愛しのヘリオドール 12

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなこんなで、「へいかといっしょ!〜楽しい新婚旅行 in ケテルブルク〜」はあっという間に終了。

気付けば再び海の上、ケテルブルク港を出発した船はゆらゆら暢気にグランコクマへ向かっていた。

 

余談だが、今回はほとんど船酔いしなかったことを鑑みるに、

やっぱりあの時の船酔いの原因はストレスのせいだったようである。

今更そんなこと判明してもちっとも嬉しくない。

 

暫く一人でゆっくり景色を堪能したいとか何とか、適当な理由をつけて侍女さんに下がってもらい、

私は甲板の片隅で一人、見るともなく海を眺めていた。

 

まだシルバーナ大陸に近い海域であるせいか、海風は冷たく、

時折流氷の残骸の様なものが波間に浮かんでいるのが視認できた。

相変わらず温かいコートをきっちりと着込んではいるものの、

寒空の下で無為に海をぼんやりと眺めているだけの姿は、もしかしなくても物好きにしかみえないだろう。

 

どうでもいいか、そんなこと。

此処はどうせ船の上、限られた人しか乗っていないから、人目を過剰に気にする必要も無い。

 

「皇妃殿下、あまり風に当たられては、お体に触りますよ。」

 

何の気配も無く唐突に声だけを掛けられて、はっとして振り返ると、

苦笑を零すカーティス大佐がこちらにゆっくりと歩いて来る所だった。

何故彼は一人でこんなところにいるのだろう、陛下の護衛はいいのだろうか。

そう思ったが、私もさして人の事を云えたものではないなと思い直して、つられるように苦笑を返した。

 

「少しくらいなら、平気です。

 御気遣い有り難う御座います、カーティス大佐。」

「また御倒れになられては、陛下が貴方を心配するあまり、

 仕事が手に付かなくなってしまわれますから。」

「……。

 そうですね、陛下は御優しい方ですから。」

 

心配事が無くとも仕事が手に付かない事は多々あるようだが…、

と云う余計な言葉を賢明にも飲み込みつつ、当たり障りの無い言葉を返す。

 

正直、ピオニー陛下を交えて話をする事はあっても、私がカーティス大佐と一対一で話す機会は滅多に無い。

何とも個性的過ぎる濃い人なので見てて面白いが、私と会話が弾むかと云うと、決してそうでもない。

私には、此の軍人が何を考えているかさっぱりわからないのだ。

凡人が(いろんな意味で紙一重な)天才の思考を理解しようとする事がそもそもナンセンスだろう。

と云うか、別に理解したくない。

 

「…何か、悩み事でもおありですか?」

「どうしてそう思われるのです?」

 

珍しく踏み込んだ事を云うカーティス大佐を意外に感じつつも、

私はあまり中身の伴わない微笑を浮かべたまま質問を質問で返した。

はぐらかすと云うよりは、この軍人に恋愛相談しようなどと云う猛者はそうそういないだろう、

と云うわりと酷い理由からだったが。そんな事、大佐は知る由もない。

 

いい具合に勘違いして、私が悩みを知られまいと振る舞っている、と、

都合良く解釈したらしく、大佐は人が良さそうに見える表情を浮かべた。

(見える、と云う所がポイントである。)

 

「差し出がましいようですが、ケテルブルク滞在中、

 何処か、ずっと考え込んでおられるご様子でしたので。」

「…自分で云うのもなんですが、あれだけ全力で遊んでいたのに、ですか?」

「ははは、陛下程では御座いませんよ。」

「そもそも比較対象が間違っていますよ。」

「おや、これは失礼を。」

 

全面的に(ピオニー陛下に)失礼な発言を二人で連発しながら(しかし残念ながら事実である)、

無駄に穏やかな空気を漂わせつつ、二人してにこにこ空笑いを交わす。

 

本当に、嫁いで来た当初に比べて大佐はますます私に遠慮も容赦も無くなってきたようだ。

さっきから、とっとと吐けよこら、的な眼をしている。ような気がする。

暫し沈黙した後、大佐の笑顔の圧力にあっさりと負けて、私は溜め息を吐いた。

 

「…今更ながら、己の感情について思いを馳せていただけですから。

 カーティス大佐に気にして頂く程のことでもないのですよ。」

「皇妃殿下…もしや、ご存知でしたか。」

「何をかしら?」

 

敢えて疑問ではなく断定系で云う大佐の言葉に、

此処でしらばっくれるのもどうかとは思ったが、私は何食わぬ顔で首を傾げてみせた。

婉曲的にも程がある私の言葉で、一体大佐が私の心情の何に気付くと予想できるものか。

語るに落ちるような間の抜けた事は此の男ならしないだろうと思い、

敢えてとぼけてみたのだが、予想に反して彼はまだ一歩を踏み込もうとする。

 

こんなおせっかいな人間だったろうか、ジェイド・カーティスとは。

陛下が絡むことであれば、そういうこともあるのかもしれないけれど。

 

「陛下とネフリーの事です。」

 

ざっくりと直球で切り込んでくる。まことに容赦の無い事だ。

 

「…私が本当に知らなかったのなら、其のお言葉、墓穴甚だしいですね。大佐。」

「ご存知でしたなら構わないでしょう。」

「(うわー…)カーティス大佐は素晴らしい人格者でいらっしゃいますねぇ…。」

「お褒めに預かり光栄の極みです、皇妃殿下。」

 

ははは、と。甲板に気温のせいだけではない寒々しさが吹き抜けた。

…何してるんだろう、と、ちょっと目的地を見失いつつ私はうんざりした。

カーティス大佐と話しているとどっと疲れる。もう私の事は放っといてくれ。

お前と恋バナとか勘弁しろよ、と。

 

「しかし、一体何処でそんな話をお聞きになったのやら。」

 

肩を竦めるわざとらしい様子のカーティス大佐に生温く笑い、金属製の手すりをそっと握り込んだ。

手袋越しにでも、その冷ややかさがしんしんと皮膚に伝わってくる。

 

「私の口からは申し上げられません。

 ただ、ヒントと致しましては、私はキムラスカ貴族であった、とだけ。」

「…ナタリア姫、ですか…。」

「…私の口からは、何とも。」

 

一瞬、私達の頭の中には、眩く無邪気に微笑むナタリア殿下のお姿が否応なく浮かび上がっていた。

策を労そうとタイミングを計ろうと、総じて天然には適わないのである。

不本意ながらもお互い考えた事は同じだったらしく、そろりと二人して眼を逸らさずにはいられなかった。

ナタリア殿下恐るべし。

 

「本当に…人の心とは、儘ならないものです。」

 

例え互いの間に流れる感情があろうとなかろうと、事実はどうにもならないのだから、あるがままを受け入れるだけだ。

最初は、確かにそう思っていた筈なのに。

そんな気持ちを滲ませながら、私は結局会話を突き放した。

ふと何処か遠くを見た後、大佐は静かに云う。

 

「陛下に問われないのですか。」

「問えると思うのですか?」

「…失礼。出過ぎた事を申し上げました。」

 

平坦さの中に僅かな苛立ちを含めて云えば、彼は少しだけ困ったような顔をした。

其の顔を見て、彼は決して私の心の内が分かっている訳ではないのだろう、と当たり前の事を考えていた。

カーティス大佐はその優秀さ故に、経験と観察と推測によって、

私の感情の動きを上手く云い当ててしまえるだけであって、私が何を思っているのかまでは知り得ない。

 

最も、云い当てられるだけでも相当だとは思うが。

優秀だからこそ難儀なひとであるなぁと考えて、私はゆるく微笑んだ。

 

「大丈夫ですよ。大佐が陛下だいすきさんであることは、よくわかっていますから。」

 

敢えて語弊がありそうな言い回しをする私に向けて、

ものすごい含みのある微笑を浮かべるのは止めて頂きたいものだ。

普通に皮肉でも返された方がよっぽど心臓に優しい。

分かってて要らない冒険をした私だった。

 

「陛下が『だいすき』なのは、むしろ皇妃殿下の方だと思っておりましたが?」

 

いやらしいくらい爽やかにそんな事を云ってのける大佐に若干白い眼を向けて、

けれど此処は頑張って意地を張る程の事でもないので、そうですね、と私はぼんやり首肯した。

会話の相手が相手であるだけに、わざわざ否定するのも面倒である。

 

「…話題が摺り替えられているのは敢えて黙認致しましょう。

 確かに、私はそれを肯定致します。」

「おや。」

 

大佐がちょっと面白そうな顔をした。

何処か腹の立つ、その無駄に綺麗な顔を見ながら、私は結局同じ発言に回帰するはめになるのだ。

この甲板で交わされた私達の会話は、まるで徒労極まりない。

 

「だからこそ、儘ならないと申し上げました。

 私にわかるのは、私がわかることだけなのです。」

「ふむ、言葉遊びですか。」

「人間遊ぶことも必要ですよ。」

 

本当に意味の無い会話だ。

大佐の先の発言通り、あまり長くこんな所にいては、本当に風邪をひいてしまいかねない。

この辺りが引き際だと思い、彼にそろそろ船室に戻る旨を伝えると、

冷えて強張った脚を叱咤しながらぎこちなく踵を返した。

 

甲板から船内へと至る扉を開いたとき、カーティス大佐がふと私の背に声を掛けたので、そのまま振り返る。

珍しく少し用途の曖昧な、穏やかとも云える表情を浮かべながら、彼は静かに立っていた。

 

「…私が口を出すことでもありませんが。

 問うのが貴方であれば、あの方はちゃんと答えてくれると思いますよ。」

 

私はその発言に対して何とも云えず、複雑な表情のまま少し視線を泳がせた。

けれど云うべき言葉は何も浮かんでこなかった為に、結局黙って目礼するだけに留めて立ち去った。

 

答えてくれるも何も、それでも私は問うつもりは無いのだ。

問い掛けたところで、答えを得たところで、一体どうなると云うんだろう。

だって、此れは私の感情の問題なのだ。

 

もちろん、陛下の中で私と云う人間がどういう位置付けであるのかを知りたいと思う気持ちはある。

私は一応言葉にして伝えたけれど、陛下が私をどう思っているのかは、まだ一度も聞いた事が無かった。

これからも、きっと、私はそれを尋ねることができない。

 

彼が私に向けるあの優しさや温かさには、何一つ偽りなど無いのだろう。

けれど私に向けた其れが、一体何処迄の意味を持つものであるのか、察するには未だ至っていない。

私もそう鈍感であるつもりはないのだけれど、自分と他人という境界線が相互理解を阻むのは必然的宿命だ。

だからこそ、理解する努力や其れ惜しまぬ強さを、人は尊く思うのだろう。

 

どちらにしろ、ゆっくりと感情を積み上げていければいいのだと云ったのは私の方だ。

いつか問い掛けるにしても、其れはきっと、必ずしも今でなくとも構わないはずである。

その「いつか」は明日来るかもしれないし、或いは、数十年後かもしれない。

今の私には知る由もない。

 

言葉では伝わらない事もあるし、言葉でなくては伝わらない事もまた、ある。

私はそんなにも「言葉」が欲しいのだろうか、と考えると、

何とも云えない気持ち悪さの様なものを鳩尾のあたりに感じて、思わず思考を振り払った。

 

振り払ってしまってから、思った。

 

 

 

私は臆病だ。

自分の感情一つ、認めることもできないのかと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

next.

 

 

 

(11.6.11)

 

 

 

SEO [PR] !uO z[y[WJ Cu