろん、用が無ければ残ったりしませんよ、先生。」


にこり、と云うよりはにやり、と云った方が正しいかも知れない笑みを尊大に浮かべながら云った。

若干からかうような気持ちが無かった訳では無いので、先生が酷く厭そうに顔を顰めたのを見て取って、

私は軽い言葉を吐くのを止めて、すっと笑みを収めてから本題に入る。


「薬の効きが、また少し弱くなっているような気がするんです。」


スネイプ先生の顔が先程とはまた違ったふうに険しくなった。

何処か苦しそうに見えた気がしたが、問題は私の身体の方にあるので先生が何かに苦しむはずがない、

恐らくは私の気のせいであろうと思い直し、私は穏やかな表情で机に凭れ掛かりながら、眼を少し伏せた。


「…少し前に純度を上げたばかりだぞ」


静かに云ったスネイプ先生の顔は見ず、私は曖昧に頷いた。


効き目が弱くなるということ、それは私の身体に薬に対する耐性が付いて来たと云う事だった。

そしてそれは同時に摂取する毒の量を増やさねばならないことであり、

更に其れは私に降り積む毒がより早く溢れる、そう遠く無い未来を示していた。

未来と云うには、短すぎる。


ふぅ、と少し戯けた軽い息を吐くと、私は笑って先生の深刻そうな表情を見上げた。

視線は合わせているようで合わせていない。


「またしてもすみませんが、出来たらもう少し薬を強くして頂けませんか?」


「…本当に良いんだな?」


「ははっ、良いも何も、効かなきゃ飲む意味が無いじゃないですか。」


「しかし最初の薬よりどれ程きついものなのか、貴様はわかっているのか?」


「えぇ、そうですね、先生、だから間違っても味見はしないでくださいよー?

 効果が高まると同時に身体に堆積する毒の量も増えるんでしょう。

 私、そんなこと、最初から承知の上であんな酷い味の薬を飲んでるんですから。」


肩を竦めて戯けながら云えば、スネイプ先生は恐ろしい形相で私を睨んだ。

今更何を、と云う言葉を胸の内で苦笑と共に吐き捨て、私は一層笑みを深くした。


最初に、もっと薬を強くしてくれとスネイプ先生に頼んだのは、入学して一年が過ぎた頃だった。

次に頼んだのは其の更にもう一年が過ぎた頃であり、次へ次へと向かう度に、僅かに、けれど確実に周期は短くなっていった。

そうして後はもう留まる術さえ分からなくなる程に、済し崩しに毒は濃くなっていく。


恐らく私以外の者が飲めば、副作用どころでは無いはずだ。

薬の形を取ったそれは、次第に本来の姿に戻って行く。

毒は所詮毒。

余りに明確な事実である。


「つかぬ事をお聞きしますが、このまま行けば後どれくらいで私死にますか?」


オブラートも何も不必要だと云わんばかりに半分冗談、つまり半分は本気でそう尋ねてみると、

私を絞め殺すような勢いで睨み付けられ、教室を出ろと怒鳴られた。

肩を一つ竦めて先生に背を向け、扉に向かって歩みながらぼんやりと考えていた。

結局彼は私に何も云わない。

それが私を憐れんでなのか、心底馬鹿馬鹿しいと思うからなのか、其の辺りは分からないのだが、

確かに彼は想像しうる範囲内の事でさえ、具体的な事を何一つ私に教えなかった。


自分の事なので自分がよくわかると云うのももちろんあるが、

私は純粋に魔法薬学教授としての観点から第三者的な観測が聞きたいと思っただけだった。

破滅願望がある訳でも無く、生きる事にしがみつきたい訳でも無い。

必要ならば此の学校を黙って去ることもできるし、確固たる信念を持って自害することだってできる。

必要ならば、そう、ダンブルドア先生との約束を破る事も、もしどうしても必要ならば、出来るのだ。

同時に、其れに対する罰も、ただ黙って受け入れるつもりで。


そんなことを考えながら、まだこちらを睨み据えたままのスネイプ先生がいる教室の扉を、後ろ手に閉ざした。

きつく刺さるような視線が扉に遮断され、緊張感を失い何だか興醒めするような気分になりながら、

後ろ手で把手に触れたまま、扉に少し軽く凭れ掛かり、薄暗く煤けた天井を見上げた。


脈絡も根拠も無く、先生は哀れなひとだと、何故かそう考えて私は自嘲した。


「かわいそうだ。」


一体私は、本当は誰を哀れんでいるのだろうか。








next.




(05.3.1)

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