冷たい床

 












珍しく私達は連れ立って外出していた。

外は夕方と言えどもとても暑く、昼間の熱気を含んだ土が少しずつ蓄えた熱を放出する中、

黙って手を繋いでざわめきが支配する街道をゆっくりと歩いた。

街道は少し歩けば人とぶつかってしまいそうな程人で溢れかえっていた。


笑い声、呼び声、母とはぐれてしまった子供の泣き声、世間話をする人々。

ごちゃ混ぜに私の耳に入ってくるので、その一つ一つは何を伝える為の、

どんな意味のある言葉なのかは聞き取ることが出来ずに、ただの喧騒として頭を通り抜けていく。


繋いだ手が落ちかけた夕陽のオレンヂを呑み込んで、熟れた果実のような色になっている。

ちょっと前、とても美しい夕焼けが空を染めたことがあった。

その時もカカシの家のリビングの窓から2人して、暖色のグラデーションに見入っていた。

愛するひととの言葉なき感動の共有の方が、私にとってよっぽど美しく、目映かった。


ぼぉっと眺めていると、同じようにして隣にいたカカシが、

夕焼けが何故赤く見えるのかを私にもわかるように易しい言葉で説明してくれた。

私もその原理については学校で習ったけれど、恥ずかしながらとうに忘れてしまっていた。

勉強はやはりあまり好きではない私だが、カカシに教えてもらった事ならきっと忘れない。

現にこうして、ちゃんとその原理は私の頭の中に息づいていつでも取り出すことができる。


考え事をしながら下を向いて歩いていると、擦れ違い際に人と肩がぶつかってしまった。

私はいつも下を向いて歩く癖があったので、よくその事を危ないからと注意されたりもしたのだが、

でも地面がいつも平らで、いつも私をまっすぐ歩かせてくれるとは限らない。


凹凸やら石やらを回避することに躍起になって、気がつけば私はまた下を向いて歩く。

屁理屈なんでしょうか、とカカシに問えば、彼は何もいわずに不思議な笑みで目を細めた。

どうおもったのだろうと考えてみても、深い色をした目は結局私に何も悟らせはしなかった。


突然ひどくぶつかってしまった為、私は驚いて一瞬声が出なかったが、ごめんなさい、と言うと、

私がぶつかってしまった、恰幅がよく、柔和そうなそのおじさんは、

気前のいい笑顔で少し会釈した。カカシが、少し私を引き寄せた。


本当に人が多い。混雑した所が苦手な私は、滅多にこんなに大勢の人を見ることがなかった。

何故こんなに人が多いのか。

それは、今日は、大きなお祭があるからだ。

盆踊りや、夜店、花火、いろんなイベントを織り交ぜた祭である。


今まではカカシの仕事と重なってしまったりで、一緒に祭に出かけたことがなかったのだが、

今年は上手く休日を取ることが出来たからと、カカシが誘ってくれた。

私はもちろん二つ返事を返しそうになる程に嬉しかったので、誘われるがままに。


折角のお祭なので、私は藍色の地に薄水青と桔梗色の朝顔の模様の入った浴衣を着た。

カカシはいつもの黒尽くめの普段着で、あまり忍装束と変わらないような格好だ。

慣れない浴衣に、慣れない下駄はとても歩き辛く、そんな私が転倒してしまうのが心配だったのか、

それとも人波に飲まれてはぐれるのが心配だったのか、(それとも両方か、)

カカシは手を繋いでくれて、うまく人波をかきわけながら私を引っ張っていってくれた。


嬉しいが、やっぱり少し過保護ではないだろうか。

何度も言うようだが、嬉しい、でも、自分ではそこまで子供ではないつもりなのである。

(そう言う所が子供なのかもしれないが、この際それは考えないことにする。)

ふいにカカシが手に力を込めた。私も握り返しながら、カカシを見上げる。


、大丈夫?人込み苦手なんでしょ。気分悪くなったらすぐ言ってね。」


「大丈夫だよ。・・・人がどんどん増えていくね。お店も見え始めてきた。」


「もうすぐ紅白の幕をつけた物見櫓が見えてくると思うよ。

 そういえば、とこうやって祭に来るのって初めてなんだよねぇ。」


「うん、そうだよ。去年も、一昨年も、カカシさんお仕事でした。」


「あはは、ごめんねぇ。」


繋いでいない方の手で、少し遠くに見える赤やオレンヂの提灯を指さしたりした。

暗くなり始めた周囲は、そんな提灯のおかげでぼんやりと仄明るい。

ずっとお祭は楽しみだったのだが、今さらになって一層その明りが嬉しく、楽しみに感じられた。


いつもとは違う、胸騒ぎにも似る気分の高揚が特別に思える。

服装も、音も、日常とは違うということは、ひとを無意識のうちに酔わせて惑わせ、

そんな浮遊感に溺れながら一夜限りの限定時間を貪り尽くすような。


「あ、ねぇ、あの人達カカシさんのお友達じゃ無いですか?

 ほら、前に会った。」


「ん?あぁ、アスマと紅とハヤテだな。あいつらなんでこんなところに・・・。」


ちょっと嫌そうに顔をしかめるカカシがやけに子供っぽくて可愛く見えて、少しどきりとする。
内心に産まれた動揺を打ち消す為に私は慌てて口を開く。


「あの方々も、お祭に遊びに来ているんでしょう?

 一年に一回の大きなお祭りだもの。忍さんも楽しまなくちゃ。」


私よりも背が高いカカシは、そう言う私を見下ろして少し苦笑いをした。

あいつらがここにいるなんてそもそも場違いすぎるよ、俺がここにいるのと同じくらいね、と彼は言う。

きっと私が一緒に行きたいと願わなければ、カカシはこんな人込みの中へ来る事は無かったのだろうか。


「お、カカシじゃねーか。」


「あら、彼女とデートかしら?」


「こんばんは、カカシさん。」


前方で彼の同僚であるらしいアスマ、紅、ハヤテと呼ばれた忍達がカカシに気付いて声をかけてきた。

ふと見ると、3人は皆忍装束に身を包んで何やら話し合っていたらしく、

その様子からは、とても祭に遊びに来たという雰囲気では無い事が、一般人の私にも容易にわかった。


「あんたら何やってんの?」


「そりゃこっちの台詞だ、馬鹿。

 俺達はこの祭りの警備を任されちまっただけだ。」


やはり3人の忍達は仕事でここにいるらしかった。

カカシが何やらアスマと紅と軽く会話を交わしている間、私はぼーっとカカシの表情を見ていた。


仕事の時の顔、私といる時の顔、友人といる時の顔。

彼の表情は微妙にどの時も違っていて、きっとたくさんの別々の表情をもっているのだろう。

その中の一つ、私といる時の表情を、私だけが独占しているという小さな満足感と、少しの寂しさ。


カカシから少し目を離すと、カカシと話し込むアスマと紅から少し距離をおいたような物静かな雰囲気で、

ハヤテと呼ばれた忍が微笑を浮かべて彼等の話を黙って聞いていた。

時折咳き込む、目の下に隈を作ったその人は、本当に忍なのかと疑わしい程に、

提灯の明りにぼんやりと揺れる影が儚く見えた。


一瞬そのハヤテと目が合い、私は少しうろたえかけたが、彼は穏やかに私に笑いかけてくれる。

私も少しぎこちなくはあったけれど、笑みを返して少し会釈する。


「アスマさん、紅さん、そろそろ行きましょう。時間です。」


「そうだな。じゃあ、まぁ楽しんでけ。」


アスマがにっと笑って、去り際に私の頭をぐしゃりと撫でて、薄闇と人込みの中に紛れて消えていった。

その去り方すら見事なもので、先程まで目の前にいたことすら嘘のようにするりと存在を消して行ったのだ。


これが忍なんだなぁ、と思うと、あまりに遠すぎる気がして、カカシが本当に隣にいるのか不安になる。

カカシの服を少しだけ掴んで、私はアスマに撫でられて乱れた髪を押さえた。


、大丈夫?ったく、あの髭め・・・。」


「ねぇ・・・・。」


「ん?どうした?」


「・・・何でも無い。いい人達だね、あのカカシさんのお友達。」


焦燥の混じりあう無性に込み上げる不安から出てくる言葉をすんでの所で呑み込んだ。

急に消えたりいなくなったりしないでね、とか、ずっと傍にいてね、とか、

そんな口先だけの、言葉だけの砂の城みたいな守ることもできない束縛を、押し付けたく無かった。

そして、困らせたく無かった。


「まぁ、ね。」


そう答えたカカシは、とても満足そうに、照れくさそうに見えて、

そういう態度からすると、きっと彼をとても良く理解してくれるような、長い付き合いの親友なのだろう。

少し、妬けてくるくらいにきれいな笑顔だった。


「なんかちょっとうらやましい、かも。」


何気ない風を装ってはみたものの、少し拗ねたような声は隠し切れなくて、

カカシが笑いを堪えながらわざとらしい咳払いをするのが聞こえた。

いいさ、私はどうせ子供だから。嫉妬もするのさ。

そう、ちょっとヤケになりながら、開き直って私はカカシの手を握って歩き出した。


「あ、金魚掬い。ねぇ、やってもいい?」


「どうぞ。、子供みたいだな。」


「えぇ、そうよ、だって私は子供だもの?」


にっと笑って肩を竦めてみせると、カカシがまた笑う。


私はカカシに手をひかれながら人の波をすりぬけて、赤朱色の金魚がひらりひらりと舞い泳ぐ、

セロリアン・ブルゥの水槽の前にしゃがむ。

店番をしている、快活そうな、日焼けをした老人に小銭を渡して、

代わりに和紙のようなものを貼った輪と、アルミ腕を受け取る。


そっと水中をすり抜ける赤朱色の群れの一角を掬い上げようと、何度も柔らかにそれらを追いかけた。


結局私は、2匹の金魚を掬った。

ビニィルの中で小さい水面が揺れて、狭いその中で2匹の金魚はゆぅるりと交差し、離れては近付く。

その水槽代わりのビニィルを目の高さまで掲げながら、赤朱色に見入っていた。

切ない程に美しい小さな生き物。手の内にある命があまりにも厳粛に見える。


「よかったね。」


カカシが子供をあやすみたいに私に言った。

でも、何故か嬉しくて、私はゆっくり大きく頷いた。













人酔いしはじめた私は、ずっとそうであったように、カカシに手をひかれて、

人影が少しまばらになっている、祭りの広場の向こう側にある石階段に向かった。


「大丈夫か? ごめんねぇ。」


カカシは少し申し訳なさそうに、ぐったりとする私の頭を優しく撫でてくれた。

カカシが謝る必要は何処にも無いのに、と、胸が痛くなった私は、ただ首を横に振るしかできなかった。

私は嬉しすぎて、彼が優しすぎて、どうすればいいか分からなくなり始めているらしかった。


階段に並んで腰掛けていると、石の冷たさが浴衣の布地を通してじわりと伝わってくる。

少し火照る身体にはちょうどよくて、でも直にその冷たさも、自らの熱が奪ってしまう。


背後からか、どこからか、大きなドォンという鈍い音が聞こえて、私は空を見上げる。

隣に座るカカシも同じく空を見上げて、小さく目を細めていた。

少しささやかな一度だけの打ち上げ花火は、今から華麗で大きな花火が上がる、開幕を告げるものだ。

その音、光りに導かれるように、ひしめき合う人々は一斉に深藍色の夜天を見上げている。


「行こう?」


、大丈夫なのか?」


「うん、心配かけてごめんね。花火みたらきっともっと元気になるよ。」


戯けて付け加えた言葉にカカシが苦笑して、連れ立ってまたあの大勢の群衆に紛れ込んでいく。

人の熱気に頭が少しくらりとしたけれど、それもまた奇妙に楽しい気がする。


まるで自分が自分でなくなるみたいに、たくさんの生き物に混じる、私と言う「生き物」。

手足も何も紛れて分からなくなってしまいそうな、居心地の悪い陶酔感が背中を押した。

かろうじて繋ぎ止められているのは、カカシの体温を感じる右手。


しばらくの間、密やかなるざわめきに包まれながら、しばしの静けさが訪れて、

そのすぐ後に深藍色の天を鮮やかな赤、黄、緑、青等のスパァクが照らし出していく。


色鮮やかな閃光の残像が瞳に焼き付きながら、咲いては散り、散っては咲き誇るかのように燃え尽きる。

なんと儚くも美しい花だろうか。

なんと痛々しく優雅にあの深藍に咲くのだろうか。


何故か震える手を誤魔化したくて、カカシの手を強く握る。

すると、カカシは私にそっと耳打ちした。


花火の炸裂音に掻き消されて、彼の小さな囁きが聞こえなくて、私は何を言ったの?と、訊ね返した。

しかし、カカシはいつもの曖昧な笑顔でにこりとしただけで、花火をまた見上げてしまう。


どうしていつも彼はこんなに笑顔で全てを誤魔化してしまうのだろう。

少し不満に思うけれど、それで誤魔化されてしまう私の方がよっぽど自分自身でも不思議だった。


夜天に咲く花の美しさと、無性に込み上げる何らかの想いに、

私は少し泣きたくなった。













夢見心地で帰路につく足取りは、ほとんどの人がのんびりと、うっとりと、土を踏み締めるように。


祭も終わる頃には、もうとっくに月は昇り切ってしまっていたし、

母親に、父親に背負われている幼子は安らかな夢を踏み締めていた。

どこか呆気にとられたような足下のおぼつかない空気が、終幕を何よりも明確に感じさせる。


ざわりざわりと聞こえる喧噪は、行きとは違った充足感に満ちあふれて穏やかに溢れている。

提灯の冴えないぼやけた明りだけをたよりにふらふらと歩く足は疲れ切っていた。


「楽しかった?」


黙り込んで機嫌良さそうにしていた(そして彼もまた満ち足りたような顔をしていた)カカシが、

気紛れにそんな問いかけを私に投げかけた。

相変わらず足下を見ながら歩いていた私はカカシを見上げる。


「うん。」


そして彼は、よかったね、と。

ただそれだけの、本当にそれっきりの会話が、言葉の洪水のように感じられる。


私達は奇妙に浮かれた雰囲気の夜道を辿り、カカシの家に向かって歩いていった。


月明かりでぼんやり浮かび上がる影を背に、私達はようやく家に辿り着いた。

相変わらず涼しくて心地よいカカシの家の窓の前の床に私は座り込んで、目を閉じて瞼の裏側を見る。

未だ消えないでいる焼き付いた花火の残像と、耳に染み付いたざわめきと花火の打ち上げられる音。

暖炉の残り火のようなじんわりとした余韻を噛み締めていた。


「ねぇ、カカシさん。」


「何?」


「あの時、何て言ったの?」


花火を見ていた時、密かに彼は私に耳打ちをして何事かを囁いた。

彼の声音の低さの感じは今でも覚えているのに、何を言ったのか、それだけはどうしても聞き取れなかった。


「教えない。」


私の背後に立つカカシを振仰いで見れば、やけにきれいな顔をしたおとこが笑っている。


窓から射す月光は彼の銀髪に吸い込まれ、秘密を含んで笑顔に溶けた。






















(02.10.25)


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