手を伸ばせば届きそうな











薄暗い地下室に漂う薬品やら何やらの異様な馨りが鼻を突くと、

その部屋の一番奥の一番暗い所にいるであろう、しかめっ面の教授の顔が私の脳裏に思い浮かぶ。


この地下への下り階段を弾んで降りて行くような物好きは多分私くらいだ。

何と言っても、私を除く、ほぼ全校生徒に嫌われていると言う(ある意味すごい)教授なのだから。

地下牢教室の更に奥に教授の部屋があり、私は其処に向かっている。


別に怒られに行くわけでは無く、好んで遊びに行く。

用も無いのに遊びに行くと大抵教授の眉間の皺は一層深くなり、不機嫌極まりない表情になる。

(多分他の、スリザリン寮の生徒でさえ、その表情は御遠慮願いたいだろう。)

しかし、私はそういうあからさまな不機嫌な表情を見るのも楽しんでいるので、逆効果なのだが。


コンコンコン、と丁寧な3回ノックをして、中から返事が聞こえるのも待たずに勝手にドアを開けて、

満面の笑みで私は片手をあげながらもう片方の手で後ろ手に重く軋むドアを閉ざした。

この部屋の黴臭いような、奇妙な匂いにはもう慣れてしまった。


「スネイプ教授〜、今日も遊びに来ました。」


「ミス、用が無いなら帰りたまえ。」


「酷いなぁ、入って来た途端に帰れはないじゃないですか。」


「・・・・。」


「もうちょっとちゃんとした『会話』をしましょうよ。

 あ、また眉間に皺寄ってますよ?

 いい加減にもとに戻さないと顔の筋肉痙攣してしまいますよ。」


私は全く教授の嫌そうな顏も態度も無視し、やたら無邪気を装って笑顔をまき散らした。

別に私はいつもいつも馬鹿みたいに笑っているような種類の人間では無く、

どちらかと言うと普段はあまり表情のない仏頂面なのだが、つい、

このスネイプの、すごく迷惑そうなえも言われぬ顔を見ていると笑ってみせたくなる。


眉間を指差しながらまたアハハっと嘘っぽいわざとらしい笑い方をして、

床に散乱した書物を踏まないように避けながらスネイプがいる机の方へ歩み寄った。


「一体どういうつもりだね、。いつもいつも用も無いのに我輩の邪魔をするとは。

 いい加減にしないと『また』減点がかさむことになるぞ。」


「あれ、『また』って、やっぱり昨日も減点されてたんですか?

 全っ然気付きませんでした。酷いなぁ〜。

 ま、他の授業で補ってるからいいですけどね。

 でも別に私は何にも邪魔して無いじゃ無いですか!

 むしろお茶を入れたり、部屋を片付けたり、お手伝いをしてるだけですよ。」


私が言ったことは確かに事実だ。

夕食前や休日やらにこうしていきなり部屋に乱入してはいるが、騒がしいのは最初だけなのだ。

暫くして、スネイプが仕事に戻りはじめると私は口を噤み、(勝手に)お茶を入れたり、

実験に使う試料の用意をできる範囲内で手伝ったり、

床に散らかした羊皮紙と古い書物をもとの引き出しや本棚に戻して、部屋を掃除したりしている。

(もちろん、最大限の注意を払って、物音を立てたりはしない。)


そのせいか、スネイプは苦虫を噛み潰したような、怒っているような、複雑な表情を浮かべて、

深い溜め息を一つつき、机の前方ににっこりと佇む私の存在を無視してもとの仕事に戻った。


下手に挑発に乗ったり、(誓っても別に私は彼を挑発しているわけではない)

私と掴みどころのない会話を続けるのは私の思うつぼであることを、

彼は私がこの訪問をし始めて3回目の頃にはすでに悟っていた。

ちなみに、今日の訪問はもう何度目かわからないくらいだ。


黙ってしまえば私を押さえ付けられると、思っているのだろうか?

もしスネイプがそう思ってこうした沈黙にもってきているのなら、

それは彼の大誤算だと、私はしてやったりと言った思いで噛み締めていた。


何故ならば、この沈黙も私は大好きだからだ。


「どっちにしろ、私の勝ちだと思うんだけどな?」


何御脈絡も無く私が悪戯っぽくにやりと笑って呟くと、

怪訝そうな顔をしてギロリと私を睨み付けるスネイプと視線がぶつかりそうになる。


私は視線をさらりと交わし、いつもみたいに散らかった書物を音も無く拾い上げて、一ケ所に集めはじめる。

そうして足の踏み場が一通り出来たところで、集めた結構な量の埃っぽい書物を、慎重に棚別に仕分ける。


部屋に本を散らかしたままなのはスネイプが忙しいせいだろう。

もともとは本棚に並んだ書物はきちんと整理されていたようで、

なんとなく棚に残っている書物の背表紙を辿れば規則性が理解出来てくるのだった。


自分なりに解釈して、選別し終えた書物を数冊ずつ手に取り、一番低い棚の所から並べていった。

本棚は天井まで聳え、その全てにびっしりと本が埋まる。

流石に、私は背がそれ程小さいわけでは無いが、とても背伸びしたくらいでは届かないし、脚立もない。

そんな高い所は取り敢えず置いておいて、できる所から片付けていくのだった。


本を片手に何処に入れるか迷っているフリをして、ちろちと時折横目で私はスネイプの方盗み見た。

相変わらず、いつどんな時でもその眉間には深い皺。

いつもいつもあんなでは、きっと顔の、額や眉のあたりの、筋肉もいい加減疲れてしまないのだろうか。

私の視線に気付いているのか、気付いていないのか、それとも無視しているだけなのか、

スネイプは黙々と鴉のような真っ黒な羽ペンをせわしなく動かして羊皮紙を積み上げていた。


無性にそういう空気が楽しくなって、少し俯いて薄く笑って、また本を棚に戻し始めた。

よく私は『お前は変わっている』と呆れたように言われるが、

ちゃんと、自分が妙な所で妙に嬉しくなると言う、奇妙な癖には自覚がある。

(その事を言うと、自覚があってそれでもやめようとしないあたりがより悪質だと言い返されたが。)


しかし、仕方ないじゃ無いか。

スネイプが私をこんなにも『楽しませてくれる』というのに、喜ばずにはいられないのではないだろうか?


ややにやけ顔のままで、私はだんだんと本棚の上の方まで着々と片付け終えていった。

胸のあたりの高さを整理し終え、更にどんどんと上の棚にまで着実に進む。

手を伸ばして届くあたりの棚。

終了。

背伸びをしてようやくぎりぎりで手が届く棚。

終了。


届く高さまでをすべて整理し終えたところで、私は口元に指をあてて、ふっと考え込んでしまった。

そう、問題はつまるところ此処からなのだ。


まるでスネイプの真似でもしているように眉間に皺を寄せて本棚のてっぺんを凝視し、

考え込んでいる私を、スネイプが少しだけ羊皮紙から目線を離して一瞥したことにも気付かず、

私はなおも考え込んだ。


脚立、そう、ここには脚立等無い。

いつもいつもこうやって片付けに来る度にこの本棚の私の届かない所にはほとほと悩まされた。

昨日までは、やっぱりどうしても届かないので仕方なくスネイプが自分で片付けるように、

できるだけ手を煩わせることが無いように整とんしたまま床に放置しておいたのだが、

今日こそは何とかこの聳えたつ怪物(※本棚である)に打ち勝ちたいものだった。


魔法で本を上へと浮かせて片付けることも考えた。

しかし、あいにくと私は浮かせた本を本棚に「置く」事は出来ても、

整理整頓をそれで行うことはさすがにできなかった。

そんなに細かいコントロールは出来なかったのだ。


(あ、もしかして、自分を浮かせればいいんじゃないか?)


もう少しで手をポン、と打つ所だったが、それも自分で却下せざるをえなかった。

大体、試したことが無いのだから危険すぎる。

自分の身が危険なのでは無い。

危険なのは、この部屋をスネイプに追い出されかねないからだ。


もし失敗して大きな音を立てたりしたら、きっと彼は怒ってとうとう私を追い出してしまうだろう。

今までこの部屋に(無理矢理)入り浸っても、怒られはしたが追い出されないのは、

私がほとんど物音を立てないでいるせいだと思っている。


本を片付けるのにしても、最大限の気を使って静かに行動している。

此処に来始めてから随分たつが、自慢では無いが足音より大きな音を立てたことは無いのだ。

そういう努力により、辛うじて「居ること」を許されている(と、思っている)。


この部屋に来ることを禁止されたら、私はどうすればいいというのか。

此処に来るのはこの部屋の主を好いているから、この部屋の主と少しでも長くいたいからだというのに。


無駄だとはわかっているが、精一杯爪先立ちをして、

片付け終えた本棚の列のもう一列上を目指して私は腕を伸ばしてみた。

やっぱり、もちろん届かない。

どう足掻いても聳えたつ本棚は途方も無く大きかった。


はぁ、と溜め息をつくような仕種をひとつして、諦めた私は仕方なく床に残った本を、

片付けやすいように並べて軽く積み上げ、邪魔にならないように放置しておいた。


(ソレにしても、どうやって一日でこうも本が散らかるのだろうか。

 昨日も結構片付けたような気がするのだけれど・・・。)


そんな考え事をしながらスネイプの机を横切り、今いる研究室の更に奥にある部屋に入って、

そっとドアを閉めて音がもれないことを確認すると、お茶をいれる準備に取りかかった。

先程の部屋よりも更にたくさんの黴臭い書物と、

得体の知れない妙な生き物(?)の瓶詰めを無視し、黙々とお茶を入れる。


湯を注いだ途端に、薄暗くじめじめとした部屋中に広がる紅茶の茶葉のいい馨りに思わず顔を綻ばせ、

持参して来た茶菓子をティーカップにちょっと添えて、スネイプのいる部屋に戻るべく、

・・・・・ドアを蹴り開けた。

(言い訳させてもらうと、両手が塞がっているのだから仕方ない。)


ドンッッ


ドアを蹴り開いて見たものは、スネイプの引き攣った顔だった。

例のごとく、当然私はその怒りを無視して何事も無かったように、

2人分のティーカップを乗せた盆を持ってゆっくりと机に近付き、言った。


「教授、お茶が入りましたよ。」


なに喰わぬ顔で、こめかみをぴくぴくさせていそうな恐ろしい形相で睨むスネイプに、お茶を差し出した。

足音より大きな音を立てたことがない、というのは、少し嘘だったかも知れない。


「・・・いつもいつも・・・いい加減ドアを蹴り開けるのは止めろと言ったはずだが?」


「両手が塞がってるんですよ。」


「なら最初から開けておけばいいだろう!」


「開けておいたらカチャカチャとうるさいのでは無いですか?」


「我輩がいつ君に茶を入れろと頼んだのだ。」


「私が入れたいんですよ。」


「・・・5点減点だ。」


「あはは、御愁傷様だわ、私。」


私は他人事のようににっこりと笑う。

強制終了された会話。

怒りと言うよりもむしろ胃を痛めているような、『もうお願いだから帰ってくれ』的な雰囲気だった。


片隅に置かれた小さな丸椅子を机の側まで引っぱりだして来てそれに座り、

私は自分で入れたお茶を飲んでふっと溜め息をついた。

こんなことをしていても、減点がかさむ一方であることは私だってわかっていた。

減点は他の授業で自分で相殺しているので、最低限寮に迷惑をかけるような行為にはなっていない。

しかし、あまりにも無意味で、途方も無い気持ちに整理をつけるには名残惜しかった。


私はスネイプ教授が好きだ。

勘違いなんかじゃ無い、恋をしている。

しかし相手は、そんな思いを真剣に打ち明けたところで、真剣に返事を返すような人間では無い。


鼻で笑われてお終い、怒られてお終い、遊びに来ることを禁止されてお終い。

そんな見え見えの辛い結果を招くよりは、嫌がられながらも、

こうやって毎日近くで片付け等をしている方がよっぽど私は幸せだと思った。


中途半端で、妥協ばかりで、ぬるま湯に甘んじている、結果を怖れて傷つくのを怖れて立ち止まる。

そんなふがいなさが心臓を握りつぶしそうだった。

ティーカップを持つ手が小刻みに震えた。

膝が震えた。

足に力が入らなくて、寒気がした。


ああ、笑わなくちゃ。


そう思った。

幸せだから、側にいられるのが嬉しいから私はいつでも此処に来る時はやけにニコニコしていた。


(本当は、そうじゃなかったのか・・・。)


自分へ募るイライラと矛盾とで情けなく泣き出したくなる愛おしさと胸の痛さを、

何とかして押し殺して、矛盾していても情けなくてもそれでも、きっと、側にいる為なのだ。


(空元気じゃなかったはずなんだけどなぁ。)


手をきゅっと強張らせて震えを止めて、一口しか飲んでいない冷め始めた紅茶のティーカップを握る。

先程私が片付けた本棚の、届かなかった高みのあたりに視線をぼーっと漂わせていると、

スネイプが(なんだかんだ文句を言いながらも)飲み終えた紅茶のカップを置く音が聞こえた。


「あ、もう一杯いかがですか?」


本棚を眺めていたので背を向けていたスネイプを急いで振り返って言うと、

いつもの不機嫌に眉を顰めた表情に少し驚きが入り混じっているのをみとめた。

いつもと違う様子で私の顔をじっと凝視しているのを不自然に感じて、

私が笑ってどうしたんですか、と問いかける前に低い声で問いかけられた。

ちゃんと話し掛けられたのは、初めてだったかも知れない。


「何故泣く?」


酷く手短な、彼らしい問い方。

そんな短い声音にも動揺が少し混ざりかけているのを私は聞き逃さなかった。

と、共に、その言葉の意味を理解するのに少し時間がかかった。


ぼーっと、またもとの表情に戻してそれでも私の顔を見つめ続けているスネイプの顔を、

私も少し放心したようにぼーっとながめていた。


「私、泣いてますか?」


「ああ。」


まだ少し動揺しているような雰囲気のまま、低くて少し掠れた彼の声が肯定の意を示している。

それを理解するのにさえ、数秒かかってしまった。

奇妙な感覚を抱えたまま取り敢えず立ち上がってティーカップを教授の机にそっと置き、

自分の目元と頬に触ってみると、確かに透明の液体が指に纏わりついた。


「何故泣くか、という質問ですが、答えられそうにもありません。
 ・・・だって、私自身何で涙が出るのかさっぱり分からんのです。」


怖い程冷静で、何の動揺もない私はちょっと困ったように少しだけ薄く笑って言った。

いつものにっこりという自分の笑いとは違う、此処に来て始めてする笑い方だった。

自分では全く泣いている自覚が無かったというのに、一体この涙腺はどうなってしまったのだろう。


しかし、この理由に心当たりが無いわけではないことは、胸の後ろめたい気持ちからも明らかだった。

偶然にも行き当たってしまった私が笑う理由に、自分の思いに、噛み殺し切れなかった衝動に。

しまった、と、心底失敗したという気持ちで一杯になった。


こんなミスでここを追い出されるなんて嫌だ。

このままでいたい。

・・・いや、このままでいい。

これ以上を望まないから、どうか、せめてこの時間を許して欲しい。


いまだぼろぼろと止まることを知らない涙を無視して、私はまたもとの丸椅子に座ったまま、

ややトリップ気味の思考で自分の欲を再確信して同時に自己嫌悪するという難しいことをしていた。

視線はその辺を這い回ったり飛び回ったり。


そんな私を見てスネイプはと言うと、彼もまた少し戸惑っているようにも見えた。

そりゃあいきなり泣き出したらいくら彼とて、驚くのは当たり前だろう。


「いい加減、泣き止んだらどうだ。」


はれものを扱うようにおそるおそる、いつも通りに話そうとする声が少し可笑しかった。

少し笑うと、怪訝そうな彼の表情が一層不可解なものを見るような目になる。


「そうですね。」


言いながら笑うと、スネイプは額を押さえて深い溜め息をついた。

自分が泣かしたみたいではないか、とバツの悪そうな声音で呟いたのを私は聞き逃しはしなかった。

やけにその台詞が、でたらめな感覚器官を喜ばせて、むず痒く私の神経回路を嬉し気に震わせる。

そして、不似合いな止まらない涙をこぼしながら、作り笑顔では無い笑顔を、うっかり一つ。


笑おうと思って笑うのではなく、本当に自然に笑えたことに、私自身驚きを隠せなかったけど、

でも、そうしたらスネイプも皮肉っぽく微笑してみせてくれた。

ほんの少し唇の端が上がる程度の、もう少しで見のがしてしまいそうな不機嫌顔に似た微笑だった。


「そろそろ私帰りますね。なんかこれ以上ここにいると余計に邪魔してしまいそうですから。」


「フン、全く今更だがな。」


そういって、相変わらずちぐはぐな表情---こぼれる笑顔と涙---のまま、

2人分のティーカップを片付けて、手が届かなくて片付け切れなかった書物を恨めし気に一瞥して、

研究室の重々しいドアの把手に手をかけた。


。」


「・・・何ですか?」


「今度、脚立を用意しておく。」


「・・・!!!
 ・・・・・・・・はいっ・・・・!」





ああ、明日こそは、聳えたつ大きな本棚の一番上にも手が届くだろう。

そして、いづれはこの私の手が、きっと、きっと、貴方に届きますように。

今はまだ、少し遠いけど。














Fin.




 

(02.8.25)

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