最期の火















私のお気に入りだったゴブラン張りのレターボックスには、悲しい程たくさんの手紙が詰め込まれていた。


今迄ホグワーツ在学中に友人から貰った梟便による羊皮紙の切れ端。

たわいのないやりとりや、遊びの約束、時には授業の分からない所を教えあったりもした。

どんなに些末なやりとりをしたメモみたいなものでも、何となく捨てられずにそっとレターボックスに仕舞った。


それと、クリスマス・カードやバースデイ・カード、それに淡い桃色の便箋に綴られたママの手紙。

彼女は必ずいつも同じ便箋を使うので、朝の大広間にたくさんの梟達が降り立っても、すぐに見分けられた。

淡い桃色の便箋は、彼女のお気に入りの便箋だったので、私はその優しい色彩の手紙が好きだった。

最近はあまり見なくなったその色の便箋が、綺麗で、悲しくて憎らしくて、奥深くにしまいこんである。


色褪せた手紙も、何もかも、ささやかな私のレターボックスは構わず飲み干していた。






夕空はもうすぐ幕を降ろして夜へと舞台明け渡すけれど、未だ今は陽の残光が残っていて、

暖色から寒色へと押し流れて行くグラデーションに拍車をかけた。

燃えるようなムラサキの雲が睫毛をちろちろと焼いている。


誰もいない校庭のそんな暮れの下を、レターボックスを両手で抱きかかえて横切った私は、

他に人の気配が無い事を確認しながら、温室の裏手にある、何も無い一角の荒れ地に向かう。

温室と周囲の森の木々に囲まれた場所は日照条件があまりよろしく無いらしく、

地面にはかさかさの乾燥した砂と、申し訳程度に風化し残った枯れ草達。

風に舞い、揺れるそれらは、典型的な寂寥の情景であった。


申し訳程度に周囲を見渡して、解り切っている事ではあるが、周囲に誰も居ない事を確認した。

そうして、風の音と何かの虫の聲を遠くに聞きながら、杖を振り、小さな呪文を唱えた。

ごくごく簡単なその呪文は教科書通りに力を行使し、周囲の茂みから落ち葉や枯れ枝を私の足下に収集した。

まったく魔法とは皮肉な程に便利なんだと溜め息をつく。それがいいのか、わるいのか。判断しかねる。


集めた枯れ枝枯葉の類の前にしゃがみ込んで、とてつもなく重要であるかように抱いていたレターボックスを、

傍らにそっと置いて心なしか重く感じるその蓋を開いた。


もう一度、今度は先程とは違う呪文を唱えて杖を神経質に振る。

枯れ枝の1本を杖先で小さく触れれば、ふっと小さな青白い炎はからからに乾燥した枝葉を伝え食む。

魔法の炎は煙の一筋も上げる事なく、静かに周囲の枝葉を何事も無いかのように喰らい尽くしていく。


しだいに成長していく火は嘲笑するように揺れて、じっとそれを見つめる私をも脅かさんと眼にちらついていた。


ふと見上げた空の端に、美しい黒雲が見えた。

夕陽がすっかり沈む頃には、やがてこのホグワーツ上空に届き、嵐を呼ぶだろう。

嵐の夜に、私はささやかに焦がれた。


燃えゆく火が十分に成長したのを見計らって、私は思いきったように、そろりそろりと、

傍らのレターボックスに手を伸ばして、1通の、色褪せて黄ばんだ、かつては白かっただろう手紙を摘んだ。


剥がされてある封鑞、エメラルドグリィンの洋墨が記すはホグワーツと云う校名。

紛れも無い、ホグワーツの入学許可証である。

懐かしく、少し胸につかえる鈍い痛み、そんなものが、少しある。

全ての始まりであり、全ての元凶である其の手紙を長年捨てられずにいたが、

私はそれを炎の上に翳し、一つ深い息をついて、そっと手を離した。


炎が染み込んで、灰に成り逝く古い封筒を看取った私は、胸の鈍い痛みが少し軽くなった気がしていた。

(しかし、その軽さも、また、とても悲しいものだったのだ。)


後はもう簡単だった。

レターボックスからはどんどん手紙という名の、私にとってとても"重い"紙切れが減っていき、炎はその量を増す。

膝を抱えながらそうして私は手紙を放りながら揺れる炎を無心に眺めていた。


背後でカサリ、という音がしたが、私は気にしないでただ視界に燃える炎を眺めていた。


「其処で何をしているんだ、

 全く、お前はいつもいつも突拍子も無い所に出没する。」


(其の突拍子も無い所にいる私と、いつも出会うのは彼だけであるのだが。)


吁、まったく、なんてまた素敵に都合が良い時に私の背後から降るこの彼の声。

私はこの声を聞き慣れ過ぎていた。


「こんばんは、セブルスくん。

 今夜は嵐になりそうだね、明日には晴れるといいんだけれど。」


「・・・・其処で何をしている、と僕はそう訊ねたのだが?」


「えぇ、聞こえてる。

 でもそんなに急くことはないでしょう、夕刻の挨拶をするくらいの猶予はあるもの。」


「・・・・。」


出来うる限りの顰めっ面で私を非難しようとするが、私はそんな表情に負の感情を抱いたりはしない。

最初は彼也の威圧のつもりだったのだろうが、この私が、それでどうして彼を嫌ったり怖れたりするだろう。

今では、彼は意思表示のつもりでそういう態度をとっているのかも知れない。


「見ての通り、これ、焼いてる。」


云いながら、私はまた手紙を燃やす作業を再開した。

緩やかに、しかし一定の速度で手紙を炎に食べさせていく様を、セブルス少年は険しい顔をして黙って眺めていた。

彼の深い闇色の眼に炎が反射して揺れ、それに重なるように燃えるような空のムラサキも映っていた。

残念ながら、私はそんな彼の眼から何かしらの感情を読み取る事は出来なかった。


1枚の綺麗に折り畳まれた羊皮紙の切れ端を彼に見せるように掲げて見せて、私は唇だけで微笑んだ。


「これは、3年の時、友達が初めて行くホグズミードに一緒に行こうって誘ってくれた梟便。

 嬉しかったからすぐに返事を書いた。」


そして、手に掲げ持っていたその大切だった羊皮紙を、無情に火に投げ入れた。


「そしてこれ、これは、・・・・・・ママの手紙だわ。きれいで、すてきで、憎らしい手紙。

 何度も読んだわ。でも、今思えば、この手紙から得るものは何もなかったんだわ。

 これ、これも。これもママの手紙・・・・。」


「・・・?」


いつも同じ色の封筒、いつも同じ色の便箋。それらを感情の籠らない手で私は次々に燃やし尽くして、

レターボックスに残っているのはもう、たった1枚の小さな小さな羊皮紙の切れ端のみ。

とてもくしゃくしゃの、色褪せた紙に書かれた文字も随分薄くなっていて、かろうじて読み取れる程度だった。


一見、全く1番に燃やしてしまってもよかったようなボロボロの紙切れだったが、

私はこの紙片を最も愛し、最も大事にし、最も捨てたくてたまらなくて、それでも絶対に、捨てられなかった。

だからこそこのレターボックスの最底に保存していたのだ。


私は息を吸い、深く吐いて、ゆっくりとその紙片を震える手で摘んだ。


「この紙片を葬る前に、セブルスくん、何故私がこんなことをしているかおわかりになりますか?」


「ふん、お前の奇行の理由等知るわけ無いだろう。まったく理解不能だ。」


「そうでしょうね。

 理由、そうね、私達がもうすぐ卒業するからかな。」


「それが一体、その行為と何の関係があるんだ?」


「君も解ってるでしょうに。卒業すれば君はきっと遠い所へ行くんでしょう?

 私には、後も追えないような遠い所へ。

 いずれは戻って来るかも知れないけれど、そんな保証は無いし、待てないわ。案外気が短いの、私。」


「・・・何を云ってるのかさっぱり意味がわからないな。」


「えぇ、私も別に確信があるわけじゃない、予感だからね。」


そう云い、ちろりと彼を窺ってみれば、心底不可解そうな顔をして私を見下ろしながら、腕を組んで立っていた。

一旦沈黙を落としたが、しかし、私は、話を続けた。

ただひとひらの色褪せた紙切れを、狂おしい迄の愛おしさを込めて両手で包み込みながら。


「手紙、とても大事で、どんな些細なものでも捨てられなかったんだけれどね。

 この数年間の学校での軌跡と思い出の証明である手紙が、もうあんまりに重くて、歩けないのよ。」


「下らない。」


少年はぼそりとそう吐き捨てた。


「卒業したら、私は今のように悠長に歩いてなんていられない。走り出さなければ。

 おそらくは、君とは違う道へ。

 こんなに重いものを抱えたまま、ねぇ、走り出せないでしょう?

 だから、私はこれらを総て捨てていかないといけない。」


紙片を閉じ込めた両手に縋るように、私は眼を閉じた。

瞼の裏にはまだ揺れる炎の青白い残像がいて、不規則な光の跡が大層美しかった。

(私のこの両の眼球も燃えればいい。)


「セブルスくん、君はこんな些細なものを、憶えている?」


そう云って彼に向けて両手を掲げ、手の平で微かに揺れる紙片を見せたが、

彼は怪訝そうに眉を寄せただけで、何だそれは、とでも云っているかのような顔をした。

彼がこの紙片を憶えていないだろうことは嫌でも予想がついた。しかし実際に彼の訝し気な表情を見て、

私は冷静ではあるが、眼の奥のひどく熱い痛みに堪えなくてはならなかった。


「君が初めて私に与えてくれた・・・・letter ( 文字 ) だよ。」


おそらくは、最初で最後の。

letter ( 手紙 ) 、と呼ぶにはあまりにも簡潔で、君らしくて、涙が出る程切ない。


薄れた文字群が示すのは、魔法薬学の授業で使う薬品名であった。

どういう経緯でそんなメモを貰ったのかはもう忘れてしまったが、

決して私に何一つ赦さなかった孤高の彼が、唯一それだけを私に与えた。


私はセブルス少年を愛していたけれど、途方も無く愛していたけれど、彼はと云えばただ優しくて、

でも私に明確な意志を与えてはくれなかった。素っ気無くて、だのに、突き放しもしないで。

その優しい残酷さがどれほど私を拘束し、私を壊していっただろう。

卒業という当たり前の決別を前にして、歩む道でさえ、私と彼とは相成れないものになるだろう予感。

私にとって絶望的なこの予感は、ほとんど確信だった。


「私に、私にちゃんと聞こえるように、言って。

 私を愛していると。そうでなければ、私のことが嫌いだと。

 愛していると言ってくれるなら、私はこの紙片を携えて走り出すつもりなの。

 たとえどんなに重くて辛かろうと、君と歩む道が違おうとも、きっとどこまでも行けるでしょうに。

 嫌いだと言ってくれるなら、私は今、この紙片を君の眼の前で燃やしてみせるよ。

 ねぇ、言って。」


彼はどちらかを、おそらくは、後者を、私に告げるかもしれない。(私の希望的推測だ。)

そうして、君は、私が消えれば楽になるんでしょう。


彼は、黙ったまま、私を見もしないで、揺れ燃ゆる、偽者のような炎を睨んでいた。

彼が何を思い、この火に何を見ているのかは解らなかったが、相変わらず暗い底なしの眼だった。

少し、困惑しているようにも見えた。

困らせてしまったことには心が痛んだけれど、その先の決断を下す事で、私も彼も楽になれると思った。


暫くの沈黙が、のしかかっている。

もう陽の残光も薄れゆき、藍の空に黒雲が迫る。

青白い炎の上に紙片を掴む手を翳した私は、そのままでじっと彼を見つめていた。


「何故、」


たまらなかった。

肺胞の1つ1つ、心臓の鼓動、全てが痛くて苦しくて、目の前さえ霞んでしまいそうだった。


「・・・・何故何も云わないの。

 君は私に、何一つ赦さなかったじゃない!一言言えば済む事でしょう、私を嫌いだと!!

 私の事等どうだっていいんなら、嘘でもいい、言って、私を諦めさせて。

 ・・・・もし、愛していると、言ってくれるのなら、迷わず私を抱きしめてよ。

 全てを消しとばすくらい、もう泣いたりしないでいいように…!」


悲鳴に似た命からがらのこの訴えは、彼に届いているのだろうか。

しかし、彼は身じろぎ一つしないで、静かに憐れむように私を眺めるばかりだった。

どうしてだろう、と私は悲しい困惑に狼狽える。


私はただ、ただ、決断を下したいだけなのだ。

(心の奥底では、想いが叶えばいいのに、と願ったけれど。)




嵐の迫りくる薄闇の中で、彼の下した審判は、沈黙だった。


何かを言いたげに私を心なしか悲しそうに見下ろしていたが、結局何も云わなかった。

その闇と同化しかけた彼の姿をとても見ていられない。

私はもう耐え切れなくなり、彼を抱き締めた。


そして、彼からこの腕を離して、セブルス少年の顔も視ないで走り去った。

立ち尽くしている彼の足下では、青白い最期の火が、風に掻き消えているだろうか。

私の思い出を焼き尽くした火を、彼が看取ってくれたなら。



空を被う黒雲が、もうすぐ雷鳴を伴って嵐が来る事を告げている。

そして夜が明ける頃には、嵐は行ってしまうんだろう。


固く閉じた手の中には、

どうしても切り捨てる事が出来なかった、

最初で最後の、彼の文字達がいた。




















Fin.




(Cocco/焼け野が原 へのオマージュ)

(03.3.29)

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送