愛しのヘリオドール 11
知事邸に着いた私達を迎えてくれたのは、ケテルブルク知事であるネフリー・オズボーン子爵だった。
此の街で育ったピオニー陛下とカーティス大佐とは、古くからの知り合いであるらしい。
…と思ったら、御三方は幼馴染であるどころか、
なんとまぁ、彼女はカーティス大佐と血の繋がった正真正銘本当の本物の妹さんであるのだと云う。
この人当たりが良く優しげで聡明そうで常識を備えた美しい女性知事が、カーティス大佐の、妹!
此処に驚かずして、一体どこに驚けと云うのだろう。
其の私の驚嘆ぶりたるや、「お前ちょっとマルクト皇帝に嫁いでこいよ」と告げられた時以来の激震である。
確かによくよく見れば、二人の容姿に似通った点はいくつか見受けられるので、其処は納得できた。
しかしまぁ。
大佐にもちゃんと家族とか兄妹とか子供の時分とか本当にあったんだなぁ、と、
失礼な事を考えながら彼を真顔で凝視していたら、ピオニー陛下からは爆笑を、
ネフリー女史からは苦笑を、そして当のカーティス大佐からはどす黒い微笑を頂いた。
そういう事をするから、こういう反応を返されるんですよ、大佐。
日頃の行いのせいですよ、大佐。
私は彼からそっと顔を背けて見ない振りをした。
…最初の方こそ(彼にしては)比較的柔らかく私に接してくれていたようなのだが、
最近は此の人、私に対して随分容赦が無くなってきた気がする。
空々しい上っ面の態度よりはマシだと思っておいた方がいいのか、悩むところである。
暫し四人で仕事の話やらそうでない話やらをした後、宿泊予定のケテルブルクホテルに向かった。
私は知事邸に向かう時と同じように振る舞い、街を見遣る視線はそのままに、微笑すら浮かべてみせていたけれど。
私は正直なところ、内心では当初の様な気持ちにはとてもなれなかった。
何とも複雑だ。
つまらない事に躓いて思考を浪費しているとは思うのだが、ああそうなのかと考えると、
ピタリとはまってしまったパズルのピースに、少し心が濁る心地だった。
特にそうだと教えられた訳では無いが、ナタリア殿下に御聞きした話や先程の遣り取りの中で、どうしても気付いてしまう。
何より、穏やかな色をしていた陛下の眼が、私には雄弁に物語っているように思えた。
ああ、陛下の初恋の人って、ネフリー女史だったのか、と。
気付いたからと云ってどうというわけでもない。どうという訳でもないからこそ、どうしていいかわからない。
どうもしなくていいのだが、何となくもやっとする。
ネフリー女史と言葉を交わしている時も、ピオニー陛下は至って普段通りだった。
陛下は一体、何を思っただろう。そして、ネフリー女史は。
そんな余りにも詮方無い事を考えながら、私はシャーベット状の雪を踏みしめて歩いていた。
泣くのも笑うのも怒るのも悲しむのもどれにも当てはまらない、
不可解な此の感情は、嫉妬とかそう云う定義ともまた違うもののような気がする。
確かに、嫉妬心が全く無い訳ではない。
ただ、そんなろくでもない感情を、なかったことにしたいだけなのやもしれぬ。
本当に、仕様のない事だと私は小さく自嘲した。
ケテルブルクホテルにて部屋に案内された後、
大佐に呼ばれて仕事の話をしに出て行った陛下を見送り、ソファに座り込む。
はぁ、と、温かい部屋で吐き出した息は何食わぬ顔で溶けてなくなった。
紅茶を入れていた手を止め、どうかなさいましたか、様、と、
尋ねて来る侍女さんになんでもないよと笑い返して、私はまた自分の中の見たくないものに蓋をする。
醜い自分を許容することはできたとしても、其れをわざわざ手に取ってまじまじと見ていたいとは思わないから。
私と陛下のこれは、所詮は政略結婚だ。
先に立場があって感情を後から追いつかせる、と云う、土台ナンセンスな有り様から始めた訳で、
感情が伴わないにしろ一方通行にしろ、当人達がどうあろうとそれでも立場自体は何も変わりやしない。
それでいいと思っていたはずなのに、やはり人の心など当てにはならないものだ。
一つ、二つと、気付けばどんどん欲しくなる、多くを求めたがる。
こんな極めて人間的で主観的な感情について、私は誰かに話すつもりなど毛頭無い。
此れは他者に答えを貰えるような事でも、相手に伝えて理解を求めるような事でもなく、
私が自分で自分に向き合って処理するべき感情であると信じているからだ。
詮無い事を云って困らせたい訳では無いし、まして、陛下が今まで私に向けてくれた心を疑う事などあり得ない。
陛下はふざけた事はしょっちゅう云うが、くだらない冗談以外の嘘を私についた事は、知る限りでは一度も無いからだ。
(知る限り、と云ったって、私は陛下と出会ってからまだほんの数ヶ月しか経っていないのに。
そもそも、一体私が陛下の何を知っていると云うのだ。馬鹿馬鹿しい。)
私は陛下が好きだ。
それを愛と呼びたくなってしまうくらいには、何故かどうしてひどく好きになっていたのだ。
いつのまに私はこんなにも感情を育てていたのだろう。
陳腐で、馬鹿馬鹿しくて、ありがちで、まやかしと勘違いで出来ているかもしれないような、
いい加減で、あやふやで、曖昧な此れが、どうしてこんなにいとおしいのだろう。
好きです。好きなんですよ。すみません、好きなんです。
声にしない事を前提に、疚しさを込めて胸の内で繰り返す。
いつかこれを笑い話として語れるようになるまではと。
胸の淀みに蓋をしたまま数日。
しかし、其れをあっさりと心の片隅に放置して、私は存分に此の旅行を満喫していた。
ざっくり割り切り過ぎだろう、と思わないでも無いが、それはそれ、これはこれ。
遊ぶ時は全力で遊ぶのが私クオリティである。
いつだって確信犯で愉快犯たるこの私が、
折角の休暇で遊ばない訳が無い、と無駄に意気込んだ結果が此れである。
しかもそれがまた、空元気ではなく、至って本気であるところが私の長所であり、
また、人としてわりと残念なところでもある。
形ばかりの仕事をとっとと片付けた後。
流石に雪遊びは出来なかったのだが、街の北側にある大きな広場で子供達の雪合戦を微笑ましく観戦したり。
そんな子供達に混ざろうとするピオニー陛下を(大佐が)さりげなく阻止したり。
誰が作ったのか本格的なかまくらを見物したり。
俺もかまくらを作りたいそれが駄目ならジェイドお前が作れ、と、
にやにやしながら無茶振りして絡んでくる陛下を(大佐が)軽くあしらったり。
陛下が護衛を撒いて迷路屋敷に乱入していってしまい、引っ張り出すのに(大佐が)とても苦労したり。
陛下が脱走してお忍びでカジノに遊びに行き、
(満面の笑顔を浮かべながらどす黒いオーラを纏う大佐に首根っこ引っ掴まれて)ホテルに連行されたりした。
…陛下は全力で遊び過ぎだろう。
最も、斯く云う私も、陛下に脱走のお誘いを受けたので、特に断る理由も無かった為にほいほいと付いていった。
行き先がカジノだとは知らなかったので、此処だ!と自信満々に連れてこられた時は少々面食らって呆れたものだ。
こういった賭け事なんて、どうせ胴元が得をするように出来ているものだ。
其れを知ってて挑戦するほど博打好きではない私は、陛下が無駄にポーカーで勝ちまくるのを横でまったり見物していた。
見てる分には結構楽しいものである。
余談だが、カジノの景品の一部にどうにも首を傾げるような品物があったのが気になって仕方が無かった。
と云うか、箒とか指差し棒を手に入れるのに、数十万枚のチップを要するって、どういうことなの。
金持ちの考える事はよくわからない。
ちなみに陛下はアイフリードハットと云う海賊風の帽子が欲しかったようだ。
まぁ少年の心を忘れない陛下らしいチョイスですねぇと笑っていたら、
彼はあろうことかにこにこしながら私にウィザーズケインを勧めてきやがった。
お星さまと羽根のついたそんなファンシーな代物を持てるのは十代前半までだこのやろう、との意を込めて笑顔で断固拒否した。
拒否ついでに「わたしなどよりカーティス大佐にでも差し上げて下さい。きっとお似合いですよ。」と云ったら、
陛下が若干顔を引き攣らせていた。アレな想像をしちゃったらしい。
さぞ視覚の暴力であったことだろう。ははははは。
そもそも私に譜術の才能は無い。
全く使えない事は無いが、使えるとも云えない程度なので、
見た目に反して意外と実用的なそれを私が持っていたところで詮方無いではないか。
そうこうしている内に、噂の大佐殿に発見、捕獲されてしまった訳だが。
ホテルに連れ戻された後、けしかけはしなかったが止めもしなかったから、と云う理由で、
私迄カーティス大佐に苦言を呈された。と云うかねちねちと叱られた。
すみませんでしたお母さん。
反省はしても後悔はしていない私であった。
ちなみに主犯たる陛下は、はっはっはっまぁたまにはいいじゃねーか固い事云うなよとか云って、
大佐のお叱りをオールスルーしていた。何このひと、自由過ぎる。
あんまりにも陛下に反省の色が皆無だったので、
此処に至る迄のあれこれも鑑みてちょっと大佐が可哀想に思えてきた私は、
本当にお疲れ様です、と心の底から労っておいた。
…半笑いで。
(ちょっと、其処で人の顔見て溜め息付くのやめてもらえませんか、カーティス大佐。
この似た者夫婦が!みたいな白い眼で見るのも止めてください、カーティス大佐。)
(11.6.11)
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