Soiree -quatre-

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最後にがピオニーに会って、五日が過ぎた頃だったろうか。

ピオニーはああ云っていたが、あの赤眼の人間はもう二度と此処には来ないだろうとは高を括っていた。

なので、ピオニーとは違う硬質な靴音を響かせて夜の庭に現れた其の人間の姿を見て、は思わず眼を見開いた。

 

いつかピオニーが持ってきてくれた柘榴の実のような赤色の眼は、

闇夜の中にあっても、ちっとも鮮やかさが損なわれない。

 

両手をポケットに入れたままのいる四阿の近くまでやってきたジェイドは、

平生通りの涼しげな面持ちを崩さないまでも、何処か非常に面倒くさそうだった。

は疑問の意を込めて眉を顰める。

 

「…赤眼の、何故此処へ来た。」

「陛下のご命令ですので。ご安心下さい、好き好んで来た訳ではありません。」

「なら、もういいだろう。

 わたしは此処にいる。もうおまえは役目を果たしたのだろう。」

「残念ながらそういう訳にはいかないんですよ。

 お言葉に甘えたいのはやまやまなんですがねぇ、

 貴方の話し相手になってやれ、との、皇帝陛下直々の密命でして。」

「…本当に酔狂だな…。」

「その点については否定できませんねぇ。」

「おまえも含めて、だ。」

「心外です。私はただ親愛なる皇帝陛下の命令に従っているだけですよ。」

 

そのピオニーに好き好んで従っているあたり既に相当な物好きだと思ったが、

先程からの無意味なやりとりに少し辟易していた為、敢えて黙っておいた賢明なだった。

 

いくら皇帝直々の命だと云え、が人ならざるもの、人と交わるべきではない異形だとわかっていながら、

こうも普通に軽口を叩きあって飄々としているジェイドの神経が、にはどうにも理解し難いものがあった。

あからさまに面倒だ、馬鹿馬鹿しいとその顔に書いてあるのに、

が化け物であることに関しては何一つ云うべき事は無いかのような振る舞いだった。

 

「…わたしはあいつに云ったりしないぞ?」

「私は私の仕事をするだけです。余計な勘繰りは結構。」

「…。」

「貴方はそんなに私に出て行って欲しいのですか?」

「違う、そうではない。」

 

皮肉の意を大いに込めてジェイドが云った言葉を、しかしは即座に強く否定した。

ジェイドは其れを意外に思った。てっきり「これ」はピオニーにしか懐いておらず、

警戒心剥き出しにこちらを排除しようとするのかと思っていたのだが、そういう訳でも無さそうだ。

むしろ、歯切れの悪いと云うか、その煮え切らない態度の方が眼についた。

 

「ならば、何故そんなにも突っかかるのです。」

 

悩むのもナンセンスだ、ジェイドは容赦無くに対して言葉を切り込んだ。

ピオニーと違ってジェイドには、生き物ですらない「これ」に対する気遣いなど持ち合わせが無い。

例えピオニーが「これ」を気に入っていようとも、所詮人間は人間と共にしか生きられないし、

人でないものは、人と一緒には生きられないのだから。

そう云う意味では、とジェイドの考えは、図らずも一致していたのだった。

 

「…おまえは、厭なのだろう。」

「何がですか。」

「わたしは人ではない。」

「ならば貴方は一体『何』ですか。」

「…わたしはわたしだ。」

「詭弁ですね。」

「だが、わからないんだ!

 わたしは、わたしが『何』なのか、本当にわからないんだ。

 わたしは気付いたら存在していた。気が遠くなる。それさえ忘れる程。」

「一体何が云いたいんですか。はっきり仰ったらどうです。」

 

切り刻む様な辛辣な声音で問いただされては、

心の拙いと、話術に長けたジェイドとでは、あまりにも彼女の方が分が悪かった。

は表情には乏しいものの、怯えるように揺れた眼を伏せて、ついに黙り込んだ。

 

彼女のそんな様子に、ジェイドは僅かに苛立ちを感じた。

何故自分が「これ」との会話にいちいち付き合ってやらねばならないのか。

 

「これ」相手に苛立つ手間すら惜しいと考えるものの、何故かこのまま立ち去る気にはなれない。

主命であるから、という理由だけでは収まらない何かが、確かにジェイドの足を留めていた。

普通の人間には姿を視認する事さえできないらしい「これ」と会話している所を、

万が一誰かに見られれば、自分まで狂人扱いされるだろう事もわかっているのに、だ。

 

そんな自分にほとほと呆れ返りつつも、ジェイドはをじっと睨むように見つめて、彼女が口を割るよう促す。

込められた感情こそ違えど、結局の所ジェイドはピオニーと同じ事をしているのだが、

それに気付ける者は残念ながらこの場にはいなかった。

 

「…おまえはあいつの友人なのだろう。

 なら、もう、あいつを此処に来させるな。」

 

僅かに淀んだ色を浮かべる眼で静かにジェイドを見据え、は低く呟いた。

もうずっと、いや、最初から考えていた事だ。このままではどちらの為にもならないのだと。

 

「陛下を…ピオニーを手放せなかったのは、貴方なのに?」

 

殊の外穏やかな声が出た。ジェイドは自分に失笑して、顔を歪めた。

は無表情だが、どことなく泣きそうな顔をしていた。

 

彼女はピオニーよりも何十倍も年上だと云ったが、

人でない故に他者と関わる事をしてこなかった為か、情緒面がまるで幼子同然なのだ。

の顔を見たジェイドは、其処で初めてそれに気付いたのだった。

大人げないとは思いつつも、それでも彼女の真意を問い質す語勢は緩めない。

 

「貴方が此処を出て行けば、全ては済む話しだったのでしょう?

 それでもピオニーから離れようとしなかったのは貴方だ。

 来るなと云った所で、あの人が私の云う事を素直に聞いて下さるような人ではない事くらい、

 貴方だって分かってる筈です。」

 

「…だからこそだ。」

 

が静かに呟いた声は、ひどく寂し気だった。

 

「もうわたしの方から、あいつの傍を離れる事が、できなくなってしまった。」

 

「…それは…。」

「人間は脆い。

 ほんの瞬きの間に消えて行ってしまう儚いものだ。

 わたしはおまえ達とずっと一緒にはいられない。

 此れ以上あいつといると、わたしはあいつが欲しくなってしまう。」

 

欲しくなる、と云ったの言葉の真意は分からなかったが、

ジェイドは最悪の事を考えて、少し険しい顔をしながら釘を刺す。

いくら無害そうな素振りをしていたとしても「これ」は理を外れた存在なのだ。

何かをしでかされてからでは遅い。

 

「どういうつもりか知りませんが…あの人を連れて行く事は許しませんよ。」

「…ふっ。ばかだな、おまえは。

 どうやっても連れて行けないから、欲しくなるんじゃないか。」

 

はそんなジェイドを見て、おかしそうに眼を細めてからりと返す。

無駄な心配はしなくていいと暗に示すような、落ち着いた口調だった。

まるで狐狸にでも化かされた様な気不味さを、眼鏡に添えた手で覆い隠しながらジェイドは溜め息を吐いた。

 

此処までこのという存在と言葉を交わしてきてやっと分かった。

「これ」はただの、愛情に飢えた寂しがりやな子供だ、と。

気付いてしまえばまた本当に馬鹿馬鹿しい話である。

 

「まったく、くだらない。そんなにあの人に執着するなら、

 貴方の気が済むまで此処にいればいいだけではありませんか。

 そもそも、ピオニーが今更貴方を手放すとでもお思いで?

 ……貴方がどれほどの長い時間を経てきたのか知りませんが、

 一瞬しか共にいられないなら、一瞬だけ共にいればいい。

 何をそう悩む事があるんです。」

 

どことなく毒気を抜かれてしまったらしいジェイドが、

途端にやる気を失ったように投げ遣りな物言いをしはじめたので、は怪訝な顔をしたのだが、

彼はもう、のことで此れ以上自分のペースを乱されるのは厭だったので、其れを堂々と無視した。

其の様子は非常に大人げなかった、と付け加えておく。

 

やれやれと首を振るジェイドの突然の感情変化について行き損ねたが、

其れを懇切丁寧に説明する様なジェイドではないと分かっていたので、は黙っておくことにした。

何だかよく分からないが、ジェイドは自分の中で勝手に自問自答して勝手に結論を出したらしい。

その結果、にものすごく投げ遣りな言葉を吐き捨てるに至った、らしいと。

は少々呆れて思う。やっぱりこの赤眼も、あいつと同類だ。

 

「おまえもあいつも、本当に変わった人間だな。理解に苦しむ。」

「それはそれは、お褒めに預かり光栄ですよ。」

 

ジェイドは肩を竦めながら馬鹿にするように一つ笑い、

眼を瞬かせるを置き去りにしてさっさと庭を出て行ったのだった。

 

「…あいつは一体、何をしに来たんだ?」

 

首を傾げたの、そんな素朴な疑問に答えてくれる者は、誰も何もいなかった。

 

 

 

 

 

 

あのおかしな赤眼の人間、ジェイドは、前回と同じくきっちり五日分の間を空けてから、再び庭にやってきた。

かつかつと神経質そうな靴音が聞こえてきたので、池の畔でぼんやりと佇んでいたは徐に振り返った。

案の定、あまり機嫌の麗しくない様子のジェイドが庭の入り口付近に怠そうに立っていたので、

やや眼を細めたはからかうように声を掛ける。

 

「王の命令、侮り難し、だな。」

「…わざわざこんな辺鄙な所に足を運んで来てやった私への第一声が、

 云うに事欠いてそれですか。

 私は貴方が思う以上に多忙な人間なんですがねぇ。」

「あいつが暇そうに見えるのがおかしいんだろう?

 そのくらい、わたしにもわかるぞ。」

「それは重畳。何とも笑える話だ。」

 

そう云ったジェイドの眼はちっとも笑っていなかった。

は笑うと云う程表情を崩さなかったが、僅かに噴き出した。

 

この赤眼、慣れるとなかなかおもしろい人間だった。

口が達者で、しかもその大半が言葉遊びや皮肉ばかりなのだ。

無駄に豊富な語彙が非常に興味深い、とは思った。

 

「ああ、そうだ、。」

 

何気なく云ったジェイドに大層不意を突かれて、は一瞬動きを止めて眼を見張る。

な、なんだ、と吃りながら短く応答するも、

容赦と云う言葉を全力放棄した目敏いジェイドに、その反応の理由を追求された。

 

「何ですか。云いたい事ははっきり云いなさい。苛々します。」

「おまえ、意外と短気だな。」

「黙りなさい。」

「…。」

「云いたい事は、云いなさい。全く、融通が利きませんねぇ。」

「……理不尽だ…。」

 

此処にピオニーがいれば腹を抱えて笑い転げていたかもしれない。

双方割と真面目に云っているので、余計に第三者の笑いを誘う会話だった。

 

「…おまえがわたしの名を呼んだから、驚いただけだ。」

「おや?そうですか?」

 

ジェイド自身に自覚は無かったが、先程の呼びかけが、初めての名を彼が口にした瞬間だったのは間違いない。

この場合の名前とは、つまり固有名詞のことだ。

名前を呼ぶことは、対象を一つの個体としてその存在を認め、許容することでもあった。

 

ジェイドはずっとを「貴方」、内心では「これ」とか「それ」としか呼ばなかった。

それは今まで彼が無意識のうちにの存在を拒絶していたからで、

この変化は、彼が彼女の存在を、確かに認めた証でもあった。

 

は、だからこそ、ピオニーも、ジェイドも、名前で呼ぶ事が出来なかった。

名前を呼んでその唯一の命の存在を認めてしまえば、彼女は逃げ場を失うことになる。

それは時間を忘れる程存在し続けてきた彼女が、最も恐れることである。

 

暫し眼を細めてを見透かすように観察していたジェイドだったが、すぐにその態度を無かった事にしてさらりと流した。

とにかく今は必要な情報伝達さえ出来ればそれでいいと判断した。

 

「…まぁいいでしょう。

 陛下は当初の予定通り、六日後にグランコクマへ帰還なさる予定だそうです。

 私もその関係で仕事に追われていて、非常に忙しい身です。

 当分は私も陛下も貴方に構っている時間さえ取れないことが予想されますので、

 そのつもりでいで下さい。」

「…そうか。」

「おや、それだけですか?」

「忙しいのだろう?」

「まぁ、そうですが…。」

 

自分で忙しいから来られないと突き放しておきながら、が理解を示すと訝しむとは、

ジェイドは大概矛盾していると思い、彼女は小さく苦笑した。

 

「人間は、人間の世界で生きるのが一番いい。

 …わたしがどれだけおまえたちを気に入っていたとしても、

 その考えに嘘はない。」

「おまえたち、ですか…貴方の『気に入る』に、もしかして私も入ってます?」

「わたしは、おまえのことも、そんなに嫌いじゃないぞ。赤眼の。」

「それはまた奇特な。」

 

自分で云ってちゃあ世話ないな、とが面白がる。

ジェイドはしれっとした顔で肩を竦めるばかりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

next.

 

 

 

(11.3.10)

 

 

 

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