愛しのヘリオドール 3

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

馬車までの僅かな距離を歩いただけでも、浴びた数多の視線は全身に突き刺さるように痛かった。

今まで面倒がってほとんど社交場にも顔を出さなかった、私のような引きこもり貴族には厳しいものがある。

 

グランコクマの地に降り立った今、もう後戻りは出来ない。(バチカルを追い出された時点で既に手遅れだが。)

実際にその状況を身を持って体感しなければ、自分が其処でどういう心情を持つかなど分からないものである。

とにかく今は気が重い、其の一言に尽きるような気がした。

 

なるべく無表情を装っているのは、今は愛想笑いが出来ないからではなく、沈んだ表情にならないが為。

無表情とは要するにプラスマイナスゼロの表情だ。幸せそうな顔をするのは些かハードルが高過ぎよう。

 

別に嫁ぐのが死にたいくらい厭だとか云う程のことは無いのだが、

それでもやはり本音を言えば、今回の件には最初から気が進まなかったのも事実である。

何故だなんて問う迄もないだろう。其処には私の意思がなかったからだ。

 

断れぬなら断れぬで仕方が無いと割り切る事はできるが、

前世での「私」の一生分をごく一般的に自分の意思で生きてきた私にとって、

この世界の秩序や生まれた家の窮屈さは、些か堪え難いものである。

 

今でこそ、預言を廃止して、ようやく世界が自分の足で歩み始めているようだが、私がこの世界に放り込まれた当初など、

キムラスカは預言盲信者による預言盲信者の為の預言王国だったと云って相違無い。

誕生日の度に頼んでもないのに勝手に詠んで下さる、有り難過ぎてうんざりするような預言に振り回されて、

不必要な行動を預言成就の為にと強いられるのは、面倒くさいこと此の上無かった。

 

放っといても預言通りになるのならもう放っとけばいいじゃないか、と云う私の思考は、

残念ながらこの世界における非常識であった。

預言廃止に至るまで、否、廃止に至っても尚、私の理屈は結局のところ誰にも理解しては貰えなかった訳だ。

よくもまぁこの世界の人はこんな生き方で不満も無くやっていけるものだと呆れ、

無自覚な視野の狭さと盲目的な追従が少し怖くなった事もある。

 

ともかくも、昨年になって預言を巡る戦いに終止符が打たれた事により、

此れから少しは面倒事が減ってくれるだろう、と随分と楽観的な事さえ考えていた、過去の自分の気楽さが憎い。

ようやっと鬱陶しい束縛から解放されて、自分の意思で生きていけるものと思った矢先の出来事が、此れだ。

泣けてくる。

 

此れでもかと云う程のぬか喜びである。上げて落とすと云うその無慈悲さよ。

この世界で神様にあたるのが誰なのかは知らないが、とりあえず神は私が相当嫌いらしいと云う事だけは理解した。

神頼みなんて困ったときしかしないけど。

 

憂鬱な心地が拭えず、暫し目を伏せた。

…。 誰がマリッジ・ブルーか!

と、頭の中で自分で自分に突っ込みを入れるしょうもない私だった。

何だかもう茶化しでもしないとやってられない。ていうか全面的に総てが面倒くさい。

 

馬車に揺られ、カーテンの僅かな隙間から除く音素灯の光を見つめて、私は静かに重い溜め息を飲み込む。

それでも喉に引っかかる蟠りは、吐き出す事も飲み込む事も出来ずに、ただ気管を塞ぐばかりだった。

これから向かう場所が私にとって「檻」では無く「家」と呼べるようになるのなら、

きっとそれは何よりの幸いだろうけれど。

 

顔を隠すように俯いた視線の先の虚空に向けて、私は無理矢理に、少し歪な笑みを浮かべてみせる。

笑う門には、と云うだろう、なんてこの世界では通じない諺を繰り返しては馬鹿馬鹿しいと投げ出した。

ああ、ぐだぐだ考えるのにはもう飽きた。どうせなるようにしかならない。

 

 

 

 

グランコクマに到着した其の夜、馬車から降りた私はそのまま宮殿の奥の一室に案内され、

長旅で疲れているだろうとの配慮の元に、そのまま休むことになった。

後で知ったが、此処は後宮の私に宛てがわれた部屋だったらしい。

疲れていたせいでそんな事まで頭が回らなかったが、しかし普通に客間に通されたのかと思っていた。

 

水の都グランコクマらしい白と青を基調とした内装は、明るくてなかなか心地が良い。

私が住んでいたバチカルの侯爵家の屋敷は、やはり例によって国色たる赤を多く用いた内装になっていた。

赤の国と青の国、何とも分かりやすい色彩対比だ。

 

翌日からは婚礼衣装の試着や手直しに散々付き合わされたり、

これから私の専属となってくれるメイドさん達と顔合わせしたり、

しきたりやら宮殿のことについてのお勉強と、式典当日の流れの説明などで忙しい。

 

いろいろと目紛しく戸惑いもあるのだが、今はそれらより、

緊張と疲労に顔を強張らせていたのが悪かったのか、

何故か神経質で気難しい人間だと思われているらしい事の方が、よほどの悩みどころである。

 

メイドさんに微妙に怯えられていると云うか、ものすごく過剰に気を遣われていると云うか。

…そんなに引かないで頂きたいものである。

大抵の事はまぁいいかと面倒くさいで片付ける私の、一体何処が気難しいと云うのか。

キムラスカから一緒に来てくれた侍女さん達は、そんな様子を見て苦笑していた。

他人事ですか侍女さん。フォローはしてくれないのですか侍女さん。

 


準備に急かされるように落ち着かない日々を過ごし、

結局ピオニー陛下ご本人と顔合わせする機会は、式典当日まで一度も無かったのだった。

婚礼の儀の当日に初顔合わせとは随分と無茶振りだ、と私は思ったのだが、

こういう場合ってそんなものなのかもしれないとも思えてきたので、適当なところで納得しておくことにする。

隣国の皇族の常識など、私が知る訳なかろう。

 

婚礼の儀は盛大に執り行われた。…ようである。

正直もう頭の中がいっぱいいっぱいで、式典がどんな様子だったか実はあんまり覚えてない。

マルクトに知り合いのいない私にとってなら尚の事、周り中が見知らぬ人間ばかりなので何かを思う余地などあるまい。

私が識別できたのは皇帝陛下とカーティス大佐、バチカルまで迎えに来てくれた使者さんの三人だけである。

 

そして、本当に初対面なピオニー・ウパラ・マルクト九世陛下はと云うと。

一回り近く年上ではあるが、見た感じ実年齢よりも若く見えるし、何より結構な男前であった。

(無意識ながら思わず「役得だな」と考えた私の神経は、我ながら素晴らしくワイヤーロープ然としている。)

此れがブウサギをペットにしていると云う噂のピオニー陛下か、と私は深く納得した。

…そこ納得するところじゃなかったかもしれないが。

 

一応弁解しておくが、私もさすがにナタリア殿下の例の事前情報さえなければ、

威厳とカリスマに溢れた賢帝だとでも認識していたと思うのだ。

それほどピオニー陛下の、皇帝としての立ち居振る舞いが完璧であった事は確かだ。多分。

だが、如何せん余計な豆知識を吹き込まれてしまったせいで、

つい、そっちのぐだぐだな感じの印象に引き摺られてしまって、どうにもこうにも…。

 

どちらにしろ、国同士の関係をそのまま体現していると云っても過言ではない、歴史的にも重要な式典で、

一国の皇帝陛下を前に思った事がそれかよ、と云う突っ込みは受け付けない。

私は肩書きこそ貴族令嬢だが、中身は普通に俗物である。投げ遣りなのはご愛嬌だ。

 

式典の間は隣に立っていたり座っていたりするだけなので、言葉を交わす機会はなかったのだが、

それでも直接お会いしてみると、確かに感じの良さそうな方ではある。

ナタリア殿下の(偏った)お話も、あながち間違いでは無かったように見受けられる。

取り敢えず怖そうな人じゃなくて本当に良かった、と、ちょっとだけ安堵していた私だった。

 

例え互いの感情を置き去りにした婚礼であったとしても、相手に好意を持てるのなら其れにこした事は無い。

何事も無ければ、きっと長い付き合いになるだろう予感があった。

陛下とも、此の国とも。

 

とりあえず当面は暗殺とかされたりしなければ嬉しいんだけど、なんて物騒な事を考えてぼーっとしていたせいで、

陛下が私の目の前に来ていた事に気付かず、突然視界に入ってきた事に驚き、思わずびくりと肩を小さく跳ねさせた。

ああぁ、やってしまった、と内心かなり気不味い思いをしながらも、しかし其処は一応しれっとした顔を取り繕い、

私は何事も無かったかのような態度を無理矢理押し通した。無論、白々しいのは承知の上である。

 

何とか周囲の人間にこそ気付かれなかったものの、流石に真正面に居るピオニー陛下を誤魔化すのは無理がある。

気付かれないようにこっそり様子を伺うと、彼は表情までは変えずとも、眼が微妙に困っていたのが見て取れた。

 

ああぁぁ…。

あくまでもぼーっとしていたせいであって、別に貴方に怯えている訳では決して無いのですよ。

まじごめん陛下、と心の中で(軽過ぎる)謝罪をしておいたが、当然、そんなものは陛下には全く届かないのであった。

 

 

 

そんなこんなで、此の流れから行くとやっぱりそういう事になるんだろうなぁとは思いつつ、

式典が滞り無く執り行われた其の夜、俗にいう初夜的な準備が勝手に進められていくのを半ば他人事のように眺めていた。

ピオニー陛下が訪れるまで一人ぽつんと無駄に豪勢な寝室に取り残されて、私はひっそりと、ようよう溜め息を吐いた。

 

バチカルを出て以来、今迄ずっと侍女さんやメイドさんや誰かが常に傍にいたせいで、溜め息を吐く事もままならなかった。

やっと一人になれたのが此のタイミングか、と皮肉に思わないでも無い。

 

此れもまた、私には拒否権の無い強制イベントだ。

式典を終えて正式に皇妃となった今、端的に言えば私に求められている仕事なんてのは、

畢竟、世継ぎ生産マシーン程度のことでしかないんだろう。

そう云うものだと分かってはいるがあまりいい気はしないのも、仕様の無い話だ。

受け入れるしか無い状況を受け入れるだけの心積もりはあるが、人間であるが故に思考を制御することなどできはしない。

 

ぐるぐる回るだけの詮無い思考を持て余してやり過ごし、窓の傍でぼぅっと夜の庭園を見下ろしていた。

水路を流れる清浄な水と、良く手入れされた木々や花壇。

それらは、闇の中にあっても、とても美しい。

空を見上げることはしなかった。今は譜石帯なんて見たくはない、と、何となく思った。

 

結果のみ云うと、当然だがそういうものなのでそうなった。成り行き通りの話である。

…蛇足ではあるが、此の寝室と云うのは、後宮の私に宛てがわれている部屋のことである。

間違ってもブウサギ闊歩する皇帝の私室ではない。

断じて!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

next.

 

 

 

(11.6.11)

 

 

 

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