黒点










黒衣の人の群がぞわりぞわりと目の前を流動していく。

皆一様に俯き、眼を伏せ、押し黙るように唇を結んで前を行く人波の後を追う。

其の群の向こう側には白い棺が現実味を失ったまま安置されており、

此処からでも辛うじて遺体の胸の上で組んだ土気色の指が見える。


とても見ていられないような、名付けるべくもない感情を胸の奥に感じて、私は露骨に顔を背けた。

後ろめたさ、罪悪感、背徳感、その全てであり又どれでもないわだかまりが喉に貼り付いた。

どうにかしたら、もうすぐにでも涙が出そうだった。

それがまた厭な気持ちだった。


背後に気配を感じて、声を掛けられはしなくとも自然と私は振り返っていた。

人々の向こうの恐ろしい程に白い棺を睨み据えるように見つめながら、

掌を握りしめるセブルス・スネイプが私の少し後方に居た。

彼の表情は悲しみとも怒りとも無感動とも見える。

もともと表情の読み取り難いひとだと云う事を思い出しながら、

私は少し後退して、彼の隣に並ぶように立った。


憮然とした表情で隣に立つ私を一瞥すると、彼は小さく短い舌打ちをした。

君はそんなに私が気に入らないかと、少し苦笑いをしたくなった。

しかしこの妙な厳粛さの中では結局は苦笑いさえ成せずに、少し口端を引き攣らせただけだった。

セブルスが隣に立っている事で、少し感情が押さえやすかった。

それでもどうにも視界がぼやけそうになるのを無心に堪えていた。


「そんなに親しくなかったろう。」


私だけが聞き取れる程のほんの小さな声で、彼は軽い侮蔑を含んで囁いた。

いくらか瞬きを繰り返しながら、私はまじまじとセブルスの横顔を見上げる。

彼は尚も棺の方を鋭い眼で睨み据えている。


親しくなかった、とは、もちろん故人と私との間柄の事を指していた。

亡くなったのは、このホグワーツで天文学を教えていた教師だった。

随分な高齢で、長患いの末のことだったと、生徒達を介した無責任な噂には聞いていた。


「あぁ、そうだよ。」


私もセブルスと同じように棺に視線を向けようと思ったのだが、どうにもそれが出来なくて、

手前の黒い人々の波を漠然と見ながら呟いた。

人々にさえも、まともに視線をとどめる事ができない。


私は亡くなった教師の授業を受けた事は、たった、一度しかなかった。

それ程いい意味でも悪い意味でも飛び抜けて生徒達の噂に上る人物でもない。

正直、私はその教師の名前と顔の一致も危うい程だった。

セブルスの云った事は正しかったし、彼が云わんとしたことも十分に理解出来る。


「でも、なんだろね、空気に飲み込まれて押し潰されるみたいなんだよ。」


お互いに話し掛けているようには見えない素振りで、私はぽつりと囁いた。


棺のすぐ手前で、ダンブルドア校長が弔辞を述べる声が聞こえた。

彼の声は不思議な程に透明でよく通る。大広間を、人々を、軽く覆ってしまう。

哀しそうな、それでいて優しく穏やかな空気を纏うダンブルドア校長の姿を遠くから見つめながら、

私とセブルスは広間の後方で人の群から外れて立ち尽くしていた。


私の姿は一体セブルスや他の生徒達の眼にどういう風に映っているのだろう。

セブルスはともかく、他の生徒達には、同じように私も死を悼んでいるように見えるだろうか。


弔辞が終わった途端、セブルスは踵を返して、僅かに開いた扉からするりと出ていく。

待って、と、口の中だけで云い、私も彼の背を追って扉をすり抜けた。

敷居を踏み越える直前、ふと見た大広間内に、涙を流してしゃくり上げる数人の少女達を見た。

わだかまりを喉につかえさせながら、広間に背を向けた。




「ねぇ、何処行くの。まだ葬儀は終わってないのに。」


セブルスは大広間を出て、歩みを緩めずどんどん進んで行く。

玄関を越えて、階段を毅然とした靴音を立てて上がっている。

周囲には人の姿は無く、ゴースト達も誰もいない。頭がじんとする程静かだ。


「煩い。別に僕の事はどうだっていいだろう。

 はさっさと広間に戻ればいいだけのことだ。

 僕に構うな。」


踊り場まで上ったところで足を止め、彼はあからさまに眉を顰めて振り返りがてら私を鋭く一瞥した。

悲痛なふうではなかったが、これは彼なりの弔い方なのだろうか、という思いが一瞬頭を掠めた。


「…いや、正直、私ももうあそこに居たく無いから。」


「僕に戻れと云っておいて、随分なことだ。」


「やだな、戻れだなんて一言も云ってないよ。何処に行くのかなって。」


には関係無い。」


「もしかしたら関係あるかも?」


「無い。」


躊躇い無くきっぱりと言い切るセブルスに苦笑しながら、あ、ひどい、と肩を竦めた。

けれど、すぐに私は表情を強張らせた。

セブルスが訝しげな顔をして私を見ていた。


彼は私の話を聞くつもりは無いのかも知れないが、

彼の前に立つと不思議に、気持ちを隠したり、云おうとした事を云わないでおくという事が困難になる。

全てのことを白状して、まるで贖罪を促されているような気持ちにさせられる。

懺悔、告解、贖罪、彼に乞うても仕方が無いのに。

(だって、彼は救いを与えたりしない。あぁ、でも、私は救われたい訳でも無いのだ。)


「少し、泣いてしまいそうだったんだ。」


「…欺瞞だ。

 お前にとって、あの教師はただの他人だった。」


「うん。そうなんだけどね。

 どうにもああいう空気が苦手で、俯いてしゃくり上げる子達を見てたら、どうにもこうにも。

 もちろん人の死っていうのは哀しくて、そういう気持ちもあったと思うんだけど、

 でもやっぱりそれはほとんどが偽善で、

 多分そういう『哀しい』を演じている自分がかわいかったんだろう。」


顔を歪めて自嘲する私を、不可解そうにセブルスが眺める。

理解はしていたが、自分で口に出して偽善を肯定する事は極自然な感情として心苦しかった。

結果的に自分のしていることが偽善だと気付いた瞬間、自分が自分を騙していたことに気付く。

それは絶対に偽るべきではなかった自分自身への、深い裏切りだ。

それ故に認めることが苦しい。


「だのに偽善だと解った今でさえどうかしたらすぐに涙が出そうになるんだ。」


セブルスが私に注ぐ痛いくらいの視線を無意識の内に誤魔化そうとして少し俯いたが、

其の癖彼の姿を視界に少しでも留めたくて、少し上の段にいる彼の靴を見つめた。


黒い革靴は年期が入ってはいたが、綺麗に磨かれていることがよくわかった。

きつと結ばれた蝶々結びの靴紐は彼の性格そのままに几帳面そうに左右に並んでいる。

そういう、彼の、一種の生々しさに、彼が生きている事を無理矢理にわからされた気分だった。

後はもう連なって引きずり出されるように、掌の熱さや鼓動や喉の動きや唇の閉じ方開き方を思い出す。


ふらりと拙い脚を擡げて、セブルスとの距離を階段一段分だけ縮めた。

恐ろしい程の自覚の為に、身体の動かし方の情報の伝達が遅れた。

球体関節の人形のような脚。階段を上がるのも拙い脚。けれど血の通った脚。


あぁもう、痛い、私を見ないでくれと叫びたくなるのを押さえて、頸を震わせるようにセブルスを見上げた。

真直ぐに結ばれた唇迄しか見る事が出来なかったが、確かに黒い眼は鋭利に私を見つめていた。


軽蔑なら受け入れる。嘲笑なら受け入れる。

だが、彼はそんなものとは違う、研いだ痛みを含んだ眼で私を見下ろすのだ。

私が受け入れる事が出来ない類いの痛みに戸惑い畏怖し、私は首筋に震えを走らせながら、

私を見ないで欲しいと、矛盾した懇願を思い浮かべていた。


「わかってる、でも、わからない。

 セブルスくん、わかってるけどわからないんだ。

 だからそんな眼で見るのは、御願いだから、もう、やめてくれ…。」


曇り始めた視界がセブルスの靴を歪めた。階段も。古びた色の赤い絨毯も。


「空泣きだろうとなんだろうと、は泣けばいいだろう。

 ただ、僕に答を求めても、僕は何も持っていない。」


彼の遠ざかる靴音はまるで目の前の扉を閉ざされたような心地にさせた。

見放された気分になるのはきっと私が自分自身を見放したからなのに。








Fin.




(04.3.21)

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