至極ありふれた殺人宣言














「先生、どうしよう。

 私は貴方を殺したい。」


どうしようもなく滅茶苦茶な願望をそのまま唇から産み落として、

奇妙な静寂に慣れきった彼の鼓膜の奥に突然叩き付けてみた。

特に、そうしたいと今のこの瞬間に急に思ったとかでもなくて、

しかしながら、前々からの計画的な行動の予告というわけでもなかったのは確かだった。


相変わらずいつもの不機嫌極まりないと言うようなスネイプの険しい表情と、

羊皮紙の上を彷徨うその手の大きさと繊細さを、机に縋り付くように接近しつつ眺めていたら、

ふいにそんな言葉が、脈絡も打算も結果も関係なく口をついて出てしまった。

言い訳としては上等ではないのだが、私にとっては言い訳にもならないようなありふれたことだった。


何処か可笑しくなった私の愛を司る脳の一部分が、些細な何かをきっかけにイカれてしまったのか。

繊細なシナプスが千切れてしまったのか、はたまた異常に強力な結合を繰り返して突然変異したか。

ありえない馬鹿馬鹿しさに混じるのは、それでも確かな私の想いだけだった。


殺したいと思う程人を愛する事が相手にどれだけ負担を与えるだろうと、

私は、スネイプが少し驚いて、いや、嫌悪等の悪意を込めた怪訝な表情をしてこちらを見ている、

底なしの暗い目のもう一つ奥の方を見ながらぼんやりと考え込んでいた。

大きな溜め息をついて、スネイプは羽ペンを机に叩き付けるように置いて言った。


「ミス

 君はよっぽど減点を望んでいるのか、はたまた処罰を望んでいるのか・・・。

 一体貴様は何を企んでいる?」


「あ〜、いえ。」


返事にならないような濁した返事が余計に彼の不信感と私への不可解を煽ったようだった。

怒らせようとしているわけでは断じてないのだが、私はどうやら彼を怒らせるのが得意らしい。

私と同じ寮の生徒と寮監の先生には大変悪いのだが、別段スネイプを怒らせて大きく減点されようが、

少々の処罰を受けようが、私にとってはむしろそれはどうでもよいことだ。


「先生は人を好きになった事が?」


「答える義務はない。」


どうしようもなく簡潔で意志が明確な答え過ぎて、思わず笑いが込み上げる。

ここで笑ったら余計にスネイプの機嫌を損ねる事になるので、(もう十分損ねてはいるが)

机に隠れてスネイプから私の顔が見えない位置まで体勢を低くした。

笑いに震える背中が見えていたようなので、無駄だったようだが。


スネイプは心なしか羽ペンを先程よりも乱暴に動かしていた。


彼の機嫌が悪いのはまぁ言ってしまえば今に始まった事でもないので、

都合の悪い事は私の記憶の彼方に捨ててしまい、スネイプのしかめっ面を無視して、

ぼーっと薄暗い地下室の天井を眺め遣り、夢見心地で言葉を吐き続けた。


「ある意味私ビョーキかもしれません。

 先生の手を見てたら急に胸に込み上げるものがあってですねぇ、

 そしたら無性に殺したくなったんですよ。」


「ほぅ、それはマダム・ポンフリーでも手に負えない重病だな。

 さっさと精神の病院へ行きたまえ。」


「あー、私は大真面目ですよ?」


「残念ながら我輩も大真面目だ。」


「オオマジメに私は貴方が好きなんですよ?」


「・・・どうしてそうなる。」


「どうしても何も、好きだからですよ。

 好きだから好きなんです。

 ねぇ、いつか貴方を私の手で殺していいですか?

 それが嫌なら貴方の目の前で何らかの方法で自殺してもいいですか?

 とにかく私、とりあえず短絡的な永遠でいいから、欲しくて仕方ないんですけど。

 言っておきますけど、これは殺意じゃなくて、愛しさ故なんですよ。」


「・・・・。」


「あ、今度は無視ですか。

 酷いなぁ。

 先生、いつも都合が悪くなると無視しますよね。

 私は何処までも本気、・・・ですっ・・・!!」


語尾が跳ねた。

兎よりももっと傲慢に、カンガルゥよりももっと嫌味に。


次の瞬間には私は、所謂馬乗りになりスネイプを見下ろして、満足げに唇を歪めてみせた。

何が起こったのか。

そんな事は全く簡単な事で、ただ私が椅子に座るスネイプ氏を突き飛ばして押さえ付けただけだ。

それだけ、だ。


突然の私の(自分でも不可解なくらいの)行動のせいで、スネイプは強かに頭を打ったようだった。

ちょっと痛そうだ。

眉間の皺がこれでもかとばかりに深くなった。


「えっへへ。楽しいですね。」


「・・・・・一体、何処が、楽しいというのだ・・・?」


怒りのせいか、スネイプの声が普段よりも一層低く震えて、

私は肌が泡立ちそうになるくらい、恐怖ではなく得体の知れない複雑な思いに震えた。


「楽しいですよ。

 むしろ、心底愛おしい。

 先生にはきっとわからないんでしょう、私のこの手の震えも。

 命すら投げ捨ててもいいと思う程の不条理さも。

 理由もわからないこの気持ちも。」


途端に私は唇や頬に貼り付いていた笑顔が骨の内側へと消えて無くなっていくのを感じた。

真剣な表情に、嫌でもなった。


気付け、気付け、気付け、気付け、気付け、気付け、気付け、気付け!!!


胸の奥で警鐘を鳴らす理性の絶叫。

ソレを上回るおびただしい愛しさ。

半ばやけになっていく狂気に似た気持ちを何とか押さえ付けて、私は息を殺していた。

次に言うべき言葉も見つからない。

私はもう、どうすればいいのか分からなくて正気でなかったかもしれない。


気付けばただ好きだったのだ。

間違いではない事を100回も1000回も100万回も、何度も反芻して吟味して確認した。

間違いであることを望みながら、日毎に膨張していく愛と狂気をローブの内側に隠して。

内と外への欺き。

これまで耐えて来た負荷が私の背中を押すので、もうどうすれば暴走を止められるか考えられなかった。


この暴走を加速させるのも減速させるのも、

今私の下敷きとなって私を睨み付けているセブルス・スネイプ氏次第なのだ。














長い沈黙が私の首を締め上げて、動かない。

私は此処で始めてまったく予想もしなかった自体に陥り、少し驚いていた。


私は彼を怒らせた。

そして今私は先生を椅子から突き落として押さえ付けている。

そうすれば必ず彼、セブルス・スネイプ氏は私を撥ね除けるとか、動こうとする事を予測していた。

しかし、彼はそうしなかった。


何か可哀想なものでも見るように、困惑と相変わらずの不機嫌を混じらせた暗い漆黒の眼に私を捉えて、

退かせようとも動こうとも何かを言おうとも何もせず、嘲笑も叱責も何も飛んで来はしない。

まるで私が一番怖いものを知っているようだった。

それを突き付けて私の反応を待っているかのようだった。


押し寄せていた愛しい狂気の波が引き潮のように私に手を振って走り去りはじめると、

かわりに表れたのは恐怖と、まだ物足りないと言う僅かばかりの残り物の愛しさ。


「本当はね、」


沈黙に耐え切れなくなり、もう後ずさりする後ろも無くて、仕方ないから覚悟を決めて囁いた。

足を伝う体温が物悲しい。

両手で顔を精一杯に覆って、掠れる声を明確に引きずり出すのだ。


「殺したいんじゃない。

 殺されたいんですよ。

 叶わないなら、そのまま死にたい。

 欲しい気持ちが向けられる事が無いとわかってるから、

 私はどんな気持ちでもいいから、

 私に向かう確かな『何か』が欲しかったんです。」


スネイプはまるで何事も無かったかのように、授業中と同じようなただの普通の表情だった。

私が求める、困惑でも何かしらの怒りでも何も無く、冷たい視線で私を射すばかり。

そこにあるものは、私が一番怖れていた「何も無い」と言う事。


それはそれは、最後の審判を待つような気分だった。


「ふん、我輩が何故君を殺さねばならんのだ。」


くだらない、という気持ちが滲み出しそうなストレートな感情表現をするスネイプは、

そんな事を不敵に呟きながら、私を押し退けて立ち上がろうとする。

馬乗りと言うよりしがみつくように、退けられないように精一杯頑張ってみたが、

所詮は大人と子供の力では差があり過ぎた。


軽々と退けられて床にぺたっと落とされた私は、そのまま床に座り込んでただ俯いていた。

きっと、もうここまでなんだと、事実はあっさりと突き付けられて、早鐘の心の臓を撃った。

泣きはしない。

絶対。

それをしたら、もともと対等では無い立場がいっそう対等で無くなってしまう。


スネイプは黒いローブに付着した埃をうんざりとした表情で神経質に払い除け、また椅子に座り直した。


「君を殺せば、君の思い通りになってしまうでは無いか。

 そうなるのは癪だ。

 せいぜい生きて努力するんだな。」


「・・・・先生、それは、どういう・・・・」


彼は少し勝ち誇ったように笑みを浮かべて言う、しかし、私の解釈が間違っていなければ、

・・・勝ったのは、私だ。


「用が済んだならさっさと自分の寮へ帰れ、ミス

 そろそろ消灯時間だ。」


「えっ、ああ、本当だ。

 ・・・ここ年中薄暗いので、時間の感覚が無くなってしまいそうですね。

 ・・・・・・・・・。

 ・・・・・・あの、」


「まだ何かあるのかね?」


「いえ、・・・・やっぱり大好きだわ、先生。」


にっこり笑って捨て台詞。

あとはもう全速力で逃げ出した。


後ろは見ない。

スネイプが、どんな反応を返していたとしても、もう私の暴走は止まれなくなる程加速してしまったのだ。


貴方次第だった制御の可か不可か。

貴方が私に下したのは、(たとえ貴方にその自覚がなくとも、)加速という結果に他ならない。


ああ、私は少しだけ欲しいものを得られましたよ。

もっと得られる可能性までも、得ましたよ。


寮に向かって暗闇がじんわりと吹き溜まる廊下を全力疾走し、階段の手摺を滑り降りて行く。

私の軽快な足取りは、全く疲れ知らずだった。














Fin.





 

恋に生きて恋に死ぬ

(02.8.30)

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