不謹慎な恋














冷たいのはきっとそう思い込んでいるからに違い無い。だが、踏み締めた地面は確かに冷たい。

眼前に広がる無闇に広大な敷地は、柔らかそうな芝生の毛皮に覆われた動物の背中のようで、

緩やかな傾斜を讃え、脈打ちもしない似而非動物だと私は密かにその丘陵を蔑むように見遣っていた。


そして、整然と並んでその毛皮に刺さる棘は、十字を象った、花崗岩等の白い岩石。

それらは磨きあげられて、流麗な光沢を煌々と降り注ぐ陽光が弄び、艶は刻み込まれた幾つかの文字に引っ掛かった。

綺麗な刻み文字は少し機械的過ぎるきらいがある。


何の温度も持たないまま十字石に残されたそれら文字群が示したのは、十字石の足下の奥深くで土に還っていく人々の名。

忘れ去られるべき名前を刻む行為は、私が死んだ時はされたく無いものだと思う。


「私は墓は要らない、海に撒いて欲しいと云ったら、笑われたものだよ。」


吹き溜まる風が、伸びるままに任せた私の髪で視界を塞ぐ。私は風音に掻き消されながらぼそりとやる気なく呟いた。

誰に、とは云わずとも、相変わらず無表情無感情である私の隣に立っているそのおとこは察したはずだ。

なぜなら、かつて私の言葉を笑った人物こそ、私と彼がこんな無味な墓地にいる理由なのだから。


「ジェームズとリリーが死んで、悲しい?」


無駄な事ながら申し訳程度に髪を撫で付けて、私は彼に問うた。

今は亡きジェームズと常に敵対していた彼、セブルス・スネイプにそんな問いかけは無意味だと知っていたけれど。












私はその死を、何故、とも、如何して、とも思わなかったし、一方、世界の、闇からの解放に歓喜もしなかった。

報せには驚いたけれども、私はただ即座に彼等の葬儀に参列して、献花をし、棺に口付けてさようならを云った。

私はその2つの棺に眠る彼等に、学生時代には随分と良くしてもらったし、永遠にあの時が続いて欲しいと思っていた。

しかしながら、如何して私は何の感慨に囚われもせず、ただ環境に取り囲まれて存在していた。


彼等は棺ごと地中に埋められ、冷たい土と冷たい白い十字を被せられて、今私達の目の前で眠っているはずだ。

2つの十字は寄り添うように、新しき白石の艶を奏で、埋められたばかりの土は綺麗に芝で隠された。

何事も無かったかのような完璧すぎる仕事には、些か、お門違いながら不愉快になった。


十字にはそれぞれ彼等の名前と、日付け、短い祝福を祈る意味の言葉が刻まれていた。

墓石のしたに埋められた彼等の、軌跡の長さと膨大さ、残したものの計り知れない重さを憶うと、

あまりに簡素で味気ない気がしてならない。捧げられた文字も、滑らかな十字も。


しかし、かと云って、かつて栄えた古代エジプトの文明の様な、大袈裟に巨大で豪華なだけの墓も、

きっと気高き彼等には到底相応しいものだとは思えない。

そんなことではなく、私の心の内が思うのは恐らく、常に前を向き、凛と背筋を伸ばし、灯を掲げていた、

眩しいくらいうつくしい彼等には「死」と云うものがおおよそ似つかわしく無いという事なのだ。


特別な悲しみを抱き、故人を讃え称してそう思う訳では無い。

つまるところ、それはとても簡単なことで、例えてみればまるで服を選ぶときような、

あれは似合う、これは似合わない、そんな安易な規定からくる似つかわしさの概念に過ぎないのである。


昔は、否、今も、あんなに怖れていた「他者の死」を不可思議な程冷静に、しかも無感情に見つめていた。

自分の死等全く頓着しなかったが、私は極端に自分以外の全ての他者の死に逢うことを怖れていた。

なのに、私は現実に訪れた親しかった友人達の死に、悲しみ一つ自分の中に見い出す事も出来ず、

こんなにも尊大に、傲慢に、彼等の墓を見下ろして、黙って、この仏頂面のおとこと共に立ち尽くすだけだったのだ。


「ジェームズ・ポッタ−、リリー・ポッタ−、ここに永眠す。」


棒読みで台詞を読み上げるように、私は、隣で私同様木偶の坊みたいに立ち尽くしていたセブルス・スネイプに、

ちゃんと聞こえるようにそんなことを云ってやった。

別段嫌味でも何でも無かったが、云ってみようと思っただけだ。


「・・・・・。」


珍しく待ち合わせたりなんかしてこのおとことこうして墓に出向いてみたりしたが、私は何も喋らないし、

彼も何も喋らないし、私は悲しみ悲嘆に暮れる事も取り乱す事も涙1滴流してやる事も出来ないでいるし、

彼は全く無表情で無愛想で無感情で何を考えているのか思考の断片さえ読み取れない。

今日の本題は、墓参りで、故人を悼む事で、若くしてこの世を去った彼等に哀悼の意を捧げることに他ならない。

それを考えると、こんな無味に立ち尽くしているばかりで、だんだん申し訳ない気持ちになりそうである。


「花は、」


ふと気がついた私が、セブルス・スネイプの右手に握りしめられた真っ白い花束に眼を遣り、指摘してやると、

仏頂面をしてぐしゃりとそれを握り、眉根を寄せ、ぞんざいにばさりと投げ置いた。

可哀想に、簡素な白い包装紙とセロファンは歪に形を崩してしまっていたし、肝心の花は少しくたりと弱りかけていた。

(花は、名前は知らないけれど、純白の柔らかそうな美しい花だった。)


「どうせならリリー ( 百合 ) を献花すればよかったんだ。」


「お前はどうなんだ。」


「私は一昨日の葬儀の時に献花したから。

 もう十分でしょう?

 もう十分。」


今日会って、初めて彼の声を聞いた。会話らしい会話も初めてだった。

彼は「お前」としか私を呼ばなかった。

何時だってそうだ、ちゃんと今迄会った事のある人の名前は律儀にも全て覚えている癖に、呼ぼうとしない。


「久し振りに会うけどさ、変わらないね、セブルスくん。」


「・・・その呼び方は止めろ。」


なら一体何て呼べばいいの、その言葉を飲み込んで、私は彼から視線を離して2つの純白の十字に向き直る。

しかし、何時迄眺めていたって涙は無いし、嬉しくも悲しくも無くて、そんな感覚にかえって戸惑いを覚えた。


「君だって、私の名前は呼ばない。何度も云ったのに、私の名前はだ、って。」


ぽつりとそう呟いたが、もうその話題は終わったとでも云わんばかりに彼は敢えて私の言葉を無視した。

私は、もう、一体私達は何をしているんだろうと、だんだんこの沈黙に呆れてきていた。


私は、墓参りに来たんだよ。

私は、しかし、どうしようもなく無感情で、空白のような気分で、友人達の死を、あれ程怖れていた死を、

こんなにも簡単に当たり前の事として風化させてしまいそうになっている始末だ。

その癖、彼等の幼き息子が奇跡的な生還を果たし、闇を討った事を手放しで喜ぶ事も出来ずにいた。

どっちつかずで、気分の悪い靄を胸中に住まわせた居心地の悪さに少し歯嚼みする。


「やっぱりさ、線香なんて英国には無いんだよね。」


「・・・何をしている?」


怪訝そうに細めた眼で私を一瞥するセブルス・スネイプを後目に、私は黒色の外套の懐から煙草の箱を取り上げた。

緑のマルボロ。

煙草なんて余り好きじゃないけれど、私の尊敬するひとが吸っていたものだから、何となく手放せなくなっていた。

真似をしたってそのひとになれない事等わかっちゃいるが、それでも私はそうする事しか出来なかった。


箱の形は少し崩れて、縒れている。

中身がもう1本しか残っていない空虚な箱を、無造作に懐に捩じ込んでいたせいだ。

そのさいごの1本をそっと取り出して、今度は懐から鈍いシルヴァ−の、シンプルなライターを取り出して煙草に火を付けた。

一息だけその煙を食べて、吐く。

つまんだ煙草の筒先と、私の唇から紫煙がぼんやりと流れ出していく。


吸い込んだ煙を統べて吐き出してしまうと、煙草を墓石の足の部分に、セブルス・スネイプに倣って投げ置いた。

彼が投げた花束にくっつかないように、少し距離を開けて。

空になったマルボロの空き箱をくしゃりと握ると、弾力も少なくあっさりと潰れてしまう。


十字の足下から、細く、静かに、蜘蛛の糸のような煙りが風に煽られて掻き消えていくのを黙って2人で眺めていた。


蜘蛛の糸に貪りつくのは、亡くなってしまった彼等ではなく、生を持て余す冷淡なこの私の方かもしれない。

生きながらにして死に、それでもあさましく生を求めてしがみつくのは、あんまりに滑稽だろう。



私は何の前触れも無く、セブルス・スネイプに向かって背伸びをして、

骨張った私の綺麗なんかじゃない両手を伸ばし、彼の頬を掴み引き寄せてくちづけた。


友人達の墓の面前だとか、不道徳だとか、不謹慎だとか、そんな警鐘を鳴らす理性も、

胸の鐘を掻き鳴らすように突如として込み上げた得体の知れない狂気的な情動にはかないもしなかった。


くちづけた理由等、そんなになかった。どうしてだか、腕が動くのに従ってそうしただけだ。

しかし、ただ、彼は驚きはしたけれど、抵抗をしてくれなかったのだ。

抵抗して拒絶して欲しかった訳では無いけれど、彼が私を泣かせる程に叱れば、もう少し私は真面になったかもしれない。


彼らしくない、と思った。

彼ならきっと力一杯抵抗して、私を殴りつけるくらいはするかなぁと妙な期待もあったのに、

予想やら何やら、全てを覆して裏切って、彼は私を受け入れるでもなく、拒絶するでもなく、身動き一つしなかった。


みにくいおんなのように、私は少し背伸びをしながら彼の背中に腕を回して掻き抱いて、しがみつき、

そうしてまた何度か貪るようにくちづけた。

(貪ると云う形容には違い無かったが、官能や艶などこれっぽっちもない、乾いた行為だった。)


カマキリにでもなった気分だった。


くちづけを止めて、もうただ背中に腕を回してきつくきつくしがみつくばかりになってくると、

されるがままだった彼もいい加減観念したのか、やれやれしかたがない、とでもいうように、怠そうに私を抱いて。

温かいはずの身体の接触の、一体なんとドライで味気ないものなのだろう。


きっと彼は私の事をよく知っているから、私が決して、友人達を失った悲しみにうちひしがれて縋っている訳では無いと、

よぅくわかっている事だろう。無意味な背徳であるということを。

尤も、彼が、まるでB級の恋愛映画の様な無意味な私の行為をどう感じているのかはわからないけれど。


私は、背徳者になれるだろうか。

私は、死者を弔うのではなく、死者に祝福させるつもりなのだろうか。


出来る限り強い力で、彼の痩せた身体を引き千切るくらいの力を込めて彼を抱き、また幾度かくちづける。

彼は疎かに私を抱き、黙って私が彼を喰らうのを甘んじて享受したままで。






この不謹慎な恋を冷ややかな沈黙を讃えて見守るのは、丘陵に並ぶ白の十字の羅列と、死を食べた土ばかりである。


















Fin.




 

冷淡で鮮烈なる恋は

あさましく侮られる

(03.3.13)

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