Meli Melo
「ねぇ、アレを見て。」
南向きの塔の壁際に手を置いて、リーマス・J・ルーピンにそんな事を言った。
その言葉は別に懇願でも命令でもなく、ただの言語的な切れ端のようなもので、
本当に見て欲しいと思って掛けられた声では無かった。
しかし、私が呼び掛けたおとこは律儀にも、何だい?と微笑を浮かべながら私の背後に立った。
私は柱に寄りかかりながら空の見える位置を彼に明け渡して、
眼で外を見るように彼に促しながら、しずかに空の隅っこを指差した。
腕の血液がどくりと流れるような感覚に少し酔いながら、私は黙ったまま腕を固定した。
手の平から生えている便利な突起、細胞の進化の証だという。
そんなことはまったくどうでもいいのだけれど、そんな指を、私は空に向けるのだ。
いつも長い時間をかけて無駄な程手入れしている私の爪がつらつら光っている。
綺麗だけれど、きれいだとは思わない。
「、空に何があるの?」
私の思惑も策略も、まだ何も知らない無邪気な彼は、私に促されてじっと眺めていた空から眼を離し、
私にいつもの困ったような微笑を向けて、小頸を傾げているので、
ゆっくり曖昧に眼を細めた私はまだ空のはしっこを指差している。
空というよりむしろ大気。
大気というよりむしろ宇宙。
無関心な私は、今指差しているものが厳密には何であるかということには興味は無いのだから、
切れ間のないそれにはしっこがあるのかという疑問もどうでもよかった。
あえて表現すれば、それは空を区切る塔の窓からみえる、切り取られた四角い青のはしっこであるのかもしれない。
「もっとよく見て。」
私は言った。
が、しかし、そこにはよく見ても何も見つけられないだろうに、
それを知りながら彼を騙すかのように、如何にも何かがあるふうに装い、蒼い空を見るよう彼に要求する。
彼は何も言わず、また空を少し眩しそうに眺め遣った。
長い睫毛に縁取られた眼が細められて、きっと彼は瞳の色素が薄いんだろうと思った。
私のような漆黒では無いから、その分少しばかり私よりも太陽の光に弱いのかもしれない。
そんな眼球がすてきだと私はおもう。
「もっと、ちゃんと、身を乗り出して見て頂戴。」
腕を降ろして、私に言われた通り少し前傾姿勢で空を黙って見上げるリーマスの背後に立った。
逆光に縁取られた暗い後ろ姿が切ない。
どうしてこうもこの人は私の言いなりになっているんだろう。
指差す先に何も無いことくらい、察しも頭もいい彼の事だからとっくにわかっているはずだろうに。
いつもそうだった。
いつからとも知れず何となく恋人と言う肩書きを互いに手に入れてしまっていた私達は、
本当にいい加減に、ただそこに一緒にいた。
私が好きかと問えば好きだと答える。
私が嫌いかと問えば嫌いではないと答える。
私の為に死ねるか、と、それは言わずにおいたのだけれど、
その代わりに問うた、私の為に何ができるかという問いに、彼は自分のできうることならば何でもと答えたのだ。
私は彼が好きである。
私は彼が嫌いではない。
私も、同じく自分に出来うることならば彼の為になんだって出来るだろう、棒げるだろう。
それに、彼の答は聞いていないけれど、正直言って、私は彼が願うならこの脈を途絶えさせてもよかったのだ。
一体何処でどう私は捻くれてしまったのかわからない。
だけど、彼がまったくどんな動揺も見せないで常に同じ笑顔を私に向けるのがとてつもなく嫌だと思うのだ。
いっその事その綺麗に歪な微笑を引き剥がして奥底を露呈させてしまいたいとすら。
だから私は満月の夜に一緒にいてもいいなどと、あまりにも残酷な事を思ってしまった。
どれ程の苦しみと悲しみを、リーマスは自分の身体に無数に刻まれた傷跡に変えてきたのかと言うことは、
満月の夜が明けたその朝に目の当たりにした痛々しい姿を見れば嫌でも思い知らされてしまうのだ。
初めてそんな姿を見た時、一度だけ、私は彼の頭を抱いて無様に泣いた。
腕の皮膚に滲みた赤色の血液があんまりにもイタイ。
どうしようもなく胸がおかしくなるくらい苦しくて、そうすることしかできなかった。
自分にはどうすることもできない事が歯痒くて申し訳なくて、完全にその苦痛を察してやれない自分に苛ついた。
心臓がしくしくと痛むばっかりで、ごめん、と対象も定かではない謝罪をして、彼を困らせた。
それなのに。
彼が好きだと言ってくれた、私を、彼自身の手で殺めることによって、彼の笑顔の下が明かされるのではないかと、
頭を掠めてちらつく罪深い考えに捕われながらも、イラつきを噛み殺そうとする。
逆光に縁取られたリーマスの後ろ姿さえも、愛おしく思う。
けれど、その思いと同じくらいに一つの冷血な欲望が手の平に行き渡るのを感じるのだ。
身を乗り出すリーマスの背中に、そっと私は手の平を真直ぐに添えた。
リーマスがじっと動きを止めて、私に背を向けたまま私の言葉か、行動か、何かを待っているようだった。
「私は、今、あなたの生死を握っているのかしら。」
彼の背中に添えた手を強張らせて、静かに私はそんなつまらない事を尋ねてみるのだ。
人を殺すなど怖くて出来もしない癖に、それでも、この手に力を込めて彼をこの高い塔から突き落とせるという、
異様な優越感のようなものに背中を抱きかかえられている。
落ちれば、きっと彼は死んでしまうだろう。
落ちれば、きっと私だって死んでしまうだろう。
彼を突き落とせば、私は彼に対する得体の知れない苛つきを解消して、同時に彼の笑顔の裏の本質を垣間見れるだろうか。
そして、私が好きだなんて言ったリーマスに私を憎ませる事ができるだろうか。
「そうだね。はその手で僕をそのまま殺せるかも知れない。」
そう言ったリーマスの声は、物騒な会話であることなど微塵も感じさせないいつもの穏やかで綺麗な声だった。
抑揚があまりなかった。
表情は背を向けているので窺い知れないけれど、きっとやっぱり薄い笑みを浮かべて何にもない空を見つめているのだろう。
仮にも私が殺すかも知れないという事態だのに、まだ私が指差した空のはしっこを見ているのだ。
どうして私のつまらない虚言を知りながら、こんな下らない演劇にそれでも付き合おうとしているのか、
彼の思惑が分からなくて焦燥と意味の分からない嫌悪が募る。
笑いたいような泣きたいような怒りたいような、まるで滅茶苦茶な気分に吐き気がする。
「ねぇ、リーマス、私が好き?」
「好きだよ。」
「私が嫌い?」
「嫌いじゃないよ。」
「・・・・私の為なら、出来うる事なら何だってできると、あなたはそう言ったわよね?」
「あぁ、言ったよ。が望むなら、僕は僕の最善を尽くしたいと思うよ。」
同じ質問を繰り返してみても、やっぱりリーマスの答は同じで、泣きたくなるくらい優しくて、
そして、悲しいくらい私の冷血な嫌悪らしき感情を後押しする。
本当に私はこの手に、力を込めてしまいそうで、背中を冷たく嫌な汗が流れるようだった。
「なら、あなたは、わたしがあなたを殺す事さえ黙認してくれるとでも言うのですか?」
せめてリーマスが私を今すぐに責めなじってくれれば、
私の罪深さを諌めてくれれば、
私の異常な思考と言動を軽蔑してくれれば、
私の手を払い除けて正義の定義を説き伏せてくれれば、
きっと
私はこの嫌な悪意と衝動とを消し潰してあなたに心から涙して謝罪する事が出来たでしょうに。
彼の返事に、私は悲しくなりました。
「君が、が、本当に、それを望むなら。」
一番聞きたくなかったのかも知れない言葉を聞いてしまったのかも知れないので、
私は眼を閉ぢて耳を塞いで逃げ出したくなった。
リーマスの声はやっぱりどうして平生の雑談の時と変わらなくて、軽すぎもしなくて重すぎもしなくて、
私が好きだと言った声とも穏やかさは変わらなくて、景色の綺麗な場所を教えてくれた声とも、
美味しいチョコレートを教えてくれた声とも、あの夜明けに大丈夫だからと私を宥めた声とも、
何一つ、そう、何一つ変わらなかったのに。
リーマスの背中に添えた手を結んで、そのまま彼のローブを引っ張った。
不意をつかれて、引き寄せた私に向かって思わずよろけながら倒れ込むリーマスを構わず引き寄せて、
頸にこの頼り無い腕をぐっと巻きつけた。
「わたしが、あなたの死を望むはずがないことくらい、あなた、よくわかっているでしょうっ!?」
無色透明の生理食塩水が眼球を濡らすのも構わず、座り込んでリーマスの頸を掻き抱きながら肩に顔を埋める私を、
私は少し離れた所から人事のように見ているような、奇妙な感覚に侵される。
リーマスが私の背中をあやすように優しく叩いて、
君が望むなら、僕は絶対に何処へも行かないよ、僕はが大好きだからね、
と、私に、静かに言った。
いつもと何も変わらない聲でも、仕種でも、困ったような寂しそうな笑顔でも、
そのままでいいからこれ以上増える傷跡の向こう側に近付いたりしないで欲しかった。
そんな遠くを悲しそうに見ないで欲しかっただけなのだ。
私を置いていかないでと、嫌悪に似ていた苛立ちは、その言葉に上手く変換出来る事を、私はようやく知る。
変わらないその姿を見ていると、どんなに急にいなくなっても大丈夫なようにいつも覚悟しているみたいで、
昨日も今日も明日も何一つ変わらせないまま、
突然私の腕から消えてしまうんじゃないかと思ったのよ。
Fin.
Meli Melo(メリ メロ):ごちゃまぜ
(02.12.11)
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