stupid
<9月15日 夜>
追記:
何時の間にか背後に居たセブルス・スネイプにノートを見られたようだったが、彼は結局最後迄何も云わなかった。
親切なような釈然としないような心地だが、病気とは何かとしつこく言及されるよりかはよっぽど有り難い対応だ。
あれから暫くしてセブルス・スネイプの友人らしきスリザリンの生徒が2、3人来て、鍵を開けてくれた。
私は結局最後迄教卓の裏に座り込んでいたので、彼を迎えに来た生徒達は私に気付かなかったようだった。
セブルス・スネイプも私が此処にいることなどしらないかのように振舞ってさっさと教室を彼等と共に出て行った。
何事も無かったかのようにすべてが落着いてみると、何だか馬鹿馬鹿しい気がする。
一つ気になるのは、彼にこのノートの事等を口止めする事を忘れていた事だ。
恐らく彼は言いふらしたりするような愚かな人ではないだろうし、心配はそれほどしていないのだが。
きっと大丈夫だと自分に言い聞かせてこっそり寮に戻った。就寝時間ギリギリだった。危ないところだった。
同室のエミリーにいたく心配された。心配性だねと戯けると軽く殴られた。痛い。
エミリーは先生方以外で唯一私の病気のことを知っている生徒だ、流石に頼もしい限りだ、その拳とか。
<9月16日 早朝>
目覚めてすぐにこれを書いている。
まだ朝日も昇り切らない薄暗い時間帯だが、目覚めると、ふと眼が冴えて眠れなくなった。
眼が醒めた私は何も分からなかった。
まるで生まれたてのような心地でベッドを見回して、ぼーっとしていた。
やがてベッドサイドに一冊のくたびれたノートをみつけて、
何気なく手に取り、それを読み尽くして、私は不覚にもこらえきれず泣いた。
「今迄」は2、3日くらいの記憶なら留めておけるとの記述がノートにはあったのに、
私は目覚めてみると、昨日の記憶も分からなくなっていた。
これは「病気」が本格的に悪化しているのだろうか。
歩く道が踏み出すごとに後ろから崩れ落ちて行くような気分がした。
吐き気がした。涙が出る。手が震えて上手く書けない。
何も覚えていないのにこのノートには私の記憶がある。
自分の書いたものであることさえ覚えていないので、このノートを信じる事ができるのかどうかわからない。
でもこれ以外何を信じれば良いのかわからない。
昨日の記述にエミリーという名前がある。彼女なら教えてくれるだろうか。
でもエミリーとはどんな少女なんだろう。
また涙が出た。
<9月16日 早朝>
出会った人:
セブルス・スネイプ
出来事:
ひとしきり泣いた後、とりあえず着替えて身なりをととのえると、ノートとペン一本を持って部屋を出た。
奥のベッドから衣擦れの音が聞こえたから、もしかしたらそこで眠っているのがエミリーかもしれない。
ノートの最後の頁に人物の簡単な似顔絵と特徴が記されているのを発見した。
こんな時の為に私が書いておいたものなのだろう。
今の自分が過去の自分に感謝する、というのは、ちょっと面妖だ。
ともかく、そっと部屋を抜け出して、同じくノートの最後の方に書いてあった地図を頼りに、城の外に出てみた。
まだ薄暗く、朝靄が立ち篭めていて、しっとりとした空気が泣いて痛む眼に優しい気がした。
城への帰り道が分かる程度に庭を歩きまわった。
歩いていると少し落着いて来て、段々昨日の記憶が甦って来た。
よかった。
大丈夫だ、私はまだ大丈夫だ。
つらつらと考え事をしていると、後ろから鋭い声で、待て、と云われた。
先生だろうか、とびくりと身体を強張らせて、ゆっくり後ろを振り返ると、多分セブルス・スネイプだった。
不審そうに私を窺いながら、彼はきりきりと私の近く迄歩いて来て、其処で何をしている、と詰問された。
あんたこそ何してるのさ、と云いそうになるのを堪えて、えー、散歩?、と答えると、あからさまに溜め息を吐かれた。
何さ。
私はとりあえず彼に、君ってセブルス・スネイプくんだよね、と質問した。
彼は眉を顰めて、そうだ、と云った。
僕がわかるか、と逆に問い返されて、私はいかにも当たり前のようなふりをして首を傾げて戯けてみせた。
彼は何か云いたそうに口を開いたが、結局、何も云わずに口を閉じ、もう一度、此処でこんな時間に何をしているのかと問う。
今度は私も、君こそ何をしていたの、と質問してやると、薬草を取っていただけだ、と吐き捨てるように云われた。
もうちょっと気持ちよい会話ができないのだろうか、彼は。
可笑しくなって私は必死で笑いを堪えた。
昨日の記述にあるように、彼はやっぱり愉快な人らしい。
無意味ににこにこしていると、ものすごく怪しんでいるような顔をされた。失礼しちゃう。
暫く黙っていたセブルス・スネイプは、思いきったように唐突に訊ねて来た。
一瞬躊躇して、何事も無かったかのように彼は、本当に僕のことを覚えているのか、と云う。
彼の声と問い掛けがあまりに真摯だったので、私は笑えなくなった。
やっぱり気付いてたの、と苦笑気味に云うと、彼は眉間に皺を寄せたまま私から眼を逸らした。
自分では気付かなくても、彼から見れば恐らく記憶に関する不自然な点は多々あったのだろうと思う。
それが名前を二度訊ねたことに限らず。
昨日の出来事でそれが確信になったのだろう。
其の質問に無理は無いよと私は何だか穏やかに笑った。
彼は忌々しそうな顏をして、別にこんなことを聞くつもりは無かったのだと云った。
やっぱり彼は優しい人だと思った。
ふと私の顔を見たセブルス・スネイプはぎょっとして、何故泣くのかと私に聞く。
先程散々泣いた後なので、涙腺が弛んでいるのだろうと思いつつ、何だか笑えて来てしまって、
私はわかんないよ、と泣きながら笑って、其の後すぐに寮に戻った。
何だかすっきりした気分だったので、談話室で本を読んでゆっくり過ごした。
あ、此の本、返却期限が8日だ。
<9月16日 昼>
出会った人:
セブルス・スネイプ(またこの人か。よく会う。)
出来事:
広間から失敬してきたサンドイッチを持って庭で1人ランチを楽しんでいた。
午後の授業はマグル学だったが、運良く休講だったので今日は午後はのんびりできる。
こんな病気故、勉強してもほとんど身に付かないのだが、それでも皆と同じように勉強するのは結構楽しい。
ちなみに試験もほとんど免除されているも同然なようだ。
何の為に此処に居るのかわからないが、それでも此処にいられてよかったと思う。
忘れてしまっても、このノートには様々な記憶が残っている。
それでもういいような気がした。やっぱり此のノートが私の記憶の中枢なのだ。
(今これを読み返している未来の私へ。このノートを信じるように。)
ぼーっとのんびりサンドイッチを食べ、返却期限の過ぎた二冊の本を読んでいると、
(此処迄遅れたらもう一日くらい返却が遅れても一緒だと開き直った。人間諦めが肝心だ。)
何だか暗い影が落ちたので、何だろうと思いながら見上げるとまたしてもセブルス・スネイプが聳え立っていた。
何だこの人、私と同じく、結構暇人なのだろうか。
相変わらず険しい表情をしている。
すると、彼は私の持っている本をちらりと見た。
彼は、其の本、お前が持っていたのか、と厭そうに顔を顰めて云った。
やる気無さそうに私が頷くと、彼は憮然として返却期限も守れないのか、と云う。
おや、と思い、何故返却期限が過ぎて居るのかを訪ねると、どうやら彼は二冊の内の一冊を予約しているらしい。
だから此の本を持っている私を見かけて思わず私の目の前に立ち塞がったのだろう。
それはすまんかったね、と対して悪びれもせずに笑って云うと、ますます彼の眉間の皺が深くなった。
改めて本のタイトルを見ると、『毒の華』と書いてある。膨大な種類の毒草について書かれた本だ。
何だか彼らし過ぎて怖い気がした。誰か毒殺したい人でもいるのだろうか。
(それが私だったら厭だなぁ。でもある意味面白いしそれもいいかも。)
誰か毒殺するのかと訪ねると、お前が毒を飲みたいかと怒鳴られた。
そんなに怒鳴らなくてもいいじゃないか。
そんな事を考えながら、思わず彼の言葉に真顔で頷いてしまった。
彼は苦々しそうに視線を逸らして、ともかく早く本を返せと忠告した。
一つ頷いて、私は彼に、魔法薬学は得意かと訊ねた。
彼は奇妙な表情を一つして、得意だが、それがどうした、と云った。
彼のその表情から、私はまたしくじったのだと思った。
もう彼は病気の事を知っているだろうから隠す必要も無いのでしくじったも何も無いのだが、
恐らく、私がもし記憶が正常ならば、彼が魔法薬学が得意な事を知っていなければならなかったのだと気付いた。
しかしそれに気付かなかったふりをして、なら此の本を見て毒草から毒を抽出できるか、と彼に訊ねた。
すると彼は酷く辛辣に、そんなことを聞いてどうする、と詰るように云う。
どうもしない、と笑うと、彼はやはり顔を逸らして苦々しそうにした。
私は思い出したように、今朝はありがとう、と云った。
彼は何故私が礼を云うのかわからないようだった。私もあまりよくわからない。
しかし何となく彼に会ったことで気分がすっきりしたような気がした。
それですっきりついでに云ってやった。
私は記憶が無くなって行く病気なんだと。
彼は眉を顰めている癖に狼狽したような顔をして、戸惑って私をじっと見下ろした。
私は笑ったまま、別に死にはしないけど、最悪に悪化すると植物人間になるね、と云ってやった。
彼の酷く驚いた顔を見て、何だかしてやったりと思った。
内緒だよ、と唇の前で指を立ててみると、彼はまだ困惑しながらも顔を盛大に顰めて、踵を返してしまった。
あーあ、行ってしまう、と思いながら後ろ姿を眺めていると、ふと立ち止まって振り返らずに私に訊ねた。
治療薬は、と。
ただ無愛想なその一言だけだったが、途方も無く身体に滲みた。
喉が詰まって、喘いでもなかなか声が出なくて、ようやく出せた声で、無いよ、と云った私の声は酷く震えていた。
暫く沈黙して、そのまま彼は一度も振り返らずに歩み去ってしまった。
私は自分でも自分が泣いているのかいないのかわからないが、とにかく苦しい嗚咽がもれた。
<9月16日 真夜中>
正確には17日なのだが、気分的には16日だ。
眠ろうとしてベッドに入ったはいいのだが、どうしても考えなければならない事を考えていて、
眠れず、しかし一つの結論を得る事が出来たので、ここに書き記すことにする。
私はセブルス・スネイプが好きだ。
私はそれを認めなく無い心持ちだったが、されど私には昨日はあっても一昨日は無い。
だから下らない意地をはるのをやめて素直に自分に向かい合う事にした。
何故認めたく無かったのかと云うと、どうせノートに記しても、私自身は結局全てを忘れてしまうからだ。
彼を好きだと思った事、彼の事を忘れたく無いと思った事、彼の優しさが痛い程苦しかった事、
そんな感情も明後日には、もしかしたら明日の朝には目覚めればもう忘れてしまうかも知れない。
それは怖い事だ。死ぬよりも。
それでも、私はどうしても今、彼が好きだ。
以前はどうだったのかはノートには書いて無かったのでわからないが、
それでも私は生きている、この、今、彼が好きなのだ。
好きで好きでたまらなくて、死にたいくらい幸せなのだ。
彼の事を忘れたく無い。忘れたく無い。忘れたく無い。
息が出来なくて死にそうだ。
忘れたく無くて辛くて愛しくて嬉しくて死にそうで、まるで訳が分からない。
嗚呼、でも、本当に、私は彼を愛したんだ。
忘れたく無いんだよ、忘れるのが怖いんだ。セブルス・スネイプを。
気が付けば、私はノートにペンを夢中で走らせながら、涙が止まらなくなっていた。
ベッドの中に潜り込みながら、小さな杖の灯を頼りにひっそりと寝静まった部屋の中でノートに書き付けていたが、
ノートに涙が落ちて、文字が少し滲んだのを見て、ようやく自分が声も表情も無く泣いている事に気付いた。
まったくもって今日は泣いてばかりだと、ノートに向かって少し苦笑気味に微笑んで、左手の甲で涙を無造作に拭った。
ノートの文字はぐちゃぐちゃで、書いている手が震えていたようだった。
暫し顔を伏せて、眼を閉じていたが、やがて思いきって顔を上げて、ベッドから這い出した。
サイドテーブルの引き出しの中にあった羊皮紙を引っぱりだし、丸めたノートをそれで包んだ。
別のベッドで寝息を立てる少女を起こさないよう、細心の注意を払いながら、
鳥籠の中に居る梟を突ついて起こし、ノートを無理矢理持たせた。
梟はとても迷惑そうに、喉を撫でた私の指を嘴で少し突つき、仕方ないといったように私の腕に上って来た。
良い子だね、君は行けるね、と呟いて、音を立てないようにそっと窓に歩み寄り、窓を開いた。
梟の姿がすっと夜闇に解けて見えなくなる迄其の姿を見つめ、最後迄見送ってから私は窓の縁に立った。
素足に触れる窓枠の冷たさが、震える身体に心地良い。
窓から見下ろす世界は美しい。
見上げる世界も美しい。
彼の記憶と、世界と、それだけならきっと、持って行けるだろう。
Fin.
愚かな私を笑って
私を記憶して
そしていつか私を忘れて
(04.7.12)
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