Soiree -trois-

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それからも、ピオニーはちょくちょく夜の庭を訪れては、に会いに行った。

数日に一度、若しくは週に一度。一国の皇帝と云う地位を戴く多忙なピオニーなので、

そうそう頻繁に抜け出して来る事は叶わなかったが、それでも暇を、隙を見つけては、

ひとりぼっちばかりが上手になった案外寂しがり屋の少女を構いに行く。

 

何度も何度も会っている内に随分は表情が増え、時折微かに微笑むようになった。

しかし、相変わらず彼女は、ピオニーの名を頑なに呼ぼうとはしなかった。

いつも「おまえ」とか「人の子」とか「人間」とか、何故か決して名前を口にしようとはしない。

 

一度ピオニーが名前で呼べ、と云ってみたのだが、

はきゅっと唇を引き結び、僅かに眼を伏せて首を横に振るばかりだった。

その余りに頑な様子を見て、さすがのピオニーも其れ以上は何とも云えず、苦笑するばかりだった。

 

何となく、がピオニーの名を呼ぼうとしない理由は分かる様な気がしたのだが、

無理に呼ばせてに苦しそうな顔をさせるのは本意ではなかったので、

彼は根気強く彼女が自分の名を呼べるようになるまで待ってみようと思った。

 

「そういや、は何が好きなんだ?」

「何、とは?」

 

また唐突に話題をすっとばしたピオニーの脈絡の無い質問に、

しかしはそんな彼の言動にすっかり慣れてしまったらしく、平然と問い返す。

最初に比べて格段に態度が柔らかくなったを嬉しそうに見下ろしながら、ピオニーは質問の続きを口にした。

 

「いろいろだ。ほら、食べ物とか、何かあるだろ?」

「…そう云われてもな…。

 わたしは人間と違って、食事なんてしない。」

「何も食わないのか!?なら、はどうやって生きてるんだ?」

「どうやって、と云われても…。」

 

改めて問われると、困ってしまっただった。

は自分が人間ではないことは理解していたが、自分が一体何なのかまでは知らなかった。

ただ気付いた時には自分が自分である事を自覚し、何にもまつろわず、何とも交わらず、ただ一人。

時々人間だの魔物だのに気紛れでちょっかいをかけたりして、

ただただ気の遠くなる様な長い時間を、歳月を数える事さえせずにあるがまま存在してきた。

それを「生きる」と呼んで良いのかどうかも、にはわからない。

 

「そりゃあ、お前、寂しかったろう。」

 

ピオニーは困ったように、溜め息を吐くようにしみじみと云う。

はもっと困った様な顔をして、首を傾げた。

 

「わたしはそういうものだ。それがわたしだ。

 …それに、人間は儚いからな。すぐにいなくなる。」

 

何処か遠くを見て諦めた様に云うに、ピオニーは思うところあって口を開きかけたのだが、

其れを遮るように彼女が先に言葉を紡ぐ。

 

「ああ、食事はしないが、ものが食べられない訳ではない。

 いつだったか、気紛れで、木の実を口にした事はある。

 ほら、人間も食べるだろう。あの薄紅色の柔らかくて甘いやつだ。」

「薄紅色の甘い…ああ、もしかして桃のことか?」

 

そう、それだ、と眼を細めてささやかに笑うを見て、ピオニーは云いかけた言葉を結局飲み込んだ。

しかしそれはどうにも喉に引っかかって、翌日も、その翌日も、ずっとピオニーの中にわだかまっている様な気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ある夜の事だ。そろそろ今日あたり来る頃だろうかと思って、

は四阿の白い柱に背を凭れさせながら、手持ち無沙汰そうにピオニーを待っていた。

案の定、金色に輝くかの様な、いつものピオニーの気配が近付いて来るのが分かったのだが、

もう一つ、何か別の気配を感じて、眉を顰めた。

 

 

 

「よう、遊びに来たぞー。」

 

一国の皇帝とは思えないほどの軽い言葉を掛けつつ、ピオニーは石畳を歩いて庭へとやってきた。

最近は大分気を許してくれているらしく、ピオニーが庭にやってくると、すぐにが姿を現してくれるようになっていたのだが。

おかしいなぁ、と呟きつつ、四阿の手前で立ち止まったピオニーは、もう一度彼女を呼ぶ。

 

、何処にいる?」

 

は、姿を見せるどころか、依然として返事も寄越さない。

暫し考えたピオニーだったが、しかしすぐににっと意地の悪い笑みを浮かべて、

あろう事か、おもむろに四阿の柱を登り始めたではないか。

 

「ちょ、陛下!?貴方はまた、何をしているんですか!」

 

流石にそのピオニーの奇行に耐えかねたジェイドは、

隠れていた庭の入り口付近の壁際から足を踏み出しつつ、己の主に諌めの言葉を投げ掛けた。

 

ピオニーからは、自分が呼ぶまでそこで隠れてろ、と言い付けられていたが、

あんまりにもあんまりな行動をし始めたピオニー(の頭)が心配になって、思わず出てきてしまったのだった。

慌てて大股に四阿へと歩き出したジェイドは、しかし、少し離れた位置でぴたりと立ち止まる。

 

「は、放せ!」

「はっはっはっ、そんなとこでなにしてるんだ、

 今日はかくれんぼでもするのか?」

「よせっ、おまえが奇異の眼で見られるだけだぞ…!

 わたしは人には見えな…ちょ、やめろ!放せったら!」

 

ジェイドは滅多な事では驚かない。しかし、これは、この光景は、如何なものだろうか。

彼の優秀な頭脳をもってしても、何とも判断がつきかねるような気がした。

 

四阿の屋根の上、庭の入り口からは死角になるように身を縮めて隠れていただったが、

ピオニーという人間は、本当に予想外な行動をとる奴だった。

信じられない事に、突然柱を登ってきては、が隠れている屋根の上に顔を出してくるではないか。

 

は大抵の人間には見えない存在なので、一応ピオニーが狂人呼ばわりされないようにと、

配慮の意味もあったものを、まったくもって台無しにしてくれる。

しかも気配など無いはずの自分をあまりにあっさりと見つけられてしまったものだから、は思わず固まってしまった。

 

其の隙にがっしとの腕を掴んで彼女を捕獲したピオニーは、素晴らしくいい笑顔を浮かべながら、

そのまま彼女を持ち上げて四阿の屋根から引きずり降ろした。

爪を立てないように気を付けつつ手脚をばたつかせている、

のそんなかわいらしい抵抗など、勿論ピオニー様には微塵も効果はない。

 

軽々とを小脇に抱えて、颯爽と地面に降り立ったピオニーは、

未だ立ち止まり、無表情で彼をじっと見つめているジェイドに向かって笑いかけた。

はピオニーの腕をぐいぐいと押し退けようとしつつ、少々悲愴な顔をしていた。

 

「ほら、ジェイド、見えるか?こいつがだ。」

「……。」

 

ジェイドは、冷徹と云える程に感情の無いその赤い眼で、ピオニーの手元を見遣る。

は警戒した様な強張った面持ちで、赤い眼の男をじっと睨んでいた。

…いまだピオニーに小脇に抱えられた状態なので、迫力と云う点には少々問題があったが。

 

「…はぁ。

 陛下が『角』などと仰るので、一体どんな仰々しいものかと思えば…。

 何ですか、その貧相な子供は。」

「おお、よかったな!やっぱりこいつにもお前が見えるみたいだぞ!」

「…ひんそう…」

 

三者三様、それぞれがあまりに好き勝手な様相だった。

ジェイドは呆れてこれ見よがしに溜め息を吐いてみせたし、

ピオニーはお気に入りのが親友の眼にも見える事に歓喜し、

はジェイドの暴言にささやかにショックを受けていた。

 

ジェイドは余裕たっぷりの態度を見せていたが、内心ではほんの少しだけ困惑していた。

あまりに判断材料が少な過ぎて、最善の行動を判じかねていたのだ。

 

 

 

遡る事数十分前、そろそろ仕事を終えようとしていたジェイドの執務室に、

幼馴染でもある皇帝陛下が、突然隠し通路から侵入してきた。

其れ自体は大体いつもの事であるので、さっさと衛兵を呼んでつまみ出させようとしたのだが、

今日に限っては、ピオニーが妙な事を云い出したのだ。

 

曰く、角のあるかわいいやつがいるから、お前もちょっと来いよ、と。

 

長年この幼馴染の突飛な言動に振り回されてきたおかげで、大分それらに耐性はあったジェイドだったが、

あまりにも意味の分からないことを云い出したピオニーに、思わず(頭の)医者の手配を考えた。

 

多分ジェイドにも見えると思うんだよな、ちょっと人見知りは激しいが、

懐くとなかなか面白いやつだぞ!などと、大らかに笑って構わず捲し立てるピオニー。

ジェイドは取り敢えず、諭したり宥めたり叱ったり脅したり睨んだり率直に拒否したりしたものの、

昔からこういう状態のピオニーには勝てた試しがなかった。

そして、結局こうして訳の分からないままに、何故か宮殿裏の寂れた小さな庭に無理矢理連れてこられたのだった。

 

 

 

その結果が「これ」ですか、と。

ジェイドは実験用のラットをみるような眼で、じろじろと「それ」を無遠慮に観察した。

確かに「これ」は人間ではない、とジェイドもまた直感した。

 

それは図らずも、ピオニーが最初にを見た時に感じたのと同じ理由からであった。

「それ」は、姿こそ角以外は人間と変わらないように見えるが、

明らかに気配が人間の、否、生きた生物のものではありえなかった。

角の生えた人間、と云うのは、発生の過程で生じた形態異常という可能性も考えられなくもないが。

しかし、「これ」はそれ以前の問題だ。

 

根本的に、存在の理を異にするもの。

異形の、異質なものだ。

 

だが、とジェイドは思う。本来ならそんな得体の知れない危険な「それ」を、

皇帝たるピオニーに近づける事などありえないし、危険分子を即座に排除することがジェイドの仕事でもある。

得体の知れない「これ」をピオニーから遠ざけたいと今現在も思っているのは確かなのに、

どうにも、躍起になって遠ざけようとする事自体が、何だか馬鹿馬鹿しい気がして来るのは何故なのだろう。

 

ああ見えて、実は誰よりも危険なものを見分ける事に長けたピオニーが、この状況でも能天気に笑っているからか。

必死に逃げようとする「それ」に自分から近付いて、あまつさえ小脇に抱えて(無駄に)堂々としているせいか。

それとも、そんなピオニーにあっさり捕獲されて自力で逃げ出す事もできず、

恨めし気な眼でこちらを力なく睨んでいる「それ」の情けない有り様のせいか。

 

まぁ、いい。

害を及ぼすなら、人であろうとなかろうと、全力で排除するまでだ。

ジェイドはそれらの膨大な思考を一瞬で済ませ、しれっとした涼しい顔でとピオニーに近付いて行った。

 

、こいつはジェイドっつってな、俺の親友だ。

 捻くれもので嫌味なやつだが、まぁ悪い奴じゃないから仲良くしてやってくれ。

 こいつ友達少ないからな、ははっ!」

「…。」

 

が最早抵抗するのも止めてぐったりしていると、ようやくピオニーから解放されて地面に降ろされる。

逃げる気力も無い、と云いた気に一つ溜め息を吐いたは、まだ少し強張ったままの顔をゆるりと上げて、

彼女を無表情に観察しているジェイドを見据え返した。

 

この冷たい赤眼の人間はピオニーとはまた違う。

そう直感したは、いくらピオニーが連れてきた友人だと云われても、

この赤眼に対して、警戒を解く事などできそうにもないと思った。

 

もともとは人間などと関わるつもりは無かったのだ。

ピオニーがピオニーだからこそ、どうにも絆されてしまっていただけだ。

どうせこの赤眼の人間は、の異形を嫌悪するなりして、彼女をピオニーから遠ざけようとするに違いない。

 

そして、本当はそうなるのが正しいのだと、はわかっていた。

此れ以上、人ならざるものの領域にピオニーを巻き込んでいい筈が無かった。

ピオニーは人間で、人間の国の王様だ。

この金色の男は、人間の世界で人間と共に生きるべきだ、とは思った。

身構えるに向かって、ジェイドがなるほどと一つ頷きながら、口を開いた。

 

「それにしても、陛下も随分と奇妙な物体を拾いましたねぇ。

 其の無駄に生えている貧弱な角は頭骨の一部ですか?

 せっかくなので解剖して、ついでに標本でもとっておきたいものです。」

「おいおい、俺のかわいいに向かって何て事を云うんだ、お前は!鬼か!」

「ブウサギと同じ扱いですか。

 陛下こそ、『それ』を家畜扱いするのはどうかと思いますよ?

 家畜に失礼です。」

「ジェイドにだけは云われたくないぞ、なぁ?」

 

は何とも云えず微妙に顔を顰めつつ、まじまじとピオニーを見上げた。

そして、心底しみじみとした様子でゆっくりと云った。

 

「…この赤眼とおまえが友人だと云うことに、心底納得した。」

「…どういう意味ですか、それは?」

 

ジェイドがやや不服そうに眼を細めてを威圧的に睨んだが、

彼女はジェイドの方を振り返り、怯んだ様子も無く真顔で言葉を続けた。

 

「うるさくて図々しくて自分勝手なこいつも大概酔狂だが、

 そんなこいつと平然と一緒にいられるやつが、まともなはずがない。」

 

力強いの云い様に、「酔狂な人間その2」たるジェイドは珍しく黙り込んだ。

のとなりでは、「酔狂な人間その1」が、必死で笑いを堪えていた。

 

 

 

そんな、何ともひどいと云えばひどい顔合わせだったが、暫くして思い出したようにピオニーが声を上げる。

そもそもの本題を思い出したらしい。手段の為に目的を忘れるとはこのことだ。

 

「そうそう、、俺は明後日から視察に出向かなきゃならんから、

 暫くグランコクマを空けることになる。

 俺が此処に来られない間、代わりにジェイドを寄越してやるからな!

 俺が帰って来るまで、いい子にして待ってるんだぞ?」

「陛下!?何勝手な事を仰ってるんですか。」

「…おまえはいつもわたしを子供扱いする。

 云っとくが、わたしはお前の何十倍も長く存在してるんだぞ。」

 

全く噛み合っていないところを見るに、会話が成立しているかどうかは怪しいものだったが、

それはともかくとして、ピオニーの中ではそれは既に決定事項であるらしく、最早誰にも覆す事は出来そうになかった。

 

付き合い切れないとばかりに、両手をポケットに入れたままさっさと庭を出て行くジェイドの背に、

ピオニーがどこにいくんだと声を掛けた。

ジェイドは呆れたように振り返り、とっくに定時は過ぎていますから、とだけ云い残して消えて行った。

普通に帰宅したかっただけらしい。

 

 

 

 

ようやく落ち着きを取り戻した夜の庭の静寂に、はほっと小さく安堵の息を吐く。

其の様子に気付いて苦笑したピオニーは、四阿に設えられたベンチに腰掛け、

隣をぽんぽんと叩いて彼女にも座るように促す。

促されるままに音も無く隣へと腰掛けたを、ピオニーはとても微笑ましく思った。

警戒心の強い獣を飼い馴らした様な気がしていたのかもしれない。

 

「ジェイドは嫌いか?」

 

彼が一切の誤魔化しを許さない直球な問いを投げ掛けると、は黙り込んだ。

ピオニーは知っている。彼女が黙り込むのは、答えたくないからではなく、

答えるべき言葉を、必死で少ない語彙の中から探しているせいなのだと。

 

「…おまえのことは、ちょっと鬱陶しいが、嫌いではない。」

「おお、そりゃあ嬉しいな。」

「安心しろ、そのおまえの友人を、そう蔑ろにはしない。」

 

おまえの友人は、私を忌避するかもしれないが、とは、

嬉しそうに笑うピオニーを見てしまえば、にはとても云えなかった。

云わない方がお互いの為になるとにはわかっていたが、ピオニーがあんまり嬉しそうに笑うので、

彼が悲しむ様な事にだけはならなければいいのにと考えていた。

 

ジェイドがどうあれ、今、にとって切実な事はそれだけだ。

いつのまにかピオニーの存在は、彼女の中であまりにも特別なものになっていた。

 

「そういえば、おまえ、暫く出掛けると云っていたな。」

「ん?ああ、そうだな、順調に行けばほんの二週間程度の事だ。

 いくらか街の視察に行かなきゃならん。

 まぁ、実を云うと殆ど船の移動時間で、視察自体は2、3日で済むんだが…。」

「…人間の王とは、面倒なものだな。」

「くっ、ははっ、そうだなぁ、面倒だなぁ!」

 

其の夜も、イレギュラーな出来事はあったものの概ねいつも通りの夜会を経て、

ピオニーはまたなと云って笑って庭から立ち去った。

は、ああ、またな、と何の躊躇も無く返事を返せるようになっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

next.

 

 

 

(11.3.10)

 

 

 

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