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義賊などと薄気味悪い呼称は望んでは居なかったが、

一部の大衆には私の偽善が必要悪を実行する英雄に例えて見られているらしかった。

倫理、道徳、法律、それらの定義に反するのは、非合法的な方法で財を成した金持ち達も、

其れを盗んだ私もそう変わりはしない。所詮は奪う行為でしかない。

罪悪をオブラートで包んで自分の行為の正当性を装おう為に、

「貧しい人達」や「不幸な人達」に他人から不当に奪った汚い財を押し付けた。

其れが現実だ。

 

美しく束ねられた真新しい札束の群れを無感動に見遣り、私は自分勝手に気分を悪くして其れから眼を逸らした。

薄暗い半地下の一時的な隠れ家の中は、何年も放置されて忘れ去られたような湿っぽい空気が満ちている。

埃塗れの白い布に覆われたぼろぼろのソファと、同じように布に覆われた朽ち掛けのテーブル。

それきりが佇む死んだ部屋の中で、私は無駄な呼吸を繰り返しながら部屋の隅に座り込んで小さく踞った。

 

世界とは何か、人間とは何か、生とは、死とは、証明も出来ない数式を胸の中に飼い殺すだけで、

私はどうすることもできない情けなさを静寂の中に掃き捨てられなかった。

其れは絶望感と呼んでもいいような気がして、ひそりと力無く自嘲した。

 

やや遠くに、足音や話し声が混じりあって雑音に成るのが聞こえる。

恐らくは黒や青の制服を着た人々が銃と手錠を持って私を探しているのだろう。

手錠で済めば良いだろうが、恐らくは見つかれば射殺される可能性の方が高いような気がする。

彼等の威厳を損なうには十分な回数の略奪行為をしてきた。

そうなれば必然、上の人々は現場に動く彼等に「殺しても良いからあの犯罪者を捕まえろ」と命令するだろう。

彼等の考える私の罪状はもはや略奪罪ではなく侮辱罪に変わっているかもしれなかった。

 

(私は何処かで何かを間違えたような気がする…。)

 

こんなたいそれた犯罪を為すにはあまりに私の心は臆病で小さかったはずなのに。

死を忘れ、そのせいで生を忘れ、捕まって殺されたとて、

所詮は死ねぬ身体だと自分を嘲笑わずにはいられなかった。

 

足音や怒声が遠ざかって行く。

私は今回も捕まらなかった。

安堵と残念さの入り混じる妙な感覚を飲み込み、

私は外界が完全に夜の静寂を取り戻すのを膝を抱えて待った。

 

夜明け間際の時刻になると、幾らかある逃走ルートの内の一つを使って部屋を出て、

幾らかある隠れ家の一つに札束の入った鞄と顔を覆う黒い仮面や衣服を隠してから、

美しい朝日の輝く金色の空の下、何喰わぬ顔で家路に着いた。

 

私の浅知恵では所詮このような子供騙しはすぐに見破られ、

たちまち牢に放り込まれるのが関の山だろうと自嘲していたのだが、案外と世の中とはいい加減なものだった。

このような行為を始めてもう随分経つが、未だに隠れ家の一つさえ見つかっていない。

もしかしたら見つかっているのかもしれないが、踏み込まれもしなければ捕まえられもしない。

こうなると逆に不安にならないでもなかったが、別に捕まりたい訳でも無いので、

彼等が私を捕縛しないなら捕らえられてやる気はあまり無かった。

 

金銭的に困っている訳でも英雄を気取りたい訳でもないので、このような犯罪行為など辞めてしまってもいいのだが、

辞めるきっかけを逃して此処迄ずるずるきてしまった。

あまりにナンセンスであることは誰より私自身がよくわかっていた。

恐いのも痛いのも辛いのも嫌いだった。

私はどうしてこうなってしまったんだろう。

ふと見上げる透き通る朝の青空は、しにたいくらい美しかった。

 

私が今住んでいる家はイーストシティーの郊外にある住宅地から少し外れた静かな場所にある。

イーストシティー、と云うよりは、その隣町と呼んだ方がしっくりくるような立地だった。

賑やかすぎるのも都合が悪いが、逆に街から離れた田舎では、

ひっそりと暮らしたい私にとってその特有の密接な地域的共同体意識が仇になる。

都会の人間関係の希薄さと田舎の静かさの丁度隙間に陣取るような気分で静かに目立たず生活するのが理想的だ。

 

早朝に帰宅した私は数時間の仮眠を取った後、昼前に街の中心部に出掛けた。

いくらか細々とした買い物でもするつもりで目当の店を目指して歩いていると、

途中通りがかった花屋の前で、店員らしきピンクのエプロンを付けた若い女性と、青い制服を着た軍人が何やら話をしていた。

なるべくそちらを見ないように自然に振る舞い乍ら反対側の通りを平然と歩いて通りすがる。

 

(何と云うか、本当にアレだなぁ…。)

 

被害妄想ではあるのだが、昨夜私を銃を構えて追い回した軍人達のように、

和やかに笑顔で花屋の女性と言葉を交わしていた男が今にも私を捕まえに追ってきやしないかと少し考えた。

実際には彼はこちらを認識することもなく、二人は楽しそうにただ会話を続けているだけだった。

 

捕まるのは恐いのでもちろん嫌なのだが、私を捕まえるのが他の誰でも無くあの軍人だったら、其れは其れでおもしろかろうと思う。

私はその黒髪の男を一方的に知っていた。

なので私が知りうる限りの事を彼に話したらどんなことになるだろうかと少し興味が沸いた。

 

信じないなら別にそれでもいい。

残念に思ってまた世界の舞台裏にひそりと戻るだけだ。私はそもそも此の世界における異物でしかない。

例え私が此の世界の所有する駒であるとしたって、

取るに足らない私の存在一つあってもなくても世界は何の妨げもなく回り続けるのだ。

それは私の元いた世界でも同じ事だという事実を、認識しつつも認めたく無い気持ちが何処かにあるような気がした。

 

少し惨めな気分を見て見ぬふりをして、建物の陰で流れる人波をひそりとすり抜ける。

胡散臭い程に爽やかな笑顔を張り付けたあの女ったらしの黒髪の軍人の顔を思い出すと、

少し可笑しくて、私は俯いて前髪の陰で小さく笑った。

 

一体この世界を織り綴る「物語」はどんな結末を迎えるのか。

されど「物語」のはずだった其れは紛れも無く私にとっても現実になってしまっている。

例えそれがどんな結末だろうとも。

 

 

 

 

 

 

next.

 

 

 

(08.9.16)

 

 

 

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