19

 

 

 

 

 

「探してるんです。賢者の石。」

 

静かに云いながら、気付かれないように大佐の反応を窺っていた。

流石に彼の得意なポーカーフェイスから何らかの反応を確認する事は出来なかったが、

それでも今、彼の頭の中にはあの兄弟の事が過った事には違いなかろう。

私だって最初は想像もしていなかった、彼ら、エルリック兄弟と同じものを探す日が来るだなんて。

 

「何故、そんな存在するのかどうかも不確かな物が必要なのかね?」

 

口元は人当たりの良いいつもの微笑を浮かべているが、眼はやはり笑っていなかった。

賢者の石、錬金術師なら恐らく誰もが耳にしたことがある伝説の物質。

卑金属を金に換え、法則を超越して際限の無い錬成を可能にする夢のような存在。

 

「錬金術を勉強し始めて暫く経った後、何十年もの間、ずっと人体について研究してきました。

分野としては生体錬成、ということになるのかもしれませんが、目的は其れではなかった。

撃たれても刺されても生き返ると云うのなら、錬金術によって、

肉体を無機物に分解してしまえれば、さすがに生き返る事は出来ないだろうと。

死体を残さず、存在の全てを抹消したかった。」

 

「まさか、実行、したのか…?」

 

「しました。」

 

一瞬躊躇って尋ねた大佐に、私は即答した。

此のやり取りに、私は何の感情も込めなかった。

尋ねるのであれば、私はその問いにただ答えよう。淡々と。

 

「でも、理論も錬成陣も完成したけれど、誰かに実行してもらう訳にも行かなかった。

仕方なく自分で実行しましたが、結局失敗してしまいました。」

 

錬成陣を慎重に正確に描き、その上に立って、私は錬成を開始した。

青白い錬成反応が陣ごと私を取り囲み、眩しさに眇めた狭い視界の中で、足下から分解されて行くのが見えた。

あ、と思う間もなく、踊り狂う青白い光の中で足下からどんどん激痛が広がって行く。

分解されて行く側から再生し始めているような感覚を感じたような気がした。

その広がり続ける痛みに耐えきれずに意識を失った。

 

どのくらい経った後だったか、結局私は夥しく広がる自分の血溜まりの中で目覚めた。

恐らくあの様子では、第三者に実行してもらったとしても失敗していただろう。

理論も錬成陣もいくら見直しても何処にも不備はなかったのだ。

だってそうだろう、人体錬成のような禁忌の領域に踏み入る難しい錬成ではなく、

私の行った錬成は、全く基本中の基本、ただ物質の状態変化でしかないのだから。

 

「それが賢者の石なら可能になるとでも?」

 

「そう願いたいものです。」

 

あの時の想像を絶するような痛みを思い出すと、背筋が少し震えた。

賢者の石は不老不死をも可能にすると聞く。それならば、逆も、また。

 

力が入らなかった身体も、すこしずつ回復して来ているようだ。

もう家迄帰る事ができる程度にはなっただろうと思い、再び身体を起こした。

ベッド脇に揃えられていた靴を履いて立ち上がり、足を少し踏みしめて確認する。

 

「…もう、帰ります。

服、また後日お返ししますから。」

 

大佐はただじっと私を真直ぐに見上げて黙っていた。

そうやって、貴方は私を捕らえる癖に、同じくらい私を手放そうとする。

キャッチアンドリリースだなんて悪趣味な真似をされるくらいなら、捕殺されたい私の気も知らないで。

 

何かを考えるよりも先に身体が動いていた。

ゆっくりと大佐に近付き、椅子に座ったまま私を見上げていた大佐の首にするりと両腕を回した。

 

縋るように静かに其の首を抱きしめた。

 

まだ完全に回復していない為、私は少し体温が低いようだ。

そうすると尚更抱きしめたその温度が温かすぎて、喉の奥が締め付けられるようで、眼球の奥はひどく熱く痛む。

 

初めて会った時に触れたあの手と同じだ。

ちゃんと生きている人の、正しいあたたかさ。

 

私はどうしたいのだろう。

私はどうしてこんなことになってしまったのだろう。

私と同じ、ただの体温だ。

だのに、どうしてこんなに、しにたいくらい、いとおしいのだろう。

 

ふいに、大きな手が私の髪を撫でる。

腹立たしいくらいやさしくて非情な、温かい手が髪を滑る。

視界が滲むので、振り切るようにぎゅっと眼を固く閉じた。

 

あの時、握手を躊躇ったのは緊張していたせいじゃなかったのかもしれない。

あの時、あの手を取ったせいで、きっと私は此処迄足を踏み入れてしまったんだ。

求めずにはいられないその海の温度を。

 

 

「…まだ此の世界の誰にも教えた事の無い、私の本当の名前をおしえてあげるよ。」

 

 

そう小さく呟き、黙ってゆるりと腕を解いて髪を撫でる手から逃れるように踵を返して扉に向かう。

扉近くに掛けてある血塗れのコートを掴んで扉を開き、出て行こうとした所で足を止めて、視線は寄越さずに少しだけ振り返った。

 

 

「…  『  』  。
 此の名前を、君だけに、おしえてあげる。」

 

 

何かを云おうとした大佐の表情も確かめずに扉を閉め、足早に家を出た。

玄関扉からすり抜けた途端に、冷気が体中をすり抜ける。

雪はすっかり溶け出し、あれだけ暗く立ち籠めていた雪雲は少しずつ切れ間をみせていた。

雲の切れ間から除く菫色の宵空の下を殆ど走るように家路を急いだ。

 

血塗れのコートを着る訳にもいかず、

薄着のままの肌は夜気を含む冷たい空気に冷えてゆくばかりだが、胸の中にはまだ温もりが残っていた。

 

この身体に残るこの温度は、きっと、あの正しいあたたかさだ。

 

止め処なくこの頬を伝う涙も、同じ正しさのままに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

next.

 

 

 

(08.9.16)

 

 

 

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