6
イーストシティーにも雪が降る。ひらひら絡まる牡丹雪を零す薄灰色に霞む空を見上げた、1914年2月。
私は再びあの犯罪の計画の最終確認をしていた。
そして、これが多分最後になると云う予感があった。
もう少し暖かくなったら恐らく「物語」が始まる頃になるだろう。
そうなればあの黒髪の軍人や其の部下達も、いや、イーストシティー自体が慌ただしくなるのかも知れない。
そうなってまで私の惰性犯罪に付き合わせるのも申し訳無い気がする。
漠然と此れが最後だと云う予感があったし、何より、もういない「共犯者」が、「もういいよ」と云っている気がした。
もともとは「共犯者」が全部用意してくれたものであった隠れ家や通路をもう一度確認して、
私は服を着替えて、最後に手袋と仮面を付けた。
黒尽くめの滑稽な格好だ、と自嘲して、計画通りに動き出した。
嗚呼、妙な事になった。
全くもって想定外にも程がある。
隠れ家の埃っぽいベッドに横たわる人物をちらりと横目に見て、もう一度私は頭を抱えたまま溜め息を吐いた。
(マスタング大佐の無能…役立たず…頭いいくせに莫迦…)
頭の中で力無く此の事態の原因を作った人物を罵るも、聞こえようはずも無い。まぁ聞こえたら困るのだが。
ベッドに横たわって気絶しているのは、多分、と云うか、間違い無く、ハボック少尉だった。
計画自体は何の滞り無くこなせたのだが、問題は逃走間際の誤算だった。
そうだ、今日と云う日はどうにもどこかがおかしかったのだ。
いつもは憲兵、それでなければ現場に出動するのは大抵其れ程地位の高く無い下士官ばかりだったのだが、
此の日はよりによって、東方司令部司令官が自ら出て来ると云う暴挙に及んだのだった。
其処は出て来るところじゃないだろう、と内心冷や汗を流し乍ら突っ込んでみるも、
優秀すぎる司令官に無駄なく包囲されて、私は危うく捕まりかけた。
この私から逃げられると思うな、と良く通る声が聞こえてくる。あ、いい声だな、とか思っている余裕も無かった。
が、なんとか隠れ家への逃走の目処が立った所へ、かの司令官殿はあろうことか、お得意の錬金術を仕掛けて来た。
流石に軍人として動くマスタング大佐は敵となると恐ろしかった。
無能なイメージが強すぎて忘れそうだが、この人は良くも悪くも恐ろしく頭が良いし腕も立つ。
しかし、此の時は、ちょっと色々な事が、とにかく全てがおかしかったのだろう。
何がどうなったのか、隠れ家から地下へ続く通路に逃げ込もうとした私の腕を金髪の軍人の大きな手が掴んだ丁度其の時、
大佐の先程はなった焔の余波を受けて、ただでさえ老朽化の進んでいた隠れ家が崩れ落ち、
気が付けば、私は崩れた建物に入り口をすっかり塞がれた地下通路の中へと、一人の軍人と共に落ちていた。
幸い私はやや身体を打っただけで大した怪我は負わなかったのだが、
軍人の方は私の下敷きになるような形で落ちたので、少し頭を打っているように見えた。
咄嗟に確かめた脈も呼吸も問題は無かったが意識は失ったままで、すぐには目覚めないかもしれない。
地上からはまだ少し建物の崩れるような音がしており、其れに混じって軍人や憲兵の足音や怒号がかすかに聞こえてくる。
大人しく捕まる訳にもいかないので、私は辿々しい練成陣を壁に描き、錬金術で地下通路との入り口を完璧に塞いだ。
恐らく私が錬金術の心得が多少ある事を彼等は知らない。
暫くの時間稼ぎにはなるだろうと見て、少し迷ったが、軍人を取り敢えず一緒に連れて逃げる事にした。
放っておいても暫くすれば同僚達に見つけてもらえるだろうが、頭を打っているとなるとあまり放置しておくのは危険かも知れない。
自分のせいで怪我をさせておいて放っておける程人間を捨てたつもりもない。
とは云え、大柄では無いが自分よりも随分背の高い男を運ぶとなると骨が折れる。
最初は無理矢理引き摺って移動していたのだが、自分が一応は錬金術師の端くれである事を今更思い出して、
微妙な気分になり乍らも人ひとり運べるくらいの大きさの人力車の様なものを何とか練成して、別の隠れ家へと運んだ。
かなり重かった。
途中、通路を追って来た時の事を考えて幾つかの通路を所々塞いでおいた。どうせ此の通路を利用するのも此れで最後だ。
そうしてなんとか逃げ切ったと云う所で現在に至るのだが。
真っ暗な通路を運んでいる時から薄々そんな感じはしていたが、隠れ家で小さく灯を灯してみれば、
私が運んで来た軍人と云うのは、多分、いや、紛れも無くハボック少尉だった、と云う訳だ。
ああ、此の事態、如何にすべきか。
それもこれもロイ・マスタングのせいだ。あんな古い家屋に向かって焔と爆風なんか盛大に吹っ掛けるからだ。
もっと加減したまえよ。
寸での所でかわせたからよかったものの、直撃してたら大惨事だ。
殺されても死なないとは云え、痛いものは痛いし熱いものは熱い。恐いものは恐い。
それに怪我が異常な早さで修復されて行くのを見られたら、どう説明すればいいのか未だにわからないのだ。
サンプルとして研究所送りにされるのは御免被る。
しかし、いつまでも此処にいるわけにもいかないし、少尉も一応軽く頭を打っただけらしく命に別状は無いようだったので、この分だと放っておいても直に目覚めるだろう。
取り敢えず銃だけは恐いので取りあげさせてもらったが、彼をどうするかをまずは取り急ぎ考えねばなるまい。
「…おい」
「ぎゃあ!」
どうしようと苦悶し乍ら頭を抱えて踞っていると、突然聞こえるはずの無い声を掛けられて、思わず後ずさった。
ヤバい。少尉が起きた。
「ぎゃあってお前…むしろこっちが叫ぶとこだろう此れ…」
薄暗い部屋の向こうに毒気を抜かれたような微妙な呆れ顔で、痛そうに頭をさすりながら身体を起こすハボック少尉がいた。
一応そちらとしては敵に捕まっている状態なのに、どうしてそんなに落ち着いているのだろう、
此れが一般人と軍人の差なんだろうかと漠然とどうでもいい事を考えた。
マスタング大佐などは目立つ事もあって遠目に街で見かける事も幾度かあったが、
こんなに間近に物語に関わる人物に会ったのは初めてだった。
そのせいもあって、壁際に背中を付けたまま、つい固まって彼を凝視してしまった。
「あんたが一連の犯人か」
「あ、はい、そうです。すみません。」
先程より幾分低い声で問われたので、恐くなって思わず正直に答えると、少尉はより一層微妙な顔をした。
「そう来るか…」
「…え、あ、いや、なんか、すみません…。」
がっくりと項垂れる様を見ていると何だか良く分からないが申し訳無い気分になったので一応もう一度謝罪してみた。
呆れて物も言えないと云った様子で、少尉はぞんざいに手をひらひらと振った。
「で?」
「え…?」
先を促されるも、どう云う返答を求められているのか分からず首を傾げて困惑するしか無かった。
向こうは向こうで呆れたような戸惑うような色を浮かべて、飄々としながらも油断なくこちらを観察しているように見えた。
ああ、こちらの世界にきてからも今いち軍というものが良く理解できていなかったのだが、こういうような人を軍人と呼ぶのだなと思った。
多分、本気を出せば彼なら今直ぐ私を捕らえる事など簡単に出来てしまうんだろう。
「あー、だからな、お前、どうしたいんだよ。」
聞き分けの無い小さな子供に対するようにゆっくりと、やや投げ遺りに云った彼の思惑が、良く分からなかった。
私の意志を問うた所でどうしようもないとは思ったが、確かに何か云わないと此の場が進まないような気はしていたので、
私も何か云わねば、と必死で真っ白になった頭に色塗りを始める。
「…えーと、…あ、怪我の方は大丈夫ですか?あの、頭を打たれていたようですが。」
「は?…あー、うん、まぁ、おかげさんで。…これ、あんたが?」
擦り傷のあった頬に貼られた絆創膏を指差してそう尋ねる少尉に、すみません、と呟いて頷く。
「…はぁ、まぁ、ありがとよ。」
「あ、いえ。すみません。」
「…」
「…」
「お前会話する気あんの?」
「え!?あ、無い訳では無いんですが…!」
何を云えばいいのやら、と俯きながら小さく云うと、
ハボック少尉は一つ諦めたように溜め息を深く吐くと、改めてこちらを見据えて口を開いた。
「こうしてても仕方ねぇし、取り敢えずいくつか質問させてもらうからな。」
「…どうぞ。」
最初からそうしてもらった方が早かったかもしれない、と思いつつ、先を促した。
「お前は何者だ。」
「え、えー…?…ふ、普通の、人?」
ものすごく呆れた顔をされた。
「…質問が悪かったか…。
じゃあ何で俺を此処へ連れて来た?」
「怪我をしてたからです。あと、…成り行きで。」
「あぁそう…。あーめんどくせぇ…、取り敢えず、お前、仮面取れ。顔見せろ。」
「あれ?」
云われて初めて、自分がまだ仮面も手袋も付けたままだったことに気付いた。
仮面のまま踞って途方に暮れていた様は傍から見れば相当奇妙、と云うより、むしろ薄気味悪かった事だろう。
そんな人間に、仕方が無いとは云え会話しようと云う努力を見せた少尉を少し尊敬した。
私ならそんな気味悪い仮面の人間に話し掛けたく無い。
まぁ今更顔を見られた所でどうしようもないかと開き直り、仮面と手袋を外した。
「すみません、気付きませんでした。」
こちらを驚いたように凝視される視線が痛い程よくわかって非常に居心地が悪かった。薄暗くてよかった。
「声からして考えてたより若いとは思ってたが…まさか女だったとは思わんかった…」
呆然として呟くのが聞こえる。思えば、其の反応も無理は無かった。
全身を真っ黒な服で覆い、声も出さず、顔も髪もしっかり隠していたし、
何よりも、私が付けていた手袋と云うのが、ゴムで出来た、老人の皮膚を模した精巧なものだったからだ。
夜闇に紛れれば唯一露出している生身の部分に見えただろうし、
其れが見るからに年輪を刻んだ手であれば、犯人はある程度の年齢だと錯覚させる事ができるだろうと考えてのものだった。
事実、事件の事について書かれた新聞を読むと、犯人を推測するに5、60代の男では無いか、と書かれていた事もあった。
「…つーか、顔出していいのかよ。」
「うーん…まぁ、よくはなかったかもしれないですけど、今更、と云う気も。」
自分が見せろと云った癖にそんな事を尋ねるのかと少し呆れながら、少し肩を竦めた。
「名前は。」
「です。・。」
「本名か?」
「本名と云えば本名ですが…偽名だったらすみません。」
申し訳なさそうにそう云うと、少尉がまた微妙な顔をした。何だかもう諦めたようにも見えるが。
此の世界に来てからずっとと名乗っている。は私を拾ってくれたあの老婦人の姓だ。
だから此の世界での本名と云えば、そう云えなくも無かったので、正直に答えたのだが、
正直に答え過ぎて余計に混乱させてしまっているようだった。
「あの…」
「うん?」
「私、捕まるんですか?
捕まって、牢に入れられて、殴られるんですか?」
「…捕まるまではいいとして、殴りはしねぇだろ、普通。」
「そうなんですか?」
「いや、普通、よっぽど抵抗しない限り其処迄されねぇって。」
「私、軍とか、未だにどういうものなのか、よくわからないんです。」
「撃たれたり殴られたりする恐いところだって?」
「いや、其処迄は…ちょっと、思ってた、とか…」
「思ってたのかよ。」
「…えへ。」
呆れるしか無い、と云った風に溜め息を吐きつつ、少尉はどうしたもんかねぇ、と誰に云うでも無く呟いた。
何だか其の様子が微笑ましいように思えて、思わずふっと笑った。
「でも、あなたが優しそうなひとでよかったです。」
「……あーもう…なんつー頭の螺子のぶっ飛んだお嬢さんだよ…。」
酷い云われようだが確かに同感です、と真顔で頷くと、また彼はがくりと項垂れた。
(08.9.16)
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