11
「ああ、あの赤い看板の店だな。」
「そうです。其の店の奥に地下室の隠し扉があって、大体は其処で。」
「あー、あそこかー、踏み込むとなるとそれなりの人数いりますね、こりゃ。」
「裏路地に気を付けて下さい。あっちは入り組んでますから。」
「他は?」
「名前はちょっと覚えて無いんですけど、去年の秋頃に起きたテロの首謀者の1人も見掛けました。」
「恐らくそれはカーターだろう。あの時騒動のどさくさに紛れて憲兵を殴って逃走している。」
「大佐ー、さっき云ってたテロ集団って5人だけでしたっけ?もう1人いたはずっすよね?」
「あ、もしかして右腕が少し不自由な、」
「ああ、そいつだ、そいつ。」
「詳しい事は知らないんですけど、でも、南部に逃げたって噂を聞いた事はありますけど…。」
「ふむ、一応後で南方司令部に問い合わせてみるか。中尉、ファイルの方はどうだ?」
「はい、…ありました、これです。此の件はどうかしら?」
「あ、それはよく覚えてます。確か二年前の、雑貨店の前に停めてあった白い車の、ですよね。」
「よくそんな細かい事覚えてたな、お前。」
「あの雑貨屋さん好きだったんです。あの1件のせいで閉店してしまって…。」
私とマスタング大佐、ハボック少尉、ホークアイ中尉達と司令官室に籠って、かれこれ2時間近くなる。
最初はまず私の犯行について手口などの話を求められた。
少尉に話したように、今はもういない「共犯者」や隠れ家、隠し通路、奪った金品の処理法など全てを包み隠さず伝えた。
それらは云わずともいずれ遅からず彼等の知るところとなっただろう。
彼らに、とりわけマスタング大佐に隠し事や嘘が通用するとは到底思わない。
そうした後に、本題である情報提供の話に移り、今に至る訳だった。
部屋の外には大佐の部下を二人付けて人払いをして、私達は地図や資料が乱雑に散らばるテーブルを囲んでソファに座って話し合っていた。
私はぐるぐる回る思考を何とか制御しつつ記憶を騒動員して情報を引き出しては手渡し、
時に資料やファイルを紐解いたりして、ようやく私の中のばらばらに蓄積されていた情報が整理されて来た。
「…すみません、今思い出せる限りでは、此のくらいです…。」
どんなに頭を捻ってももう何も記憶に無い、と云う所迄来て、私は少し頭を下げた。
其の一言で、其れ迄どこか慌ただしかった室内の空気が、少し落ち着いたような気がして私は深く息を吐いた。
改めるように一つ頷いて、大佐は立ち上がって自らの執務机の上にある書類を見比べながら指示を出す。
其の姿はどこからみても威厳ある有能な国軍大佐の姿だった。
「そうか、御苦労だったな。ハボック、大至急隊を整えておけ。」
「今からっすか?」
「早いに越した事は無いだろう。逃がしてたまるか。現場の指揮はお前とブレダに任せる。」
「Yes,sir.」
「大佐、先程の件の確認を取って来ます。」
「ああ、頼む。それから中尉、此の書類もついでに頼めるか。」
「了解しました。では失礼します。」
少尉、中尉が慌ただしく出て行くと、先程迄話し声の絶えなかった室内は急に静まり返り、
大佐が思案するように口元に手を添えつつ時折書類を捲る音だけがかさりと鳴る。
其の音は鎮静剤のように私の頭の芯をひそりと沈めて行くような気がした。
時折部屋の前の廊下を通りかかる人の話し声や小気味良い靴音も、どこかひどく遠く響いていた。
唐突に何も無い場所に1人放り出されたように私はまだソファの隅に座ったまま、どうすればいいのか分からずにいた。
退室しようにも1人で勝手の分からない司令部内を歩き回る訳にも行かず、
そもそも真剣に書類を睨むマスタング大佐に声を掛ける事がどうにも出来ずに居た。
彼は私の存在などまるで無いかのように自分の思考の中に没頭しているように見えた。
(この人は私をどう見るのだろう。どう判断するのだろう。そして、)
どう殺すつもりなんだろう、と考えかけて、思考を中断した。
どうせ私は煉獄の焔に焼かれようとも死ぬ事は出来ない。
それでもつい、いつも一つの予感に捕らわれて気付けばそれについてばかり考えてしまう。
大佐がいつか私を殺すという、予感だ。そして、私は内心それを望んでいるのかも知れなかった。
「・。」
「はっ…はい。」
唐突に、大佐は視線を書類に落としたまま私の名をはっきりと呼んだ。
全く感情をこめない声音だった。
なんでもない、ただ名を呼ばれただけなのに、私はやけに背筋が冷えた。
「現在、先程提供してもらった情報の裏付けを急がせている。
裏付けが取れ次第、我々は不穏分子共を一網打尽にするつもりだ。
そしてそれなりの成果が上がった時点で、君には当初の契約通り、自由を約束する。
それで異存は無いな?」
「はい、ありません。」
姿勢を正し、大佐を見上げてはっきりと肯定した。すると、ずっと書類に落としていた視線を、おもむろに私に寄越す。
其の眼の色は、先日見たのと同じ、夜の海を覗き込むような途方も無い深さをたたえて私を捉えた。
何故か小さく手が震えるのが止められなくなり、私は膝の上で自分で自分の手を強く握りしめた。
「…契約は成立だ。
先程の情報は確かに信憑性があり、軍にとって有益なものだった。
直に私の優秀な部下達が成果を上げるだろう事を私は確信している。」
突き付けられた言葉の意味は、ほとんど自由を約束されたも同然の前向きなものだった。
だのに、何故震えが止まらない。
視線を逸らせない。
鼓動を掌握されたようなこの威圧感は何を問う。
「だが、それとは別に、私は全ての疑問の答が提示される迄、君の監視を解くつもりはない。」
「どう、云うこと、です、か。」
「しらばっくれるのもいい加減にしたまえ。
私は確かに女性に手荒な真似はしない主義だが、
我々に害為す者は其の限りでは無い。」
書類を机に置き、私に向き直ったマスタング大佐は、まっすぐに私を鋭く見据えながら軽く右手を掲げてみせた。
その行為の意味する所、白い手袋の甲に描かれた練成陣。
私は彼が云いたい事に大方気付いていた。
その話をいずれしなければならなくなる事には、あの最後の犯行の日からずっと気付いていたのだが、できればしたくなかった。
(いや、嘘だな…。)
きっと、私は此の世界に落とされてからずっと、
…ずっと、誰かに聞いて欲しかったんだ。
其の誰かが、誰でも良かっただなんて、決して云わない。
「マスタング大佐、あなたは、私に何を問いたいのですか。」
あくまでも、私は彼に問わせようと思った。
そちらの手の内を明かさなければ私の手の内は見せない、だってそうだろう、
手の内を見せあった所で、弱味になるのは結局の所、私だけなのだから。
其のくらいの我が儘は通させてもらうつもりだ。
「四日前に調書を取った後、君の事を調べさせてもらった。
君は確かにほとんどのことについては嘘をつかなかったからね、調べるのは簡単だったよ。
だが、君は本当の事を云わなかったのも確かだ。違うかね?」
マスタング大佐は先程迄眺めていた書類を私に差し出した。
目の前に垂らされた幾枚かの書類を受け取り、持つ手と共に少し震える書類に眼を通した。
几帳面に纏められた報告書だった。
書類の文字を追えば追う程、胸がつかえて、どうにも涙が出そうになった。
あの小さな村、私が初めて眼を醒まし、訳も分からずに泣きじゃくったあの家、
不馴れな英語での会話を根気よく続けてくれた親友の少女、
彼等の事を、あの場所を、記憶を、たった4日で此処迄調べ上げてくれるだなんて、思っても見なかった。
ああ、やっぱり、この人で無くては駄目だったのかも知れない、と、
自分のひた隠しにして来た秘密を暴こうとしているはずの大佐に、何だか救われたような気すらした。
「その報告書が正しければ、君は…」
「ありがとうございます。」
云いかけた大佐の言葉を静かに遮って、私は両手で読み終わった書類を大佐に差し出し、そう云って笑った。
不可解そうに厳しく眉根を寄せた大佐は、その真意を探るように私を見据えたままに。
其の眼を、もうこわいと思わなくなった。
私はとても穏やかな気分だった。
こんなに静かな気持ちになったのは久し振りだった。
「云わなきゃ云わなきゃ、と焦るばかりで、
なかなか何をどう話せばいいのか、ずっと悩んでいたんです。
こんなに早く、こんなにちゃんと全部調べてもらえるとは思っていなかったんです。
おかしいと思われるかもしれませんが、私、すごく嬉しいんです。
それを知って、大佐さんがどうするかは私にはわかりませんが、
どうなるとしても、もう悔いは無いように思うのです。
…ようやっと、私は胸のつかえが取れたような気がします。」
「…この報告書の内容を、認めるのかね。」
「事実ですから。」
「…君は何者だ。」
「其れがもうずっとわからないから、死ねもせず、時間に取り残されて、この有り様です。」
押し殺すように問われても、私に云えるのはそれだけだった。
私は何者なんだろう。
いつまで時間を奪われたままだろう。
いつか、死ねるだろうか。
もし其の時が来るのなら、私を殺すのは、この人であればいゝ。
私は、穏やかにもう一度微笑んだ。
「…今日は此の辺りにしておこう。」
数分間の沈黙の後、疲れたように深く溜め息を吐いた大佐は何事も無かったかのようにそう一言告げると、
書類を机の抽き出しに仕舞い、外にいた二人の部下に呼び掛けると中に入るよう命じた。
「はい。」
「御呼びですか、大佐。」
呼ばれて入って来たのは、フュリー曹長とファルマン准尉だった。
「ファルマン准尉は部下を二人連れて、彼女を家迄送ってやってくれ。
引き続き彼女には監視を付ける。戻ったらハボック達を手伝ってやれ。あとで私も顔を出そう。
フュリー曹長はホークアイ中尉と共に資料の確認作業を続けてくれ。確認が取れ次第動くぞ。」
「了解。」
敬礼をしてぱたぱたと部屋を出て行った曹長に続き、准尉が私に退出を促す。
一つ頷いて彼に続いて部屋を出て行こうとした私を、大佐がおもむろに引き止めた。
「…これを。」
「…写真、ですか?」
「渡してくれと、頼まれた。」
そう云って渡された茶封筒の中には、一枚の古びた写真らしいものが入っていた。
何気なくそれを取り出して見て、私はぼろぼろと突然涙がこぼれるのを押さえる事が出来なかった。
其れを見て大佐がらしくもなく眼に見えて狼狽えたのがわかったが、
其れを気にする余裕も無く、写真から眼を逸らせなかった。
「…こ、れ、どうして、誰が…」
「…村で君について話を聞いた際、君が生きていると知って、1人の老人に此れを渡すよう頼まれたそうだ。
君は、彼の亡くなった母親と随分親しかったとか。」
古い写真はかなり劣化が進んではいたが、それでも確かに当時の二人を写していた。
あの小さな村で一番の親友だったかつての少女と、今と何一つ変わらない姿の私が、そこにいた。
大佐は、亡くなった、と云った。
ああ、彼女も、いなくなってしまったのか。
婦人も、親友も、皆、還るべきところへ還って行くのに、私は。
「…思わなかった…」
「な、何だ?」
「まだ、こんなものを持っていたなんて、
まだ、私なんかを、覚えててくれたなんて、
だって、わたしは、」
私はこわくてあそこに戻れなくて、逃げ出したと云うのに。
「…すみません、取り乱しました。
わざわざありがとうございました。」
「あー、いや、うん。」
思いを振り切るように涙を拭い、しっかりと大佐を見据えて礼を延べた。
大佐は心なしかまだ動揺しているように見えた。其の証拠に、いやに歯切れが悪く曖昧な返事だった。
…失敬だな、そんなに驚かなくてもよかろうに。
もう一度頭を下げて部屋を出ると、呆気に取られたようにファルマン准尉が私を見ていた。
しまった、彼の存在をすっかり失念していた。
「あっ…あの、お待たせして、すみませんでした…」
「ああ、いえ。気にしないで下さい。
…おかげで、大佐の面白い顔が見れましたからね。」
おどけるようににやりと笑う准尉に少し面喰らったが、私もすぐににやりと笑い返した。
(08.9.16)
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