Soiree -onze-

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

に手を引かれて辿り着いたのは、初めてに会ったあの梔子の茂みだった。

此処で一体何を見せてくれようというのだろうか、ピオニーにはとんと検討がつかなかったが、

梔子の木を見るのその横顔が、とても誇らし気に輝いているのを見ると、それだけで随分と得をしたような気になった。

 

「此処で、見ていろ。」

 

少し手前でピオニーを立ち止まらせたは、彼の手を放し、一人で梔子の木の前に立つ。

は、ふぅ、とひとつ呼吸して息を整えると、両の手をそっと木に向けて翳した。

闇の中にも映える、白くて細い、小さな手だ。

すると、風もないのに周囲の樹々が僅かにさわりさわりと揺れ始め、

梔子に向けて翳したの手がぼんやりと淡い燐光を放っているではないか。

 

譜術、いや、第七音素か何かだろうか、ともピオニーは反射的に思ったのだが、譜術士ではない自分でも分かる。

これは、少なくとも音素ではない。何かはわからないが、もっと別の力だ。

蛍のように儚く淡く、見たこともない、けれど何処か懐かしい感じのするもの。

 

思わず彼女の名を呼びそうになったが、静かに眼を伏せて両手に集中している様子のに、

ピオニーはついぞ声をかけることは出来なかった。

代わりに、彼はじっとのその姿を見守った。

彼女に出来る最大限のことを、自分だけに特別に見せてくれるのだと云った、その言葉に応える為にも。

 

の掌の先で、艶を帯びた千歳緑の葉がゆらりと不規則に、不自然に揺れた。

奇妙に震う葉先の辺りから、ぽつりぽつりと小さな芽が萌生していく。

芽はやがて膨らみ、今にも花弁が零れ落ちそうな蕾となる。

 

の燐光を放つ両の手が、ひらりと揺れた。

それと同時に、全ての蕾がそれを待ち詫びていたかの様に一斉に花開いたのだった。

闇の中で浮かび上がるように、輝くように、純白の花が咲き誇る。

梔子の木は今や、まるで大きな白い花束のようだった。

 

先程まで葉を青々と茂らせるだけだった梔子の木は、その表面をすっかりやわらかな白花に覆われており、

小さな庭をその甘い香りでいっぱいにしていた。

 

茉莉花にも似た濃密なその香りの中、ゆるりと振り返ったがピオニーを見て微笑む。

少し疲れているようにも見えたが、その表情はとても自慢げで、満足そうであった。

眼を見開き、驚きのあまり息をするのも忘れ掛けていたピオニーだったが、笑うの顔をみてはっと我に返った。

 

「…っ、すごいな、これは驚いたぞ。
 、お前、すごいなぁ…!」

 

ぱっと笑顔を浮かべながらの傍に駆け寄ると、

ピオニーはぼんやりと立ち尽くす彼女を抱き寄せてばしばしと肩を叩いた。

興奮するあまりちょっと加減を間違えたらしく、

痛い、おい、痛いぞ、やめろ!と、の抗議の声が聞こえてきた。

 

「悪い悪い!いやはや、しかしすごい!」

「ちょ、だから、痛いと云っているだろう。この馬鹿力め。」

 

肩を叩くのは止めたが、今度はその勢いのまま頭をがしがしと掻き混ぜていると、

またしてもが不貞腐れた声を上げる。しかしよく見れば顔が笑っているので、

すごいすごいと連発して子供のようにはしゃぐピオニーの反応に、満更でもない様子だった。

 

人外の存在ながらも、能力と云う程のものを持たない無力で無害なには、

こうして植物にごくごく僅かに干渉することくらいしかできない。

それをするにも、随分と疲れてしまう割には特にメリットもないので、

こんなこと、可能であっても殆どやったことがなかったのだ。

だが。

 

「…それだけ喜んでもらえれば、わたしも頑張った甲斐があると云うものだ。

 気に入ってくれたか?」

「ああ、もちろんだ。ありがとう、。」

 

顔を綻ばせるピオニーを見て、は嬉しくなる。

嬉しすぎて、胸が痛くて苦しかった。

 

は満開の梔子の花の中から、いっとう綺麗な花弁のものを一つ選んで、そっと摘み取る。

そして摘み取った一輪の白い花を大事に両手で捧げ持ち、ピオニーの服の襟元に挿す。

ふわりと甘い香りがピオニーの鼻先を掠めた。

己の手によってピオニーの服に飾られた一輪を満足げに見遣り、は微笑んだ。

 

「なぁ、おまえも、わたしの為に一輪だけ、摘んでくれないか。」

 

そんなささやかな事をせがまれたので、ピオニーは乞われるがままに花を選んだ。

一番色と形が綺麗だろうと思われるものを探し出し、散らしてしまわないように注意深く摘み取る。

そして、がしてくれたのと同じように、ピオニーもまた彼女の髪にそれを挿してやった。

 

白く柔らかな甘い花は、彼女によく似合っていた。

髪に挿した花に手を添えて、ひどく嬉しそうに笑うを見ていると、ピオニーも自然、笑みがこぼれてくる。

友人が笑うと、自分も嬉しくなるものだ。

 

ふと、その笑みに影を差したが、ピオニーから一歩離れて彼を見上げた。

そしてちょこんとお辞儀をする。

口を開きかけたピオニーを遮り、静かな言葉を、紡いで、しまった。

 

 

 

 

 

 

「おまえとは、今日で、さよならだ。」

 

 

 

 

 

 

云うの表情は、あまりにも穏やかだった。

 

「……?」

 

呆然と眼を見開いて名を呼ぶピオニーを他所に、その彼の眼を見つめては揺るがない。

揺るがぬように強がっていたのかもしれなかった。

それは彼女自身にも分からない。

 

「わたしはもう、この庭でおまえと会う事は、二度とないだろう。」

「何で、…何故だ、

 お前は俺の傍にいてくれるんじゃなかったのか。

 俺をお前の傍にいさせてくれるんじゃなかったのか。」

 

ピオニーは静かに、けれど強く問い掛けた。

ぎゅっと眉間に皺を寄せてを見つめるピオニーの眼には、濁りなど一つも無い。

彼の眼はいつだって澄んでいて、毅然と前を見つめている。

はその有り様、その美しさを、尊くおもう。

 

。」

 

ピオニーはもう一度強くその名を呼ぶ。

は困ったように眼を細めた。

 

「…わたしはおまえが好きだよ。大好きだ。」

「俺もが好きだ、そりゃあもう大好きだ。当然だろう。」

 

一片の躊躇も無いピオニーに弱く微笑んで、はぽつりと云った。

 

 

「おまえが死んだら、きっとわたしは泣いてしまう。」

 

 

はピオニーと出会ってから、たくさんの言葉と表情を覚えた。

しかし、彼女はまだ一度も泣いた事だけは無かった。

は、以前ジェイドに泣き方がわからないと云った事があったが、今の自分なら、多分涙の流し方がわかると思う。

それを知る事が出来るくらい、ピオニーが大事だと思えたから。 

 

「……。」

「すまない。けれど、もうずっと前から決めていたことだ。

 今日で、わたしはおまえの前から姿を消そう。

 けれどおまえがわたしを友と呼ぶ限り、わたしはいつでもおまえの友だ。」

!」

「…。」

「だからって、だからってなぁ、

 いつか、俺が死んだとき、お前は泣いちまうんだろう?

 を知らない場所でひとりぼっちで泣かせるくらいなら、

 死に逝く俺の傍で泣かれた方が、よっぽどマシってもんだ。」

 

ピオニーは静かに怒っていた。

同じ長さの時間を生きられない以上、自分が先に死んでしまうのはどうしようもないことだ。

ようやっと人間と絆を結ぶ喜びを知ったが、別れに堪えられないと云う、その気持ちはピオニーにも少しはわかるつもりだ。

しかし、だからといって、が云っている事は、ピオニーには到底納得できなかった。

 

「わたしはおまえに、泣いた顔を見せたくはないんだ。

 …わたしが笑うと、おまえは喜ぶだろう? わたしにも、おまえを喜ばせることができる。

 それがあれば、わたしはおまえが居なくなっても、おまえの笑った顔を何度だって思い出せる。」

 

「…そんな顔で笑うな、。」

 

「…なぁ、おまえの一生など、わたしにはほんの瞬きの間の儚いものだ。

 わたしは其の一瞬の儚い時間を唯一とおもえる、好きになれるんだ。

 存在してきた時間を無為に浪費していただけのわたしが、だ。

 おまえ、此れがどれほどの事か、わからないだろう。

 わたしが一瞬を覚えたら、それが永遠になるんだぞ。」

 

「永遠などいらん。

 俺は、俺が生きている時間を最後までお前と共にいたいだけだ。

 いつかを置いて行かざるを得ないのだとしても、

 お前を泣かせても、傷つけても、

 それでも最後まで共に居たい、と云っているんだ…!

 お前こそ、どうしてそれがわからない…!」

 

ピオニーには何となく、もう無駄なんだと分かっていた。

が一体いつ頃から今日の別れを決めていたのかは知らないが、

ピオニーがどれほど引き止めようとも、きっとは行ってしまう。

 

「…さよならとは云ったがな。でも、きっとこれは別れではないんだよ。

 おまえがわたしを思い出すだけで、わたしは其処に居る。

 おまえがいつかいなくなる其の時まで、わたしはずっとおまえの事を考えている。

 おまえが居なくなったって、わたしはずっとおまえを思い出し続けるから、おまえもまた、わたしの傍に居るんだ。

 だからもう此処には居られない。此処でおまえと一緒には居られないんだ。」

 

、お前の云ってる事、無茶苦茶だぞ…。」

 

矛盾だらけのの言葉に、ピオニーは無理矢理笑って見せた。

も、自分が随分とおかしなことを云っているのはわかっているので、小さく笑う。

 

「おまえも、結構な自分勝手さだと思うがな。」

「…そりゃお互い様だ。」

「違いない。」

 

梔子の花の、甘い香りに肺を病む。

雨に打たれた花弁が傷むように、濡れた地面で朽ち行くように。

儚く美しい時間が、瞼の裏にだけ白く焼き付いて離れないのに、

眼を開けば、其処にはもう、

居ないのだ。

 

 

 

それは、終わらない夜会(ソワレ)をのぞんでいたふたりの、かなわぬ夢だった。

 

 

 

は、苦しくて苦しくて苦しくて、居ても立ってもいられなくなり、とうとうピオニーを抱き締めた。

離れたくない、大好きなんだ、苦しいんだ、ずっと傍にいてくれ、とは決して云えないから、

叫び出したくなるくらいに切実な思いを込めて、悲痛な程にピオニーの身体を強く抱き締めた。

 

もう行くと決めた。ずっと前から決めていた。

あの日、ピオニーがいつか死んでしまうのだと気付いた時から、ずっと決めていたのだ。

だからこそ、自分で決めたこの一年間と云う月日を大事にしてきた。

意地を張るのを止めた。

躊躇うのを止めた。

何よりも誰よりも大事なピオニーの幸せを、ずっと祈り続けながら。

 

は決して其の決断を後悔はしていない。

ピオニーは人間と共に、人間の国で生きて行くべきだ。

彼が統べる国の人間達には、ピオニーが必要なのだ。

はピオニーとずっと一緒にはいられない。

連れて行く事も、連れて行ってもらう事も出来ないのだと、いつだっては分かっていた。

 

ピオニーは、必死に乏しい感触を身に焼き付けようとするように、しがみついてくるの身体を抱き締め返した。

温度の無いあやふやな其の身体は、如何にも頼りないけれど、

ピオニーは決してこの腕の中の小さな存在の感触を忘れられないだろうと思う。

忘れてたまるものか。

 

けれど、抱き締めても抱き締めても、何かがこぼれ落ちて行ってしまう。

別れが近い事を、彼は理解した。

 

は、抱き締めた腕の強さはそのままに、切なそうに顔を歪めて自分を見下ろすピオニーをそっと見上げた。

離れるのがあまりに惜しい。別れるのがあまりに辛い。

 

けれどは笑った。

今までで一番いい笑顔になるように、心から。

 

「大好きだよ、ピオニー。」

 

ああ、その名を、呼ぶだけで…!

その名を呼べることの、なんて幸せな!!

 

「…もう一度、呼んでくれないか、。」

「ピオニー。」

「…やっと俺の名前を呼んでくれたなぁ…。」

「ピオニー。ありがとう、ピオニー。」

。」

「ピオニー。だいすきだ。だいすきなんだ。」

「お前は本当に、しょうがない奴だな。」

「ピオニー。」

 

何度も確かめるようにピオニーの名を呼ぶは。

 

 

 

「わたしは、ほんとうに幸せだ。」

 

 

 

あまりにも幸せそうに笑っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

next.

 

 

 

(11.3.10)

 

 

 

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