stupid











バシャン!


一瞬何が起こったのか理解出来ずに、頭上から来る突然の圧迫感に咄嗟に耐え切れず膝を折った。

脊柱にぴりりと電気が走り、勢い良く座り込んでしまった其の無理な体勢に、

一瞬の圧力によって押さえ付けられた頭を深く垂らしながら、膝あたりを虚ろに見つめて眉を顰めた。

透明な液体が惜し気も無く滴る髪が視界に枝垂れ柳のようにぶらさがっている。

何だか理解が出来なくて呆然としていたが、じんわりとインクの染みのように、周囲の景色が脳裏に浮かび上がって行く。

あぁ、私は廊下を歩いていたんだ。


「うわぁっ、だ、大丈夫か!?」

「シリウス、だから云わんこっちゃ無い!」

「ポッター、ブラック…貴様等…!」


少年の声が数人分聞こえて、ざわざわとした平生のノイズが耳に甦る。

それがくぐもっているような気がするのは、水に押し付けられた髪が両の耳に貼り付いているからだろう。

(何だか妙な感覚だ。)

胸の前で両腕に抱くように持っていた二冊の本と一冊のノートが、腕の中で少しくたりと小さくなった気がした。


「うっさい、スネイプ!お前が避けるからだろうが!」

「ハッ、あんなあからさまに頭の悪そうな仕掛けをされて避けない馬鹿が何処に居る。」

「その頭の悪そうな仕掛けに危うく引っ掛かりそうだったのは何処のどいつだ!」

「はいはい其処迄ー。クールダウン!二人とも」


座り込んで本を抱き、頭を垂らした其の体勢のまま周囲から降るたわいない喧嘩をする声と、それを宥める声を聞く。

その宥めようとする少年の声に噛み付くように、言い争いをしていた少年二人がまた喧嘩腰に畳み掛けているのも聞こえた。

聞こえる限りの内容から察するに、ジェームズ・ポッター、シリウス・ブラック、セブルス・スネイプという、

まぁお決まりと云えばお決まりな、いつもの騒ぎらしかった。

同じ学年ながら、いつもは彼等の派手な騒ぎは通りすがりにちらりと見る程度だったので、

すぐ近くに聞こえる言葉の応酬が物珍しくもあり、早く何処かへ行って静かにしてくれないかなぁ、とも思う。


「ご、ごめん、大丈夫?」


明らかに私に向かって間近に掛けられた声に、私はようやく顔を上げた。水がやたらと滴る。

額から生温い水がとろりと顔を流れてくる感触にぞくりとした。

先程の姿勢に馴染んだ髪の束の感触が少し心地悪い。


顔を上げた先には、私を覗き込む二人の少年が居た。

顔と名前なら知っている、先の騒いでいる少年3人と同じく有名な顔だ。

ピーター・ペティグリューは青ざめた顔をして、酷く狼狽するばかりで、どうすればいいかわからないようだった。

リーマス・J・ルーピンは、そうは見えない落着いた表情をしていたが、彼も動揺しているらしく、

私にハンカチ等を差し出してくれたが、全身に水を浴びた私には、それは恐らく意味を成さない。


はぁ、と曖昧に頷けば、ほっとしたような困ったような顔をして二人は顔を見合わせた。


「何が起こったんですか?」


取り敢えず一番聞きたかった事を小さく尋ねてみると、ばつが悪そうに彼等が説明するには、

どうやらセブルス・スネイプを狙った悪戯に巻き込まれただけのようだった。彼等は何度も謝罪した。

私が思うに恐らく悪戯を主だって仕掛けたのはジェームズ・ポッター、シリウス・ブラック両人だろうから、

此の二人が謝る必要も然して無いような気がしながらも、私は取り敢えず頷いていた。

遠巻きに歩いていたつもりだったのだが、巻き込まれるとは珍しい事もあるものだと、私は小さく息を吐いた。


依然座り込んだままの私に目の前の二人から手を差し伸べられたので、

本とノートを抱えた腕は片手しか使えない、と少し躊躇していると、リーマス・J・ルーピンが私の片手を掴み、

ピーター・ペティグリューは私の肩を支えて、起き上がらせてくれた。

私のローブに溜まっていた水がぱしゃりと廊下に跳ねた。





<9月8日 夕刻>

出会った人:

ジェームズ・ポッター、シリウス・ブラック、ピーター・ペティグリュー、

リーマス・J・ルーピン、セブルス・スネイプ

出来事:

悪戯仕掛人4人が仕掛けた悪戯に巻き込まれる。全身に水を被った。

まだ寒い時期ではなくて良かったと思う。しかしこれで凍え死ぬのも一興だ。

ピーター・ペティグリュー、リーマス・J・ルーピンの二人が過剰に謝ってくれる。

シリウス・ブラック、セブルス・スネイプはずっと言い争っていた。

ジェームズ・ポッターは二人を見て宥めているのか煽っているのか、始終楽しそうにしていた。

変な人達だ。

このノートが濡れた時はさすがに少し途方に暮れたが、

帰り際何でもなかったかのようにジェームズ・ポッターが乾燥の魔法を掛けてくれた。

制服より図書館で借りた本より、正直このノートが無事で良かったと思う。

寮に帰って早速私はノートに防水の魔法を掛けておいた。

これを教訓にノートの管理には念には念を入れるべきだ。

このノートが無くては一日も立ち行かないのは自分自身だ。



<9月10日 夜>

出会った人:

リーマス・J・ルーピン

出来事:

図書館に入り浸って本を眺めていたら、私がよほど暇そうに見えたのか、リーマス・J・ルーピンに話し掛けられた。

8日の悪戯の事を改めて謝罪されたが、そんなに私は気にしていなかったし、第一、私はもうそのことを忘れていて、

今の私は、このノートを見てそんな出来事があったのだと認識しているに過ぎない。

後植えの記憶など記憶と呼べるのだろうか。

それはともかく、しかし彼もさして本気ですまないと思っているようにも見えなかった。気のせいだろうか。

彼は、それにしても此処で会うのは久し振りだねと私に親しげに云った。

私は何の事か分からず不安になった。

そうそうこのノートを毎日全て読むこともできないので仕方がなかったが、誤魔化すのに苦労した。

私は嘘を吐く事は得意だが、誤魔化すのは苦手だ。(これは大いに違いがあることだ)

リーマス・J・ルーピンは特に何も云わなかったが少し訝しげな顔をして私を見ていた。

何かしくじったかな。

要項目:

悪戯仕掛人に関する事は此のノートで復習しておくこと。



<9月14日午後>

出会った人:

セブルス・スネイプ

出来事:

魔法薬学の調合を何故か成り行きでセブルス・スネイプとすることになった。

別にこの人嫌いじゃないが、少し苦手だ。どの辺が苦手なのかは自分でもわからない。

やたらと沈黙が重いので、墓穴を掘りかねないので無駄話はしない方が良いのは分っているのだが、つい話し掛けてしまう。

話し掛けると迷惑そうにされるが、気まずい空気を醸し出す彼が悪い。

そう云えば彼の口からフルネームを聞いた事がなかったなと思い、ファーストネームを尋ねてみた。

思いっきり顔を顰めて睨まれた。そんな顔、することもないじゃないか。

しかし小さく、セブルス、と呟く声が聞こえた。

何だ、表情はアレだが、結構彼はいいやつじゃないか。

とにかく特に失敗もなく調合していたのだが、彼の視線がどうにも変な生き物を見るような眼なのが気になる。

また私は何かしくじったのだろうか。

最近増々病気が悪化しているのかも知れない。

要項目:

悪戯仕掛人+セブルス・スネイプに関する事は此のノートで復習しておくこと。

追記:

10日の引っ掛かりについてその後ノートを見返していたら、

どうやら私は以前も図書館でリーマス・J・ルーピンに会ったことがあるようだった。

しかし日付けは半年前だ。よく覚えていたな、あの人。

毎朝いちいち半年前の記述迄読み返せる程私は暇じゃない。

それでなくとも2、3日でどんどんとたくさんのことを忘れて行くので記憶を新たに植え付ける事に苦心しているのに。

このノートがなくなったら私はもうきっと他人はおろか自分がどんな人間かも思い出せなくなってしまうんだろう。

両手で掬ってもするりとたくさんのことが抜け落ちて行く。

このノートが記憶中枢の変わりだなんて、何て滑稽な事だろう。

余計な事を考え過ぎた。

久し振りに哀しくなった。ファック。



<9月15日 夜>

出会った人:

セブルス・スネイプ

出来事:

また悪戯に巻き込まれた。というか、また巻き込まれている。(現在進行形だ。)

また、と云っても、もう前回、8日の悪戯についての記憶はこのノートで確認して知ったことに過ぎないが。

今度は何処かの空き教室に閉じ込められた。セブルス・スネイプも今回は一緒に悪戯の渦中にいる。

彼は扉を力任せに叩いて、教室の外で笑って遠ざかって行く悪戯仕掛人4人に悪態と罵声を吐いていた。

多分4人には聞こえていない。つくづく不憫な人だ。

4人はどうやら私がこの空き教室にいたことを知らずに彼を此処に閉じ込めたらしい。

そりゃそうだ、私の存在を知っていてこんなふうにしたのなら、私はとてもやりきれない気分になりそうだ。

閉じ込められたセブルス・スネイプは扉に開錠の魔法を幾つか試していたが、

どうやら無駄だったらしく、shit!と心底悔しそうに呟いたのが聞こえた。

彼もまた怒りに気を取られて私の存在に気付いていないらしかった。

私は此の部屋の教卓の後ろに隠れてこのノートを読み返したり書いたりしていたので、

なまじタイミングを逃してしまうとどうにも出ていける雰囲気に無いように思う。

仕方が無いので恐らく扉の周辺でげんなりしているだろうセブルス・スネイプからは死角の此の教卓の裏で、

隠れたまま今このノートを書いている。

この空き教室は結構辺鄙なところにあるので、生徒達のざわめきも何処か遠く、とても静かだ。

ペンを動かす音が彼に聞こえないといいが、でも黙って隠れているのも手持ち無沙汰なので書く事にする。

古い床板をことことと足音を立てて彼が歩いている音が聞こえる。

御願いだからこっちに来るな。

何時頃4人、もしくはセブルス・スネイプ、もしくはその他の誰かは此処の鍵を開けてくれるだろうか。

夕食は終わっているのでしばらくならいいのだが、就寝時間に間に合わないとおおいに困る。

彼の足音が聞こえなくなった。大人しく助けを待っているのだろうか、それとも何らかの手段を考えているのかも知れない。

どちらにしろ、御願いだからこっちに来るな。

何かきまずくなりそうだし。何で隠れていたんだと聞かれてどう答えろと云うんだ。

何で隠れているかって、そんなの私が聞きたい。

もうすっかり4人の声も聞こえないし、生徒の声もあまり聞こえなくなって来た。

もうすぐ就寝時間なのかもしれない。

どうしよう。

まぁいいか。


暇だったので、音を立てないように細心の注意を払いながら、このノートを読み返していた。

14日のことについての記述を探してみると、またしても私はしくじっていたことに気付いた。

セブルス・スネイプのファーストネームは、二週間前にも同じように訊ねていたようだった。

そりゃ訝しみもするだろうよと思うと焦りを通り越してむしろ脱力する。

彼は妙に思ったかも知れないが、しかし以後なるべく彼と4人に近寄らないよう、

静かに目立たないように過ごせば恐らくは彼等は私の事をじきに忘れてくれるだろう。

此の病気を知られても別に差し支えないと云えば差し支えないのはよくわかっているけれど、

自分から、病気なんですとわざわざカミングアウトするのも無意味だし馬鹿馬鹿しい気がする。

だが知られそうになると必死で隠してしまうのは何故なのだろうかとふと笑いそうになった。

それにしても静かだ。

セブルス・スネイプは何をしているのだろうか。

もしかしてあの人寝てるんじゃないのか。

だとしたら相当太い神経してる。

私が思うに、彼は結構愉快な人だろうとふんでいる。

二回も名前を聞くような奇怪な人間に、厭そうながらも律儀に二回もちゃんと名前を答えてくれたし。

これは素直に嬉しかった。

しかしそれにしても彼は気配も無いな、あの人本当に寝てるのか?





「随分と御褒めに預かり、まったくもって僕は光栄だよ、。」


「!!?」


私は咄嗟に鳥肌の立った腕を弾くようにしてノートを勢い良く閉じた。

ペンが膝から転がり落ちてからりころりと非情な音を空洞の教室に響かせて、頭の中に迄それは反響して行く。

腕を組んで私の隠れている教卓に軽く凭れ、文字どおり私を睨むように見下ろすセブルス・スネイプは、

やや頬を引き攣らせながら微笑し、皮肉った声を私の頭上に降らせていた。

しまった、と、別にやましい事も無いはずなのに、身体が硬直して冷えた汗が顳かみを這う。


いや、やましいことは、一つあった。ノートだ。


彼の口ぶりからすると、彼は明らかに私が云いたい放題書き綴ったノートの記述を見て怒っている様子であり、

そして私は何処迄このノートの内容を見られていたのかと思い、彼の怒りに対してとは別の所にある恐怖に背筋が冷たくなる。

ペンを拾わなければ、彼になんのことだと無理矢理にでも誤魔化して笑って逃げなければ、

そう思うのに硬直した身体は一向に動かないし、彼も依然引き攣った微笑を浮かべて私を見下ろしている。


混濁した感情がないまぜになり、狼狽えた私はどうにも検討はずれなことを彼に訊ねていた。


「わ、私の名前、知ってるんだ。」


先程の怒りをあらわにした表情とは一変して、ふと難しそうな表情をした彼は、瞬きも余りせずに私を見ている。

私はその雄弁な視線が怖い。


「いつまでも人の名前を覚えられないお前と一緒にするな。」


違う、と何故か苦しい心地がした。

憮然とした表情で私を見る彼を見上げる事が億劫に感じられて、私は少しよれたノートに視線を降ろした。


「見た?」

「何をだ。」

「これ。」

「ああ。」

「ど、どの辺りから見てたの?」

「『御願いだからこっちにくるな』」

「ぎゃっ、ぜ、全部読んだ!?」

「…」


私が思わず見上げると、彼は少しばつの悪そうな顔をして少し顔を背けた。

一応、人のプライヴァシーを侵したと云う自覚はあるらしく、

そんな様子を見れば私も怒るに怒れず、(別に怒るつもりも最初から無いが、)

どうにも気まずい沈黙が流れるばかりで、私達はどちらからともなく深い溜め息を吐いた。


「何で隠れた。」


「な、何となく、出るに出られなくなって。」


「…」


妙な沈黙を伴い彼はまた深く溜め息を吐いた。


「また巻き込まれるとは、お前よっぽど運が無いな。」


皮肉るように云われた言葉だが、棘は無い。

もしかしたらこれは素直では無い彼なりの、私を巻き込んだ事に対する謝罪なのかもしれない。

硬直していた身体の緊張が少しだけ解けて行く。まだ驚いた時の衝撃で手は震えていたが。

結構愉快な人だという私の勘は、あながち外れていないかも知れない。

少し嬉しくなったが、すんでのところで笑みを押さえた。


彼は私の書いたノートを、私の記憶中枢を見ただろうに、其の事には何も触れて来なかった。

病気だの何だのと不審な記述もあったのだがそんなことは無かったとでも云うように彼は黙る。

それを何だかもやもやと感じると云う事は、私はもしかしたら聞いて欲しいと思っていたのかも知れない。

それはとても自己中心的な考えで、最も恥ずべき気持ちだと思って私も押し黙った。

同情等引きたくも無い。








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