20
夏の匂いがする。
今日は仕事が休みだったので、いつもより少し遅く眼を覚ました私は、カーテンを開いてふと空を見上げた。
白と青の突き抜けるようなコントラストが照りつける陽射しに灼かれて輝いていた。
短かった春はあっという間に夏に舞台を明け渡そうとしている。
生まれたばかりの夏は、その熱を陽射しに混ぜて撒き散らしながら、世界をきらきらと踊る。
開いた窓から瑞々しい風がカーテンを軽やかに撫でて、私は心地よさに眼を細めた。
私は相変わらず日々を静かに過ごし、仕事をして、傍ら錬金術の勉強をしたり、情報収集をしたりしていた。
有力な情報があれば匿名で軍にこっそり情報を流す。
しかし東方司令部の軍人達とはあれから殆ど会っていない。
外れとは云え同じイーストシティーに住んでいるので、時折街で見掛ける事はあっても、向こうが私に気付く事は無かった。
なるべく気付かれないようにある程度の変装くらいはしているので、それも当然だ。
マスタング大佐から一度だけ電話が掛かって来た事があったが、交換手が繋ぐ前に電話を切ってやった。
微妙な顔をして恨めしげに受話器を睨む大佐の顔が眼に浮かぶようで、私はにやりと笑った。
顔を洗い、あまり食欲は無かったが形だけの食事を申し訳程度に摂り、服を着替える。
戸締まりをして財布だけ持って家を出ると、近所の売店でいつものように新聞を購入した。
歩きながら一面に眼を落とすと、相変わらず物騒な話題ばかりだった。
そう、…リオールで暴動が起きた、とか。
何となく予感がして、少し早足で家に帰宅すると、少し甘めに作ったミルクティーを飲みながら新聞に眼を通す。
予感はもう確信と呼んでも相違ないのかもしれない。
まことしやかに耳に入って来た噂では、セントラルシティーは随分と物騒な状況になっているらしい。
その原因には、私の朧げな記憶の中に心当たりがあった。
少し落ち着かない気持ちで読み終わった新聞を無造作に投げ出すと、
テーブルの上に置きっぱなしになっていた、先日買ったばかりの錬金術書を開いた。
生体錬成に関する本は新しく出版されたもの以外めぼしいものは既に読み漁ってしまったので、
それらの研究にばかり没頭していたせいであまり勉強の進んでいなかった、物質の錬成に関する本だ。
未だに物の錬成が上手く出来ず、情けない事にイメージと随分違ったものが出来る事が度々だ。
錬成速度も遅いので、実用的な技術として身に付けるにはまだ時間が掛かりそうだった。
遠くから車のエンジン音が段々近付いて来ているのが聞こえて、少し溜め息を吐いて早々に栞を挟んだ。
その瞬間、唐突に静かな家の中を呼び鈴の音が走る。
(ああ、やっぱり、来たのか。)
小さく笑って、ゆっくりと立ち上がり玄関に向かう。
覗き窓から外を覗く迄も無いと思い、鍵を外して扉をゆっくり開いた。
外の眩しさに眼を眇めながら、逆光の中に立つ青い服の男を見上げ、私は黙ってにやりと笑う。
「電話くらいは出たまえよ。
くん。」
ようやく明るさに眼が慣れてくる。
開いた扉の向こうに立つマスタング大佐と、
其の背後に居る、金色の髪の少年と、大きな鎧。
訝し気に私を見遣る彼らに小さく笑いかけて、ひとつ会釈をした。
ああ、まるで、物語の序曲が聴こえてくるようだ。
fin.
(08.9.16)
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