虚飾の城













貴方は全てを、財力と権力でその手中に収めてきた。

イミテーションでよろしければ、愛も気持ちも幸福も金で買える。

それに何か意味があるのか、そんなこと、どうでもいいことだわ。







手にしていた皮のドクターバッグを置くと、柔らかな赤い絨毯に衝撃は吸収され、

何とも気の抜けるような浮遊感に富んだ感触だけがあった。


その黒いドクターバッグは大きく、そして重かった。

中に詰め込まれているのは、冷ややかに光る銀色の鋏、櫛、ドライヤー。

そんな、ただ髪の毛を弄る莫迦げた道具しか入っていない。


それらは私の大事な商売道具であり、私が持っているもののほぼ全てだったが、

私にとってそんなものは随分と無駄な世界の非合理のように感じられる。

髪なんて放っておけばいいものを、そう口の中だけで吐き捨てて、にっこりと空虚に笑んだ。


目の前で、悪趣味に美しいばかりの椅子に座り頬杖をついて私を冷ややかに見つめる男に、

恭しく一礼をした。白銀の長い髪は肩からとろりと垂らされて、

私の手が入るのをうんざりとしたふうに待ちわびているようだった。


(そんなに触られるのが不快なのでしたら、切り落としてしまえばいいものを)

(貴方も他の人間も、皆無駄な手間を惜しまないでいらっしゃる)


表情には微塵も出さないでそんな不躾なことを考えながら、

形式にのっとった面倒な口上を台本通りと云った声音で簡潔に述べた。

礼儀は尽くせど面倒事など私も男も望んではいまい。


「つまらぬ口上はいい。さっさとやれ。

 髪結い、貴様と違って、わたしはそれほど暇な訳では無いのだからな。」


「御承知致しました。仰せのままに。

 先日と同じで宜しゅうございますか、マルフォイ様?」


「ああ」


不機嫌を滲ませた最低限の短い返事を聞くに及び、ようやっと私は仕事を始める。

垂らされるが侭のルシウス氏の白銀の髪を束ね、

忌々しいながら手によく馴染む柘植製の櫛で梳いた。


柔らかな髪をまっすぐに手際よく梳いていると、何時も何時も心の何処かで、

この細っこい長い髪を引き千切ってしまいという気持ちが無意識に涌いてくる。

尤も、そんなつまらない衝動を実現して首を落とされるつもりは毛頭無いので、

何も知らないふりをして黙って手を動かしていた。


「髪結い、」


「はい、どうかなさいましたか。」


私がルシウス氏の髪を結うようになって随分になる。

私の顧客の中でも最も上客である彼だが、

このように仕事中に話し掛けられるのは中でも珍しい事だった。


彼は無駄な会話をしない。

私が呆れ敬う程に合理的な男だった。

ルシウス氏が私に要求するのはただ2つ、確実な仕事と沈黙。


「このような仕事を続けて何年になる。」


「そうですね、・・・・もう、10年以上にはなりましょうかと。」


「人の髪を結うだけで随分な金をとるか、下らんな。」


多く名家の人々ばかりを顧客としている私は、一応はその筋では名くらい知られている。

その為、普通に比べれば与えられる賃金は多い方だろう。


しかし、かと云って其れ程私は飛び抜けて腕が立つわけでもない。

つまり私のこの名の意味する少しばかりの有名さというのは、

その多くが客の上手いあしらい方を知っている事にあると云っても、間違いでは無かった。

(だから私はルシウス氏の言葉に黙ってにこりと笑み、頷いた。)


「私もそう思います。」


自虐的に聞こえるような声音で戯けつつ、私は綺麗に梳き終わった髪を一旦降ろし、

ドクターバッグから、細い線をぎらりと艶めかせる銀の鋏を取り出した。


細かい模様が刻み込まれた柄の部分は純度の高い銀で出来ており、

悪趣味な迄に上品なフォルムを握り混めば、すぐに手の熱が伝わっていく。

顧客の一人である何処ぞの名家の当主が私を気に入り、

私に与える為に作らせた特注品の鋏だと云う。


是非使ってくれと、だらしのない卑しい笑みを浮かべて差し出されれば、使わざるをえない。

客を上手くあしらい、顧客を意の侭に抱え込むのに必要なのは、贋作の従順性だからだ。

悪趣味だと内心舌打ちをしていたが、それにももう慣れた。


相変わらず微笑を張り付けたまま、私は黙ってルシウス氏の細い髪の毛先を少し整えた。

無駄の何も無い完璧な仕事は、私の誇りというよりは嘲笑の種だ。

髪なんて、邪魔なら切ってしまえばいい、邪魔で無いなら放っておけばいい。

どれ程時間と金をかけても、己の人としての醜悪さはどこまでも足下に付き纏うだろう。


(私も、あんたもね。)


整え終わった髪をもう一度丁寧に梳き、ルシウス氏の黒い紗のリボンでふわりと結び上げた。

結び目を整えて、束ねた髪の形を整える。


(どうせすぐに崩れるものだわ、ざまぁみやがれ。)


要するに、私は最も古株の上客であるこのルシウス氏を、最も気に入りもし、厭ってもいた。

他の顧客の多くは財力を有しているだけの品の無い能無し連中だったが、

しかし、此の男は、彼等と違って頭も切れるし無駄や隙がない。

合理性を愛する私にとって願っても無い相手だが、だからこそ嫌悪していた。

可愛すぎて可愛げがないとでも云うべきか。


「お待たせ致しました。

 何処か不都合な所がございましたらお申し付け下さい。」


「いや、十分だ。

 金はいつものように使用人から受け取るがいい。」


「畏まりました。

 どうぞ今後とも御贔屓に。

 またの御呼びを心よりお待ち申し上げております。」


そう云って、私はさっさと片付けを済ませてドクターバッグを持ち、

恭しく礼をして退出しようとした。仕事が終わった以上、こんな所に長居する必要もあるまい。

しかし、今日は珍しい事が続く日らしく、ルシウス氏は横柄に私を呼び止めた。


「待て、髪結い。」


「・・・はい、何か。」


「今日はナルシッサもだ。」


「奥様、でございますか。」


「もうすぐ此処に来る。暫く待っていろ。」


「畏まりました。」


何処かへお出かけなさるのですか、とは声には出さないが、

少し溜め息をつきたい気分で、ルシウス氏に促されるままにソファーに腰を降ろした。

やたらと柔らかく座り心地のいいソファーで、小さな嫌気がさした。


威圧的なルシウス氏の視線と沈黙と他人の家のソファー。

厭なものが揃い踏みして、私を見下しげらげら笑っているようだった。


「その髪、」


ルシウス氏がぞんざいに云った。

私は黙ってその先の言葉を促すように、ゆっくりと瞬きをしながら彼の眼を見据える。

鋭く睨むこの男の冷たい眼からは、命を容易に踏み潰すようなステキな冷徹さが垣間見えた。

自らの手を汚さぬ潔癖な殺戮者は、ちょうどよくこのような色の眼をしているものだ。


「貴様髪結いだろう、どうにかならんのか。」


今にも舌打ちの混じりそうな吐き捨て方をして、ルシウス氏は顔を顰めた。

おそらく前々から、私の伸ばすが侭に任せた長い髪がよっぽど気に入らなかったのだろう。

髪結いなら自分の髪を綺麗に結い上げてみろということだろうか。(馬鹿馬鹿しい。)


「自分の髪には何の執着も涌きませんので。」


「ふん、それでよく仕事を失わぬものだ。」


彼は嘲笑した。


「お気に召しませんのでしたら、次回からはきちんと結うて参りますが、」


偽造した従順性が指図するに任せて私はルシウス氏に御伺いをたてた。

きっと私ならこんな機嫌を窺う軟弱な態度になど、憤りしか感じないだろうに、

どうにも、こういう態度を懸命だと言葉にせずとも誉める者が多い事だ。

他人を掌握することに慣れるとそうなってしまうのかもしれない。


「わたしは、ただセンスの問題を云っただけだ。」


彼らしくも無く、幾分歯切れの悪いように聞こえる返事だった。

しかしその一言は私を幻滅させた。


残念だった。

彼ならもっと酷い言葉で私を突き落として、冷ややかに笑うだろうと思っていた。

私はマゾヒストではないが、ルシウス氏には完璧なるサディストであって欲しかったと云う、

勝手な期待が、かすかに胸の奥にあったらしかった。


黙って立ち上がり、ドクターバッグを持って扉に向かった。

何処へ行く、というルシウス氏の言葉に、私はにっこりと笑って振り向いた。


「今日はお代は要りませんわ。私、もう帰らせて頂きます。

 御存じの通り、私はそれほど腕が良い訳ではございませんもの、

 代わりの髪結いは幾らでも居ますわ。

 もうこのような取るに足らぬ髪結いのこと等、お忘れ下さいませ。」


「それは、どういう意味だ」


一層鋭く私を睨み付けたルシウス氏が、低い声で威圧している。

私はふっと笑った。


「マルフォイ様、どうして今迄、他の髪結いで無く、"私"を御呼び下さったのですか?」


ルシウス氏は私を睨んだ侭、少し困惑しながら眉を顰めた。


「財力と権力があれば買えないものはございませんけれど、

 私の気紛れはゴミ同然で買える事も有れば、途方も無い高値のときもございますの。」


そして、貴方は私の興を殺いだ。

私を何度も呼び出して、そして今日、とうとう貴方は私の前に完璧なるサディズムを崩壊させた。


(私は、私を愛するような人は決して愛さないのよ。)


立ち尽くすルシウス氏に背を向けた私は、彼の元を去った。

彼は、きっと自分自身でも知らなかったのだろう。

彼が私しか髪結いを呼ばなかった理由に。








「亡骸と権力の上に建てたからっぽのお家は、さぞや住み心地がよろしいのでしょうね。

 ねぇ、ルシウス様?」


最後にと振仰いだ大きなルシウス氏の居城は、砂のような虚勢に塗り込められているようだった。

もう二度と、彼に会う事も、彼の部屋で髪を結う事も無いだろう。


ルシウス氏は、一体どんな気持ちで私の去る姿を見たのだろう。

私は微かに笑った。

















Fin.




 

 

(03.8.6)


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