Soiree -deux-

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次の日の夜、ピオニーは宣言通り、同じ時間帯に再びあの宮殿裏にある小さな庭を訪れていた。

連日撒かれた護衛兵は最早泣きそうな顔をしていたのだが、

ピオニーは、すまんな!と、ちっとも悪いと思っていないふうに心の中で適当に謝って、さっさと宮殿を抜け出した。

 

苔むした石畳を、今日はブウサギは連れずに一人で歩きながら、考える。

あのと名乗った人ならざる少女は、随分と厭そうな顔でピオニーを遠ざけようとしていたが、

何となく、今日も同じ場所で律儀に自分を待ってくれているのではないかと、彼は根拠も無く思った。

 

で、馬鹿馬鹿しいと思いながらも、結局昨夜と同じ場所で同じように突っ伏し、

ひんやりと冷たい池の水面にゆらゆら指先を遊ばせていた。

ピオニーが四阿に辿り着いた時、池の向こう岸、梔子の茂みから伸びる白い腕が、

そよぐように池に浸した指先を揺らしているのを見つけて、彼は思わず噴き出した。

 

くつくつと腹を抱えて笑いを堪えるピオニーに気付いたのか、

白い腕は不意にぴたりと動きを止め、茂みの中にさっと引っ込んでいった。

怒らせたかと思い、ピオニーが慌てて池回りを歩いて行って茂みの方を覗き込むと、

立派に枝葉を広げた背の高い広葉樹の根元で、幹に凭れ掛かるように手脚を投げ出して座るを見つけた。

 

は、相変わらずにこりともしない。

むしろ何処か不機嫌そうにも見える表情で、満面の笑みを浮かべながら近付いて来るピオニーから顔を背けていた。

 

「おまえは本当に、変な人間だな。」

 

昨夜と同じくやたらと楽しそうな顔をして、気の進まない様子のを質問攻めにしていたピオニーに、

彼女は改めて呆れさせられていた。拒絶しても、構いやしない。

無視しても、が反応を返してくれるまで声を掛け続けるか、

無言でにこにこと笑顔を向け続けるかして、最終的には彼女が折れるはめになる。

 

なかなかに質の悪い人間に掴まったものだとは眉を顰めてみせるが、彼女も本当は分かっていた。

本当に厭なら、さっさとこの場所から居なくなればいいのだ。

多少居心地が良さそうだったからたまたま寝床として居着いただけで、此処でなくともが居られる場所は、他にいくらでもある。

 

それなのに、一方的に押し付けられただけの「また明日」と云うピオニーの言葉に律儀に従っているのは、

それは、つまりそういうことなのだ。

随分とわたしも物好きなことだ、と、は少々ばつが悪くなった。

 

「ははっ、そんなに褒められると照れるな。」

「…随分と都合の良い耳の持ち主だ。」

 

からりと笑う、何の悪意も敵意も恐れも浮かべぬピオニーが、にはひどく眩しいもののように見えた。

この人間を色に例えるなら、きっと金色だ、と彼女は思った。

 

ひとしきりピオニーが勝手に喋って、それに対して渋々が口を開いて。

その日の夜もまた、二人だけの小さな夜会は終わりを迎えた。

 

「流石に俺も連日抜け出すのは不味いからなぁ…。

 ま、明日は無理でも数日中にはまた来るから、

 勝手にどっか行っちまうなよ、。」

 

にっと笑ってまたしても自分勝手な約束を一方的に捲し立てるピオニーに、が剣呑な眼を向けていると、

唐突にぬっと差し伸ばされた彼の手が、の頭をぐしゃぐしゃと掻き混ぜた。

 

「…な、なにを、」

 

は、その動作にあんまり驚いたもので、思わずピオニーの手を強く振り払って飛び退いた。

愕然と眼を見開いて彼を見返したの有り様を見ても、彼はやはり気を悪くした様子も無かった。

 

は意味が分からなかった。

此れだけ拒絶して振り払って逃げて睨んで、なのに何故この人間はを恐れたり嫌悪したり追い払ったりしないのだろう。

どうして、角の生えた異形で異質な存在である自分の頭に、こうも気安く触れたりできるのか。

 

の混乱と驚愕は、ピオニーの眼にはまるで怯えているように見えた。

見た事が無いものを怖がる子供のようでもあった。

加減を知らずに振り払われた彼の腕には、僅かに引っ掻き傷が出来ていたが、

しかしそんな些細な事で怒ったり恐れたりする様な彼ではない。

 

はそもそも人間ではないし、いつもつまらなそうな無表情で、

感情と云う感情を余り見せないが、決して心が無い訳ではない。

よくよく見れば、呆れた様な眼をしていたり、ちょっと見下した様な得意そうな色を浮かべていたりする事もある。

感情と云うものを表すのが拙いだけなのだろう。

…恐らくは、ずっと一人だったから。

 

誰の足跡も無い新雪のような、まっさらな生き物を見ている気分になって、ピオニーはますますと云う存在に興味を引かれた。

しかしあんまり苛めすぎると、ご機嫌を損ねて会ってくれなくなるかもしれない。

まだ固まったままピオニーを凝視するをそのままに、

昨夜と同じくまたなと声を掛けて笑って手を振りながら、彼は庭を後にしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼の云った言葉の通り、ピオニーは次の日の夜は庭に現れなかった。

は梔子の茂みの中に座り込んで身体を小さく丸め、膝に顔を埋めて溜め息を吐いた。

は暑さも寒さも感じない。

だから寒くはないはずなのだが、何となく、何かから自分を護るように、ぎゅっと身体を縮めていた。

 

ピオニーという傍迷惑な人の子は、本当に自分勝手で、底抜けにマイペースで、お喋りで、陽気で。

彼がやってくると、うるさくってしょうがない。

はこの庭のこぢんまりとした適度な空間と、滅多に人のやってこない静かさが気に入って、此処に居着いた。

ピオニーが来ると、折角の心地よい静寂が台無しだ。

 

はぎゅっと眼を閉じる。

けれど。

 

…けれど、あんなに居心地の良かった夜の静寂に、何だか耳が痛くなる。

温度なんて感じない身体なのに、何かを求めるように皮膚がざわつくのだった。

 

全部ピオニーのせいだ。あの人間がわたしの縄張りを無遠慮に踏み荒らして来るから、こんなに胸がざわざわと気持ち悪いのだ。

わざわざピオニーの自分勝手で一方的な再会の約束を守ってやる義理は無い。

はもう二度とあの人間とは会わないと決めて、梔子の茂みから音も無くするりと立ち上がり、夜闇に紛れて姿を消した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

にまたなと云って別れたその三日後の夜、ピオニーは再び庭を訪れた。

本当はもう一日早く訪れたかったのだが、護衛を撒いたその矢先、

幼馴染であり親友であり臣下でもある赤い眼の男に、不覚にもあっさり掴まってしまい、

極上の皮肉を浴びせ掛けられながら部屋に連れ戻される羽目になったのだ。

 

随分と手厳しいお叱りを受けたのだが、まぁ其処はピオニーである、全く反省も後悔もしていなかった。

あいつに皮肉や嫌味を云われた程度でへこたれるようでは皇帝なんて勤まらんからな、と内心で嘯きつつ、

翌日にはこうしてまんまと脱走に成功したのであった。

 

ピオニーは、が今夜もあの梔子の茂みに一人ぽつんと座り込み、

ぼんやり庭を眺めながら自分を待ってくれている事を、疑いもしなかった。

 

四阿迄やってきたが、しかし池の向こう岸に、今夜はあの白い腕は見当たらない。

先日ピオニーがあの腕を見て笑ってしまったことが、彼女の機嫌を損ねたのかもしれない。

何処となく不貞腐れた様な色を滲ませる彼女の仏頂面が思い起こされて、その微笑ましさに思わずくつりと笑みがこぼれた。

 

池の縁に添って進み、梔子の茂みをひょいと覗き込んだピオニーは、しかし、おやと首を傾げた。

茂みの中に踞っているか、若しくはその傍にある樹の幹にでも凭れて座っているかと思ったのだが、

彼の予想に反して何処にも彼女の姿は見当たらない。

 

「…

 おーい、ー。どこいった?

 ー。。出て来ーい。」

 

幾ら滅多に人が来ない場所だとは云え、あまり大声を出せば警備兵にバレてしまう。

ひっそり叫ぶ、という何とも器用というか、矛盾した事をやってのけながら、

ピオニーは暫く辺りをうろうろと歩き回って彼女の名を呼ぶ。

他の低木の茂みや樹々の合間を見て回って、彼は珍しく少し困ったような顔をした。

こんな小さな庭だ、隠れる場所などもう他には無い筈なのに。

 

、どこだ?いるんだろ、出て来いよ。」

 

はどこにもいない。あの白い腕はどこにも見当たらない。

しかしそれでもピオニーは、不思議とがいなくなってしまったとは、ちっとも思えないのだった。

まだこの庭の何処かで、じっと一人寂しく踞っているのではないかと。

 

ー、おーい、そんなに大好きな俺がいなくて寂しかったのかーー?

 しょうのない奴だなぁ、ー、ほら、拗ねてないで出て来……いてっ。」

 

すこん、と何か小さくて軽いものが勢い良く後頭部に直撃して、ピオニーは思わず頭を抑えた。

ふと足元を見ると、小さな木の実がころりと転がっている

 

「…団栗(どんぐり)?」

 

丸くてつやつやした其れを摘まみ上げ、しげしげと眺めていると、彼の後ろの方からようやく探し人の声が聞こえた。

 

「うるさい。」

 

ぴしゃりとやや冷たい言葉が投げつけられたが、ピオニーは嬉しそうに笑って彼女の名を呼びながら振り帰った。

声音は突き放すような冷たさを思わせたが、しかし彼が振り返った先には、

困った様な苦々しい様な、けれど何処か安堵したふうにも見える、複雑な表情を浮かべたがいた。

 

「おまえ、本当にしつこいな。」

 

「なんだ、、お前そんな所にいたのか!

 さすがに其処は予想外だったぞ…通りで見つからんかった訳だ。」

 

ばつの悪そうな顔でふいと顔を背けたは、四阿の白い屋根の上で膝を抱えて座っていた。

何とも想定外な事をする、とピオニーはからからと笑いながら四阿の前まで戻り、

が踞っている屋根の下までやってきて、彼女に向かって両腕を広げてみせた。

 

怪訝そうな顔をするを他所に、ほら、早く降りて来い、などと云いながら、彼は満面の笑みを浮かべている。

この人間こそ随分と予測の付かない言動をするものだ、とはちょっと厭そうに顔を顰めてみせた。

 

「…何のつもりだ、その恰好は。」

 

一応、尋ねてみただったが、受け止めてやるから早く降りて来い、と云って、

清々しい笑顔を向けてくるピオニーを見て、すぐに尋ねた事を後悔した。

 

聞かなきゃ良かった、と云う言葉を溜め息と共に飲み込んで、は屋根の上にするりと立ち上がる。

しかしピオニーの申し出は、彼女の中でしっかり却下されていた。

とん、と屋根を蹴ったは、まるで重力を感じさせないふわりとした跳躍を見せると、

ピオニーを飛び越えて、彼の立っている位置からやや離れた後方の地面に音も無く着地した。

 

「おぉ、は身軽だなぁ。」

 

人間ではあり得ないような跳躍を見た第一声がそれか。

は暢気なピオニーの笑みに呆れ返った眼を向けた。

ついでにもう一つピオニーに向かって団栗を投げつけてやったのだが、今度は上手い事キャッチされてしまう。

なまじ器用なだけに何とも腹の立つ人間だ、と彼女はまた何とも云えない複雑な顔をした。

 

「ところで、この庭に櫟(くぬぎ)の木なんてあったか?」

「無いな。」

「ほう?なら何処でこんな団栗を取ってきたんだ?」

「…外。」

「そうかそうか、俺が来ないもんだから、寂しくて散歩してたんだな!」

「違う。」

「ははっ、じゃあ俺が来るまでの暇潰しか。」

「違うっ!違う…、わたしは…」

 

穏やかに揺らがぬ笑みを浮かべたピオニーから顔を背け、は少し沈んだ様子で顔を顰めた。

言い淀んだのは、後ろめたさだったのか、それとも。

 

「…わたしは、もう此処を出て行く。」

「出て行って、何処へ行く?」

「おまえのいないところ、おまえがもう二度とこられないところ。」

「どうしてだ?俺はもっとと話がしたいんだがなぁ。」

「…もう、おまえの顔なんて見たくない。

 二度と、話もしない。会わない。そう決めた。」

「…なぁ、。」

 

云ったきり、唇を噛み締めて俯いた彼女に、ピオニーは稚い子供に向けるように微笑んで、静かに名を呼んで問い掛ける。

決して顔を上げようとしない彼女の頭にぽんと手を乗せると、ぴくりと握り締めた両手が僅かに反応した。

温かくも冷たくもない、温度の無い彼女の頭は、まるで幻にでも触れている様な感触だった。

 

は、もう俺に会わないと決めて、此処を出て違う場所へ行った。

 だが、それなら何故、戻ってきてくれたんだ?」

「……。」

は今、こうしてまた俺に姿を見せてくれたし、俺に会ってくれている。

 それは何故だ?」

 

暫しの沈黙の後、は小さな小さな、

この静寂に満ちた夜の庭でなければ聞き逃してしまいそうな程の、微かな声で呟いた。

 

「…おまえが、あんまりしつこいからだろう。」

 

俯いたの頭が、少し震えているような気がしたが、

ピオニーは気付かない振りをして、相変わらず楽しそうに笑っていた。

の頭をくしゃりと撫でると、彼の手首の辺りに、の額に生える小さな角の先が触れた。

 

こんなに小さな角で、一体何ができると云うのだろう。

身を守るには無防備過ぎる。

何かの力の源、というようにも見えない。

彼にとって、其れは余りにか弱い、かわいらしい棘でしかなかった。

 

「そりゃあ、俺はお前に会いたかったからなぁ。

 絶対にが俺を待っててくれてる気がしたんだ、探さない訳が無いだろう?」

 

俯いたままのの顔など見える筈も無かったのだが、

ピオニーには何となく、今、が笑った様な気がした。

 

「人間は、そういうのを自意識過剰と呼ぶらしいぞ。」

「違うぞ、!これは自信過剰と云うんだ!」

「…おまえと話していると、頭が痛くなる。」

 

ぱしっと頭に置かれていたピオニーの手を叩き落とし、は白い眼をむける。

ピオニーは意にも介さない。

相変わらず笑って、尚もを構い倒していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

next.

 

 

 

(11.3.10)

 

 

 

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